第80話 裏ワザじゃない、これは仕様
正門を閉めるため、付近のゾンビを安全に殲滅するための作戦を立てた私達は、隠れていた車から正門側にある駐輪場の所まで慎重に移動を開始した。
この駐輪場の屋根の上に見つからないように潜伏するのが、今回の作戦成功の要である。ここでゾンビ達に見つかってしまっては台無しだ。
なので、私とマナハスは見つからないように遠回りをして駐輪場に近づいていった。
駐輪場の近くまで来たら、さらに慎重に移動する。姿勢を低くして、ゆっくり音を立てないように移動する。
ここまでの道中はなるだけゾンビ達との間に障害物のあるところを進んできたが、これより先には障害物が少ない。なので、とりわけ慎重に進んでいく。
道中は静かに進まなければならないので、マナハスとおしゃべりも出来ない。そうなると、気がつけば私の頭は考え事を始めてしまっている。
今更だが、ゾンビの索敵能力についておさらいしてみよう。
音と光に反応するというのは既出の情報だ。光については、夜はすごく目立つので今は要注意なのだが、私たちは視界を得るために光に頼らなくていいように暗視ゴーグルをかけている。なので、その点は大丈夫。
次に、音はどうだろう。
奴らは確かに音に反応するが、それは耳がいいというわけではなく、聞き取った音を無視しないということだと思う。それに厳密に音の種類を聞き分けているわけでもなく、音にとりあえず反応してその発生源へと向かうのだ。
人間の発する音に敏感というわけでもなく、どちらかというと、音の大きさによって反応度合いが異なるようだ。だから音を立てて誘導するということも出来るはずだ。
というわけで、今の状況では大きな音を立てない限りは見つからないはずだ。なので、ゆっくり慎重に移動してなるべく音を出さないようにする。近づきすぎなければこれで大丈夫なばす。
そして今回、新たに夜のゾンビと相対して感じたことがある。コイツら多分、夜でもちゃんと見えている。
本来なら、今の私たちのように何か特別な道具を使うか普通にライトで照らしたりでもしないと、人間の目ではほとんど見えない暗さだ。だが、連中には見えている。それは、これまでの道中での連中の動きでほぼ確実だと確信した。
とはいえ、それはあくまで見えてはいるというだけで、よく見えているというほどではない程度のレベルだろう。普通に明るいところほど見えているわけではないようである。
なので、それほど脅威というほどでもないが、まったく見えていないわけではないので油断は出来ないといった感じか。
とにかく、それなりに距離を取って気をつけて進めば、夜なら見つからずに進むことはそこまで難しくはないということだ。
とはいえ、それも私たちに万全の視界があってマップという索敵があるからであって、それがない場合はそう簡単な話ではなくなるのだろうが。
ゾンビの索敵能力について考えると、どうしても一つの疑問が浮かんでしまう。それはつまり、ゾンビは人間とゾンビをどうやって識別しているのかという疑問だ。
これは結構重要なことで、なぜかといえば、その理由如何によってはゾンビの識別を誤魔化す事が出来る可能性があるからだ。
ゾンビモノ作品でよくあるパターンでは、連中は人間と自分達ゾンビを匂いで識別している、というものがある。
その場合はゾンビの体液などを利用することで——つまりは“ソレ”を服や体に塗りつけたりすることで——ゾンビに偽装して連中の識別を誤魔化し、襲われないようにすることが出来たりする場合があるのだ。
まあ、私は絶対やらないけど。たとえ今回のゾンビがそのパターンでも絶対にやらない。たぶん自分の命がかかっててもやらない。マナハスの命がかかっていたら……決死の覚悟でやるかもしれないが、その場合でもギリギリまで別の方法を考えるだろう。それくらい私は拒否感がある。
……まあ、このゾンビが人間を識別する方法についてはまた後でゆっくり考えるか。今はじっくり考察する余裕は無いし。まあ屋根に登った後なら、私はヒマだし考える時間あるかもだけど。
さて、そんな感じの考え事をしながらでも私達は問題なく駐輪場までたどり着いた。
なかなか遠回りした上でゆっくり来たのでそこそこ時間がかかったが、目的地だ。
さて、ではここからが問題だ。それはつまり、どうやってこの屋根の上に登るのか、ということ。
別に、それ自体はなんら難しいことはない。今の私の身体能力(スタミナ強化時)なら普通にジャンプでそのまま乗れる。だが、その場合は当然、大きな音が鳴るだろう。それは不味い。
なのでゆっくり、音が出ないように慎重に登らないといけないのだが……それはなかなか神経を使いそうだ。
マナハスはまだスタミナ強化に慣れてないので、まずは私が先に登ってマナハスは後から私が引き上げるとするかな。
遠く、と言ってもそこまで遠くはないゾンビ達の気配を探りつつ、私は屈んでいた体を起こすと同時に飛び上がって、屋根の縁を優しく掴む。
ちょうど飛び上がった勢いが消えて、重力に引かれだす瞬間に掴まるように調整することで、ぶら下がる衝撃を最小限になるようにする。
そこから腕の力のみで体を持ち上げていく。迅速かつ慎重に。
普段の私には、懸垂にも似たその動きを楽にこなす程の筋力は無いが、今の私には黄色いパワーがある。なので楽々と体を持ち上げていく。
そして、完全に腕を下に伸ばした状態で体を支えるところまで持ち上げたら、今度は慎重に片足を持ち上げて屋根にかける。
気をつけるのは、音を出さないこと。この屋根は材質的にどうも音が出やすそうなので、かなりゆっくり丁寧にやらないと音が出てしまうと容易に想像できた。
……いや、この屋根の材質だいぶヤバいわ。なんか感覚的にトタンに近い感じがする。つまり、めっちゃ音が出る。……大丈夫かこれ、いける……?
気分はミッションインポッシブル。すると脳内に流れ出すあのBGM。やっていることは屋根に登っているという、ただそれだけだか、気分はまるっきり敏腕スパイ。我が名はイーサン。
そうだ……一流スパイならこの程度、朝飯前だろ? 想像しろ……私はジャパニーズ忍者の末裔。軽業などお手の物だ……っ!
——スパイか忍者か、どっちかにしたら?
そこで私はある事に思い至った——いや靴、脱いで靴下になったらかなりマシになるんじゃね?
……一旦、降りるか。
一旦、降りた。
すると、マナハスが少し険しい顔で、私の耳元のすぐ近く——ほぼお互いの頬をすり合わせるくらいまで顔を寄せ、極限まで絞った声で耳元に囁いてきたので、それに私も微声で応じる。
——お互いが交互に耳元に囁き合うのは、なんだか無線の通信のようだ。てか、マナハスの吐息がくすぐったくて……なんかゾクゾクしてまう……。
「どうした? やっぱ登るの大変なのか?」
「……登ること自体は平気。ただ、音を立てないのが難しい」
「そうか……だけど登らないと作戦は不可能だよな。ど、どうする?」
「とりあえず靴脱いで再挑戦してみる。靴はしまって——いや、ダメか、光が出るな……」
「私が預かっとこうか? 登ったら投げ渡すよ。……いや、念力で持ち上げるわ。ま、念のため」
「それがいいかな。それじゃ、お願いね」
投げるのに失敗して音でも出たら大変なので、より堅実に念力を使おうということかな。確かに、そちらの方が確実だろう。
念力で物を浮かせるだけなら特に大きな音も光も出ないので、見つかる心配はないし。
念力、便利だなー。つーか、私の体そのものを念力で浮かせてくれたらもっと楽なんだけど。
まあ、人間を直接持ち上げられないのはすでに確認されちゃってるのよね。
……でも私としては、どうしてもこういう時にこういう事を考えてしまうのですが。
こういうこととはつまり——念力でも何とか工夫したら、人間を浮かせることも出来るんじゃないの? という感じのアレだ。
いやー、だってさ、車だって持ち上げられるんだぞ。重さ的には人間だって楽勝なのよ。問題は動くものは無理って事。でも、動かないなら車もいける。
……それならさ、適当な板かなんか浮かせて、その上に人が乗ったら、そしたらどうなんの? 乗れんの? って話よ。
——なんかそれ、ゲームの裏技というか、ある種のバグ技みたいな話じゃない? そんなとんちみたいなやり方が成功するかしら?
とんちっていうか、いや、普通に仕様上できるやつじゃないのコレは。
なんか、いつぞやのゼルダのゲームでもトロッコ使って似たような事やってたよね。あれも一応、仕様上可能な技だったでしょ。——てかアレとか、次回作はむしろ振り切ってめっちゃ空飛ぶようになってたじゃん?
まあつまり、そんな感じで発想を飛躍させようということだよ。ゲームのプレイヤーはたまに想像できないような奇抜なプレイでわけのわからない挙動を生み出したりする。
ああいうのは、枠に囚われない柔軟な思考が生んだ発想の勝利なんだよね。——赤いオーバーオールのひげのおっさんがケツから壁に突っ込んでワープしたりね。
今回の作戦自体も魔法の仕様を突き詰めていって生まれた感じだし。さらに仕様を突き詰めていこうぜ。
——この土壇場でするべき事なの?
別に、試そうと思えばすぐに試せるし、やらない理由もないでしょ。むしろ土壇場こそやる意味があるかもしれない、という見方もある。
つーか単純に面白そうだしさー。今までにも何となく頭の隅で考えていたけど、特に必要無いから言わなかっただけで、実のところはずっと気になってたんだよね。
——ずっと気にしてたのね……。
そりゃね、物を浮かせる技とかあったら、まず自分を浮かせられるか試すでしょ。当たり前じゃん。
……さて、マナハスが再挑戦せずに固まってる私に、そろそろ不審な目を向けてきている気がする(ゴーグルのせいで以下略)ので、サラッと実験を提案しよう。
私は先程のように顔を近づけて、マナハスに小声で提案する。
「あのさ、マナハス、ちょっと試してみたいんだけどさ……」
「何?」
「いや、マナハスの念力で私を浮かせられないかなって」
「いやそれは無理って、すでに試したって言ったじゃん。動くやつは持てないんだよ」
「それは聞いたよ。だったらさ、動かない——なんか板みたいのを浮かせてさ、その上に人が乗ったら、どうなるの?」
「…………いや、分からんけど……えぇ……? だって、そんな屁理屈みたいなやり方で、出来るんか……?」
「試してみようよ」
「いや、でも、板とかないだろここ」
「うーん……なら、これは?」
そう言って、私は自分の来ていた上着のコートを脱いで地面に広げる。——人一人は十分乗れる広さはある。
こんな使い方したら少し汚れてしまうかもしれないけど、それくらいは我慢しよう。……まあ、これ元は藤川さんの服で借りてるやつなんだけど。
ちょうど靴も脱いでいたので、そのまま上に乗る。
そして、マナハスにコートを指さして、
「これを持ち上げるんだよ。私じゃなくてね」
「……今ぶっつけで試すのか?」
「とりあえず浮かせられるかどうかだけでもやってみない? どれくらい操作できるのかもやってみないと分からないでしょ」
「てかまず成功するかが分からないんだけどな……まあ試すだけなら、やってみるか」
そう言って、マナハスはコートの方を向いて意識を集中する。
すると……
コートが動き始める……が、最初は私の重さになかなかそれ以上動かない。
しかし、徐々に私を持ち上げようとする力が上がっていき……ついに私の体が地面から離れる。
その瞬間——私は転げ落ちそうになり、瞬時に両手でコートを掴んで体のバランスを調整して何とか耐える。
したらすぐにマナハスの方でも調整してくれたようで、その後はコートの安定感が増して普通に乗れるようになった。
そして私は……浮いていた。
浮遊するコートの上に乗って、宙に浮かんでいた。
体重を預けるコートの下には、当然、地面の硬い感触はない。まるでハンモックにでも乗っているような感覚だ。あるいは、大きな袋にでも入っているかのような。
とにかく、実験は成功していた。地面から一メートルも上がってないが、確かに私は宙に浮いたコートの上に乗っていた。
私は宙に浮いている状態で、マナハスの方を見る。自分でやっているのに、マナハスは驚愕に大きく口を開けていた。
私はマナハスを見て一つ頷いた後、下に降ろすようジェスチャーする。マナハスも頷いて、コートはゆっくり地面に降りて行き、着地。——おお、地面の感触を感じる。
「……」
「……」
私とマナハスはしばらく無言でお互いに見つめ合っていた。言葉は無くともお互いが何を言いたいのかは伝わった。
……いや、普通に出来たじゃん——っていう。