カシミアの献身
マチルダがいそいそと精霊を祀る神殿から出てくるのを目撃すると、カシミアは再び尾行を再開した。
その足取りは初めは緊張して小走り気味であったが、神殿を離れ、中央広場を越え、例の橋を渡る頃には次第に楽しげなスキップを踏まえたものへと変わっていった。
医院を越えて、東の大門に通じる道を進んで行く。
道を行く奥にあるレッサーバードの小屋の前まで来ると、キョロキョロと左右を伺い、休んでいるレッサーバードのすぐ横でやっとフードを外し出した。
突然出現したはずのマチルダに対しても、レッサーバードは驚いた様子もなく、小首を傾けてピッと優しく泣いただけであった。
元々神の鳥と呼ばれていたゴールデンアローバードの系譜の生命体である。
ジョルジュがカシミアにそう語っていた。確かに一度味方だと認知した者への信頼は様々いる生き物の中でもずば抜けている。
特別、マチルダには気を許している。
マ・カロンが何一つ警戒する事なく完全なる信頼を勝ち得たのも近い存在なのではないかとカシミアは考えていた。
自分たちへの認識ついては、単純にマ・カロンの近しい仲間として認知されているのだろうと推測している。
ひょっとすると神具を使っていてもその存在を認知しているのかもしれない。
「マチルダ様。」
その声を聞いてマチルダは飛び上がるようにして脱いだばかりの泥棒ねこフードをドサっと落としてしまう。
「か、か、カシミアで、ではないじゃ、ないかな。」
明らかにいたずらを見つかった時と同じ反応をする。
本来分かり易い人物ではあるとカシミアは思っている。
「何をなさっておられたのでござる?」
普通に真顔でそう言う。
「い、え、あ、おぅ、ちょっと気分転換なんじゃないかな?」
本当に嘘がつけない人だと笑みを浮かべてしまう。
「想像はついてござるが、如何様にするつもりでござるか?」
カシミアの微笑みがマチルダにはこの状況下では恐怖の対象であった。
トラウマに関わる微笑みでもある。
「そ、さ、し、せぇ、すぐに、すぐに…。」
動揺して、右や左にリズムに乗っていないしくじりダンス的な妙な動きをしながら、ピンク色の忍者が飛び跳ねている。
その滑稽な踊りの途中、懐に仕込まれた内ポケットから例の七色に輝くオーラを放つオカリナがこぼれ落ちる。
「あ、ああ、あー、じゃないかな⁈」
ハッキリした混乱ぶりで、最早どうしていいのかも分からずジタバタしている。
暫くしてやっと拾わなくては思ったのか、慌てて拾い上げるが、掴み損ねてカシミアの方に放り投げてしまう。
難なくそれをキャッチするカシミア。
「おお、ナイスキャッチな、なのかな!」
マチルダのヘンテコな賛辞に吹き出しそうになるのを堪えて、手の中のものを見つめる。
神語文字なのか、それとも聖霊に関する文字なのかは分からないが、不思議な文字らしきものが表面にはぎっしりと彫られていた。
これが「精霊の笛」なのだろうと、カシミアは事の次第に背筋が冷たくなる。
「これは罪でござる。」
しゅんと悄気るマチルダが子供のように分かりやすく肩を大きく落とす。
「で、でも、じゃのぉ、それがないと何も解決しないのじゃ。」
涙ぐんでカシミアを見つめる。
その姿を見て、やはり無理をしていたんだと心が痛くなる。
強がりで、負けず嫌いで、自信家の魔法オタクのマチルダ。
しかし、今までの彼女を支えていた絶対的な魔法という力が消え失せて以来、空元気を続けるその姿をずっと見つめてきたカシミアには、叱りつけることなどできなかった。
八歳で魔法使いとしては、最高の能力を発揮し、更に修行と激しい戦いの日々で東西にその魔女としての名声を響かせるようになった十二歳のマチルダ。
その後数年かけて戦争を終結させ、平和な世界を取り戻した。
魔法があったからこその揺るがない自信であったことも側で見続けて来た。
全てがゼロになってしまった現実を簡単に受け止めることなどできないだろう。
ただの足手纏いとなっている自分を許せるはずもない。
あの時マ・カロンを助ける事もできず、傷つき倒れても立ち上がる姿を見つめるだけの自分に耐えられなかったことも想像できた。
明るく振る舞ってみても、強気で我儘を言ってみても、常に重くのしかかる空虚感を取り除けないで苦悩する姿をも想像できた。
藁にもすがる思いの行き先が聖霊王…。
視線をか細いマチルダに移す。
俯き加減で肩を震わせないように懸命に堪えている。
その姿を見て、自分のやるべき事を迷うべきではないと気づいた時、縛り付けられるような感覚を与えていた憑き物が落ち、身体が楽になった気がした。
カシミアはゆっくりとマチルダの前まで歩んでいった。
「これは大事な物ござろう?」
カシミアはそう言いながら、手に持った七色に輝く「精霊の笛」をマチルダに差し出した。
マチルダは泣き顔を見せまいとしながらも我慢ができなくなって、両手でしっかりと差し出された手を掴み、大声で泣き始めた。
はてさて、マ・カロン殿に相談をしなくてはならんでござると考えながらも主人を引き寄せ抱きしめていた。