アクアガーディアにて
マ・カロン達がアクアガーディアに到着したのはあの森の出来事から五日後であった。
比較的に早く到達できたと言えよう。
森でしっかりと食料の調達ができたことが唯一の救いであったことは言うまでもない。
森で浮かれすぎてか、マチルダが急に熱を出して、馬車の中でゆっくりと静かに寝ていてくれたのは誰にとっても幸せであった。
それが疲れから来るものか、それとも魔法力が関係していることなのかは誰にも分からなかった。
神が隠蔽していない限り世の中の何でも載っている神のデータベースにアクセスできるジョルジュの調査でも、魔法の消失については判明しなかった。
だからこそ、新たなる力の発動なのか、導きなのかを示しているのかなど知る由もない。
兎に角、カシミアは甲斐甲斐しく病の主人を添い寝で介抱をしていた。
「病人の横で冬眠でふぅ。」
馬車を操るマ・カロンの首にぶら下がり、ジョルジュは悪態をつく。
朝日を浴び、マ・カロン一行は都市につながる巨大なアーチ型の橋を渡っていた。
アクアガーディアの特徴は都市を南北に横切り流れる運河にあった。
湧き出でた聖なる水が溢れて出来上がった湧水の湖はアクアガーディアの北面を被さるようにのし掛かっている。
街から伸びた川は遥か彼方の海に向かって進んでいく。
街は上空から見ると美しい船形をしている。
ちょうど船が川の流れに逆らいながら進もうとしているようにも見える。
そうして、都市のその船首が湧水の湖に栓をするように入り込んでいる。
そのためか、都市の奥の湖には巨大な水門があり、水量の調整の名目で設置されている。
また二十メル程の都市の外壁に沿って、内側に針葉樹が植えられている。
豊かな水と緑の調和の都市、それがアクアガーディアである。
神代の英雄譚にもあるこの街の名は、知らぬ者もいないのであろう。
観光がこの都市の一番の収入源であるのも確かであり、精霊の護符などの精霊グッズはこの都市の在り方を示している。
「朝から賑やかな街だ。」
レッサーバードに引かれながら、馬車は都市に吸い込まれるように導かれている。
マ・カロンはこの都市の喧騒を何か羨ましそうに見つめている。
「都市の展望台から御来光が見えるといいらしいでふぅ!
尚、アクアガーディア観光スポット百選から参照でふぅ!」
ジョルジュの解説は本の朗読に過ぎないのだろうが、状況を的確に指摘していた。
「御来光ね。
有り難がるってのも平和だってことだな。」
見上げる都市の真上を魚群が通り過ぎる。
街の上空は水に満たされている訳でもないのだが、様々な煌びやかな魚が行き来している。
「魔法らしいでふぅ。」
マ・カロンの視線に気づいたジョルジュが解説を加えてくる。
「生きてるって事だよな。」
「さ、勿論そうなのでふぅ、多分。」
観光都市、アクアガーディアの顔はシンプルである。
建国以来中立国家で法治国家の見本であると言うところであろう。
商業ギルド、環境ギルド、冒険者ギルドの三つの組織からなる合議制を古くから取り入れ、身分での隔たりなどなく、憲法を有し、平等な法律によりこの国は運営されている。
有志以来、この国に戦争は存在しなかった。
間違っても攻め込んで来る国はなかった。
そもそもが精霊の加護のお陰でもある。
戦闘意欲を奪う力が聖なる森から溢れていたからであるようだ。
しかし、時間は残酷である。
どんな一見完璧に思えるシステムでも風化し蝕まれていく。
トラブルメーカーが乱入することで、発露する場合が実に多い。
不安定の波紋はいずれ大きくなり、平穏を飲み込んで行く。
「待て待て、命が惜しくはないのか?」
喧騒の中に不穏な影が落ちる。
マ・カロンの厄介事センサーが嫌な予感を選択していた。
100%飛び火して来るのが分かる。
「マ・カロン、とても面白い顔をしてるでふぅ。」
表情も豊かになったが、それ以上にポーカーフェイスが全くできなくなったとマ・カロンはちょっと残念に思っていた。
すましていても、心の機微が微妙に発露するのは残念でしかない。
ぬいぐるみなのにだ…。
良いのやら、悪いのやら?
雑踏の先を睨みつけながらレッサーバードが警戒するように小さく鳴いた。
「姉ちゃんたち、どんな野蛮な国から来たんだ、あん⁈」
強面のスキンヘッドの男は服装から冒険者であろうと推測できた。
その前に動きやすく毛皮を加工した服に身を包んだ二人の少女が串焼きを両手の指で挟める限りギッシリと挟んでいる姿も確認できた。
泥棒ってことか?
マ・カロンは最初どう突っ込んでいいのか判断に迷った。
ぐるぐるって唸ってるし、野生かよって言うのは正しいのかもしれない。
威嚇しながらも食べてるよなが正解か?
オイラのツッコミ力が試されてる?
「助けないでふぅか?」
ニタニタとした目で見つめられながら、楽しんでやがるなと悔し気に心で呟く。
「仕方ねぇな…、あ、相棒、この国の金持ってるか?」
マ・カロンはちょっと困った顔をして尋ねている。
視線で追いかけている二人の少女は警戒心を全く解く気配はなかった。
どれほど険悪な道を歩んで来たかは想像することもできる。
でも、この世界のルールを守れない今は、トラブルメーカーでしかない。
「観念しな!」
いつの間にかスキンヘッドの軍団が二人を取り巻いていく。
「グルル…。」
まさに野生動物が街にやって来たと言う状況である。
レッサーバードがその凶暴性を感知したのだろうか、落ち着かない様子のままである。
顔をダークグリーンのフードで包み隠した謎の物体が上空から舞い降り、二組の間に割って入る。
「な、なんだ、お前は?」
スキンヘッドの親玉は少し怯んで言う。
「朝っぱらから、物騒な事はやめてもらう。」
フードを深々と被ったものがビシッとマイケル・ジャクソン的な感じのダンスのように気取ったポーズで答える。
「窃盗は冒険者ギルドの預かりのはずだ。」
スキンヘッドの軍団のボスがそう叫ぶ。
野生児二人の警戒心を全開にした気配を背に感じながら、フードの者はスッと顔を上げると、身構える。
「この辺りの観光地区は、環境ギルドの管轄下にある。
我らに任せて引き下がりたまえ!」
フードの男の左腕についた環境ギルドのモニュメントマークがキラリと輝く。
「相棒、更に面倒なことになったでふぅ!」
ケロケロと笑いながら、ジョルジュは呟く。
まさかお金の両替中に次の厄介が参入して来るとはマ・カロンも思わなかったようで、その光景を見ながら頭を抱えている。
「ひょっとすると、これに商業ギルドも絡んでくるんじゃないよな。」
ジョルジュはケロケロ笑うだけで答えない。
つまりはその可能性が高いと言うことだ。
「そうですね、これ以上事を大きくはしたくないですね。」
その声にギョッとして、マ・カロンが横を見つめる。
青の基調の文官らしいスーツに身を包み、眼鏡をかけた長身のエルフの女性がさも当たり前のように馬車の側に立っていた。
「あんた、誰?」
「あら、ネロさん、やっとお気づきになられたんですね。」
マ・カロンのことをよく知った上で、近づいて来たことは明確であった。
マ・カロンの気配を感じ取る能力を掻い潜ることだけでも驚くべきことだ。
それ以上に隙のないその立ポーズが彼女のスキルの高さを示していた。
「一部の隙もないでふぅ。」
「あら、すごいわ、物知りカエルさん。」
コイツ、オイラたちのことを知り尽くしているんじゃねと言う不安定な感情がマ・カロンの中を支配した。
「あんた、情報部の者か?」
おずおずと聞くマ・カロンにニタリと笑って、手を否定の意味も含めてヒラヒラと振る。
「そんなもんではないわ、ただの商業ギルドの職員よ。
ま、広域地域広報部の本部長と言う役職なんだけどね。」
ふふっと笑って、ウィンクする。
流石エルフに美形しかいないを体現しているほどに眩しく荘厳な雰囲気を醸し出している。
「その口振りだと、オイラたちのことは先刻承知してるみたいだな。」
怪訝な顔で見つめながら、そう呟く。
「まあ、貴方達、悪目立ちするから。」
その笑顔にどれ程の悪意が込められているのかと想像しながら、マ・カロンは思った通りの推測を話し始める。
「その商業ギルドの広報部が、わざわざこんな接触して来るってことは、あの二人なんとか無傷で手に入れたいってことか?」
その言葉を聞いて、感嘆の低い声をあげる。
「流石、聡いわね、噂の通りね。」
「まだ、しらばっくれるのか、ぁっ。
で、無事に連れて来るとして、どこに運び込むんだ。」
マ・カロンのツッコミの言葉に軽く拍手をしながら、目線を広場の奥に見える塔に注ぐ。
「最上階かしら?」
マ・カロンはその目線を追った後、わざとらしくため息を吐く。
自分の悟る力をフル活動させる秘密主義者の存在は、神以来だとマ・カロンは考えていた。
「了解だ。」
塔から目線を戻した時にはもうエルフの姿はそこになかった。
白日夢だったかのように。
「仕方ねえなぁ。」
都市迷彩の忍者のコスチュームにあっという間にマ・カロンはジョルジュの機転で着替えさせられていた。
「お前さん、いってらっしゃいでふぅ。」
日本髪のかつらを被ったジョルジュがケロケロと笑いながら呟く。
ツッコミよりもスルーする事で対応する。
「例のヤツ、閃光、煙、痺れ…、それに忘却だ。」
「お前さん、欲張りでふぅ。」
誰に気づかれることもなく、マ・カロンは一気に飛び上がる。
飛び上がると同時にジョルジュは馬車とレッサーバードを含めて、特殊な保護フィールドで包み込んだ。
出かける時には鍵をかけるのは、当たり前だとセキュリティ命のジョルジュはやり切ったドヤ顔をしている。
一瞬の出来事のため、馬車から人がいなくなった事も、特殊なフィールドが展開された事も見ていたものは皆無であっただろう。
睨み合う人々。
上空に花火が弾ける。
誰もがそれに気が逸れた瞬間、辺りが白のみになる閃光が7回明滅する。
閃光が消えるよりも早く、広場中に薄紫色の煙が蔓延する。
パニックになる前に僅かでも煙を吸った者の身体から力が抜けていく。
体が痺れ、催眠系のトッピングのされた煙で軽い睡眠に陥れる。
その中を速やかに手慣れた動きで作業をこなしていくマ・カロン。
本能的に煙を防ごうとした二人の少女にすぐに当て身を加える。
こめかみを辺りに決まった振動を与えると来ると分かっていない限り、脳を揺らして失神させられる。
失神した二人を受け止め、確認して肩に乗せると倒れているフードの男も足に引っ掛けて、ジャンプしてその場を後にする。
数分後、眠りに落ちた人々が目覚めた時には、煙は消え去っていた。
夢と現実の狭間が分からなくなる程の深い眠りを一瞬与える事で記憶の修正を起こしてしまったのだ。
動物の習性を利用した忘却とマ・カロンが呼んでいる睡眠ガスの効果付与は絶大であった。
何事も無かったかのように取り巻いていた群衆は散り散りとなって行った。
当然、事の起こりの関係者には効果も薄い。
「おい、アイツらはどうした?」
スキンヘッドのリーダーが叫ぶ。
ヨロヨロと立ち上がるその他一同の反応にも差が生じる。
「何があったんでやす?」
出っ歯のチョボ髭の男が頭を振りながら言う。
「誰かいた、気がするんだが…。」
ロン毛の泣きぼくろの痩せ気味の男が言う。
「オレの串焼きは?」
標準の倍はあろうかと思えるなで肩の男が地団駄を踏む。
意識がハッキリとしない者を含めると、記憶の混乱には成功したのだろう。
マ・カロンは塔に向かう途中の酒場の前にフードの男を捨てる。
見事にゴミ捨て場の中に着地。
酔っ払いにしか見えないだろう。
ジョルジュがマジックハンドを使って、濃いめの忘却をしつこい程に吸わせていた。
すぐには起きる事はないはずだ。
マ・カロンは二人の少女を両手で掴んで力場を足場に空中を疾走した。