そして、現実へ
瓦礫の積み重なった地下には塵や埃がうねるように舞っていた。
静けさが訪れた今、キラキラと光の帯の中、月明かりに照らされた塵の一部は芸術品のように輝きを放っていた。
マ・カロンはまたあの白い世界にいた。
「キミも分からずやだね。
いや、偏屈な、頑固者だ。」
顔すら分からない者からそう言われても、ピンと来ないが、どうしたわけか、無性に腹立たしい。
「力が欲しいと言っている。
だが、護るだけの力があれば良いんだ。」
誰と話しているんだ?
「強すぎる力は必ず身を滅ぼす。」
何故、そんな風に思うのか?
あの記憶の欠片がそう呼びかけているのか?
本能なのか?
「力を本気で開放できる者など殆どいない。」
僅かな沈黙でも息苦しくなる。
「ボクもそうさ。
でも、全てを操る事も出来ない…、それが神の限界さ。
理と言う足枷が常に付き纏う。」
「その点、キミはいいね…、導きを手に入れる事ができたし、常に理の外の存在だ。
そうしてしまったのは神々にも大いに責任はある。」
喉がヒリヒリとし始める。
「今日はよくしゃべるな?」
ハッキリとは色を感じられない。
「制御できないのに、力を望めば、全てを壊してしまう。
きっと全てのことに後悔する。」
ばあちゃんに叱られたっけな。
「そうだ、オイラは臆病なのさ。」
淋しそうな顔で見つめている。
「いつでも、力を開放できる。」
それはあってはならない。
「その鍵も手に入れたじゃないか?」
神を名乗る者の手は光を遮ろうと宙を彷徨う。
「ほら、キミなら、大丈夫だよ。」
差し出された手を振り払うかのように身をよじる。
どのくらい時間が止まっていたのだろうか?
眩しい白の世界は消え、現実の闇が目の前に現れる。
ガラリと小さな礫が折り重なったクズの塊から溢れた時に再び時が動き出したのかもしれないとさえ錯覚をする。
再び次々に瓦礫は崩れていく。
瓦礫は隆起し、ゆっくりと形を成していく。
否、それは単純に埋もれた中から、命ある者が立ち上がったに過ぎなかった。
「最近酷い目にあうな。」
マ・カロンは気怠そうに瓦礫を押しのけた。
どこから光が射しているのか分からない。
月光により薄ぼんやりと視界は広がっている。
完全なる闇に囚われている訳ではなかった。
「いくら、死に難いと言っても、痛いし、気も失うんだぜ。」
真上は漆黒が支配していて、落下してきた辺りに穴すら確認できない。
それでも僅かな差し込む光で分かることもある。
もうすぐ夜が明ける。
「ジョルジュ、何処にいる?」
通信は途切れたままである。
通じないのか、壊れているのかすら分からない。
はたまた、妨害されているのかもしれない。
今すぐ動くしかない。
「生贄がいるって事だ。」
旅人の消失、出る事が許されない街…、簡単に分かりそうなものだ。
目的はヤバいものへの鎮静と討伐までの時間稼ぎ。
もしくは、誘き出すのに生贄が必要なのだ。
古今東西ヤバいヤツは命と純潔を求める。
男性的願望だからであろうか?
特筆することでもない。
今更止める方法論などない。
ぶち壊せば良い。
虚無の狙いが何かは分からない。
聖剣が絡むのか、それとも「神殺し」の活性化を求めてか…、などとじっくりと考える余裕はない。
野望を妨げるにも先ず生贄を助けることしかない。
いくら不死身だと言っても傷つかない訳でも、体力がなくならない訳でもない。
況してや恣意的に歪められた空間の中で経験をした事もない加速で地面に叩きつけられたのだから、まともな状況ではない。
「オイラにこんな正義感は似合わねんだろ。」
「孫の手」を支えにしてやっとのことで、瓦礫から脱出したマ・カロンは出口を求める。
明確に脱出出来る手立てが見当たらない。
光が射しているのだから、何処かに突破口はあるに違いない。
「確かに溺れるほどの力が欲しい!」
再び天空を見上げる。
やはりそこには深い闇しかない。
この違和感こそが呪術の賜物ではないのか?
ならば、結界を切り裂く他ないだろう。
居合斬りのような体勢になり、力を込め、集中力を高める。
オイラは何をしている?
何のためにやっている?
ホントにオイラ自身の言葉なのか?
こんな事、全く関わり合いなどない?
まあ、実にもっともな事だ。
誰のためにやってるんだ?
すぅと力が抜けていく。
ああ、確かにそうだ。
らしくないな。
居合の姿勢は解かれ、自然体のマ・カロンに戻っている。
「らしくないなぁ!」
静まり返った空間に声が響く。
答えるものはいない。
いる筈もない。
ふと、何かが脳裏に浮かびかかる。
屈託ない笑み…、誰だ?
どうして封じるんだいとその唇は動く。
白い空間に浮かぶ人の形をしたもの。
分からないと答えた。
全て不要なのかいと唇は動く。
ああ、もう要らないものだと呟く。
らしくないねとカラカラ笑っている。
幼い感じだが、嫌悪感は感じない。
必要かもしれないよと言葉が肌をくすぐる。
声に感情はない。
要るようなら、ボクに会いにおいでよと声の主は髪をかき上げる。
それは御免被りたいと。
そう呟いた途端、チリの舞う怪しい空間が目の前に戻ってくる。
グッと「孫の手」に力がこもった瞬間、身体が円を描くように舞う。
同時に「孫の手」が伸び、巨大な円を虚空に描く。
否、描いたように見えたのかもしれない。
力が再び込められた時からマ・カロンの立ち姿に何ら変化はなかった。
マ・カロンの手に握られた「孫の手」の爪がカチッという音共に仕舞われた。
静寂を取り戻した虚空が、ブニョブニョと動き始める。
ズルリと皮がめくれるように空間が弾けて崩れていく。
今まで存在した世界が脱皮するように剥ぎ取られて行く。
奇怪な悲鳴が上がる。
ガラスを掻き毟るような破滅的な音である。
悲鳴の音源は、天空で身体を頭から真っ二つにされているフードを被った左目一つの老人であった。
右目が有った形跡は確認できないが、存在していない事は確実であった。
暫し虚空にゆらゆらと揺れながら漂っていたが、急激に重力の影響を受けたように落下し、大地に叩きつけられた。
「何故って、面だな。」
モクモクな背中にスルッと滑り込ませるように「孫の手」を仕舞うと、マ・カロンは呟いた。
「多分…。」
何とか意識を保っているらしい一つ目の口無が裂けた瞳孔をマ・カロンに向けている。
「『神殺し』にオイラ、呪われてんだ。」
その言葉に絶望したように一つ目の口無は破裂して、燃え滓となる。
天に舞うこともなく燃え滓は散り散りと空間に溶け込んでいった。
クルッと踵を返すと、怪しげな空間はすでに消え去っている。
先程なかったところに扉が出現していた。
見えなかっただけで元々そこに存在していたのだろう。
奥の壁に出現した扉に向かいヨタヨタと歩みながら、つくづく厄介ごとが増えるもんだなと呟いていた。