マチルダの冒険
七色の光を放ちながら、大きな鳥が猛スピードで高度上空を飛行していく。
一万八千里とか言われるこの世を最速で快適に飛行する屈指の最高魔法を有するのは、魔法参謀のマチルダに他ならない。
つまり、七色の光を放つ巨大な鳳凰は魔法で作り出されたものである。
「遅刻ですな。」
鳳凰の首の後ろで仁王立ちしている従者、筋肉ムキムキの女性戦士カシミアはそう呟く。
「え、だって、あれなのじゃ、よぉ〜。」
ぶりっ子で瞳を揺らしモジモジしながら、マチルダはキラキラ光線を放出する。
シートの上に小さなハート型のテーブルを出し、一人宴会の最中。
当然、てんこ盛りにゴージャスな飾り付けをされたお菓子たちがテーブルの上を鎮座している。
飲み物は雰囲気で酔っ払った次の日にマチルダ的に欠かせない砂糖たっぷりのミルクティーなので、完全におママごとである。
「あれだけ呑めや歌えの宴会を三日三晩続けた上で、よくまあ、おっしゃりますな。」
竜の文様が描かれた古い盾を支えにして、ジト目でマチルダを見つめる。
それに懲りた様子もなく、両こめかみの辺りに四角く切った小さな布にすり潰した梅干しを貼り付けたマチルダが渾身のテヘペロをする。
世界的なアイドルを自称するマチルダとしては、ごく当たり前のかわい子ぶりっ子なのだろう。
先祖代々マチルダの家の従者をしているカシミアとっては、自分の主君のその姿は絶望でしかない。
その幼さは内面だけではなく、見た目もどうしてか10歳くらいから成長しなくなった。
全ては母あ様が亡くなられた日がキッカケではないかとは思うのだが、理由は全くもって見当もつかない。
マチルダ、エーリアの二人が魔法の力が増大したにも関わらず、外見が成長しない事は誰の目にも奇異に写るが、それについて考察するものはいなかった。
何か再び二人を停めている何かが動き出すその日が来ると信じていた。
その何かが、そう、キッカケが必要なのだろう。
そんな事が頭をよぎった時にふと出かける際の出来事を思い出す。
明日出かけると宣言して後、まさか三日三晩飲み明かす(お子ちゃまなマチルダは、お酒の類はまだ無理なため、果汁か甘々な飲料だけである。)ことを誰が予想できたであろうか?
マチルダとエーリアは仲の良い姉妹にしか見えない程にずっとベッタリと一緒にいた。
「えっちゃん、運命の騎士殿にはまだ出会えてはないのかのぉ?」
照れ笑いを浮かべて、エーリアは頷く。
「妾は姫でもなければ、偉くも何でもないからのぉ、騎士殿と出会う事もあろうはずもなかろうて。」
カラカラと笑いながら、ミックスジュースを飲み干して行く。
「あなたの方が私よりも可能性が高いわ。」
二人は顔を見合わせ、笑い出す。
騎士と姫君と言う遊びは、この世界の王族にはごく自然な遊戯であった。
マチルダとエーリアにとってごく身近な英雄譚の中にある囚われの姫の物語、その中に出てくる永遠の愛(または婚姻)の証の物語のことである。
少なくとも永遠なる忠誠を誓うと言う事が主題であって、婚姻の話は年頃の夢見る乙女の妄想でしかない。
そう、ありふれた英雄譚に恋焦がれていた。
悪魔の花嫁にされそうになるのを運命の騎士により助けられるありふれた英雄物語。
小さな女の子が心ときめかせる白馬の騎士の物語にマチルダもエーリアも子供の頃からゾッコンであった。
「ほぉ、ならば、妾が姫役をやってもしもうても良いのかのぉ?」
「今宵は私が騎士様を詰めましょ…、だに。」
宴が始まって以来の何度目かの騎士殿と姫君が始まる。
カシミアは少し離れたところから、その様子を暖かく見つめていた。
昔からどんな時でも、二人は楽しそうに周りを優しい空気で包んでくれた。
圧倒的な魔術、魔法の力があろうともあどけない少女のままであろうとし続けた。
楽しそうに羽目を外しまくってはしゃぐ二人の姿に時折見せるエーリアの哀しげな表情が心を騒つかせていた。
「本当に無理をすることないわ。」
それは出発間近になっても変わらず、エーリアは胸元にある、この国の王族の紋章を象ったカメオのようなロケットを指で弄びながら、マチルダの側に張り付いていた。
「チャチャっと行って、ササっと帰って来るからのぉ。」
カラカラと無邪気に笑うマチルダを不安そうにエーリアは見つめている。
「子供の頃から変わらないわ。」
幼い面影を思い出している。
「よく二人で母あ様に叱られたのぉ。」
「よく二人で母あ様に褒められた。」
ゆっくりと二人頷き合う。
「悪さもしたのぉ。」
「お手伝いもした。」
「寝る前にいっぱいお話ししたのぉ。」
「寝る時にいっぱいお話し聞いたね。」
目と目を合わせ、過去を重ねる。
「気まぐれシルフの大冒険。」
「気まぐれシルフ大好きだったのぉ。」
気まぐれシルフと言うやんちゃな精霊の巻き起こす数々の冒険の物語。
エーリアがいつも本当の母親のようだと思っていた母あ様が得意だった寝物語。
そう言えば、初めて気まぐれシルフが旅立つ場面で仲の良かった二人のシルフが泣きながらケンカしてしまうお話があったなぁとマチルダは思い出していた。
「心配いらんからのぉ。」
自分の胸を軽く叩く。
「なぁに、憂いは不要じゃて、妾は天下に轟く魔法力のマチルダ様じゃからのぉ。」
「それに…、救世主も姫のために連れてこなくてはのっ!」
エーリアは微笑を浮かべ俯く。
「出発の時間です。」
カシミアは巨大なカタツムリのように荷物を背負って広場の中央でそう叫んだ。
「目的地は、風の大地、バッカルガム王国。」
エーリアはやっと決断したかのように、懐から七色に輝く花飾りを取り出した。
「これは餞別だに。」
昨日の火照りが抜けていないのか、頬に赤らみを浮かべる。
「おお、なんと、珍しいことじゃのぉ、ドケチのえっちゃんがのぉ。」
マチルダはなすがままに胸に七色に輝く花飾りを付けてもらう。
「じゃあ、出発じゃのぉ。」
二人は優しくハグをする。
離れようとした時、エーリアの一度緩んだ手がマチルダの体を抱きとめる。
そんなエーリアにマチルダはニッコリと笑った。
「なーに、すぐに戻ってくるからのぉ.。」
「絶対に戻ってくるの…だに。」
何を大袈裟なとマチルダは首を傾げる。
長い時間離れることのなかった二人。
多少感傷的になっているのかとマチルダは考える。
「おお、五体満足で、ピンピンして帰ってくるからのぉ。」
エーリアの目に涙が浮かんでいた。
「本当だに……、最低でも五体満足で、ピンピンとして元気に…。」
迫力満点の笑顔であった。
「最低が高いのぉ。」
苦笑いを浮かべながら、エーリアの頬を両手で優しく挟んだ。
「妾は魔法参謀マチルダじゃ、女に二言はないからのぉ。」
何処ともなく拍手が起こる。
二人は照れ臭そうに離れる。
魔法陣を呼び出すために、みんなと距離を開けようとマチルダが歩み出した瞬間。
「精霊の御加護があらんことを。」
確かにエーリアはそう呟いた。
どうして精霊なのか?という疑問もある。
俗にいうところの魔法使いというものは魔術の使い手のことである。
魔力の根源ではなく、魔術の理論に沿って行われる擬似超常現象再現を行う者なのだ。
精霊とは根源ではあるが、根底ではない。
エレメントと言う理の中にあるものを利用していたり、作り出せる存在だが、実際はこの世の理とは隔絶した存在でもある。
神にも匹敵する力を有するが、神の使徒でもなければ、敵でもない。
その王は世界樹や聖なる森に住み、自由を愛し、平和な世界を支えていたはずだが、かの聖魔戦争の際には出現すらしなかったと聞く。
母あ様以外からは、精霊とは何者にも縛られず気まぐれで我儘な存在であると聞いている。
どうして精霊の御加護が必要なのだろうか?
カシミアにも全く思い浮かばなかった。
魔法陣が完成し、七色に輝く鳳凰が出現す。
「行ってくるからのぉ!」
明るく元気に手を振るマチルダ。
「楽勝じゃからのぉ!余裕で…。」
高笑いのマチルダの横顔が消え、蒼白のマチルダの顔に被っていく。
「だからではござらん、少なくとも、遅刻は遅刻でござる。
ジョルジュ氏の取り計らいによる破滅型怪奇聖剣ハンターのネロ殿との約束の時刻は遠に過ぎてござる。
言い訳などと言う恥じた事はなさるな。」
現実を突きつけられ、拗ねてそっぽを向いてしまう。
マチルダからは、あの国で優れた参謀として活躍する姿を想像できない。
しかし、従者はその敏腕ぶりも知っている。
だからこそ、その可愛子ぶりっ子を否定しきれないのだ。
唯一の息抜きなのだと感じてしまうからだ。
不幸な事故で母あ様を亡くし、師に従事した8歳より4年で免許皆伝しての戦場デヴューを果たし、友と共に何百年と続いた戦争を終結させた実力者なのだ。
今や奇跡として語られる史実の通り、ほぼ3年で国土を統一する偉業を果たした。
15歳で元服し魔法参謀となってから、学友だった最高議長と共にあの国を導き続けてきたのだ。
血生臭いことにも文句一つ言わずマチルダはやり遂げてきた。
例え、母あ様の教えが唯一その支えであるとしても。
精神崩壊しなかったことがカシミアには不思議で仕方ない時期もあった。
翼竜の谷より、亡き父とともにマチルダの下に馳せ参じた時からすでに十数年経っている。
戦いの中で不慮の死を遂げた父の代わりにまだ魔法参謀となる前のマチルダの従者となってから9年以上は経っている。
以後二人の関係性には変化はなかった。
戦いが終わって2年しか経っていない。
戦乱の中、いつの間にか金属化され封印されていた王都から国外に出てしまった秘宝や碑文や魔導書などなどを取り戻す事が現在の魔法参謀マチルダの最優先事項である。
交渉中に争い事になる事も少なくなく、命を賭けた仕事でもある。
マチルダがその事自体に取り立てて不満を口にした事はない。
情報収集のために各地に散った間者や忍びの者の遺体に心を掻き乱されながらも冷静に弔う最高議長エーリアの事を真っ先に気遣うマチルダに不平を言う筈もない。
ふっと笑みが浮かんできて、頬が緩むのを誤魔化すようにカシミアは咳払いをした。
主従関係ではなく、いつものくだけた感じでカシミアは尋ねることにしてみた。
「それにしても、このような乗り物を呼び出せると言うのは、さぞ大量な魔力を使うのでござろう?」
拗ねていたのが嘘のように、いつものモードにすぐさま切り替わるマチルダ。
「私の力だけではなく、サークレットに貯めている力も使っておるのぉ。」
手や胸につけている宝石の塊が取り付けられたサークレットを自慢げに指し示す。
「増幅のためだけではないのでござるな。」
「魔術や魔法とはのぉ、理の力によって作られた科学なのじゃ。」
実に嬉しそうに講釈を垂れはじめる。
こうなると機嫌が良くなるのは、判りきっているので、カシミア的には一安心なのだ。
「されば、その理がある時にしか魔法とは使えないと言う事でござるか?」
カモがネギを背負ってやってきたって、表情で得意げに立ち上がり胸を張って、余裕綽々で答える。
「カシミアくん、この世界は神の摂理で出来上がっているのじゃ、そもそものぉ〜。」
ほうと、何度も何度も同じことを聞いて来ているはずだが、カシミアは感心をしたように腕を組み相槌を打つ。
さらにマチルダは気を良くして続ける。
「神の摂理により得られた秩序を組み上げて作られるものが魔法陣なのじゃ。
遙か古代では魔法陣は一々描かなくてはならなかったのじゃが、天才アルキデメスによって、記憶術が生み出されたのじゃ。
習得した魔法陣を身体に記憶留める事が可能になって、一気に発達していくのじゃ。」
鼻が何センチか伸びたのではないかと思える程に滑舌良く語る。
「魔法陣と言っても3種類あるのじゃ。
一つ目は術式に覚えさせた術を無理矢理行使する魔法陣じゃ。
二つ目は契約した対象の力のみを行使する魔法陣じゃ。
三つ目は契約したモノそのものを呼び出し、そのモノに力を行使してもらう魔法陣じゃ。
それぞれを魔術師、魔導師、召喚師と呼び、その総称を魔法使いと言うのじゃのぉ〜。」
実に饒舌である。
「魔法とはのぉ、神の摂理、法則がある限りには、無限の力なのじゃ!」
ビシッと空気が震えた。
否、空間が裂け、歪んだのだ。
「では、その神の摂理、法則が及ばなくなるとどうなるのでござるか?」
カシミアのさりげない疑問に一瞬引きつったような笑みを浮かべる。
マチルダは仕方ないなぁと言わんばかりに髪をかき上げる。
「単純じゃ!」
カッと眼を開き、ざっと天を指差し宣言す。
「すべての効力を失い、消え去るのじゃ!」
空間が歪んだ(ひずんだ)。
「あくまでの仮説じゃ、そんなことが起こるはずなどないからのぉ。」
時空がずれる。
「母あ様も言っておった。
友を信じ、神に感謝し、生きとし生けるものを尊び、そして…、まぁ、理は大切じゃ。」
暫しうーむと唸ってから、途端にヘラヘラし始める。
「ところで、其方は会う予定の「破壊型怪奇聖剣ハンター」のネロと言うものを知っておるのかのぉ?」
「それが、ネコではないかという噂を…。」
「ネコじゃと?」
ザザッと空を猛スピードで飛行する鳳凰にノイズが駆け抜ける。
次の瞬間、前触れもなく鳳凰は消え去った。
「?」
事態が把握できない瞬間は本当に僅かであったろう。
当然のことが起こるのだ。
足場を失った人間の身体は、自由落下に身を任せる事となる。
「ぎゃあああああああああああああああー!」
進行方向への加速がついたままの自由落下は、山なりの逆、谷なりに弧を描き急降下!
慌てながらも、カシミアは荷物を空中でキャッチしていく。
その都度、的確に腰に付けた袋に荷物を取り込んでいく。
故郷の谷にいる時は、良く底の見えない滝壺に放り投げられていたなぁと、ボンヤリと考えている。
やけに冷静だ。
宙を彷徨う荷物を器用に飛び交い的確にすべて確保してから、キョロキョロと主君を探す。
少し離れたところをひたすらに絶賛落下中なのを発見する。
突き出すように盾を身構え、体をグリっと雑巾を絞るようにツイストさせる。
一気に解き放ち、身体能力というバネの力だけで高速回転させ始める。
「うりゃあああああああああああああ!」
小型の台風のように回転しながら、猛スピードで主君を追いかける。
全くパニックになる事なく、この一連の動きがごく当たり前のようにできる辺りが彼女の実践の数を物語っていた。
魔法参謀マチルダに並走するところまでに到達すると、主君の様子を観察する。
気絶しているわけではないが、カシミアの方に振り向くことはない。
マチルダも数多くの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の魔法使いである。
そんな彼女がいつまでも放心状態などとは考えられない。
いつもの魔法の力で窮地を脱せない理由が浮かばなかった。
巧みに盾を使い、慎重に高速回転を解除して、スッとマチルダに更に接近し、盾を左腕に装着し両腕を伸ばす。
大事なものを扱うようにサッと抱き留める。
「ま、マチルダ殿…。」
顔を覗き込んで心配そうにカシミアは呟く。
当のマチルダはパクパクと口を魚のようにパクつかせている。
じっと見つめていると痙攣ではなく、麻痺でもなく、何かを口走っているらしい。
「ま、ま…。」
カシミアが切り裂くような風音の中、微かな消え入る音を聞き取ろうと集中する。
「マチルダ殿、一体…。」
眼は未だ明後日の方向を見ているく。
「ま、魔、魔…ほ…。」
今まで見たことのないその姿に不安になったカシミアは更にギュッと抱き寄せ抱きしめる。
「マチルダ殿!」
「魔法が…、魔法が使えない…。」
その消え入りそうな声がこだまする。
「え?」
「消えちゃった、魔法が使えんのじゃ…。」
一瞬の沈黙が長くて重くのし掛かる。
「すっかり魔法がなくなっちゃったのじゃ!」
そう絞り出すように消え入るように嘆く。
限界だったのか、マチルダは意識を失う。
抱きしめる腕に力がこもる。
マチルダの魔法がなくなっちゃったと言う宣言以上に、カシミアには気がかりな事がある。
この高さから落ちた時、どうやって無事に着地するのかがカシミアの中に廻り回った。