第1話 侯爵令嬢、追放される
眼前には鬱蒼と広がる暗く深い森。
その広さはとてつもなく、境界線を見つけることも出来ないほど広大だ。振り返れば草原が果てしなく広がり、ここに来る前に寄った1番近い町でも半日はかかる。
「はぁ…。ホントにこんなこと起こり得るのね。」
ほとんど重さを感じない小さなポシェットを肩からかけて、私はひとり佇んでいた。どんなに気配を探っても、正真正銘、私はここにひとりぼっちだ。
1週間前、私、スカーレット·フォン·ストレリチアは16歳になった。16歳はこの国では成人に当たる年齢であり、侯爵令嬢である私は沢山の来賓に囲まれて盛大なパーティーが催された。
そんな中、事件は起きた。
カクテルを飲んだお義母様が、顔を真っ赤に紅潮させ、喉を押さえながらその場に倒れたのだ。
騒然となる中、私室へと運ばれたお義母様は、医師の手当てを受けて事なきを得た。
そして恐るべき事実を告げられる。
お義母様は毒を盛られた、と。
いわゆる毒殺未遂。
そして私は、その毒殺未遂の犯人として自領の私兵団に捕らえられてしまった。
「何故、私が…。私がお義母様を、人を殺すなんてありえません!信じてくださいませ、お父様!」
父であるムタード侯爵は無表情でじっとスカーレットを見つめている。
毒が混入したカクテルはスカーレットが妻のナルケに直接手渡したものであることは、ナルケや周りにいた者たちから証言を得ている。
更にそのカクテルグラスも、ウェイターが持っていたトレーからスカーレットが自ら無造作に選んだもので、同じトレーに残された他のカクテルに毒はなかった。
そして決定的だったのは、その毒がスカーレットの私室から発見された事だ。
ムタードは重い口を開く。
「スカーレット。」
「はい、お父様。」
「お前に魔の闇森への追放を命じる。」
「!!!」
その場にいる誰もが息を飲んだ。
「全ては状況証拠だ。だがそれを覆し無実であると証明することも出来まい。私は侯爵家当主として決断せねばならぬ。」
「お父様…」
「お待ちください、旦那様!」
「なんだ、イキシア。」
「旦那様の仰るとおり全て状況証拠です。見つかった毒も真犯人がお嬢様の部屋へ忍ばせていた可能性も否定できません。であれば、どうか、どうか決断を急ぎませんよう、お願い申し上げます。」
筆頭執事のイキシアが懸命にムタードに訴える。
「何を言っているの!!お母様は死にかけたのよ!!」
大粒の涙を流し叫んだのは義妹のロベリアだ。
「ううん!本当に死んでしまっていたかもしれないのよ!!なのにお義姉様を庇うなんて…。イキシア!お前はお母様よりお義姉様を信じると言うのね!!」
「いいえ、その様な事ではございません。」
「そう言う事じゃない!!結局この家のもの達はいつも私達を下に見てるのよ!所詮愛人と愛人の娘だってね!!」
「止めないか、ロベリア。」
「だってお父様!!」
「黙りなさい。」
「………はい。」
ムタードは深く息を吐く。
正直スカーレットが人を殺めようとしたとは本気で思ってはいない。
先妻とは政略結婚で、愛があったわけではないが、娘のスカーレットのことはムタードなりに父親として情もあった。
が、侯爵家当主として情に流されるわけにはいかない。
「もう一度言う。スカーレット。お前に魔の闇森への追放を命じる。この決断は覆らない。」
その場にいるほとんどの者が絶望に顔を曇らせる。
ムタードは続ける。
「……毒殺は本来死罪だ。だがナルケは一命を取り留めた。そして状況証拠以上の証拠があるわけでもない。追放はせめてもの温情だと思え。神が見放さなければ生き延びることもあるやも知れぬ。」
スカーレットは俯いた顔を上げその深緑の瞳で真っ直ぐにムタードを見つめた。
「承知いたしました、お父様。今まで育てていただきありがとうございました。御身を大切に、どうかお元気でいてくださいまし。」
スカーレットは立ち上がり、それは見事なカーテシーで別れの挨拶をする。
その姿は誰もが見惚れ言葉をなくすほどの美しさだった。
私兵団員に連行される時でさえ背筋を伸ばし、凛としたその姿は自身に何も疚しいところがないとの証明に見えた。
「お待ちください。」
良く通る声に誰もがハッと現実に引き戻される。
「そなたは…。王国騎士団副団長のジャンシアヌ殿ですな。いかがなされた。」
「闇森までの移送はどうか私にお任せください。」
当然の進言に、ムタードは困惑する。
「それはどう言うことですかな。」
「スカーレット嬢は皇太子妃候補でごさいます。とは言え、こうなった以上は王家と言えど決定に口を挟むことは出来ないでしょう。しかしながら私は、この事を陛下へ報告しなければなりません。であれば最後まで、見届ける義務があります。そうしなければ皇太子、そして陛下や皇后様に叱られてしまいますので。」
「ふむ…。」
後々の事を考えればその方が良いだろう。
そう考え許可しようとしたその時、
「ダメよ。だってその方、もしかしたらお義姉様を逃がすかもしれないわ。」
「ロベリア。何を言い出すんだ。」
「だって皇太子様はお義姉様の事を好ましく思っていらっしゃるのでしょう?魔力なしと判定されても候補者からはずさなかったくらいだもの。」
「だから何なのだ。」
「妃として娶ることは出来なくとも側に置くことは出来るわ。闇森へ連れていくと見せかけて王城へ逃がしたりするつもりかもしれないじゃない。」
「お嬢様!その発言はジャンシアヌ殿に無礼でございますぞ。」
「イキシアは黙ってて!」
「……ふたりとも止めないか。」
ムタードは再び深く息を吐く。
「失礼した、ジャンシアヌ殿。まずは非礼を詫びさせてもらおう。」
「いいえ、お気になさらず。ですが確かにロベリア嬢の心配も尤もだったかも知れませんね。私が浅慮でございました。」
ジャンシアヌは深く腰を折り謝罪する。
「ならば、私兵団員を何人かお付けいただきそこに私も同行するというかたちで如何でしょう。それならば私がスカーレット嬢を逃がそうとしないよう監視することも出来ますし。」
「団員を何人付けようと貴方なら全員倒すことが出来るのではなくて?全員倒してから盗賊に襲われたとか何とでも言えるでしょう。」
「ロベリア嬢。この国で私を倒すことが出来るのは騎士団長だけですよ。盗賊風情など相手にもなりません。ならば私が同行した方がスカーレット嬢も私兵団員達も無事に闇森まで送り届けることが出来るでしょう。」
「……………。」
「反論はないようですね。」
「分かった。ジャンシアヌ殿、闇森までの同行をお願いしよう。」
「はっ。承知。」
かくして私は、1週間かけて魔の闇森まで無事に送り届けられ、丁寧に馬車から降ろされた後、見事なまでに置き去りにされたのだ。
「はぁ…。このまま此処に居ても仕方ないわね、追放されたのだから。」
眼前に広がる深い深い闇森を見つめる。
「ヨシッ、行きましょうか。」
この先何が待っているのか、それともそれを知ることもなく呆気なく死んでしまうのか。
スカーレットにも分からない。
ただ今は、前へ進むしかない。
生きる延びるために。
小さなポシェットをぎゅっと握りしめスカーレットは最初の一歩を踏み出した。