命の鼓動
一瞬の静寂が辺りを支配する。
目を開ける事もできない。
「キミ、力を本当に不要だと思うかい?」
声は響くが、気配は確認できない。
「あ、その声、あんたか?」
マ・カロンは悪態を吐くしかできない。
「なぁ、古き友よ!」
「友達になった覚えはねえぜ。」
マ・カロンは苦しそうに眉間に皺を寄せる。
「にしても、相変わらずチャラい口調だな。」
丁寧な話し方に思えるが、吐き気がするほどに口調は本当にチャラかった。
聞き様によっては、まさにお姐えって感じだ。
「ははは、力に善も悪もない。
前も後ろも右も左も上も下もないよ。」
カラカラとよく笑う。
「過ぎた力は……、何もかも失うんだ。」
「ああ、そうだね。
失うこともあるかな?」
溢れる悲鳴、転がる死体、燃え上がる炎、焼け落ちる家、嘆く老婆は娘の名を叫ぶ。
いつの間にか世界は惨劇と転じていた。
手は血に濡れ、いや全身何色なのかも分からないドス黒液体でずぶ濡れだ。
脳裏に締め付けるビジョンが次々と現れては消えていく。
次第にその流れは速度を増し、全てを埋め尽くす。
見渡す限り、世界はドス黒く染まり、瘴気に満ち、人の肉が焼ける匂いが辺りに立ち込めている。
野獣のような唸り声が木霊する。
止めてくれ、止まってくれと叫んでいるのに破壊は繰り返される。
殺戮もその手を緩めない。
力なんか要らない。
制御できないものを手にしてどうするんだ!
力はいいぞ、望むものが手に入る。
別の声が響き渡る。
振り向けば、ドロドロに溶けた紅紫色の粘体の中で一人の男が悠然と大の字で浮んでいる。
無限の力だ、ギャハハハハハ!
破壊と惨劇は繰り返され、世界最大の美を誇った都市も壊滅寸前だ。
駄目だ、戻れなくなる。
戻れなくなるよ、父上。
顔も思い出せないが、もはや取り返しがつかないとはしても、どんな事をしても助けなくてはならない人だ。
右手が、両足が同化して抜けない…。
こんなバケモノに張り付いて、一体絶対何をしている?
もう、諦めしかないのか?
黒き巨体のバケモノの赤く染まった瞳は見るものをすべて焼き尽くさんとする。
どんな兵器も悉く使い過ぎで、あらゆる攻撃がなされたのだが、このバケモノには効いた感触もない。
果たしてこの惨状で生きている者がいるのかどうかすら分からない。
ついに黒きバケモノが世界の秩序の要、世界樹にたどり着いた。
不自然な程に神も天使も沈黙を守っている。
体から生えた複数の腕が目標を定めた。
この世界を支える世界樹が単純な打撃攻撃で追い詰められ、枯れ、壊れ、朽ち果てていく。
止めてくれ、もう充分だ。
「マ・カロン!」
その声にパッと顔を上げる。
七色に輝くマチルダが目の前にいた。
「あなたではないのよ、貴方では……。」
マ・カロンを抱きしめて来る。
左手の祖母から貰った道具が光り始める。
父上を止められるのは最早これだけだ。
『孫の手』にグッと力を込める。
「全てを取り戻すの……、失うことは恐れることではないわ。」
顔も思い出さない祖母の面影が重なる。
左目に潤いの流星紋が浮かんでいる。
次の瞬間、光が視界を、思考を白く染め上げていく。
気がつくと、地面に座り込んでいた。
炎は消え、闇は明けることなく、激しい雨が降っている。
世界樹は半分以上が朽ち果て、へし折れている。生きていると言えるかは分からない。
オイラはその体の殆どを闇に飲まれ、ヒクヒクと未だ生に縋り付いている父上の身体を抱きしめている。
よく止めてくれたと、笑みを浮かべた父上。
ありがとうと、優しかった父上。
強くあれと、涙を流す父上。
体に刻まれた幾何学模様が残酷に弛み、やがて全てを飲み込む。
父上の形をした闇はオイラの腕の中で虚空に霧散する。
涙で視界が歪み、白濁と化し、白に飲み込まれていく。
「力を恐れなかった結果だよ。」
今のは……?
「心の持ちよう、ではなかったかい?」
「夢、じゃないよな?」
沈黙が怖い。
雰囲気が変わる。
「すべてはキミの父君の齎した惨劇だ。」
「父…、この惨劇はオイラの…?」
思い出せない。
左手にはドス黒い「孫の手」が握られている感触がある。
「そう、その怯えが台無しにする。
だから、全て封じなくてはならなかった。」
オイラが感じていた宿命とはこれのことか⁈
目を開けようとするが、それは叶わない。
ひょっとしたらもう開けているのか?
それすらも分からない。
「オイラはどうすれば良い?」
明らかに神と名乗る者は笑っている。
「キミはキミのままで立ち向かえば良い。」
更に嬉しそうな笑い声も聞こえる。
鈴の音に似ている。
「自らの力で力と向き合うのが、キミらしいのではないのかな?」
決心はつかない。
力を恐れている。
父上のようになるのが、怖いのだ。
鬼のような形相…、そう、魔神と同じだ。
止めなくてはならない。
「宿命を感じていては…、いけない。」
声がマチルダと重なる。
「定まりいくのは偶然の選択の結果、過去さ。
神が森羅万象全てを意のままに決定していたら、世界に多様性など生まれないものさ。」
スッと息を吐く。
「神が造ったものが世界そのものではないのだから。」
カラカラと愉快に笑うが、今不快さはない。
心地よい鈴の音であり、心に響く鐘の音でもあるようだ。
次第にその音は荘厳な鐘の音に変わるように白い世界に響き渡る。
「そろそろお別れだね。」
「まあ、そろそろオイラもそうしたいと思ってたところさ。」
優しく微笑んでいる。
「大丈夫かい?」
耳鳴りがし始める。
「身体は動かないが、それ以外は多分すべて万全さ。」
憎まれ口に笑みを絶やさない。
「貴殿に幸あらんことを!」
光が増したような気がした。
「幸ね、どうだろうな?」
神と名乗る者は軽くウィンクをする。
「もう一人でもないだろ、さあ、再見!」
同時に意識は白に塗り染められていく。
再び眼を開けると、瘴気により、辺り一面は黒き炎に飲み込まれていた。




