第51話 汚ねぇ花火になれ
その車は、事故った衝撃で大きく損壊していた。
運転席は半分潰れたようになっていて、血の色で真っ赤に染まっている。
マップを確認すると、その車に重なるように赤い点が一つ。……事故で死亡した後にゾンビ化したのかな。
このゾンビは、車から出てくることはないだろう。ドアはひしゃげて開かなくなっているし、窓も人間が通れるほどの隙間は無い。それなら、わざわざ始末することはないか。
私も出来れば、事故死した死体なんて見たくはないし。まあ、ゾンビになっているということは、頭部は無事だったということなんだろうね。たぶん。
わざわざ運ぶよりもそちらの方が簡単なので、車に触れて、まずは“収納”できるか試す……が、どうも上手くいかない。
ふむ……大きさ的には問題ないはずなんだけど、これより大きな瓦礫や恐竜もいけたのだから。
だとすると原因は……そうか、ゾンビだ、あれがまだ乗っているからか。
アイテム欄には生物をそのまま“収納”することは出来ない。これはすでに検証済みだった。
ゾンビは——厳密には生物ではないけれど……非生物や無機物でも“動いているもの”は収納できないので、ゾンビも倒すまでは回収できない。
そしておそらく、そんなゾンビが乗ったままの車もまた、そのままでは回収できないということなんだろう。
運転席のアイツを倒したら、ゾンビごと回収できるようになるかもだけれど……
とはいえ、事故った車なんて要らないゴミ(しかもゾンビ付き)なんてわざわざ回収するのもね……ならもう、動かしてどけるとするか。
私は車内のゾンビは無視することにして、車を持ち上げにかかる。なるだけ時間をかけないように急ぐべきなので、放置して問題無いならそうする。
私も別に、目に入ったゾンビは全部倒そうなんて思ってないし……それに、まあ、死体の乗った車とかあんま長く触りたくないし。
私はしゃがんで車の縁に手をかけ、持ち上げていく。
いくらスタミナで強化しても、片手でポイ——みたいにはいかない。カラダ全体をうまく使って下から持ち上げていかないと、さすがに持ち上げきれないだろうから。
さて、背中に抱えるように持つか、それとも引きずっていくか。
そんなことを考えながら、私は車体を持ち上げていった。すると、それがちょうど四十五度くらいの角度になった時に車の下が見えて——そこにいたゾンビと目が合った。
あっ、えっ、ちょっ、うそっ、やばっ——!
とっさに私の体は停止する。
飛び退こうにも車を支えた状態では動けない。いや、パッと放して後ろに下がれば——
そこでゾンビが私の足を掴んできた。
意外と強烈な力で引っ張られて——
あっ——
私はバランスを崩して車を支えきれず、車と共に地面に倒れ、そのまま車の下に入り込んでしまった。
私はその瞬間に、自分がこれから噛まれることを防ぐ術がないことを悟った。狭い車の下に挟まってまるで身動きが取れず、ゾンビもどこだか分からない。
早く脱出っ、だが身動きが——
グワッ——
突然、視界が開けた。
それまで目の前にあった車の裏面までに空間が出来る。——それはつまり、車自体が浮いているのだった。
そこにあったのはマナハスの光輪。しかしそれについて考える前に、私は自分の足元を見る。
そこではゾンビが私の足を掴み、今にも噛みつこうとしていた。
私は右手の刀を素早く突き刺そうとして——右手には何も掴んでいなかった。あああ呼び出し間に合わああ噛まれ——
バチュ——ッ!
着弾音と同時にゾンビの頭が弾けた。——ヘッドショット!? 誰っ?
地面に寝転んだまま後ろを見る。すると、車から降りている藤川さんの持つ銃がこちらを向いていた。
じゃあ、あれは彼女が? あの距離から一発で? しかも実弾で、ってこれ、ゾンビ、殺しちゃってるけど……
するとマナハスが「早く出て! 落ちるっ!」と叫んだ。
私は慌てて転がるように車の下から出る。——直後にすぐ横に車が落下してきた。
——あぶねっ、マジでギリギリじゃん!
私は先ほどからずっとバクバクしている心臓の音を痛いほど感じながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。そしてマナハスの方を見る。
どんな顔で私を見ているのか。マヌケな私を助けてドヤ顔でもしているのだろうか。
ん、アレ、なんでそんな焦った顔を——
ガッ——と、私の首に圧迫感。
首を締められたと感じるや、すぐさま私は後ろの車から全力で離れようともがく。
すると、いともあっさりと体は移動した。しかし、なおも手は私の首を締め上げたままで、よくよく確認してみれば、ソレには手首より先が存在していなかった。
「か、はっ……」
呼吸が、出来ない。
血管が締まり、視界が霞んでいく。ぼんやりとした頭に——HPのバリアは絞め技に弱いのか……なんて思考が過ぎる。
意識がだんだん薄れていく。呼吸が苦しい。息が吸えない。
首を掴んでいる手を何とか外そうとするが、ものすごい力で締め付けていてまったく外れない。そもそも息が苦しくて体に力が入らない。
ヤバ……死ぬ……
その時、視界の端を何かが横切った気がした。
次の瞬間、私の首を絞めていた手から力が抜けて、首から離れた。
ガハッ! ゴホッ! ……ごふっ……かひゅっ……ひゅぅ、ひゅぅー……
呼吸が再開される。頭部に血が巡り出す。
私はクラクラする頭を揺らして、なんとか呼吸を繰り返し落ち着けようとする。
足音が徐々に近づいてくる。
へたり込んだ私を抱え起こす腕。その手には、なんだか物足りないフォルムの棒を持っている。
いや、これは杖か。アレ……あの先端の輪っかはどこに?
「カガミン!! 大丈夫っ!? しっかりしてっ……!!」
マナハスの声。こんなに焦った彼女の声を聞くのは久しぶりだ、いつ以来だろうか。
私が小学生の頃、調子に乗って橋の欄干の上を歩いてたら下に落ちた時だろうか。——ん? いや、そんなことあったっけ?
「ちょっ、カガミン! しっかりしてよ! まだ苦しいの……? ——ああ、どうしよう……!」
「落ち着い、ゴホッ! まなは——はっ、はぁ、ひゅー、はぁ、わ、私、は、だ、だい……じょぶ、ぶっはぁ、はぁ、だ、から……」
「いや全然大丈夫じゃねーじゃん! ……あ、あの回復のやつ、アレはっ!? アレ使えばいいんじゃ……」
「へ、平気……必要、ない、よ。すぐ、落ち着く、から……」
「ホントに? 使わなくていいの? てか、あれってどうやって出すの? 私にも出せるんだよね? 私が出してあげるから……」
「それより——ゾンビは? 今は、安全なの……? ここにいて、大丈夫……?」
「ゾンビは……大丈夫だよ。もう倒したから。いま近寄ってきてるのは、越前さんが倒してくれてると思う。——あ、そうだ、マップ……にも、このすぐ近くには赤は無いし、大丈夫だよ」
マップ……そうだマップ。
こいつ……重なってたから分からなかったのか? それとも……運転席のアイツはゾンビじゃないただの死体で、赤点は下にいたやつのだった……?
——とりあえず、落ち着いた……?
くそっ、とんだ失態をやっちまった!
……やっぱ運転席のやつを先に仕留めておくべきだった。そうすれば赤点が消えてなくて、下のゾンビに気がついた。
いや、そもそも車の下を確認もせずに持ち上げようとしたのが間違いだ。地べたに腹這いになってでも確認するべきだった。
なまじ便利な機能が存在したせいで、まるっきり大失敗をやらかしてしまった。
——いや、マップのせいにするんじゃない。すべては私の責任だ。私のミスだ。私の失態だ。
危うくマナハスまで危険に晒すところだった……。くそっ、反省しろっ! 私!
大体、ゾンビを舐めすぎた。やっぱり連中には侮れない攻撃があった。毒に掴みに絞め技に……クソ技のオンパレードだな。カスみたいなポイントしかねーくせに、調子乗りやがってよぉ!
……ふー、落ち着け。素数を数えろ。冷静になるんだ。イチ、ニ……サァン!! ——はいバカ。私はバカ。三の倍数ではバカにならざるを得ない。私は神父にはなれない。せいぜいコメディアンがいいところ。
いつもの調子をようやく取り戻してきた。呼吸も落ち着いた。
もう大丈夫。それなら、まずはやるべきことをしないとだけど……。
私はその場で立ち上がった。すると、マナハスも釣られて立ち上がる。
「もう大丈夫なの?」
「うん、大丈夫……ありがとね、マナハス。車持ち上げてくれたんでしょ? お陰で助かったよ。てか、藤川さんにも助けられたな……。彼女、弾みでゾンビ撃ち殺しちゃってたけど、大丈夫かな……?」
私は右手に刀を呼び出してから、後ろを振り向き、注意深く車の中を観察する。
よくよく見てみれば、中のゾンビは片腕が千切れていた。
そこにあったはずの腕はおそらく、さっきまでは私の首を締め上げていて、今は私の足元に転がっているコレなのだろう。
千切れた一部だというのに、ギリギリと凄い力で私の首を絞めていたそれは、今はもう動かない。
こいつを操っていた本体であろう車内のゾンビ。その頭部には、特徴的な輪っかが刺さっていた。——これって……。
私はマナハスの方を振り返る。すると、
「ああ、戻すの忘れてたな、これ」
マナハスが杖を掲げると、ゾンビの頭から輪っかが抜けて、彼女の杖の元に戻った。——その輪には、べっとりと血が付着していた。
……そうか、マナハスが本体の頭を潰したから手が動かなくなったのか。
んでも、それはつまり……
「マナハス、大丈夫……? ゾンビ、殺しちゃったけど……」
「何言ってんだよ、それはこっちのセリフなんだけど。——誰かさんが腕に絞め殺されそうになってたから、本体を潰したんだよ。頭を潰せば死ぬって話だったし……その通りになってよかった」
「マナハス……ごめんね。……ありがとう」
「気にするなよ……。ゾンビをやるのなんて、なんてことなかったな。躊躇することなかったよ。やろうと思えば、こんなに簡単に出来るんだもん。——カガミンを助けようと必死で、どうしようって焦って、考えて……頭をヤるって思いついたら、その瞬間、一瞬だったよ。輪っかが勝手に飛んでいったのかと思ったくらい。……こんなことなら、最初からゾンビ相手に容赦しなければよかった。そうすれば、アンタがこんな目にあうこともなかったかもしれないのに……」
「ホントに、お陰で助かったよ。もっとお礼を言いたいけど……まずは仕事を終わらせないと。この邪魔な車を退かして、道を作るっていう」
「それなら私がやっておくから、カガミンは車に戻って休みなよ。今の私ならアンタより楽に車持ち上げられるし、近寄る必要もない。——これは本来、私の仕事だったね……。私が、もっとしっかりしていたら……」
「いやいや、それじゃ私のやることなくなっちゃうじゃん」
「そんなことないでしょ。カガミンは今まで一人で全部やってきたんだから——つーか、やり過ぎなくらいなんだから、少しは休みなよ。……私、この杖持つまで、まるで役立たずだったし、ここらで挽回しないとね……っ」
「……分かった。それじゃ、くれぐれも気をつけてね」
「今のアンタに言われると、身に染みるね」
……ホントに。私が言われるべきセリフだな……。
さて、ここは言われた通り車に戻りますか。座って落ち着こう。——実際のところ、まだ動揺は完全には抜けていない。
車に近づき、ドアを開けようとして、右手の刀を仕舞おうとする。しかし、なぜか上手くいかなかった。——見れば、刀を握る手が震えている。
オイオイ、まさかトラウマになったとか言わんよな。
……困るぞ、そんなんじゃ。この先もバリバリ使っていくつもりなんだから。戦えないなら、殺されるしかないが——?
私は思い直し、車から離れて先程の場所に戻る。
マナハスが訝しげにこちらを見てくる。彼女は今からちょうど車を持ち上げようとしていたみたいだが、それを一時中断した。
そして、口を開いてこちらに何か話しかけようとしてきたが——私はそれを手で制する。
私は辺りを確認し、地面にお目当てのものを発見。それは私の首を絞めた手だ。——青白い、亡者の手。しかし、信じられないほどの力で締め上げる手。本体から離れても動き続ける、手。
大体、さっきの私はかなり運が悪かった。千切れた手が単体でどうやって動いたというのか。それが首を掴んでくるなんて、どうかしてる。
そう、あれは不運な事故。私の不注意もあるが、ある種の天災のようなものだ。避けられないなら、食らい尽くすしかない。
私は震える腕に力を込めて、刀を握る。そしてあえて深く考えずに、衝動的に体を動かす。
クルリと下に向けた刃は、そのままグサリと、青白い手に突き刺さる。
私は“手”を突き刺したまま刀を持ち上げていき、途中で手首をスナップさせて青白い手を宙に放り投げる。
そして刀を両手で持つと、スキルの導きに任せて、やたらめったらに宙を舞っている“手”を斬る、斬る、KILL。
“手”はバラバラの肉片になって辺りに散らばった。——私の方に飛んできた肉片が、バリアに弾かれて傍らに落ちる。
私は刀を握る右腕を見る。すでに震えは止まっていた。——思い通りに動く、私の右腕。
トラウマの種は、青白い肉片となって物理的に消滅した。……けっ、汚ねぇ花火だ。
私は再度、右手を握って開いて感触を確かめて、満足したので刀を消して車に戻っていく。
そんな私の様子を見ていたマナハスが、小さく「八つ当たりかよ……」と言っていたが、その声はなんだか少し楽しげで——顔を見れば、やはり笑っていた。
いつものマナハスで、いつもの私だ。よし、これで問題ナシ。
ミスの反省はもう済ませたから、もうこの件は終わり。二度と繰り返さないように、教訓だけ胸に刻んでおく。
車に近づく前には、車体の下を確認すること。頭を潰したゾンビにのみ近づくこと。マナハスはその気になれば、ゾンビを殺してでも私を助けてくれる、ということ。……ふふ。
さて、後で藤川さんにもちゃんとお礼を言っておかないとね。
——どうだろう、ゾンビを殺したことで彼女、落ち込んでいるだろうか。
まあ、私の勝手な予想だけど、落ち込んではいないんじゃないかな。むしろ、喜んでいたりして。借りを一つ返せた、とか思って。
もしもそうだとしたら——借りなんて、別に気にしないでいいんだけど。でも、まあ、彼女のことだから、そう言ったところで私への恩返しをやめることはなさそうな気がする……。
だとしたら、こちらの借りが増えすぎないように、私もしっかりしないといけないな……。
後部座席のドアを開け、車に乗り込む。すると、香月さんが感嘆の声を上げていた。
「すごいっ! すごいっ! 聖女様! 車を丸ごと持ち上げてしまうなんて! これぞ奇跡ですっ!」
そして私の方を向くと、嬉しそうに話しかけてくる。
「さすがは聖女様ですねっ! こんな奇跡の光景をこの目で見られるなんて……感激です……! ——それで、カガミさんは大丈夫ですか? 聖女様が向かわれたので、万が一も無いと思ったのですが」
「ああ、はい。聖女様のおかげで……命を拾いました」
「——ああ! 首にくっきりアザが……大丈夫ですか?」
「……大丈夫です。怪我はありませんので、跡が残っているだけでしょう……」
「それなら、よかったです。……カガミさんは、聖女様にとって、とても大切な方なんですね。先ほどもあなたを助けるために、聖女様も随分と必死なご様子で、聖女様の想いの強さが伝わりました。……羨ましいです」
「彼女の手を煩わせてしまって、不甲斐ないです……二度とこんな失態は犯さないようにと、胸に刻んでいるところです」
「そんな、カガミさんは悪くありませんよ。たまたま運が悪かったんです。それに、聖女様のお陰で大事にはなりませんでしたし……さすがは聖女様! 私も早く聖女様のお役に立って、より一層認めてもらえるように頑張らなくてはですね……!」
「……それは良かった。彼女の助けが増えてくれることは、私も嬉しいですよ……」
「——ん、おや、どうやら道が開いたようですね。聖女様に自ら働いていただくのは心苦しいですが、あのような奇跡の御技は、かのお方にしか不可能ですものね。我々はその奇跡の恩恵に与れることを深く感謝して、この道を進ませてもらわなければなりませんねぇ……」
すると、道を作り終えたマナハスが戻ってきて、後部座席を開けて私の隣に座ってくる。
「あ、聖女様……」
そこでマナハスは、助手席に座り忘れたことに気がついて、一瞬——あっ、という顔をしたが、すぐにすまし顔になって、香月さんに丁寧な口調で語りかける。
「彼女の様子を見てあげないといけませんから……申し訳ないですけど、こちらに座りますね」
「い、いえいえ! ど、どうぞ! もちろん、お好きなところへ座られてください! 心配するのも当然だと思います! 私も心配ですし……。——で、ですが、聖女様にかかれば、そのアザも綺麗さっぱり消えますよね。やっぱり女の子ですから、こんなアザが残るのは不憫すぎます。だけど、聖女様の奇跡なら、こんな傷跡も綺麗さっぱり! ……ですよねっ?」
「ええ、そうですね。……それでは、車を出してもらえますか? 早く学校に着かないといけませんから」
「かしこまりました! それでは、出発します。スラグホース、発進!」
かくして車は再び動き出した。——まったく、やれやれだったぜ……。
と、マナハスが私に近寄ってくると、耳元に小声で囁いてくる。
「——ほら、その傷跡消しとかないと、聖女様の威信が薄れちまうぞ? いいから、ちゃんとあの薬使っとけよな。なんなら念のために浄化もやっとくか? どうだ?」
マナハスが半分冗談、半分本気くらいのトーンで迫ってくる。
「分かったよ……。ホントに必要ないと思うけど、聖女様の威光を汚すわけにはいかないから、使っとくよ。——まあ、解毒の方は必要ないよ。さすがに毒に侵されてたら気がつくと思うし。それでも、少しでも違和感あれば念のため使っとくから、心配しないで」
「それなら、いいけど」
「ほら、聖女様は障害物除去の仕事が残ってるよ。私も早く学校に着きたいし……頼りにしてるから」
「……おう。ま、任せときな」
そう言って、マナハスは後部座席の窓を開けた。
すると、風が車内に流れ込んでくる。
首筋を冷風が撫でていく。
少しだけ、アザが痛んだような気がしたが、すぐに冷気が疼きを鎮めていった。
私は、風に流れるマナハスの髪をぼんやりと目で追いつつ、急速に体を包んでいく安堵と脱力とを感じながら……取り出した回復アイテムを使うでもなく、しばらくの間、手の中で転がして弄んでいた……。