黒き襲撃者。
ラムルの借家を出て、二人は裏路地を歩いていた。別々の傘をさして、二人は並んで歩いていた。雨も小降りになってきていた。帰るには良いタイミングでもあった。
「……ふう」
ラムルは胸を撫でおろしていた。ラムルはそれで良かったのだろうが、ツルカは名残惜しかったりもした。
「夕ご飯かぁ。今までなかったもんね。ね、ラムル。今度、私の部屋に来た時でもさ、作りたいなって」
「……」
ラムルが黙ってしまった。乗り気じゃないのかと、ツルカは内心焦る。
「えっと、料理の腕前とか心配かもだけど。時短レシピ全振り感もあるけど、私さすがに頑張るし」
「……帰りづらくなるだろ」
「!」
ラムルが傘で表情を隠した。なので、ツルカには彼の表情はわからない。わからないが。
「……」
「……」
またしても妙な雰囲気となった。
日頃は言い合いでじゃれ合いな二人だが、一瞬の均衡の崩れによってそれが危うくもなっていた。
ラムルだけではない、ツルカもそうだ。それだけお互いがかけがえのない、それでいてお互いの為ならば何もかも投げうってもいい。そのような関係性だった。それだけ想い合っていたとしても。
―魔女として在り続けること。無事に学園を卒業する日までは。少なくともツルカは胸に秘めておくことにしていた。
「……!?」
突如、目の前に黒い影が揺らめいていた。ツルカは目を凝らした。それは化け物の類いではなく、人ではあった。―黒装束を来た小柄な人物。その隙の無さ、只者ではないようだった。
ツルカは思い悩んでいたこともあり、反応が遅れてしまった。あろうことにも、隣のラムルまでもが警戒をしていないときた。
「!」
ツルカが気づいた時には、その者は距離を詰めて眼前まで迫っていた。ツルカは慌てて、後ずさりをした。雨に濡れた地面に足を滑らすも、体勢を立て直した。相手が蹴りを繰り出してきたので、ツルカは傘で防いだ。
「あなた、何者なの!」
「……」
攻撃をよけながらもツルカは問う。相手は何も答えない。
「お、おい……」
ラムルも動揺はしているようだが、警戒感は薄いままだ。本当にラムルとしては珍しい。が、彼は手をこまねいている訳にもいかなかった。魔法で来襲者を拘束しようとしていた。
「……」
相手は狙いをラムルに変えたようだ。彼めがけて突進していく。
「させない!」
ラムルが狙われているのならと、ツルカは相手を風の力で吹き飛ばした。勢いつけて、ラムルを庇うように前に立った。
「……ほう」
相手は後方に宙返って、受け身をとっていた。―声は少女のものだった。年若い、幼いといったもの。
「……」
相手は難なくツルカの相手をしていた。相当の手練れだ。ツルカは固唾を飲む。緊迫めいた空気が流れていたが。
「そこまでだ、―『ビゼル』」
ラムルはその少女に対し、―命じていた。
「―はっ、ラムル様」
その少女、ビゼルもまた跪いた。ラムルへの敬意を示していた。この二人は知り合いのようだ。ひとまずだが、ラムルの敵というわけではなさそうだ。
「ん……?」
冷静になった今ならば、ツルカは覚えのある声だと思った。それを汲んだラムルが、話しかけてきた。
「そうだよ、お前も会ってんだよ。集落から出てった時」
「あ!」
『仰せのままに』
集落脱出時にも、黒装束姿で現れていた。あの頃のままだった。
「んん?」
ツルカはひっかりがあったが、今はビゼルを見据えた。
「あん時はバタバタしていたからな。改めて紹介しておく。ここ最近になって、近くで暮らすことになった。フルムの民で、俺に仕えていた―」
「失礼ながら、ラムル様。わらわは今も仕えておりますゆえ」
古めかしい喋り方だった。これは主に向けるビゼルの喋り方だ。
「……ん、悪かった」
ラムルが素直だ。警戒していなかったこともだが、頭が上がらなかったりもするのだろうか。
「娘よ、突然すまなかったのじゃ。おぬしを試させてもらった」
ツルカ、いや、ラムルといった要人相手でもない限り。老獪な喋り方をするビゼル。彼女は顔を覆い隠していた覆面を外した。
漆黒の髪色に、褐色の肌。額に埋め込まれたのは宝石だ。つり上がった大きな目は猫の目のようで、顔のパーツどれもが幼さが残っていた。背だってそうだ。小柄であるツルカよりもさらに低い。それでいて、しなやかで鍛えられた肉体でもあった。
「いえ、こちらは全然。あの、私はツルカです。ツルカ・ラーデンといいます」
「ふむ。ツルカ殿。おぬしの話は聞いてはおる。―ラムル様が懸想されておられると」
「ふぁっ!?」
ほぼ初対面なのに、ビゼルはぶっこんできた。危うい関係あれこれ触れておいたのに、これである。
「ばっ、おっ、ビっ、なっ」
―馬鹿、お雨、ビゼル、何を。ラムルはまたしても言葉になっていなかった。
「ラムル様?何を慌てておいででしょうぞ?わらわは心得ております。ラムル様の優れた容姿、お人柄。望めばどうとでもなるのではございませぬか」
ビゼルだけが平然と言っていた。
「……どうとでもなれば、苦労してねえんだよ。いいか、ビゼル」
ラムルはビゼルに詰め寄った。しっかりと釘をさしておく。
「人にどうこう言われるもんでもない。俺達は俺達のペースってもんがあるんだ。いいか、あれこれ言うなよ?」
ラムルは真剣だった。外野からあれこれ言われることに、いつも辟易していたのだ。
「はっ、かしこまりました。ラムル様」
「そうだそうだ。わかればいいんだ」
「わらわも大人の女でございまする。男女の機微も心得てございまする。微笑ましく見守りましょうぞ。―して、ツルカ殿」
今度の矛先はツルカだ。やめろ、とラムルは止めに入ろうとはしている。
「及第点、といったところじゃ。ラムル様の傍にあろうというのなら、守れるおなごになってみせい」
「おい、ビゼル……」
ラムルはそれを強く望んでいるわけではない。さすがに目に余ると指摘しようとするも、ツルカは頷いていた。
「はい、ビゼルさん」
ラムルの隣に立ちたい。それも覚悟の上だと。だからこそ、ツルカは頷いていた。