第三十五話 女医さんといつ大人の関係に慣れるのか
「では、いってきます」
「いってらっしゃい」
京子先生はいつものように笑顔で家を出て、仕事へと向かう。
何だかすっかり主夫というか、ヒモみたいな生活が板についてしまったなあ……。
結婚したら毎日、こんな生活になってしまうのだろうか?
いや、流石にそれはちょっと……と思ってしまう。
だって、男としてどうかと思うじゃん。そりゃ、俺が京子先生の稼ぎを超えるのは無理なのはしょうがないけど、何とか自分の事は自分で出来るようにはしたいんだよな。
「京子先生の彼氏になるんだから、少しでも釣り合うようにしないと」
と意気込んではみるが、やっぱりハードルが高いんだよなあ。
仮に京子先生が気にしなくても、俺はどうしても気にしちゃうんだよ。
「午後にでもハロワに行ってくるかな」
何もしないよりはマシなので、そろそろ転職活動するか。
「はあ、何の仕事がいいのやら」
色々と求人票を見てみたが、どうも希望の仕事が見つからない。
電車で遠距離通勤は無理なので、徒歩か自転車で通勤できるような場所がベストなんだが、中々ないんだよな。
「京子先生は今日も忙しく仕事しているんだろうな」
産婦人科って人手不足らしいので、彼女の仕事を支えるってなら、主夫とかも選択肢の一つなんだけど、それで良いのか悩んでしまう。
だけど、それはちょっとどうかなってどうしても思ってしまう。
京子先生とよく相談してみようっと。
『すみません、今日は急なお産が入ってしまったので、遅くなりますわ』
「そうですか。夕飯は用意しておきますから、頑張ってください」
『はい。本当に申し訳ありません』
夜中になり、急患が入ってしまった様で、遅くなるという連絡が入ってきた。
はあ……正式に付き合い始めた途端にこれではな。
もう付き合うと言った以上は、甘々な同棲生活を送ってやろうと思ったんだけど、京子先生は仕事が忙しい人なので、そうもいかないのだと思い知らされた。
「どうするかなあ……俺、京子先生とどう付き合えば良いんだ?」
結婚したら、下手をすると毎日、こんな生活を送る事になってしまう。
そりゃ医者に限った話じゃないんだろうけど、彼女がここまで仕事人間だと確かに、この先ずっと付き合っていけるのかって不安は出て来ちゃうなあ。
「まあ、今からそんな事を考えてもしょうがないか」
結婚なんてまだ先……いや、思いっきり結婚しろと迫られているんだったな。
しかも今すぐ入籍しろって言われているんで、今から考えても全く早い事はない。
「やっぱり、ちょっとなあ……実感湧かないよ」
京子先生と結婚したらどうなるかなんて、まだ俺には想像が付かないし、早すぎるって。
まだ知り合って大して経ってないのに、結婚なんてさ……何であんなに急かすのか、理由がわからないわ。
「遅い」
それから夕飯の支度を済ませたが、夜の十一時になってもまだ帰って来ず、空腹に耐えきれなくなったので、先に済ませて、京子先生の帰りを待つ。
お産に相当手こずっているのか、また急患が入ったのか。
今夜は先生を抱くって話だったけど、そんなどころではなさそうだな。
何せ、明日だって仕事はあるんだから、そんな遅くまで遊んではいられないだろう。
「何か寂しいなあ」
この広いマンションに一人ポツンと、彼女を待つと言うのがここまで寂しいとは。
初めてではないはずだが、正式に付き合い始めた途端にこれでは流石に心が折れてしまいそうだよ。
テレビや動画サイトで時間を潰しても、心が満たされる事はない。
一人暮らしの時も、時間に余裕のある時はこうだったけど、仕事が忙しかったから、寂しいなんて感じる余裕すらなかったのかもな。
「ただいま。すみません、遅くなってしまって」
「京子先生。おかえりなさい」
何て考えていると、やっと京子先生が自宅に帰ってきたので、玄関まで出迎える。
「ちょっと難産だったので、遅くなっちゃいました。すみませんけど、先にお風呂でも良いですか?」
「はい。もう沸いてますから」
「ありがとうございます」
と笑顔で言いつつも、疲れ切っている様子は隠せず、浴室へと向かう。
毎日、こんな仕事で大変なのに、彼氏である俺は何をしているのだろうか。
「はあ……さっぱりしました。夕飯、出来ていたんですね」
「京子先生の為に頑張りました。寒くなってきたので、シチュー作っておきました」
「まあ、ありがとうございます。シチューまで作れるなんて、料理上手なんですわね」
別にシチュー自体はそこまで難しくはないんだけど、京子先生が喜んでくれたのであれば作った甲斐があった。
「ああ、結婚したら、毎日こんな生活が待ってるんですね」
「は、はあ……あの、俺、転職活動しようと思っているんですけど……」
「ん? そんなの必要ですか?」
「ひ、必要って……仕事をしないとお金がですね……」
恐る恐る切り出していくと、京子先生はキョトンとした顔をして、聞き返してきたのでそう答える。
「あら、お金の心配なんて必要なんですか? 私、英輔さんに養われる程、稼ぎは少なくないんですけど」
ハッキリ言われてしまったが、養う養われるって話ではなくて、俺がもうちょっと自立したいって話なんだけど、わかってくれるだろうか。
「今夜は遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。でも、職業柄、こういう事はどうしてもあるので、どうかご理解いただけると幸いです」
「いえ、それはもう理解できていますよ」
京子先生が今の仕事にきちんと誇りを持っているのは今のでわかったが、だからこそ、俺ももうちょっと先生に近づきたいと言うかですね。
「別に心配しなくても良いですよ。お金も住むところも全て私が面倒見ますので」
「はは、それはその……」
「どうも歯切れが悪いですわね。何かご不満でも?」
「いえ、不満というか……あの、明日も仕事ですよね? 食べ終わったらすぐに寝るんですよね?」
女医モードというか、丁寧な口調ながらも、俺の意見を頑なに聞き入れようとしない姿勢は全く変わっておらず、やっぱり彼女との関係をこのまま続けて良い物か考えてしまう。
ああ、何でここまで優柔不断なんだろうな……先生ももうちょっと段階を踏んでくれると嬉しかったんだけど、いきなり同棲まで行っちゃうんだもん。
こっちも中々、受け入れられないって。
「まあ、私を抱くと言う約束、覚えていたんですね。それはいけませんわ。じゃあ、今すぐ支度しますので……」
「い、いえっ! お疲れでしょう。また、明日……いっ!」
「ふふ、約束でしょう。大丈夫ですわよ、仕事の心配はしなくて結構です。明日は午前診ですので、少しくらい夜更かししても平気ですわ」
また明日以降にしようと言うと、京子先生は俺の手を握って、怒気を込めた声でそう迫っていく。
笑顔とはいえ、こういうところはちょっと怖い……やっぱり、何も変わってないじゃん、京子先生。
「いえいえ、やっぱり元気な時にやりたいので。疲れて、明日の診察に支障があると困るでしょう。おれより、患者の心配してください」
「まあ、患者の心配までするなんて、お優しいですわね。そうやって逃げようとするのは英輔さんの悪い所ですわよ。でも、そうですわね。患者に疲れた姿は見せられないですし、急患がある可能性もあるので、今夜は見逃してあげましょうか。私、散々待たせて、もう我慢できなくなってきているのですけど」
そう言って、京子先生は手を離して、納得してくれたので、一先ずホッと息を付く。
引き伸ばししまくって、申し訳ないと思っているのだが……いつまで、これが続けられるかは心配だな。




