#6-1 こちらの世界
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prologue memory No.1 on after memory
『こちらの世界』
湊 夏比失踪から日を跨いだ次の日。
喫茶店いろは。
先日までの心地良い天気は無く、陽の光を雲が遮り、雨がひたひたと降り続いている。
昨日から暗い顔ばかり見せている3人に、店長の倉橋 誠司は自慢のブレンドコーヒーを淹れて各々の席へ配膳するが、誰も何も言わず俯いたままピクリともしない。
香ばしい珈琲の匂いが漂い、店内の落ち着いた音楽と、外の雨音だけがこだまする静かで重い空気を沈澱させた店内に、鈴の音を鳴らしながら新たな来店者が訪れる。
「お前らぁ! んな暗い顔して、もっと元気出せよ! 今しかない青春のど真ん中だろ?」
陽気な雰囲気で入ってきたのは、連続特殊失踪事件、特別対策課の渡辺と名乗る刑事だ。
渡辺は水が滴る傘を傘立てに差し込むと、少年たちの近くに勢いよく座りこみ、特製ブレンド珈琲を1つ店主に頼む。
店内にはこの5人以外誰もいない。
渡辺は珈琲を注がれていくのを見守りながら、肩の端が濡れているコートと、これまた濡れた鞄を隣の席に乱雑に置き、出てきたティーカップに手を掛ける。
珈琲を飲み干すと咳払いをし、少年達に話しかける。
「沈む気持ちもわかるが、今はお前らを慰めている時間はないんだ。わかるだろ? 湊 夏比を探すには、記憶の新しい当事者のお前達、3人の情報が捜査の鍵なんだ!」
渡辺は一人一人の顔を真剣に見つめるが、話しかけられた当人達は顔を上げる事はなく渡辺と目の合う者はいなかった。
「しつけぇんだよ!」
勢いよく立ち上がった少年は、手をカウンターに叩きつけて大きな音と共に渡辺に対して怒鳴りつける。
顔を伏せたままの少年の肩は少し震えていた。
威嚇する様な少年の声は、隣に座っていた少女の恐怖心を容易に煽る。
少女が少年の声に反応して、肩を小さく跳ね上がらせる際に覗かせた顔は、眠れず毎晩泣いているのだろう、目が赤く充血し、目尻の涙袋は腫れ、涙の跡で頬に赤い線が引かれていた。
「…………」
3人の若者の辛く苦しむ表情は、重く、暗いく、店内の空気を澱ませる。
渡辺は連続特殊失踪事件に関わってから何度も味わっているこの感覚にいまだ慣れない。
残された者達の重圧から逃げる様に珈琲カップを呷るが、中身が既になくなっていることに気付き、店主におかわりと小さくジェスチャーだけで合図する。老店に相応しく綺麗な手捌きで注がれるほろ苦く輝く液体を眺めつつ、渡辺は物思いに耽る。
別にこの子たちのこんな表情を見たくて来たわけじゃない……けれど、いつの間にかいなくなったり、数日間帰ってこないから通報してくる多くの被害者の関係者と違い、この3人はすぐそこで、自分たちのほんの数メートル先にいる人間が姿を消したと言っている。こんなケースは滅多にない。だからこそ、地元警察と揉めてから一切事件に関して証言をしていない当事者らに話を聞かなきゃいけないんだ。なにせ俺はこの湊兄妹失踪事件についての話をまだ何も聞いていないのだから。
注ぎ終わった珈琲に口をつけ、口当たりの良いまろやかな舌触りと香ばしい豆の香りに、ティーカップを置く頃には勇気づけられていた、自分よりも2回り以上も歳の離れた子供達の深く暗い心の穴に飛び込む覚悟で再び、彼ら彼女らに話を振る。
「俺も、早く湊兄妹を探し出してやりたい! それだけじゃねぇ! お前達と同じ、友人や自分の子供や、両親、恋人の帰りを待っている人間がどんどん増えてきてやがる! お前らもネットやテレビなんかでも見たことがあんだろ? 小さい子供や、爺婆、老若男女関係なく、いなくなった人のビラを配る人達を、お前らと同じ様に帰りを待っている人達を! お前らの証言でもしかしたら大勢の人が救われるかもしれないんだ! 警察署での警官の対応が許されない事だったのもわかっている、俺でいいならいくらでも頭を下げる、だから、頼む! 大切な人の帰りを待つ人達にも、俺らにもお前らのほんの些細な情報でも喉から手がでるほど欲しいんだ!」
渡辺は、大人気なく泣きそうになりながら、頭を下げる。
彼がこの特別対策課に配属されてからもう5年が経とうとしているが、未だに事件の緒は掴めず、対策課の設立からこの日本だけで、既に4万件も似た様な不審な失踪事件が全国で発生している。
渡辺は残された友人や家族に話を聞く度に、彼らの様に衰弱し切ってしまった姿を見てきた。この顔を見ると毎回の心のどこかが削れて、擦り切れてしまうみたいで、まるで事件が一向に解決しない俺ら刑事が責められているかの様に感じてしまう。
なんとかしてやりたい、その一心でこの5年間事件の捜査に勤しんできた。
どうかこの気持ちが彼らに伝わって欲しい、その思いで下げた頭はますます深くなっている。
「頭を上げて下さい、渡辺さん。俺らも、夏比や春比ちゃんを見つけたいのは同じっすから」
渡辺の心からの懇願が功を成したのか、1番奥に座っていた芸能人も顔負けの整えられた顔をした金髪の美少年が、透き通る様な音と少し掠れた喉のガラつく矛盾した音の合わさった声を出しながら、口を開く。
「本当か―」
自分の熱意が伝わったのを確信した渡辺はメモ帳を取り出そうとし、コートの内ポッケトに手を忍ばせメモ帳を探り当ていると、最初に怒鳴った少年が金髪の少年に怒声を浴びせながら掴みかかり、テーブルに押し倒した。
「テメェッ! ふざけんじゃねぇぞ、光輝! あんだけ馬鹿にしてきた奴らに今更何を話そうってんだよ! また茶化されて、笑われて終わりだ!」
声を荒げて最大限の威嚇をする少年に対し、金髪の少年は、目には目を歯には歯をと言わんばかりに胸倉を掴み返し、テーブルの上を転がる様に少年達の立ち位置が逆転する。
「だったらどうするんすか! 昨日みたいに闇雲に探し回るのかよ? そんなんじゃ見つからないんだよ! わかってんだろ? 自分達じゃ、俺達……俺達子供の力じゃどうにもならないって、俺らが無力だから! こうやって馬鹿にされても! 聞き流されても! どんだけ相手にされなくっても! 大人に頼るしかないんすよ!」
下敷きにされていた少年は、金髪の少年を突き飛ばし、手を振り上げて、拳を強く握る。
「自分の弱さに甘えてん……」
殴りかかろうとしている少年を止めようと、周りの大人達が動き出すが、間に合わない。
「もう辞めてよ!」
今にも始まってしまいそうな2人の殴り合いを制止したのは、先程まで震えていた少女の一声だった。その声は、少年達だけでは無く、2人を止めにかかろうとしていた大人達の動きをも停止させる。
少年の声を遮り、発せられたこの場の誰よりも大きい声の主に、店内の全員の視線が集まった。
「辞めてよ……どうでもいいよそんなの……頼るとか、頼らないとか、そんなのどうでもいいよ……! 夏比が見つかるなら……夏比が、またいつもみたいに下らないこと言いながら帰ってくるなら……またみんなで笑えるならなんでもいいじゃん! 何で? 何で喧嘩する必要があるの! 夏比を探し出してくれるなら誰でもいいじゃん……!」
少女は俯いたまま一通り自分の気持ちを嗚咽まじりに訴えると、下を向いた頭を更に下げ、手で覆い隠してしまう。
「……悪かったっす。奈央っちも怖かったっすよね? 旭も、ここで俺らが揉めてても仕方ないのはわかるはず……もう1度だけ話してみましょう。それで駄目な様なら旭の言う当り、俺らでなんとかするしかなくなる」
顔を上げた少女の顔は泣き疲れ、目元が真っ赤になっていた。その姿を見た少年は頭が冷えたのか、金髪の少年の提案を承諾し、投げ遣りに向かいの席に座り込む。
3人はお互いの顔を見合わせる。
3人は弱々しく、だが真の籠もった力強い目で目の前の刑事を見据える。
渡辺の前には先程まで友人を失い、絶望に打ち拉がれそうになっていた子供の姿はなく、自らの手で、自らの友を救い出さんとする大人がいた。
□■□■
湊 夏比失踪直後。
「はぁ……はぁ……」
「…………なん…………だと…………?」
「どう……なってんすか……!」
つい先程まで目の前にいた友人が、自分達より少し先に入って行った曲がり角。後ほんの数歩で追いつくまでに近づいていた。大人が1人入れる位の路地裏への道。目を彼から離したのはほんの数秒間だけだ。その限りなく少ない時間の間に、影も形も跡形もなく消えてしまった。
「ったく、何やってんだよ。どんな手の込んだマジックかしらねぇけど……ドッキリは今週4回目か? もう今週は飽きてんだよ……どっかに隠れんだろ? 出てこいよ!」
………………。
周りには家と家の壁しか存在しない。小さな行き止まりに向かって話しかける旭の問いかけに、誰も返事する者はいない。
本来居るはずの、居て欲しい人物のいない空間と、今も強くなる言いようのない不安や焦りが、3人の脳を混乱させ、誰も返事をしない無音の状況が更に不安感を煽り立てる。
「ははっ……。また夏比の悪いイタズラに決まってるじゃないっすか、みんな顔が怖いっすよ。とりあえず先にお店に行ってるかも……夏比の携帯に電話してみましょ!」
光輝は言葉が言い終わるよりも先に携帯電話を取り出して、夏比の携帯端末を呼び出す。
ワンコール。
ツーコール。
スリーコールを過ぎた時、旭の後ろから聴き慣れた着信音が鳴り響く。
今ここにいない友人の顔を一目見て、早く安心したいその一心で、音の鳴る方へ振り返る。
「は?」
誰が発したかわからないその声の先、着信音は倉橋が抱えている鞄から発せられていた。
「これ……私がさっき夏比から受け取った鞄……」
倉橋は、自分の物ではない鞄の中から、音の発信源である携帯端末を震える手で探り、取り出す。
遮る物がなくなった端末機の音は次第に大きくなり、陽気なメロディーが3人の耳に強く反響する。
「わ、私! 先にウチのお店に行ってるかもしれないから、電話してみる……!」
「じゃあ……じゃあ、じゃあああ……!」
夏比の携帯端末を鞄に戻し、自分の携帯端末を弄る倉橋を見て、何かしなきゃと焦る光輝を眺めていた旭は、「俺は夏比の家にかける」と言い、自分の携帯端末を取り出す。
旭が携帯端末に耳を当てていると、倉橋が通話を終えて少ない動きで携帯端末を操作すると鞄にしまう。端末をしまい終えた倉橋の表情は暗く、首を横にする彼女の姿は言葉にしなくても結果は十分に2人に伝わった。
「何……?」
旭は一言その言葉を発し、端末機を耳に当てたまま動きを止める。
「ど、どうしたんすか……?」
不安のあまり顔がひきつり、声が震える光輝の問いかけに、応える様に旭は耳から端末を離し、スピーカーの音量バーを最大に上げる。
『―ノ、電話番号ハ、ゲンザイ、使ワレテ折リマセン』
旭の端末機から流れる冷たい機械音がその場にこだまする。
「使われてないってどういうことっすか! 俺、昨日夏比の家に電話したんすよ! そん時はまだ普通に…‥! ってか、何で昨日今日で電話の番号変えるんすか!」
「知るかよ!」
訳が分からずに混乱する光輝に、旭は我慢の限界を超え怒鳴りつける。
「俺だって聞きてぇんだよ! とりあえずアイツん家に行くしかねぇだろ!」
□■□■
湊 夏比自宅付近。
3人は事実を確認するべく普段よりも、数段も早く脚を進めた。
ある者は混乱した頭を落ち着かせるため。
ある者は不安の感情を振り払うため。
ある者は自分の中にある最悪のビジョンを回避するために、夏比の自宅の前に立っていた。
正確には湊家の存在していたはずの場所に。
辿り着いた場所には3人の求めていたモノは存在しなかった。
道を間違えた訳わけでもない。間違えるはずがないのだ。あんなに迎えに行ったのに。テスト期間になると勉強会と称してあの家に押し寄せた。散々通った友人の家までの道を間違い様がない。その証拠に両隣の家には見慣れたお隣さんの家が立ち並んでいる。お隣さんが本当に隣同士に建っている以外は、普段の見慣れた風景だ。
「何で……何で、夏比の家がなくなってんすか!」
横から聞こえる光輝の声が左から右へと流れて行く。
肩にかけた鞄が、だらしなく崩れ落ちる。
湊家が解体された訳ではなく、家が存在していた場所自体の空間だけ取り除いた様に消え、その空間を埋める様に左右の家が隣接している。この場合、光輝の言う通りの、“なくなった”のではなく、“もとから存在しなかった”という表現の方が正しいだろう。家1軒が昨日今日で解体できる訳がない。
何も解決の手がかりを掴めず、混乱する様な奇妙な出事ばかりに、状況の理解すら許されず、その場で立ち尽くすことしかできないでいた3人の中、倉橋が湊家の家があった場所とは別の方向へ歩き始める。
「ちょちょ、どこ行くんすか? 奈央っち!」
慌てた様子で問いかける光輝に、倉橋は振り返りながら優しく答える。
「警察署だよ。確かニュースでこういう変わった行方不明を調べてくれる部署があるって言ってたから、そこに行ったら、もしかしたら夏比を探してくれるかもしれない」
「それって、今話題の連続特殊失踪事件ってヤツ……夏比もその被害者になったってことなんすか?」
「わからない……でもニュースでも偶に被害者の失踪時に不可解ことがあるって言ってるし……もしかしたらね……私にできることなんてもう、これしか思いつかないもん」
寂しそうに、だが優しく諭す様にいう倉橋の声は、震えていた。
「確かに……俺らの勘違いかなんかだとしても、1回警察に相談するのはいいかもしれないっすね」
俯き、思い詰める様に歩く倉橋の後を、旭と追いかける様に歩きながら、今は背を向けている友人の悲しげな顔を思い出し、光輝は自らの無力さを思い知らされると同時に、冷静さを取り戻しつつあった。
イタズラでこんなことしたんなら1発殴るっすからね、夏比……だから、早く出てきて顔にドデカいグーパンさせてください……。
□■□■
俺は何をやってるんだ。
2人は、自分らのできる精一杯のことをしているのに、俺はどうだ? 唯悪戯に困惑して、呆然と立ち尽くすしか無かった。
何もできない。
いなくなった大切な友人1人見つけてやれない。普段いばり散らしているのに、どんだけ役立たずな人間なんだ俺は……!
役に立たたない。何もできない。役に立たたない。何もできない。役に立たない。何もできない。何1つしてやれない。
頭の中で誰かが俺を責め立てている内に、何度通ったか分からない、だが懐かしい警察署にたどり着いていた。