禍の予感
「で、何か盗んできたみたいな顔してるな。」
マ・カロンが商業ギルドの塔の最上階でカシミアとマチルダを前に嘯く。
マチルダは顔面蒼白で、カシミアは口を半開きにしてパクパク動かしている。
マ・カロンはこの部屋がどう言ったわけか気に入ってしまい、ここを借りている。
ジョルジュはミーナとランチェの監視のために二人が眠る塔の最下層にある部屋にいる。
マ・カロンの首にはピンク色のジョルジュもどきが掛けられていた。
二人の只ならぬ状態に通信を切り、情報が漏れないように配慮して今に至る。
窓際に座り、かつて執務室だった部屋の内装を見渡しながら、マ・カロンは完全にこの部屋の住人となっていた。
単独の生活環境は、仲間などと関わることなく、他との接触をする事もなく過ごしてきた過去の日々と同じく虚しさが心の中で空白となって増えていくように思えていたところだった。
自分に関わると、不幸に合わせてしまう。
禍を呼ぶこの身体が、孤独を背負い込んだこの魂が、道連れを望んでいるようにしか思えてならなかった。
全てはマ・カロンの妄想でしかないのか?
自問自答を繰り返すにはこの殺風景な部屋の景観はもってこいであったと言えよう。
しかし、オイラが今一人ではないことを再認識するのにも十分であった。
正解ではないのかもしれない。
今はそれが己の空虚感に寄り添う事も対陣する事もなく関わりを持てる唯一の答えだとハッキリと分かってきたと言うだけだった。
「察しが良いでござるな。」
マチルダが顔を伏せ気味にしているのをカシミアはチラリと気にするように視線を送ってからそう呟いた。
「あ、勘だよ。まぁ、気にすんな。」
マ・カロンもなんとなくカシミアから相談があると聞かされた時から展開を予想していた。
「つまり、これのことで…。」
カシミアは懐から七色のオーラを纏う「精霊の笛」を取り出した。
「おぅ、ま、まさかとは思うが、「精霊の笛」なのか、これは…。」
国宝として神殿に祀られていると聞く「精霊の笛」を持ち出すことなど普通では叶うはずがないに違いない。
しかし、現物が目の前に存在する以上、何も考えないで状況は受け入れるしかなかった。
「その、「精霊の笛」でござる。」
「本気で、盗って来たんか!」
物凄く呆れた顔でキュートな表情をするマ・カロン。
その表情や態度からも予想の範疇ではあったようだ。
「ジョルジュか…、まぁ、仕方ねえな。」
ジョルジュにだけは聞こえるように語った。
「狂っているとしか、言えないよ。」
最早諭す気もないのか、マ・カロンはふふっと笑う。
「で、相談てなんだ?」
カシミアは一瞬躊躇した。
それは新しい場面を切り開くと言うよりもマダラな模様をなぞるように古地図を舐め回して自分の落ち着ける位置を探そうとしていたのに近いかもしれない。
「「精霊の森」とはどこにあるのでござる?」
本当に聞きたかったことかどうか分からないが、口をついて出て来た言葉は辿々しくも歯切れの悪いそれであった。
「リスティーの話では、水の源流らしいからな。
この都市の北北東辺りじゃないか?」
チラッと窓の外をマ・カロンが覗く。
夜景が美しく、街をライトアップしている。
キラキラしているのではなく、穏やかで情緒のあるオレンジ色の光が街を別世界のように浮かび上がらせていた。
どうやら浮遊している魚の群れはこの時間には全くいないようだ。
「ひょっとして、どうしたらいいか分からなくなってるのか?」
そう言いながら、マ・カロンはまだ外を見ている。カシミアは驚きを隠せなかった。
確かに計画を立ててマチルダは「精霊の笛」を盗み出して来たが、その先の行動を決めかねていた。
不安が折り重なっていく。
もし精霊が受け入れてくれなかったら…。
もし適任者ではなかったら…。
もしの連続がマチルダを覆っている。
カシミアはか細いマチルダの肩の震えを覚えている。
不安が折り重なって、「精霊の笛」を盗み出しては見たが、虚しくなったとも言っていた。
「手に入れた途端に、そんな言い訳しても仕方ないだろ。」
夜景からマ・カロンは視線を戻す。
「ダメなら、次を考えれば良い。
それもダメなら、次を試す。
上手くいくまで何度も何度も繰り返すしかないだろ?」
マチルダは顔を上げ、マ・カロンをじっと見ていた。
妾は何度このぬいぐるみのネコに救われているのだろう。
何を恐れていたのだろう?
これが答えでないと困ると決めつけていた。
やって見ることから逃げていても怯えていても始まらない。
前を向いて踏み出すんだ。
そうマ・カロンは教えてくれたのだから。
「満点の答えじゃのぉ。」
微かに涙ぐんでいる。
上手く笑えているだろうか?
「明日の朝、韋駄天を連れて出発すれば、良いんじゃないか?
確か、非番だろ、カシミア。」
うんうんと頷くしかできなかった。
涙もろくなったものだと思う。
命懸けの過酷な修行の時にこんな感情は捨てたはずだったのに。
恨みに我を忘れないように。
悔しさに押し流されないように。
悦びに浸り溺れないように。
妹娘、マチルダを守るために常に非情に己を持するのだと教え込まれて来た。
今や厳格な父も祖父もいない。
それぞれが己の信条のため、戦いの中でマチルダを守るために、王を守るために死んでいった。
あの戦争が終結した時、喜びよりも虚しさが体を支配した。
もう争うことがないのだと分かっていても争いの中でしか生きる術を知らない者にとって、その事実は恐怖でしかなかった。
この任務で、いや、旅の中で再び生き甲斐のようなものに出会った。
本当に守るべき妹娘を得たのだ。
しかし、以前と違っていたのは、妹娘を失いたくないと言うよりも、どんなことをしても友として妹娘を守りたいと思う気持ちが強くなっていることであった。
主従関係は変わらないが、妹娘は今では友でもあるのだ。
友の笑顔を取り戻すために力を尽くす。
そんな当たり前のことをマ・カロンは気づかせてくれた。
「明日は非番でござる。
朝ならば、マチルダ殿も仕事はあるまい。」
マチルダもうんうんと頷く。
「どんな場所でも危険がないわけじゃない。
この都市の周りには嫌な臭いが漂っている。
多分、神外の臭いだ。」
サッとカシミアの顔色が変わる。
すぐさまに脳裏にあの奇怪なマントを纏った神外の者、盲無が思い出された。
あの異様さは遠方からでも不気味に感じた。
「あいつでござるか?」
マ・カロンはハッキリと否定する。
「神の理を拒む者は虚無だけではないだろう。
あの独特な…、盲無の臭いではない。
どうせあの厄介な魔神を生み出す力を持つバケモノであるのは確かだろう。」
この都市にも危機が迫っている?
だから、マ・カロンはあの二人を鍛えているのだろうか?
せめて死なないようにするために。
もう一つ厄介な事がある。
「狙われている物が「精霊の笛」の可能性があると言う事だ。」
魔神を創り出すために…。
「ジョルジュと話を詰めておく必要があるな。」
マ・カロンは困った顔で外に視線を向ける。
平和な世界は僅かな歪みによっても失われる不安定な存在だとマ・カロンはポツリと心の中で呟いていた。