ラムルんち②
「お待たせ、ラムル」
「お、おう……」
床を歩き回っていた猫が、体をびくつかせた。全身自分の服であるツルカ、ラムルは落ち着かなかった。ゆっくりと彼女を見上げるが。
「あのね。……服、乾かせばよかったんだよね。ラムルにも逢えたんだし」
ツルカの姿は、彼シャツ状態ではない。彼女の私服だった。
ラムルの補給によって、魔力の心配をすることもない。『魔女』であるツルカが人前で堂々と魔法を使っても問題ない。すぐに乾かせば良かったのだ。傘は出費がかさむも買っても良かった。
「気づかなくてごめん、というか。押しかける形になっちゃって」
ツルカは恥ずかしくて仕方がなかった。もっと早くに気付いていれば、ラムルの家に訪れるのも、あのような妙な雰囲気になることもなかった。ツルカもそうだが。
「……あー、そうだな。そういうの普通に気がつけよ。つか、気づけよ。つか、お前魔女だろ。日頃自分で魔女だ魔女だ言ってるだろうが。しっかりしろってことだ、ツルカ!」
猫も何やら必死で捲し立てていた。
「……はーい」
それもそうだが、この猫だって気がつかなかったはずだ。ツルカも若干面白くない。
「……まあ、俺も気がついてたら、なんだけどな」
ラムルも一応は自覚があったようだ。ひとまずであるが、ツルカの服問題は解決した。
「おう、ツルカ。茶でも淹れろ。なにせ俺は猫ちゃんだからな」
「うん、いいけど」
「あー、俺は休日だったわけだが、色々疲れたわけで。お前のせいだけどな、ツルカ!」
「あ、うん。その件はごめん」
「ああ、そういうことだ。猫ちゃん様を労われ!」
猫がベッドの上でふんぞり返っていた。ラムルは何が何でも人間には戻らないようだ。
「……うん、いいけど」
今回はツルカが傘を忘れたことから始まった。ラムルを騒ぎに巻き込んだこともある。彼は部屋を提供してくれたのだ。自分を心配する心もツルカにはわかってはいる。とはいえ。
「どうしたんだよ。猫だって茶は飲めるぞ。お前だって知ってるだろ」
「普通、猫はお茶飲めないと思うけど」
「俺は飲めるんだよ。俺だからな!」
「……」
偉そうに言い切ると、体を伸ばしてくつろいでいた。労働帰りのツルカを背にしてだ。
「ねー、ラムル。お茶缶とかどこにあるの?」
「は?そんなの、魔力で探せよ」
投げやりな回答だった。ツルカは若干イラっとするも、大人になって願い出ることにした。
「そんなこと言わずにね?教えてくださいってー」
「しっかたねえな。上の戸棚だ、戸棚。手前にある。ポットもな」
「了解。上のっと……」
ツルカは手を伸ばそうとする。ラムルなら容易だろうが、ツルカの身長だとかなり無理をしないと届かなかった。このミニマリストの部屋に、踏み台もなさそうだ。
「……仕方ねえな」
ラムルは察した。今だけは人間に戻って、彼女の代わりに取り出そうとするが。
「よっと」
ツルカは魔力によって、体を浮かせた。ふわりと浮かぶと、戸棚から目当てのものを取り出した。よし、とツルカは着地した。
「……」
そこには人間の姿になったラムルが残された。近寄ろうと一歩足を踏み出した状態、それが一層彼の気まずさを取り残していた。
「あれ?ラムル……」
青年姿のラムルになっていた。ツルカは猫でも意識していないわけではないが、この姿だと一層意識をせざるを得なかった。彼女も彼女で気まずかったりした。
「……人間の方が、茶はうまい。それだけだ」
不自然に目をそらしたラムルは、そう言うしかなかった。彼はもう開き直ることにしたようだ。台所の方、ツルカの近くまでやってきた。
「確かお客さんからのもらい物があった。あと、果物でも切っとくか」
「いいの?猫の姿でゆっくりしたいのかなって」
「お前な……。いいんだよ。俺がしっかりしてればいいんだ。そういうことだ」
「うん……?」
ラムルの方でお茶請けを用意するようだ。彼はもう猫になることはなかった。自分がしっかりしていればいいと考え直したようだ。
「それにしてもだ。魔力、わりと余力あったな」
「うん、おかげさまで」
「……ん、まあ、『アイツ』がいるからな」
アンクレットが魔力の源となっている。ラムルが注入するのがこれまでだったが、ここ最近になってはその限りではなくなっていた。―ラムルいわく、『アイツ』がいるからだ。
「ま、そうだよな。お前の枯渇問題もほぼ無くなったからな」
「うん、本当にそうだね」
ツルカにとっても恩人といえた。彼女は安心そうに笑っていた。ラムルの胸中は複雑だ。それでも、この問題が長年彼女を苦しませていたことも、彼は重々理解していた。だからこそ、今この場にいない『アイツ』には感謝はしていた。
「その人にも感謝しているけど、ラムルだってそうだよ。いつもありがとう」
ツルカはラムルにも笑ってお礼を言った。彼に対しての感謝も伝わって欲しいと、願いながらだった。
「……おお、そうだそうだ。俺にも感謝しろ。盛大にな」
ラムルはすっと屈んで、彼女の足元に手をあてた。さらりと魔力の補給を行ったようだ。ツルカもお礼を言った。
そうこうしている内に、準備は整った。小さなテーブルに、椅子が二脚。椅子が、二脚。
「……」
ツルカはモヤモヤするが、これは突っ込むのも野暮だと思っていた。ラムルが座ったので、自分も笑顔で座ることにした。
「……なんだ、その不気味な笑顔」
すかさずラムルが突っ込んできた。彼はそういうことは言ってくる男だ。
「うん、絶対言ってくると思った。別にいいし、気にしないでとしか」
「なんだ、座り心地でも悪いのか」
「そういうのじゃないけど」
「じゃあ、なんだよ」
「……うーむ」
これは言わない限り、言われ続けるようだ。ツルカは気になったままよりかはと、質問することにした。
「……その、あれだ。普通に誰か遊びにきているんだなって。ラムルの家に、二人きりになったりして」
「は?」
「うん、気にすることじゃないよね。さ、紅茶飲もうっと」
ツルカなりに真剣な質問だったが、ラムルからそう返された。彼にとっては微々たるものだったかと、気を取り直そうとする。ラムルはというと。
「……お前、それはあれだよ。あれで、それなんだよ」
「うん、ちょっとわかんない。あの、さっきの本当に気にしないでほしいというか」
今度はラムルがはっきりしなかった。こそあど言葉ばかりだった。ラムルが言いたくないのかと、ツルカは追及することもなく、終わらせようとしていた。
「……あれだっつの。お前がいつか家に来た時、その時用につうか」
「え……」
「今日でようやくだけどな。ようやく呼べたというか」
ラムルはそれだけ言うと、何かを誤魔化すかのようにお茶を飲みほした。熱いっと声を出しつつだ。
「……」
ツルカはやはり言わない方が良かったと、顔を赤くしながら俯いた。
「……赤くなるところじゃねえだろ。今のは恰好悪い話だったろうが」
そういうラムルも、視線をそらしたままだ。
「……好きで赤くなってるわけじゃないし。あと、恰好悪いとことかじゃなくて。嬉しかったりもするし」
「お前な……」
ツルカは素直な気持ちを述べた。さっきのは、はっきり言うと嫉妬心だ。それが晴れたのだから、ツルカとしては嬉しくなった。そこでラムルが笑い飛ばしでもするかと思いきや、そうではなかった。
彼の視線はそらされたまま。でも、どこか満更でもない様子だった。
「……」
「……」
雨の勢いは止まない。二人のお茶をすする音、食べ物を口にする音。実に静かだった。
「雨、止まないね」
「だな」
二人はただ、窓の外の雨を眺めていた。
「……夕飯、食べてくか」
「夕飯?」
ラムルの視線が、窓の外からツルカへと向いていた。その視線に気づいたツルカも、ラムルの方を向く。
「そうだ。夕飯俺が作る。食べたらゆっくりして。お風呂に浸かって、うちに泊まる―」
そこまで言って、ラムルは固まった。
「……違う、違うぞ。俺は何も言ってない。言ってない、そうだろ!?」
「う、うん。ラムルも何も言ってないし、私も何も聞いてない。うん」
「だろ!」
顔が赤くなったり、青くなったりのラムル。彼がツルカに同意を求めていた。言ってはいたが、内容はアレだったので、ツルカも無かったことにした。
「さ、さっきよりはマシだろ。傘も貸すし、菓子や果物も持って帰れ、な!」
ラムルは急に立ち上がると、そこらへんから箱を持ってきて、あれこれ詰めだした。呆気にとられているツルカにそれを渡した。お土産のようだ。
「そうだね、帰ろうかな。今日はありがとう」
「そうだ、そうしろ。よし、裏路地抜けるまでは送ってくな」
家主が帰らそうとしている。ツルカも応じることにした。奇妙な仕事終わりだった。