幕間:思考を続けて花が咲く
──図書館に新しい本が多数入荷した。
その一報が入ったのは、夏のイベントを目前に控えた、これと言って時節的な理由は何も無さそうな、何でもないある日の事。
このゲームの、ピリオノートの店舗では時折そういう事が起きる。
誰かが、店に関わる何かのクエストをクリアして、その結果新たな商品の入荷に繋がっているらしい。
例えば、ピリオノートのとあるパン屋では、看板娘とジャム屋の息子の婚約が整った結果、そんなにいらんだろとツッコミたくなるような種類のジャムパンが売りに出されるようになった。
今回の本の入荷も、おそらくはそういう事だろう。
早速図書館へと赴いて写本を作ってきた男……論丼ブリッジは、自室で新しい本を読みながらスレを複数開きつつ、そんな事を考えていた。
論丼ブリッジは、プレイヤー間で言う所のβ勢であり検証・考察勢である。
彼は冒険よりも、戦闘よりも、開拓よりも、育成よりも、ゲームの世界観やシステムに関して情報を集め、思考し、理解する事の方が好きだった。
ゲーム内の職業は錬金術士。
日々スレに張り付きながら研究に明け暮れて、製作物を売る事はほとんどなく、なんと錬金術のレシピ本を出版して生計を立てている希少種である。もちろんゲーマー仲間の協力あっての事ではあるが。
最近は魔道具にも手を出しているので、そろそろ職業が変わるかもしれない。
そんな論丼ブリッジにとって、新しい本の入荷は大変喜ばしい事だった。
フレーバーテキストだろうがスキル・職業のラーニングアイテムだろうが、作りこまれたゲームにおいて文章という物は世界観を読み解く大きな手掛かりとなる。
見つけてきた誰かには、是非とも「よくやった」と一言伝えたいくらいだったし、現に論丼ブリッジはスレで見知らぬ誰かに向けてそう書き込んだ。
惜しむらくは、新しい本のほとんどが読めない状態になっている事か。
検証・考察勢が常駐するスレは新しい本の入荷に沸き立ち、読めない事を知って嘆き悲しんだ。
そして修復や翻訳のクエストが冒険者ギルドに追加されたと知るや、打って変わって燃え上がったのだ。
今こそ! 今こそスレ民の英知を結集する時!
こんな時にこそ集合知を生かさずしてなんとする!
論丼ブリッジは横目でチラリとスレを見る。
今もまだ、やる気がフルスロットルになっているスレ民はお祭り騒ぎだ。
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594 ファラオ
ヒエログリフの本、翻訳終わったよー
595 雷切伝道師
早くね???
596 G・オイスター
なんで中国語担当の俺より早いん?
597 槍ロット
英語本の俺よりも早いわwwww
おかしいだろwwwwwww
598 カニミソスキー
だってお名前ファラオじゃんすか・・・w
599 マフィンクス
ファラオならしゃーない
600 大車輪野郎
まさかのネイティヴ?wwww
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ネイティヴなわけあるか。
論丼ブリッジは思わず苦笑した。
時折こうやって野生のプロが出てくるからオンラインの世界は侮れない。
クツクツと笑いながら、冒険譚を読み終える。
奇妙な生き物が生息している不思議な浮遊大陸を冒険して、そしてその大陸がどこかへ消えてしまった話だった。
簡潔なフレーバーテキストの文章量ではない、おそらく本職の作家に依頼した小説だろう。なかなか面白かった。
……と、読み終えたと同時にゲームシステムが反応する。
ステータスに未読通知。
開いてみると、転職可能職業が新しく生えていた。
「……『錬金の学術士』、学者系の職業か」
なるほど。
論丼ブリッジは考える。
学術士、その解放条件は何か?
「……一定数の書物を、読む事と書く事、あたりか?」
読むだけならスレ民のほとんどが該当して祭りになっているはずだ。
しかしそんな様子が無いのなら、論丼ブリッジが周囲より先んじていると言う事に他ならない。
それなら、今まで飯のタネにしてきたレシピ本の執筆くらいしか思い当たらない。
学術士たるものレポートの一つや二つや三つくらい書いておけという事だろう。リアル学生が発狂しそうだ。
論丼ブリッジは迷わず転職した。
なんたって未知の新職業である。
それがいくらでも自分の意思で検証できる自分に生えたのである。
選ばない理由が無い。
すると、新しいスキルを習得した。
「……【解析】?」
未知のスキルだ。
さっそく使ってみる……と、まるでカラフルなサーモグラフィーのように視界が変化した。
「……色分けのパターンは……属性、か? 魔力に色がついて見えている?」
なるほど、魔法による仕掛けを看破したりするのに有効そうなスキルだ。
そして……ふと思い当たる。
新しい本が入荷した。その話を聞いてから、ずっと気になっていた事。
おもむろに立ち上がり、自室を出る。
大きな建物の廊下を進むと、拠点を同じくするゲーマー仲間の行商人パピルスがこっちに気付いて声をかけてきた。
「おや、お出かけです?」
「ああ」
「いってらっしゃい」
ひらりと手を振って、見送りを背に拠点を出た。
サウストランクの転移オーブから、ピリオノートへ飛ぶ。
向かったのは図書館。
論丼ブリッジはずっと気になっていた。
前人未到の世界を開拓するこのゲームで、読めない言語の書籍なんていったいどこから出てきたのだろうかと。
それは図書館だった可能性が高いのではないか?
見落とした、あるいは特殊なスキルが無いと見つけられない隠し要素でもあったのではないか?
図書館に入る。
個別フィールドに切り替わる。
……そう、ダンジョンと同じ個別フィールドだ。
とらえようによっては、ここがダンジョンだというヒントでもあったのではないか。
「……【解析】」
つらつらと思考しながら、【解析】の目で図書館を検分する。
……一ヵ所、片隅に、不自然に色が無い鏡があった。
まるで穴が空いているかのように、あらゆる魔力が抜け落ちている。
……穴。
空洞か何かあるかもしれないと、反響音を確かめたくて、鏡の表面をノックのように軽く叩いた。
──コンコン
ノックに応えて扉が開く。
裏側へ移動する。
何か固い、板の上に降り立った感覚。
素早く周囲を確認すれば、そこは一面の粘液の上に大量の本棚が打ち捨てられた暗い空間だった。
今、着地したのも倒された本棚の上。
そして目につく本棚は、どれもこれもカラッポだ。
本が無かったわけじゃない、粘液の中には、グズグズにどうしようもなくなった本が見える。
当たりだ。
思わず口角が上がる。
考察が当たると嬉しいものだ。
恐らくこの粘液は、触れてはいけない類の物。
安全に着地するために、本棚をここに敷いて。そして大量の本棚から本を回収した誰かがいた。
それが図書館の入荷の正体だ。
本棚を足場に移動を開始しながら、論丼ブリッジは考える。
本を回収し寄贈したであろう誰かは、どうしてここの事を公開しなかったのか?
本を寄贈して他プレイヤーに公開したのだから、情報の独占が目的ではないだろう。
ならば、公開を躊躇う何かがあるのか。
それを確認しない内は、論丼ブリッジもスレへの書き込みなどをするつもりはなかった。
ここは千差万別なプレイヤーが集まるVRMMOだ。
特にプレイヤー次第でその後の展開が大きく変わるタイプのゲームなら、なんでもかんでもオープンにすれば良いという物ではない。
……いや、どこぞの夫婦なんかは、もう少しオープンにしてほしいとは思うのだが。
思考しながら進んでいくと、彼は答えに辿り着いた。
結晶片が体を貫く、ゼラチン質の髪を持つ人型。
滅びの使徒。
こんなところに!?
一瞬で死に戻りを覚悟した。
論丼ブリッジは強くない。
β勢は誰もが強いと思われがちだが、彼は検証・考察・研究のガチ勢だ。ある意味エンジョイ勢の筆頭とも言える。
素材も仲間が工面してくれる事もあって自分で採りに行く必要がほとんど無く、なんと彼のベースレベルはまだ一桁台。スキルレベルだけが高くなった、生産系によくあるステータスなのだ。
目の前の使徒が、いつぞやイベントに現れた使徒と同クラスならば即死案件なのである。
……しかし、緊張に反して使徒はぴくりとも動かなかった。
どういうことかと疑問を覚え、意を決して近くへと向かう。
まるで道のように配置された本棚の上を歩けば、粘液の中に座り込む使徒の正面へとやってくることができた。
使徒の女性は動かない。
論丼ブリッジは、この空間の粘液が彼女の髪である事を知った。
使徒の女性は動かない。
論丼ブリッジは、俯き座り込む彼女の膝の上に、花が置かれているのを見つけた。
綺麗な八重咲の真っ赤な薔薇だ。
確か、カトリーヌお嬢様のクラン拠点で栽培されている品種ではなかっただろうか。
……大体の事情を察して、論丼ブリッジは溜息を吐いた。
なるほど、これは確かに秘匿案件だ。
スレに書き込んだりすれば、愉快犯がやってきて台無しになるだろう。
検証勢は時折人の心が無いかのような評価をされる事もあるが、論丼ブリッジとてブリックブレッドの惨劇は繰り返したくないと考える者の一人だ。
バッドエンドの芽は摘むに限るし、救われるNPCが増えるならそうすればいいと思う。……本当に、救われるならの話だが。
使徒の女性は動かない。
論丼ブリッジは、彼女の前に目線を合わせるかのようにしゃがんだ。
どうやらお嬢様がコミュニケーションを図っているらしいが……それはそれ。
情報を得る機会を逃したりはしないのだ。
論丼ブリッジとて自らここに辿り着いたのだから、その権利はある。
粘液の髪が覆っている範囲が広いから散々迷った末に、彼は手を伸ばしてそっと肩に触れた。
使徒の女性が、顔をわずかに上げる。
「……キミの名前は?」
「…………な、まえ……」
論丼ブリッジは思考を回転させる。
この使徒は、ここで本を滅ぼしている。
本とは知識であり文化だ。
それを失うという事は、すなわち忘れるという事ではないのか。
忘却こそが、彼女の滅びにおける役目なのではないのか。
彼女がこのような状態なのは、自分の事すら忘れているからではないのか。
「キミは……忘れさせる存在なのか?」
使徒の女性は、僅かにだが目を見開いた。
「……わ、たし、は………なまえ………忘却の、シトソイム」
それは、忘れ消えかけていた名前が蘇った瞬間であり。
忘却が逆巻き始めた最初の言葉であった。
そして論丼ブリッジは、後に彼女の名前の意味を知り、彼女の本当の名前に辿り着く、最初の一人であった。