幕間:はつかねずみの憂鬱
最近流行のフルダイブVRMMO『Endless Field Online』
通称、エフォのゲーム内にて。
ピリオノートの南に広がる大森林。
そこにある街、サウストランク。
職人の工房が軒を連ねるその街にて。
とある小さな店の女主人が、アンニュイな溜息を吐いていた。
彼女の名前は『はつかねずみ』
この店『錬金術雑貨〜幽世堂〜』の店主であり職人である。
このゲームの【錬金術】とは、【調合】と【鍛冶】を習得してそれぞれ少しレベルを上げる事で生えるスキル。
魔法とは少し毛色の異なる【◯◯術】となるスキルの中でも、習得のしやすさはトップクラス。
そして習得が安易でありながら、薬で治療に、毒薬で戦闘に、金属精製で生産にも有効なアイテムを作り出せる超有用スキルでもあった。
クランが5人以上になるなら、一人は錬金術士がいると便利。
これが現在のエフォのクラン活動におけるスタンダードである。
それくらい珍しくもなんともない、割と人気な職業でもある錬金術士は……つまるところ、競争の激しい職業でもあった。
はつかねずみは物憂げな溜息を吐く。
錬金術士として活動する者の中でも、はつかねずみは物作りをメインにしている、職人・商人に近いタイプだった。
このタイプはプレイヤー相手にはアクセサリー装備を、NPCには雑貨を作って売って生計を立てる事が多い。はつかねずみも例に漏れず、コツコツと腕を磨いては作品を売り、ようやく店を構えるに至ったのである。
……とはいえ、サウストランクの職人優遇制度を使用して、なんとか小さな小さな一角を借りる事が出来ただけの弱小なのだが。
(だからって、クランに入るのもね……)
リアルの仕事の関係でログイン時間が不定期なはつかねずみは、他のプレイヤーと時間を合わせてインすることが出来ない。
元から仲の良い相手ならともかく、初対面の人間ばかりの集団で時間が合わないのは、はつかねずみはアウェイになりがちであまり好きではない。
だからクランに入るのが躊躇われて、こうしてソロで遊んでいるのだ。
(でも……お客さんが来ない日が続くと少し挫けそう)
狩りにも採取にも出るし、質の良いインクを数カ所に卸しているので資金はなんとかなっているのだが。
ただ、やはりゲームは楽しく遊びたいから、自分の好きな物でいっぱいにしたお店には、お客さんが来て欲しいのだ。
(またフリーマーケットとかやらないかなー)
あのプレイヤーイベントはたくさんのお客さんと楽しく売買ができてとても良かった。……まぁ、全員顔はわからないイベントだったけれど。
そういう意味では露店の方がお客さんチャンスは多いのかもしれない。
けれども錬金術はやる事が増えてくると鍛冶師並にゴツい設備が必要になってくるのだ。
そうなると作業をしながら露店というのは難しいし、かといって作業なしで露店を出し続けるのは、クランにも入っていないはつかねずみにはやや時間の無駄に感じられてしまう。
公式掲示板で暇を潰すのも悪くはないが……どうせなら、もっとファンタジーな世界観に没入したいのだ。
(あーあ……いっそ誰か有名人とか来ないかなー)
有名V配信者やβ勢のカトリーヌお嬢様だなんて贅沢は言わない。ちょっとマイナーな配信者あたりでも……
……そんな風に考えていたまさにその時、ガチャリと店の扉が開く音がした。
(えっ、嘘でしょまさか……?)
まさか自分が心の中でひっそり願ったように、有名人か配信者が来たのかとはつかねずみは心躍らせながら店内に目をやり……
そこに予想外の白っぽい民族衣装のような姿を見かけて仰天した。
(あれぇえええええー!? も、森女さんだーーー!?)
はつかねずみは驚いた。
驚きすぎて三度見をキメた。
(た、確かに有名人ではあるけどー!?)
違うそうじゃない。
確かにこのゲームではこれ以上ない程の有名人だけどそうじゃない。
はつかねずみが欲しかったのはインフルエンサー的な存在であって、UMA的なそれではないのに!
はつかねずみのそんな内心を知るわけもなく、森女はキョロキョロと店内を隅々まで見渡している。
森女。
通称『森夫婦』の片割れ。
十中八九開拓勢だと思われるが、かなり特殊な素材を生み出す開拓地がどこにあるのかは長い事謎に包まれていた。
最近の考察スレによれば、『夢の牢獄坑道』に来ていたジャックの主との事だから、何か夢に関わる場所なのではないかと考えられている。
……何それステキ。
はつかねずみはメルヘンファンタジーが大好きだ。
だから名前も童話にちょいちょい出てくる『はつかねずみ』とつけている。
そんなはつかねずみが趣味全開で作っているメルヘンファンタジー雑貨がこの店の売り物なのだ。
リアルでも趣味でクラフトをしているけれど、なにぶん材料費も置き場所もかさむし、けれども売ろうにも仕事関係で時間が不定期だから難しく……というジレンマを抱えていて、やって来たのがこのゲーム。
刻印や装飾をふんだんに使った、『魔法使いの店!』感を全力で追及しているのが『錬金術雑貨〜幽世堂〜』なのである。
……そして来店している件の有名人である。
この森女、実に丹念にじっくりたっぷりと店の品物を眺めているのである。
それはもう楽しそうに。
顔が見えなくてもはつかねずみにはわかる。
アレは好みの物と出会えてテンションが上がっているお客さんのそれ。
……森女さん、もしかして趣味が合いますか?
そんな民族系の恰好してらっしゃるから、てっきりアジアン系が好みの方かとお見受けしておりました。
はつかねずみは親近感を抱いた。
なお、当の森女はその日の気分でどっちもイケる口なだけである。
店を堪能した森女が手に取ったのは以下の品。
紫色の軸にオレンジの花が咲いているガラスペン(自信作)
繊細な細工を施したインク壺(自信作)
刻印を入れてペン先で削れないように保護をしたモンスターの樹脂製の筆記用下敷き(自信作)
(書き物でもするのかな?)
あるいは贈り物用か。
もしも贈答品ならラッピング用品を出さなければ。
そんな風に考えていると、お会計にやってきた森女が言った。
「あのー、何か面白いインクありませんか?」
何か 面白いインク ありませんか???
なんて恐ろしい問い合わせをするのだこの人は。
はつかねずみは少し気が遠くなった。
面白いインク、とは?
消えにくいとか、書きやすいとか、希望の色をとか、そういう一般的にインクに求められる要求ではない。
面白いときた。
珍しいとかお高いとかですらない。
面白い。
主観である。
滑らない話を芸人に求めるような感覚で雑貨屋のインクに面白さを求めてきた。
しかも出所不明なあれやそれやの不思議要素を爆弾よろしくぶちこんでくる森女その人が!
とてつもない挑戦状であった。
だがはつかねずみとて、ゲーム内とはいえ店持ちの職人である。
実体はアマチュアでも気分だけはプロなのである。
はつかねずみは踏みとどまった。
はつかねずみはその挑戦を受けて立った。
脳内の在庫一覧を、表に出していない分も含めて検索する。
──あった。ひとつあった。
「……この辺とかいかがでしょう?」
店の奥から出してきたのは、鮮やかな緑色のインク。
【錬金術】は『ちょっと便利で効率の良いアイテム生産』としても使えるが、その本領は『研究と探究』による『素材の変質』である。
ただでさえファンタジーな素材達をこねくりまわした結果、まるっと特性だけが残ったまったく別の物にすることもあれば、根本的に別物では?という物体に着地する事もある摩訶不思議な技術なのだ。
分岐と応用の多さから、特に理系がドハマりすると大変な事になるらしく。有志が作った錬金術専用wikiはガチの論文みたいな記述がズラズラと並ぶ魔窟と化してしまっている。
甚だ検証勢泣かせなジャンルなのである。
はつかねずみは雑貨生産がメインとはいえ、これでも錬金術師の端くれ。
特に大釜で材料をぐ~るぐ~るするのはメルヘンマシマシで実に楽しかったので没頭していた時期があり、その頃に作ったジョークグッズとも言える品がこちら。
「『パウダープランツ』っていう生命力がとても強い草を磨り潰してインクにしたものなんですが。『燃やさない限り粉にしてもそこから草が生える』っていう由来の通り、書いてからリアル一週間ほど経つとインクから草が生えます」
作っておいて『使いどころが不明』とお蔵入りにしていた品である。
だってこんなの店に出しておいて、変な人が説明も読まずに買って『ちょっと! インクから草生えたんだけど!?』とか苦情入れて来たら嫌だし。
そもそもリアル一週間で草が生えて書類が書類として成り立たなくなるインクなんて、誰が欲しがるのかという話。
でもファンタジーとしては優秀だから捨てずに残してあった。
ネタとして笑いが取れれば万々歳。
ところが森女はうんうんと普通に頷いた。
あれ? 滑ったかな?
一抹の不安にかられたはつかねずみであったが
「これください」
「あっ、これでいいんですか!? ありがとうございます」
いいんだ!?
え、何に使うのコレ!?
はつかねずみには用途が思い当たらない。
いや商品をお客さんが何に使っても構わないのだけど。
「……これって瓶の中で草が生えたりします?」
「生えます。なので生えたら磨り潰してください。そうしたらインクに戻ります」
混乱しているからか、ものすごく雑な対処方法を説明してしまった。
だが森女は『なるほど』という感じで納得したように頷いた。
すごい鵜呑みにするよこの人……普通じゃない事を『そういうもの』としてまるっと受け入れている。ファンタジー力が高い。
はつかねずみは確信を抱いた。
間違いない、この人はメルヘン好きの同類。
……そういえばフリマで箒とか売ってたらしいじゃん。
刻印関係の教本出したのもこの人だったし。
店を構える商人としては察して然るべきだったのかもしれない。街のボスのパピルスさんに知られたら笑われちゃうね。
「ありがとうございましたー……」
贈答用ではない、普通に梱包した品物を受け取って森女は去っていった。
はつかねずみは夢見心地でカウンター裏の椅子に座りこむ。
「はー……お茶でも淹れよう」
プレイヤーが相手なのに、偉いNPC相手に重要なクエストでもこなした気分。
でも満足感は高かった。
来店前の悩ましい気分はどこへやら。
……そうだね、不思議な魔法のお店は知る人ぞ知るくらいの方が雰囲気あるよね。
もう少し店内のレイアウトを変えてみようか。
薄暗い、不思議な空気を演出する感じの方が商品が映えるかもしれない。
RPが好きな人にぶっ刺さる店を目指してみよう。
……後日、何だか趣味が合いそうなお客様が増えて驚いたり、絵に描いたような妖しい雰囲気のセクシーダイナマイト美女占い師が来店して内心ひっくり返ったりするのは、また別のお話。