第89話 真剣と書いて、“マジ”と読む
正門の封鎖が終わったので、私たちは学校の敷地内を一回りする作業に戻った。
結論から言えば、後の作業は呆気ないほど順調に進んだ。進んでいる間にゾンビと出会うことはほぼ無く、スムーズに一周回ることができた。
その過程で、学校を囲う塀はすべてチェックして、ゾンビが入れそうな隙間がないことを確認した。
正門と裏門以外にも出入り口はあったが、そちらは普通に施錠して封鎖済みだ。
なので今現在の学校は、ゾンビは侵入できない状態になったということだ。
もっとも、それはあくまで普通のゾンビについての話で、さっき出てきた塀を登る特殊なゾンビに関しては、その限りではない。
この特殊ゾンビに関しては、今の段階ではちょっとどうしようもないので、対策は後回しだ。
特殊ゾンビといえば、アイツの叫びによってゾンビが集まって来たわけだけど……どうもそれによって、外をうろついていたゾンビはほとんど私たちのところに集まって来ていたようだ。
校内をうろついているヤツがほとんど残っていないのは、それが原因なんだと思う。
あと残っているのは、校舎などの屋内にいるゾンビくらいだね。屋外のやつはほぼ居ない。
考えようによっては、アイツの叫びのおかげでゾンビを集めて一掃できたと言えなくもないが……まあ、そうでも思わないとやってられないというかね。別に、アイツに感謝するつもりはもちろん微塵もない。
というわけで、校内を壁沿いにぐるっと回って、私たちはまた体育館のところまで戻ってきた。しかし、体育館には入らずにこのまま校内探索を続行する。
塀を確認して、新たなゾンビの侵入がないことは確認できたので、次はいよいよ校内に残ったゾンビの掃討を開始する。
そして、すべてのゾンビを片付け終わった後で生存者を回収していく、という段取りだ。
後はもう手近なゾンビからしらみ潰しに退治していくことにして、私たちはゾンビの赤点に向けて再び出発した。
そうしてまず最初に向かった先は、それなりの大きさの建物だ。
そこはライトの輝きによって暗闇の中ではとても目立っており、案の定、数体のゾンビがその光に虫のように引き寄せられて群がっていた。
この建物は、なんの建物だろうか。校舎ではないがそこそこの大きさだ。マップによると、内部は主に大きな一つの空間で形成されているようだ。
造り的には体育館のような感じだが、大きさはそんなに大きくない。
内部には生存者がそれなりの数いるようで、マップには白い点がいくつか表示されていた。
というわけなので、とりあえずこの建物に群がっているゾンビたちは倒した方が良かろうと思い、向かう先をここに決めた次第だ。
それにどうも、屋外に出ているゾンビはもうここの光に群がっている連中以外は居ないような感じなので、ここの連中を倒せば後は校舎内などの屋内に行くのみ、と出来そうなので。
さて、このライトについては注意した方がいいかもしれないけど、どうせもう校内をうろついているゾンビはほとんどいないわけだし、大丈夫かなぁ。
ま、とりあえずはこのゾンビたちを排除するとするか。
私は刀を鞘から抜刀して、それからマナハスの方を向いて声をかける。
「アイツらは私がやるよ」
「了解。手伝いはいるか?」
「いらないと思う」
「分かった。気をつけてね」
私はマナハスのその言葉に頷くと、ゾンビ達の方に歩み出す。
すると、それまではライトに反応していたゾンビがこちらに気が付いて、唸り声を上げて襲いかかって来た。
せいっ、はっ、てやっ、そいっ、あらよっ!
しかし、瞬く間に私にやられてしまった。
ふぅ、一刀一殺ってところですな。この程度の数なら、全然問題なし。
さて、それじゃ倒したゾンビを回収して……と。
マナハスと二人で手分けしてゾンビの死体を回収する。それが終わって、さあ次に行こうと思ったところで、建物の中から人の声が聞こえた。
「……誰か、そこにいるのか?」
どうやらゾンビとの戦闘音を聞きつけた中の人が、私たちの存在に気がついたようだ。
できれば中の人とは接触せずに、そのまま先に向かいたいと思っていたのだけど……話しかけられてしまっては無視するのもアレなので、返事をすることになる。
「……はい、いますよ」
「……! もしかして、救助に来てくれた人なのだろうか?」
「あー、そうですね。まあ、そんな感じです」
「救助……まさか今日中に来るとは。……すまないが、受け入れの準備をするので少し待っていただきたいのだが」
「あ、はい。構いませんよ」
「……かたじけない。では、しばしお時間頂戴する。入り口の所で待っておいてほしい」
「分かりました」
そう言ってから、会話の相手はどこぞへ移動したようだと気配で分かった。
それから建物の中はにわかに騒がしくなった。何人もが集まって話しているようだ。
私たちはその間に、言われた通りに入り口の前に移動した。
なんか話の流れで中入ることになっちゃったけど……まあ、仕方ないか。
待ち時間発生しちゃったけど、ちょっとやっておきたいこともあったし。まあいいや、今やっとこ。
それからしばらくして、なにやらにわかに建物の内部が騒がしくなったと思ったら、入り口の扉越しに、先程と同じ声の主が話しかけてきた。
「お待たせして申し訳ない。ではこれから、すぐに扉を開けたいところなのだが、今、開けても大丈夫だろうか?」
「……はい。大丈夫ですよ。ここには救助に来た私たちしかいませんので。安全です」
「……分かった。では今から扉を開ける」
そう言って扉が開けられていく。
その直前に私はゴーグルを外すことを思い出して、慌てて外しておく。隣のマナハスも急いで私に倣ってゴーグルを外していた。
開かれた扉の先、まず初めに目に入って来たのは、入口の前に立ちこちらを警戒したように身構えている女子生徒の姿だった。
彼女は袴のような服を着ており、手には長柄の棒のようなものを持っている。
そして、その棒の切っ先はこちらに向けられていた。
「構えたままで失礼する。念のための用心につき、お許し願いたい」
そう言う彼女の目は、片時も揺らぐことなくこちらを見据えていた。
その全体を俯瞰するような視線がしかし、ある一点に一瞬、収束する。
その視線の先は、私の左の腰の辺り——ってそれは刀のことじゃないか、外すの忘れてたじゃん。
いやー、ゴーグルに気を取られてすっかり存在を失念していた。
しかし彼女は私の刀について言及することはなく、そのまましばしの間私たちを観察した後、不意に構えを解いて後ろに下がってゆく。
おそらくは進んでいいとのことだろうので、私たちは建物の中に入り込む。——ちなみに土足だ。靴は脱がずにそのまま上がる。
すると、すぐさま駆け寄って来た二人の男子が扉を閉めて鍵を掛けた。そしてそれが済んだら、これまたすぐに離れていった。
結局、私たちに対峙しているのは件の袴の彼女だけだ。他のみんなはその後ろに集まって、遠巻きに私たちに視線を向けてくるのみだった。
私たちが建物内に入ったところで、改めて袴女子さんは口を開いた。
「二人だけ……? それも私と同年代の、女子……?」
その視線と声音には、ありありと困惑の色が見受けられる。
「まさかとは思うが、君たち二人だけなのか?」
「はい、そのまさかですね」
私の返答にその場の一同がざわめく。
まあ、救助が来たと思ったらそれが同年代の女子二人ってんじゃ、そりゃ驚くでしょうよ。
ただ、その点について色々と説明するのも難しいし面倒だし、なんとかサッサと事を進ませたいところなんですがね。
とりあえず、向こうから質問とかされる前に、こちらから言いたいこと言っておくとするかな。
「色々と、聞きたいことがあるのだが……」
「ええ、分かっています。でもまずは、私の話を聞いていただけますか」
袴女子さんにそう言われたが、私はそれには取り合わずに、まずこちらの話を先にしてしまう。
「私たちは、現在は体育館にいる常盤生徒会長の要請で救助として派遣されて来ました。今、体育館は常盤会長の元、避難してきた人たちが身を寄せ合っています。体育館の中は安全が確保されているので、私たちはまだ校内に残っている人たちを体育館にお連れしようと思って行動しています。まあ、そうは言っても別に強制ではありませんので、避難されるかどうかは各自の判断にお任せします。ですが、避難されるということでしたら、道中の安全は私たちが確保しますので、その点は安心してください」
と、私たち二人がそんなことを言ったところで、まるで信用できないかもしれないけれど。どうみてもただの女子二人だからね。
いやまあ、片方は腰に物騒なのぶら下げてはいるし、もう片方は意味不明な棒持ってはいるけどさ。
案の定、周囲の皆の反応は微妙だった。いきなりこんなこと言われても……困惑って感じ。
そんな中、私に対して話しかけてきたのは、やはり袴女子さんだった。
「質問、いいだろうか」
「どうぞ」
「こちらとしても、避難すること自体には賛成だ。どの道、ここに居るままではどうしようもない。我々も体育館に人が集まっているということは知っていた。ただ、どうも中には誰も入れていないらしい、という話だったと思うが……」
「ええ、そうだったみたいですね。ですが今はもう受け入れるようにしていますので、大丈夫ですよ」
「そうか……それなら問題は、体育館に行くまで、ということになる。今はたったそれだけの道のりでも危険だ。そう、例の“奴ら”の存在が……」
「……ええ、そうですね」
「お二人は、あの者らについてどこまで把握している? 連中に対峙したことは?」
「あります。……少なくとも、連中に後れを取ることはないと自負しているくらいには、連中について把握していますよ」
「……直に戦った経験が?」
「はい、あります」
「得物は、その腰の刀か?」
「……そうですね」
「……真剣、なのか?」
「ええ、そうです」
真剣もんですから、これ。
それを聞いた袴女子さんは、軽く眉を上げて目を見張るような反応を見せた。ただ、それは反応としては小さい方だ。
なんせ後ろの方たちなどは、分かりやすく慄いていらっしゃったりするからにして。
「……では、連中を殺したわけか。その手で」
「……まあ、二度と動かないように頭部を破壊することを“殺す”というのなら、そうですね」
……さて、これに対してどういう反応をしてくるかな。
場合によっては、むしろ私の存在こそを危険と見做す可能性もある。
真剣持って平気で人型の徘徊者を害することが出来る思考回路の持ち主。その切っ先が自分の方を向く可能性は高い、そう考えても全然おかしくはない。
袴姿の彼女は、しばらくの間沈黙して何かを考えているようだった。その真剣な様子に、周りの子たちも自然と喧騒を収めて彼女に意識を向ける。
その様子を見るに、どうやらこの集団のトップは彼女と見て間違いないようだ。
ならば、この袴女子さんのことさえ説得してしまえば他の皆さんもおそらく従うであろう。そうは思うが、それこそが一番難しそうな予感がする。
なんせ彼女、とても意志の強そうな雰囲気していらっしゃるので……。