第85話 キャプテン・マナハス
私はガチでヤバいと思ったところをマナハスに救われて、ギリギリのところで無事に屋根の上にたどり着くことが出来た。
その興奮は、私の心臓をいまだにバクバクと激しく拍動させていた。
私は同様に興奮で荒くなった息をはあはあさせながら、目の前の救いの聖女に話しかける。
「マナハス……」
「まったくアンタってば、ほんとヒヤヒヤさせるんだから。……つーかやべーな、これからどーするよ、マジで」
「まずは……抱き合ってキスでしょうね」
「……は? 何言ってんの? おま、状況分かってる?」
「いや、これほど劇的に命を救われた今の状況だからこそ、ここからキスシーンが始まるところじゃん。映画とかならさ」
「とりあえずオマエは落ち着け、な? ほら、下にゾンビめっちゃいるから。ぜんぜん諦めずに私ら狙ってるから」
「はあ、まったく、邪魔してくれちゃって……」
「いやこれ、マジでどーすんよ? この数はヤバいだろ……」
「……まるで陸の孤島みたいだね」
眼下に広がる光景は、まさしく“ゾンビの海”といった有様だった。
おそらくは学校内だけでなく学外周辺からも集まったのであろうゾンビの大群は、最初に私たちが殲滅しようとしていた正門付近に集まっていた大群よりもはるかに多そうだ。
そして現在の私達は、すでに連中に捕捉されている。今からどうにか連中の目から隠れようとしてみたところで、おそらく無駄だと思われる。
そもそも隠れられる場所など無いから、隠れようとしても屋根の上に伏せるくらいしか方法は無いし、そんな事ではもはや誤魔化されはしないだろう。
それに、時間をかけるような方法はそもそも悪手だ。
幸いにして、集まった連中の中にさっきの特殊なゾンビと同じようなヤツはいないようで、今のところ屋根に登ってくるような個体はいない。
だが、これだけの大群が一気に押し寄せたら、そう大層な作りをしているとは言いがたい我々が立っているこの駐輪場の簡易な屋根程度は、破壊されてしまうのは時間の問題の気がする。
現に、だいぶギシギシいって揺れてるし。……そういや、例の特殊なゾンビが暴れて傷をつけたりもしていたね。
と、これだけの要素が揃ったならば、もはや次の方針は決まった。この屋根の上から速やかに移動する、である。ただ問題は、“どうやって?”というわけだが。
駐輪場の近くに建物的なものは無い。屋根から飛び移れそうなものは何もなかった。
建物はかなり距離があり、どうやっても下の地面を通らずには行けない。そして地面は今、ゾンビで埋まっている。
唯一、可能性があるのは、学校の外壁の塀だろうか。駐輪場は正門の側にあり、つまりは学校を囲う塀のそばでもある。
その塀までなら、スタミナ強化のジャンプでギリギリ届くかも……という近さである。
ただコレ、かなりギリギリだし、マナハスを抱えて跳んで成功するかどうかは……さっきも失敗しかけたわけだし。
つーか、マナハス抱えて跳んだの、今んとこほとんど失敗ばっかじゃね……?
今度こそ落ちたら無事では済まない。私はもちろん、マナハスだって……それは許されないぞ。
ではどうするか。少し前までの私なら途方に暮れていただろう。だが今の私なら、魔法の“新たな可能性”を見つけた私達なら……方法はある。
私の視線の先には……屋根の上に置きっぱなしになっている二人分のコート——もとい、魔法の絨毯。
——やるの……?
やるしかないでしょ。本日二度目の夜間飛行と洒落込みましょうよ。
では、さっそくフライト長に話を通しますかね。
私はフライト長、もとい浮遊の奇跡を使える聖女マナハスに進言する。
「アイアイ、キャプテン。これはもう空飛んで逃げるしかないと思いますヤン」
「ここに来て謎のキャラを突然出してくるな。……んで何? 空飛ぶって、またコート使ってか? マジでそれで行くの……?」
「マナハスは、他になんか案ある?」
「いや……正直、何も浮かばないけど……」
「ならもう、それしかなくない? またマナハスに頼ることになるけど……」
「まあ、確かに、もうそれしかないか……。ああ、分かった……やるか」
「うん! そうと決まれば、すぐに実行しよう。正直、悠長にやってる時間は無いと思うし」
「そうだな……ここも長くはもたないな」
それから私たちは、迅速に飛行準備を開始した。
まあ準備と言っても、特になにかやることがあるわけではないけれど。コートさえあれば他には何も。
ただ、今回はマナハスの進言から、一つのコートに二人で乗って行くことになった。
マナハス曰く——二つよりも一つの方が操作がやりやすいと思う、ということだったので。
一つのコートに二人で乗るのはさすがに狭い。正直かなり厳しいが、私がマナハスにしがみつくようにすることで、なんとかギリギリ収まることが出来た。
あと、気になるのはスタミナの問題だ。飛べるのはスタミナが保つ間のみで、飛行距離も浮遊時間もそれに縛られる。
スタミナが尽きるまでに進めそうな距離で、たどり着けそうなほど近くには、やはり建物がない。
塀を越えるのは可能だろうが、そこで降りたところで、どうせすぐにゾンビに囲まれるだけだろう。そこからダッシュで逃げるにしても、私一人ならともかくマナハスも連れてだと難しいと思う。
だから、やっぱりどこかの建物の上にでもそのまま避難したい。
だとしたら方法は一つだ。回復アイテムだ。私が適宜回復アイテムを使用していけば、マナハスは飛行の制御に集中できるだろう。回復しながらなら、原理的には実質いくらでも飛べるはずだ。
それでもなるべく近くがいいだろう。そうなると、学校内の建物に向かうよりも外にある建物の方が近そうだ。
正門前の道路を挟んで向こう側にある建物は、距離的には校舎とかの敷地内の建物より近い。
というわけで目的地も決まり、懸念事項も解決した。
そうと決まれば迅速に出航である。ヨーソロー!
私とマナハスは、広げたコートの上に乗る。
私はコートの上にあぐらをかいて座るマナハスに後ろから抱きつくようにして、コートの袖を操縦桿のように握っていた。別にここを握っておく必要はないが、まあ、この方がなんかそれっぽいので。
いつでも使えるように、スタミナ回復アイテムもすでに準備は完了だ。
私は、抱きついているので至近距離にあるマナハスの耳に、後ろから囁くように話しかける。
「それじゃ……マナハス。お願いね」
「分かった……回復は任せたぞ。しっかり掴まってろよ!」
「そりゃもちろん! しがみ付いて離れないよ!」
「……んじゃ行くぞ!」
その声と同時に、フワリ、とコートが浮き上がった。当然、上に乗っている私たちもだ。
そのまま少しずつ、学校の外に向けて宙を進んでいく。
その速度は歩きと同じくらいで決して速いとは言えないが、二本の足では決して出来ない空中遊泳をしていると思えば、速度が遅いことなどまるで気になるものではない。
さて、これが映画とかなら、私たちが離陸した途端に駐輪場の屋根は崩れだすんだろうけど、まあそんなことはなかった。
代わりに、と言ってはなんだが、空中をフラフラ飛んでいく私たちに気がついたゾンビ達が、私たちの後を追って大群でついて来ているのだった。
地面を埋め尽くす大群が、私たちの下でひしめき合っている。皆がこちら向けて手を伸ばし、唸り声を上げる。
だが、ヤツらに届かない高さを余裕をもって進んでいる私たちには、当然、届くことはない。
地上を這い回るしかないゾンビには絶対に手が届かないところに、今、私たちはいるのだ。
ふっ、フッ、フハハハハハハハ!! 見たかゾンビ共め! これが聖女の奇跡よ! これが我らの秘策よ!
ああ、なんて楽しいんでしょう! ゾンビの大群に襲われながらも、奴らがギリギリ手の届かない安全圏の空中を優雅に進んでいく、この、スリルと優越感のコントラストよ!
高いところから見下ろした時、人とは理由がなくとも優越感を抱くものだが、今の私は優越感を抱くに足る十分な理由がある。
子供の頃にやった高鬼を思い出す。鬼に追われてギリギリのところで高いところに登って、はいギリギリセーフ! 助かった〜! というあの感覚よ。
そう、もし今、下に落ちようものなら、鬼さんに寄ってたかられ、なす術もなく蹂躙されてしまうというリアルな危機感があるからこそ、相対的にこの安全圏の優越性が際立つというものだ。
やーいやーい、届かなくて悔しいか? ゾンビ共! てめーらはそうやって一生地べたを這いずってな!
——あのさ、アトラクションじゃないんだから、少しは危機感持ったら? てか、もうそろそろ真奈羽のスタミナ切れるわよ。
おっと、忘れずに回復アイテムを使用、っと。
そのついでにマナハスの様子を見てみる。——が、どうやら飛ぶことにかなり集中している様子。
これは、そっとしておいた方が良さそうね。残念、こんな楽しい状況だから、是非ともおしゃべりしたかったんだけど。
——まったく……今の状態で落ちたら二人ともほぼ確実に助からないんだから、もっと緊張感とか、ないわけ?
まあ、そりゃ分かってるけどさ。それでビビっててもしょうがないでしょ。どうせ私の内心がどうであれ、結果に影響はしないんだから。
それなら楽しんだ方が得でしょ。なかなかこんな経験できないんだから。
それに私はマナハスを信じてるから。落ちずにちゃんと飛べるって信じてる。
まあ、なんかまた不測の事態が起きて——鳥ゾンビが来たり例の特殊ゾンビが来たり——それで下に落ちた時のことだって考えてるし。
——どーすんの? この大群に飲み込まれたら終わりだと思うけど、なんかいい方法でも思いついた?
いや? 普通に力の限り暴れるだけだけど。
——いやダメじゃん。そんなんでどうにかなるとは思えないけど。
いやいや、なりふり構わなければ意外となんとかなるかもよ。スタミナパワー使えば人間くらいは簡単に投げ飛ばせるし、被弾覚悟で暴れればかなりいけると思う。HPもあるから簡単にはやられないだろうしね。
今まではなんとか一度も噛まれないようにやってきたけど、HPバリアも解毒剤も治療アイテムもあるんだから、怪我すら覚悟してしまえば泥試合でもなんでもやりようはあると思う。
とはいえ、一番いいのは被弾ゼロで倒すことだから、今までは色々と工夫してきたわけだけど。
案外、スタンとか使うのが有効かもしれないね。下手に部位を切り落とすと、むしろ余計に大変になるからね。
しかしまあ、それについても、どちらかと言えば私よりマナハスの方が本気出したら強そうだけどね。
MPとか気にせずに魔法ぶっ放したら、この大群だって殲滅できると思うし。
どっちにしろ、こうなってしまった以上はこの大群はすべて倒さねばならないだろう。今はそのために移動しているとも言える。
だけど、このスピードでゾンビを引き連れて移動している間は、連中を引き離すことなどできない。なので、目的地はちゃんとした建物の上しかない。
そこについたら、後はいくらでもやりようはある。マナハスの魔法なら。
私は……隣で応援しますよ。だってしょうがない。届かないんだもの。
実際のところ、駐輪場の屋根から付近の建物までは大した距離では無かったが、ゆっくりとした飛行速度ではそれなりの時間がかかった。
とはいえ、学校から道を挟んで向かいの頑丈そうで良さげな建物の屋上まで飛ぶ間に、不測の事態は起こることなく、我々は無事にその遊覧飛行を終えたのだった。
いやはや、大変たのしゅうございました。
使ったSP回復アイテムは最終的に三つになった。ま、そんなもんでしょう。
さて、それじゃ、屋上にたどり着いたところで、この偉業を成し遂げた聖女マナハスに早速、労いの言葉でもかけるとしますか。