本当に彼らが思うことは。
美術室の一角を借りて、ニコラスは作業していたようだ。壁に立てかけられているのは、やりかけの立て看板だ。それもペンキが投げつけられたり、へこんでいたりもしていた。
「あー……」
ツルカは嫌がらせ説も浮かんだが、おそらくこうだと思っていた。この場で言い争いが行われていた。主犯はあの柄が悪い模範生だろうと。ニコラスの顔からして正解のようだ。
「まずはね、白いペンキで塗りつぶしていこう。そこから上書きだ」
「そうですね、やっちゃいましょう」
大型のそれを床に倒し、二人は分かれて作業することにした。ひらすらペンキで上塗りしていく。
「おい見ろよ。末席と例のヤツがいるぜ」
「あ、ほんとだー。あの二人怪しいよねぇ?」
クスクスと生徒達が覗き見をしてきていた。作業をしている二人を揶揄している。相手にすることもないと、二人は黙々と作業をしていた。
「魔女を騙るヤツは違うよなあ?ああやって取り入ってさ?」
「そうそう。一番付け入りやすそうな男から狙ってくとかさ、あざとくない?」
「……」
自分のことなら、相手にすることない。そう考えたツルカは無心でペンキを塗ろうとしていた。
「……あー」
呻き声を出したのはニコラスだった。彼は立て看板に目をやったまま、発言しだす。
「あーあー。僕、なんだろ。やりたい放題にやりたくなってきた。だってこの子以外、手伝ってくれないわけだし」
「な、なんだよ」
「な、なによ」
野次を飛ばす生徒に向けてだった。ニコラスはさらに言う。
「もうやけくそだからさぁ……」
ニコラスは立て看板から、彼らへと視線を移した。その目は険しいものだった。揶揄っていた彼らは慄く。腐っても模範生だ。それも、かつてはエリートと評されていた彼だ。
「全部、イーリス様仕様にしようっと」
「……」
「……」
「……」
一同、ぽかんとした。ツルカもだ。ニコラスだけが今のは駄洒落じゃないと言っていたが、それはどうでもよい。
「僕本気だからね。立て看板もイーリス様で埋め尽くすし。装飾も全部そうするし。それなら僕、完徹余裕だし。ツルカちゃんも描くならイーリス様縛りね」
「ニコラス先輩……?」
ニコラスの目はバキバキだった。彼は本気でやろうとしたら出来るだろう。だが。
「そうされたくなければ、手伝ってくれない?そうやって訪れてるんだから。―気にはなっていたんでしょ?」
「……!」
ニコラスの指摘に誰も反論することはなかった。最初は抵抗があった彼らだったが、一人が前に出ると、また一人と前に出てきた。手伝う気にはなっていたようだ。彼らの協力もあって、作業は順調に終わらせることができた。
本日の作業分が終了し、彼らは解散した。ツルカとニコラスも帰ろうとしていた。
「本当に良かったです」
在校生達も協力してくれるようになった。ツルカは安堵していた。
「うん、そうだね。きっと、他の皆も上手くやってくれてるよ」
「はい、そうですね」
他の模範生達も上手く言いくるめて手伝わせていることだろう。明日にはマルグリットの説得も上手くやってくれるだろう。
「……マルグリットさんに人望があるからなんだよ。たとえ、親御さんのことがあったとしても。みんな、戸惑っているんじゃないかな」
「……はい」
ツルカもそうと思えた。誰よりも模範的で、そして人へ真摯であったマルグリットだったからこそ―。
「!?」
落雷の音がした。かなり大きかった。苦手ではないツルカでもびくっとなってしまった。
「いやー、荒れてるね。これ、卒業式まで大丈夫かな」
「ほんとですね。去年はここまでじゃなかった気がします」
「だよねえ?異常気象だぁ」
通年なら、六月末には雨季を終えており、毎年晴れていた。今年は中々おさまりを見せない。
「……マルグリット先輩、お一人なんですよね」
ツルカは想像ができた。あのマルグリットの事だ。責任を感じてどこまでも残りそうだった。
「うん、まあね。明日には解消されてればって思うけど……」
「……はい」
ずっとマルグリットは一人なのだ。
「気になる?―マルグリットさんのこと」
「はい」
隣にいるニコラスが尋ねてきた。図星だったので、ツルカは頷いた。
「うん、わかった。例の会議室じゃなくてね、公務室があるんだ。そこに彼女いると思うから」
ニコラスはそこらへんにあった紙で、簡易的な地図を書き記してくれた。ツルカは礼を言って受け取った。
「……君の方が、いいかもしれない」
「え……」
「ツルカちゃんは気づいているかな?マルグリットさん、君のこと気にかけたり、評価もしてくれてるんだよ。君なら話しやすいかもね」
「ニコラス先輩、それは……」
買い被りだと、ツルカは思った。また、マルグリットは誰に対してもそうだと思っていたが。
『彼女の姿勢は中々素晴らしいものですよ』
『あなたもお力になってくれるのなら、願ってもないことです。不思議ですね。あなたなら、やり遂げてくださる気がしてならないのです』
かつてマルグリットが言っていたこと。ツルカに向けてであった。
「……」
やはり買い被りかと思った。自分は魔女騙りなのに、騙している立場なのにと。ツルカはそうは思うも、美術室の扉を開けた。
「行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
何もせずにはいられなかった。ツルカはマルグリットを訪れることにした。