ハルトと不調和。
通りから坂を上ったところ。閑静な住宅地の一角に、ハルトの祖父が営む楽器店があった。ここは祭りの影響が及んでおらず、人もまばらだった。
「じゃあ、タイミング見計らってくる」
ラムルはそう言い遺して、木々を飛び乗っていった。ツルカも手を振った。
店のドアノブを回すと、ドアベルが鳴る。木の床がギシっと鳴った。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」
落ち着いた声に、笑みをたたえた青年が迎え入れてくれた。老若男女問わずうっとりさせるような、そんな接客態度だった。
「お邪魔します」
「―お前か。思ったより早かったね」
ハルトの表情が、すんっとなっていた。こうも無表情になれるものかというくらい。
店内にいるのは、やってきたツルカとハルトだけだった。彼の祖父が不在だとは聞いていたが。
「はあ、座ろっと。お前も適当に座れば」
「ううん、おかまいなく」
あっそ、それだけ言うとハルトは近くの椅子に腰かけた。店内には他に客がいなかったので、
素の態度になっていた。営業スマイルなどない。
「元々のスタッフと店番替わってもらった。じいさん帰ってくるまで」
建国祭終了後、学院関係者なり、友人なり、それこそ美女からの誘いがあったのだろう。ハルトが選んだのは、この店で待ち続けることだった。いつツルカが来てもいいように。
「ハルト君、ありがとう。でもね、私はあっちには戻らない。それを伝えたかったの」
「なんで」
ハルトは不服そうに言っていた。何言ってんだコイツ的な目を向けてくる。
「なんでって。……私、まだ諦めたくないからだよ。魔女でいたいから」
「自分が死ぬかもしれないのに?」
「……そうかもだけど。ストレートだなぁ」
ツルカは直球の言葉に顔が引きつる。
「そんなにここにいたいの」
「ハルト君……?」
「絶対、戻った方がいいのに。そんなに?それほど?」
ハルトは視線をツルカに向けた。そこにあるのは、真剣な眼差しだった。
「そうだよ」
ツルカもそれに応えた。正直に答えた。
「……あっそ。はあ、なんだろね。オレ」
ハルトはツルカにではなく、自分に対して向けていた。
「なんでだよ。なんでオレ、コイツに必死なんだよ。……わかんないけど、まじわかんないんだけど」
「……」
「……はあ、折れるか。妥協するわ」
ハルトは葛藤の末、妥協とまで言い出した。ハルトがこうも必死なのが、わからないこともあった。ツルカは問いかけた。
「責任、感じてるだっけ。前の魔女会議の時でしょ。私はそれは乗り越えた。もうハルト君が気にしなくていいんだよ。というか、前のもそう。ハルト君がそう思うことじゃない」
「……お前ってさ」
ハルトは椅子の背に手をかけ、立ち上がった。ゆっくりとした所作でありながら、ツルカに詰め寄っていた。
「じゃあさ、なんで利用しないの」
「利用って」
「オレが責任感じてるっていうんだからさ、利用すればいいだろ。……オレくらいだろ、理解できんのって」
「ハルト君……?」
じわじわと追い詰められたのは、壁際だ。両手をついたハルトは、囁く。
「―肯定派に回ろうか」
「!?」
ツルカは耳を疑った。ハルトも言い方は普段通りなれど、冗談を言っている顔ではなかった。
「だから、肯定派になったっていいって。いい加減さ、辛くない?誰からも信じてもらえないって。一人くらいなったってよくない?ほら、オレから他の人ら懐柔したっていいし」
「……誰からも、とか」
「ああ、そこ拾う?」
誰から、というのもどうなのか。ラムルがいる。でも、ラムルのことは話せない。それに、ツルカは思った。
「それは、どうなの?だって、ハルト君は。……私が魔女だとは思っていない」
「まあね」
ハルトは即答だった。こうも言う。
「お前は魔女じゃない。それなのに、トラオムで生きてきたいんだろ?つか、お前がこっちにきた経緯も知らないし」
「……うん」
ツルカは言えない。その原因の一人はこのハルトであることを。相手は自分のに関する記憶を失ってているのもあった。
「だよな。ま、オレは別にいいよ。お前が魔女じゃないと知った上で―」
「!」
ハルトの言葉に、ツルカは目を見開く。彼の言葉を受け止めた上で、こう返した。
「……それは、違うよ」
震える声のまま、ハルトを見上げたまま。
「私は、魔女だよ」
ツルカは主張した。
「まだ言うの」
「だって、魔女だから。魔女として、ここで生きていきたいの」
「……だから!」
ハルトは焦燥していた。ままならないことに苛立ってもいるようだった。ハルトは本気で案じているのだ。
「ハルト君。あなたがね、保留派でいてくれること。本当にありがとうなんだ」
「……は?急にぶっこんできたけど、ケンカ売ってる?人が肯定派でいいっていってんのに」
「うん、怒らせたね。ごめん。……私はね、それで十分なんだ。否定する側のが正当だし、保留派のままだと、はっきりしないとか言われたりさ。なのに、保留派でいてくれる」
ツルカは自分の気持ちを伝えた。ハルトが納得がいかなかろうとだ。
「……お前はさ。肯定派は望まないの」
「望みはするけど、高望みだなって」
「……なんで」
「あのね。確かに私やハルト君には、理解できないこと。でも、この国では絶対なんだ。―魔女騙りは大罪だって」
「だから、それが―」
ハルトは言葉も出なかった。目の前で穏やかに微笑んでいる彼女が、遠い存在のように思えた。
「それを承知の上で、ハルト君が『そうしてくれる』なら。これ以上は望めない。贅沢なくらい。それだけ」
ツルカが魔女を騙っているのは、ハルトはわかっている。彼もわかった上で、日本に戻すだの、保留派や肯定派でいるだの言っている。
それは、この国における共謀罪。共犯者にあたる行為なのにだ。
ツルカは望む。これ以上は巻き込めない。こうなったら、知らない、気づいてないふりをしていて欲しかった。それだけでも危ない橋だ。そうしてくれるハルトに、肯定までしてもらう必要はないと。
「……」
ツルカが大罪人であることは、事実なのだ。
「お前は……」
ハルトも痛感していた。自分の立場を心配してくれることもあるが、一線を引かれてしまったということも。
「お邪魔しました。そろそろ帰るね。ハルト君のおじいさんにも、よろしくお伝えください」
「いや、待って―」
ツルカは会釈して、店をあとにしようとしていた。
「―えっと、このお店?ほんとにハルト君いるの?」
「うん、噂だけどね。いいじゃん、確かめるだけさ?」
有難いタイミングだった。ドアのベルが鳴る。店にやってきたのは、学院の生徒達だった。彼女達はハルトの噂を聞きつけてやってきたのだ。
ツルカはすれ違いざまに、店を出ていった。ハルトが呼び止めようとするも、女生徒達に囲まれてしまっていた。
「やっぱり、ハルト君だ!来てよかったー」
「あれ?ハルト君、どうかしたの?」
いつもの笑顔はどうしたのか。しかも、可愛い生徒なのにだ。
「……はい、いらっしゃいませ。ごめんね?じいさんの店でさ、あまり騒いでほしくないんだ」
「はーい。ハルト君がそう言うなら」
「わあ、私達だけの秘密だね」
間があったものの、いつものハルトに戻っていた。彼女達と接客だか雑談だかに入っていった。