第86話 素晴らしき黄金体験
私とマナハスは、魔法の絨毯による飛行のお陰で無事にゾンビの海から脱出することに成功して、学校の外の建物の屋上にたどり着くことができた。
私は、奇跡のフライトを達成させたマナハスに労いの言葉をかけるため、着地と同時に緊張から解き放たれたように屋上の上に寝転がったマナハスのそばに座ると、彼女に語りかけた。
「上手くいったね、マナハス。どうだった? 人類初かもしれない魔法による飛行を達成した心境は」
「…………いや、疲れたわ」
「あっ、それは……お疲れ様です」
マナハスの様子を見てみれば、実際、かなりの疲労感を見てとれる。
マジか、そんなに疲れる感じだったの……? なんかちょっと、私一人だけハシャいじゃってたの申し訳なくなってくるね……
——ほんとよね。いやマジで。真奈羽との温度差ヤバいじゃん。
「えっと、そんなに疲れたの……?」
「ああ……正直、ギリギリだったな。あと少し距離あったら、多分、もたなかった……」
「もたないって……? スタミナは回復してたけど……」
「いや、なんだろうな、私の……集中力、かな。スタミナがあれば確かに浮遊は続けられるんだろうけど、それを操作する私の集中力というか、精神力みたいなのは無限じゃないから……限度があるみたい。特に、空飛ぶのは落ちないように操作にもかなり神経使うから……」
「そうだったんだ……。マナハス、必死になって飛んでくれてたんだね、ありがとう……」
「まあ、そうしないと死にそうだったからな……私らが助かるためにはやるしかなかったし。……いつか、アンタには後ろに背負ってもらったでしょ。だから今度は私が背負って運ぶ番、みたいな……」
「マナハス……っ!」
駅の地下から脱出した時のことか。確かに、あの時は私がマナハスを背負っていたっけ。つい昨日のことなのに、なんだかかなり昔のことのように感じる。
「えっと、マナハス……それじゃ、今はかなり消耗してるの? 大丈夫……?」
「ああ、いや、大丈夫だよ、少し休めば。なんていうか、連続して飛ぶのが物理的に——いや、能力的に? 限界ギリギリまでいったってだけだから。精神的に疲れはしたけど、ちゃんと休憩したらすぐ回復する感じのやつだから」
「そう……それならよかった。マナハスがすごく消耗しているとかだったら、どうしようかと思った……」
「まあ、まだ何も終わっちゃいないしな……。このゾンビ達も始末しなきゃだし、校内も回らなきゃなんだし」
「そうだけど……マナハスがもしも身を削るようにして飛行してたんだとしたら……後ろで呑気にはしゃいでた私、申し訳ないなって」
「はしゃいでたのかよオマエ……つーかよくはしゃげるな。こんだけゾンビが下にいる状況でよー」
「いや、そんな状況だからこそだよ。落ちたら死ぬかもってスリルと、連中の届かない空を優雅に進んでいる優越感みたいなのが合わさって、一種の『黄金の体験』だったから」
「はぁ……アンタってヤツは、ある意味スゲーよ。私は飛ぶのに必死で他のことする余裕なんて無かったけど、仮に余裕があっても下を見て楽しめるとは思えないわー。……むしろ見れなくてよかったかも。見てたら緊張して操作ミスったかもだし」
「まあ私は、マナハスならやってくれるって信じてたからね。その点は心配なんてなかったから」
「……っ、かー、調子いいこと言いやがって」
「それに、万一落ちたとしても、マナハスと一緒なら……それもいいかなーって」
「なんでだよっ。ぜんぜん良くねーって!」
「壮絶なクライマックスシーンになるよ」
「バッドエンドじゃねーか、それ」
まー私も、壮大でなくてもバッドエンドよりはハッピーエンドの方が好きだけどね。
まあなんにせよ、私はマナハスと一緒なら、それが全部トゥルーエンドよ。
「それで、お疲れのところ申し訳ないんだけど……回復したら、このゾンビ達を始末してもらいたいんだけどね」
そう言いながら、私は眼下のゾンビどもを見る。
連中は建物の前に集まって私たちの方を見上げて、唸り声を上げながら手を振り回している。
今のところは連中に引く気配は無い。だが、この屋上なら連中に見つからずに隠れられるし、しばらくそうしていれば連中の捕捉も外れてその内どっか行くかもしれない。
ただ、せっかく連中が一箇所に大量に集まったから、出来ればここで倒しちゃいたいんだけど。
「まあ、キツいようだったら無理しないでね。その時は別に、休憩を兼ねて奴らがどっか行くまで隠れててもいいし。そこはマナハス次第だから」
「……アンタはどうなの?」
「私? いや私は別に何もしないから……倒すとしても、やっぱマナハスにやってもらうことになるんで。拙者の刀は役に立たぬからにして……」
「そこは別に私がやるんでいいけどさ。いや、普通にアンタも疲れてるでしょ? さっきもゾンビの大群と戦ってたし、不気味なゾンビとも戦ったし、トラとの戦いでも一番動き回ってたんだから」
「まあ、それは、そうかもだけど……」
「なんやかんや言って、消耗と言うなら私はアンタが一番疲れてるんじゃないかと思うんだけど。戦いだけじゃなく作戦とかだって考えてるし、交渉事にも率先して前に出てるし……まあ、一応は。——だから、アンタだって疲れてるはずでしょ? 大丈夫なの? 本当はアンタも休みたいんじゃないの? 無理、してないの……?」
「……まあ、そうだね。少し休もうか」
実際のところ、確かに疲れているし、本音を言うなら今すぐ休みたい。それはマナハスの言う通りだ。
……でも私って、気になることは寝る前に終わらせてしまわないと、ぐっすり眠れない質なんだよね。
だから、少なくとも学校の敷地内のゾンビを始末してしまわないことには、安心して寝ることは出来ないだろう。
それに、どっちみち今のままでは私が寝れる場所がないし。私は体育館で雑魚寝とかするつもりないので。意地でもベッドで寝る。
そのためには、校舎内も含めてゾンビを片付けないと。
だけど確かに休憩も必要だろう。実際、スーパーを出てからほとんどノンストップで動きっぱなしだ。
実のところ、身体的疲労についてはそこまででもないのだが——ステータスのおかげであろうか——だとしても精神的な疲労もあるし、ちゃんとした判断力を保つ為にも休息は必要だ。
それにちょっとお腹も空いてきた。だってスーパーで適当に食事取ってから何も食べてないんだもん。喉も乾いた。
よし、それならここで一つブレイクタイムといくか。出来ることならそりゃ、迅速にノンストップでゾンビを始末していった方が早く終わるし生存者的にも助かるんだろうけど……焦って失敗したら元も子もないしね。
自分達の安全が最優先。それで間に合わなかったら、そりゃしゃーない。それは別に私のせいじゃない。
つーか私はどちらかと言うとゾンビを殲滅したいのであって、生存者を助けたいわけじゃないしね、そもそも。
自分が安全かつ快適に夜を越すためにゾンビを始末するつもりで、生存者はそのついでだ。
まあ、助けられる分は助けるけど、積極的に動くつもりは特に無い。別に知り合いも居ないし。
だから今は、休もう。
そうだ、せっかくマナハスと二人きりでゆっくり出来るんだから、思う存分くつろごうじゃないの。
二人きりで休める状態ってこれも初だからね。再会してから。ずっとなんかしてたからさ……じゃないとまず死にそうな状況だったから。
なんて思ってたら、マナハスも似たようなことを思ったのか、ぼやくように私に語りかけてきた。
「思えば、スーパー出てからこっち、ずっと何かしら動きっぱなしだったよな……。つーか、昨日——今日と落ち着くヒマが無いよな。藤川さんの家にいた時くらいか、それこそ」
「だね……。だからこそ、藤川さんには感謝してるよ。藤川さんのお母さんも無事でよかったよ、ホントに」
「いま思えば、マジでありがたかったなー。大体、まともな食事もあそこでご馳走してもらったやつくらいだろ、マジで。他ぜんぶ適当に買ったヤツ食ってるだけじゃん……」
「……それなんだけど、今もちょっとなんか食べない? 実際、昼にスーパーで食べたきりじゃん。その適当な食事で」
「だな……。ただマジで、空腹感はあまり感じないんだよね……まあ、今も下からアイツらの唸り声とか聞こえてるから、むべなるかな、って感じなんだけど……」
「——むべなる、ね。なら逆に、ゾンビを見ながら食べたらどうだろう? 上から見下ろしてさ。届かないのに必死に手を伸ばすゾンビを見ながらのブレイクタイムってのも、なかなか優雅なんじゃない? それもなんか、むべなるかなって感じじゃない?」
「どんな趣味だよソレ……つーかオマエ、むべなるかなの意味分かってないだろ。なにがもっともなんだよ」
「ああ、むべなる……ってそーいう意味なのね。いや、それなら合ってるじゃん。ゾンビを見下して食べる食事が優雅なのはもっともでしょ」
「どこがだよ」
私はアイテム欄を操作して、食べ物と飲み物を適当に取り出した。
休憩は大事、板東は英二とは楽しいマンも言っていたことだ。
さて、では、適当に色々飲み食いしながら、これまでの緊張を一旦ほぐして、マナハスと楽しくおしゃべりと洒落込みますか。