魔の誘い
兵士が竜の包囲網を脱するには、特別な方法論などなかった。
竜を撃退するしかないのだ。
無駄な抵抗を続ける鞭を持った兵士達が混乱状態にある中、黒い雷が大ムカデのかつて頭部のあった位置に落とされたのだ。
それこそが虚無の力だと気づいたのは、未だに放心状態で微動だにしないマチルダだけだったであろう。
激しい地鳴りの後、大ムカデが痙攣したように震え上がる。
完全に消え去っていた大ムカデの顔が、消え残った傷口から再生されるように生えてきた。
突如再生した大ムカデの頭部に兵士達もパニック状態に陥る。
触角が同じだけで頭部の形状も虫というより完全な怪物化を果たしていた。
先ほどの青い目とは違い、呪われている生命体の特色の如く完全に赤々と光ってた。
荒々しく頭を振り上げると、一気に瘴気の邪神竜に飛びかかった。
その巨体からは考えられない程の俊敏さからも、もうこの世の生き物ではないのは明らか。
吐き出された瘴気を潜り抜け、飛び掛るや、流れるような動きで竜の体に巻きついた。
邪神竜は振り解くように暴れるが、ガッチリとロックされた身体は自由には動けなかった。
怪しげな赤黒い幾何学模様のスパークが大ムカデの身体の上を駆け巡る。
苦しそうに咆哮を上げる邪神竜の周りに激しい重力場が生まれる。
大ムカデから発せられている激しい重力場影響を受けて、邪神竜の身体がズン、ズンと地面に沈み込んでいく。
それにつけて、茶色っぽかった大ムカデの外装の色が溶岩のように光を発し始めた。
流れ出す溶岩の如く変色するにつれて、巻き付いた体の方は膨れ上がってどんどんと容積を増やしていく。
「ヤバいぞ!伏せろ!爆発するぞ!」
その声は凄まじい爆音の中でも響き渡る。
慌てて身を屈め、伏せていく人々。
張り詰めた空気が無音を伴ったその瞬間、大ムカデは爆音と波動の嵐を起こし、炸裂する。
立っていた兵士達は上半身をもぎ取られ、下半身は爆風に吹き飛ばされた。
地鳴りも起こし、1分近く爆風は吹き荒び、辺りを飲み込んでいく。
しかし、その爆発の熱風の嵐の中でも、ボロボロになりながらも邪神竜はしっかりと立っていた。
鎧のような鱗は粉々に砕かれ、気味の悪い液体が身体から溢れていた。
「多少は効いたみたいだな!」
伏せた状態から顔だけ上げたマチルダは驚愕の眼差しで目前の光景を見た。
空間を切り裂く事で、半径10メートル程のシールドを作り上げた拳を突き上げ、「孫の手」を右肩に担ぎ上げたマ・カロンがレッサーバードの背中の上に立っていたのだ。
「何とか間に合ったらしいな。」
そう呟いてひらりとレッサーバードの背から大地に降り立つ。
「お、マ・カロン殿!」
マチルダは震えるような声でそう叫ぶ。
目には薄っすらと涙を浮かべてヨロヨロと立ち上がり、歩み出す寸前にマ・カロンの左手がサッと制止する。
「感動の再会は後だ。」
半身振り返り、目は依然として瘴気を出し続けている邪神竜を睨みつけている。
「何か来るぞ!」
その言葉にカシミアが立ち上がり、マ・カロンの側に進み出る。
横にいたレッサーバードにマ・カロンは首のあたりを撫でながら優しく言う。
「お互い生き延びたら、一緒に旅しようぜ、なあ、相棒。」
咆哮を聞き、怪しげな赤黒い瘴気に包まれている邪神竜を見て、逞しくなったレッサーバードは「ピピーッ。」と鳴いた。
そして、スタスタと後ろに下がっていく。
その姿をチラッと見ながら、マ・カロンは安堵のため息を吐く。
「カシミア、懐かしいもん持ってんな。」
右肩に爪を立てた「孫の手」を担いだ臨戦態勢を維持したまま、そう呟く。
「拙者の竜への愛の賜物でござる。」
真顔で覇斬のバトルアックスを撫でている。
心なしか覇斬のバトルアックスも喜んでいるように見える。
「主人だと承認しちゃったでふぅ。」
ジョルジュも上手く説明できないと言わんばかりに舌を出して諦めの表情を浮かべる。
「まあ、良いんじゃねえか?」
とても愉快だと言わんばかりにマ・カロンがツッコんでいた。
ジョルジュは依然として納得いかないように目を白黒させながらも憮然とした態度を取っている。
マ・カロンがスッと真顔に変わっていく。
神が言うように力の開放なき自分に勝ち目があるかどうかは分からない。
あの邪神竜が『カイザー』の成れの果てだとしたら、予想などそもそも立てられない。
力を開放することが取り返しのつかない事態を招くことは十二分に分かっている。
自らが過ぎたる力『カイザー』に呑み込まれる可能性に、その後ここにある全てを失う事への恐怖に立ち向える自信がなかった。
あの竜のように全てを破壊するのか?
大地が気味の悪い振動をした途端に、邪神竜は今までとは違う低い咆哮を吐き出した。
周りに霧散していた鱗が命を得たかのようにふるふると震えながら、宙に舞い始める。
邪神竜の身体から一気に尋常ではない量の瘴気が吐き出される。
鱗はその瘴気を吸収して、形を成していく。
翼が生え、首が現れ、手足が生まれた。
人間体に近いオオトカゲに翼が生えた如き竜のガーゴイルが生成された。
飛び散った鱗から生み出された翼竜人の数はざっと千体を有に越えているだろう。
目には憎しみの炎を燃やし、すぐさまに襲い掛かってくる。
切り裂いた空間の中での障壁を神具に置き換え、マチルダに任せる。
マ・カロンは、カシミアに「行くぜ!」と声を掛けて襲い掛かる翼竜人の下に飛び出した。
左右に体を譲りトリッキーな動きで、翼竜人の爪の攻撃を躱すと「孫の手」で斬り上げる。
斬り付けられ真っ二つにされた翼竜人は、瘴気の塊となり、霧散してしまう。
消え去ることも確認する事なく、後続の翼竜人を切り裂く。
カシミアは一歩出遅れたが、破斬のバトルアックスを解放して、諸刃の剣の状態に変形させていた。
旋風斬りで左右から同時に攻撃を仕掛けてくる四体の翼竜人を切り刻んでいく。
「ヒャッホー、完全に使い熟しているでふぅ!
ほら、正面から二体来るでふぅ!」
ジョルジュは暴走モードに入っているが、的確なアドバイスをしていた。
この二人の戦闘を見ていた兵士もマネしようとするのだが、技術力と武器の性能が違い過ぎる。
名のある名刀でも、人の手で生み出されたものに邪神竜の鱗から生み出された翼竜人を斬り刻む事は叶わない。
当たったとしても弾き返され、自ずと隙だらけとなる。
その隙は確実な死へと繋がるのみ。
「うわー、た、助けてくれ!」
次々と兵士は武器を投げ捨て逃げ出す。
単純にパニックにしかならない。
混乱すればするほど、動きは単純化していき、空から襲い来る敵の殺戮の的にしかならなくなる。
「しょ、将軍、ど、どうすれば…。」
言い切る前に飛来した翼竜人に噛み付かれて参謀長の黒眼の老人は首を引きちぎられて無残に逝く。
その翼竜人を大鉈が一刀両断にする。
「全ては計画の通り、宴の開演だ。」
手に持った大鉈で軽く天空に向けて半円を描くと、空中にいた数十匹の翼竜人が瘴気をまとったチリへと変貌を遂げる。
「さあ、将軍殿、今こそ悲願の成就を。」
盲無が嗾けるように甘い言葉を投げかける。




