第49話 走れスラグホース 風のように
というわけで私は、“アレ”をマナハスの手に渡す。そして香月さんの方を指し示す。それでマナハスも理解したようだ。
ま、彼女にこれの事を説明するのは簡単だろう。マナハスからのプレゼントだと言えばそれでいい。
「さて、香月さん。私たちの乗る車の運転をしてくれるアナタに、聖女様からの贈り物があるそうです」
「えっ!? わ、私に、贈り物、ですか……?」
「ええ、そうです。ちょっと、首を見せてもらえますか」
「首、ですか? わかりました」
「それじゃ、聖女様。どうぞ」
マナハスが香月さんのそばに行き、首にそっと触れる。——その触れた後には、シールが貼られていた。
そう、これはお馴染みのあのバリアシールである。私たちの乗る車の運転をしてもらう以上、彼女に何かあったらこちらも危険なので、保険をかけておこうというわけだ。
傍らに来たマナハスに首筋を触られた香月さんは、放心したような表情で至近距離のマナハスの顔を見つめる。
傍目から見ても分かるほどに、その顔は紅潮していた。まるで、大ファンである芸能人と接したファンか何かのようだ。いや、まるでも何も、そのものズバリそんな感じか。
「その首の印は御守りのようなものです。アナタを災いから守ってくれることでしょう。なので、多少のアクシデントは恐れずに、自信を持って運転してください」
「そのようなものを、聖女様の手ずから授けてもらえるとは……感激です……! 私、少しも恐れてはいませんよ。聖女様は浄化と癒しの奇跡をお使いになられますし、その上に御守りまで頂いたとなれば——もはやこの身に何が起ころうとも問題にはならないでしょう!」
「ええそうです。その意気ですよ。——では、私たちはこれにて……その時にはよろしくお願いします」
「お任せください!」
結局、マナハスは一言も喋ってないけど、いいか。
そそくさと、マナハスと共にこの場から移動する。その際には、少し離れたところに移動していた越前さんも回収しておく。
なんとなく、香月さんとマナハスをずっと同じところに置いておくと面倒になる気がしたので、この場から退散だ。越前さんもその気配を感じていたのか、ちゃっかり距離を取ってたし。——まったく、抜け目ないな。
まあ、車に乗ったら、密室にずっと一緒にいることになるんだけど。大丈夫かな、この二人一緒にしておいて……。香月さん、ずっとマナハスの方見て運転しそう。ちゃんと前を向いてくれればいいけど。
まあ、マナハスが先頭の車に乗るのは私も考えていたことなので、それについては問題ないんだけど。
そもそも、私は最初から先頭の車に乗るつもりだった。それならマナハスも一緒に、というのは自然の流れであるからにして。
それに、マナハスの魔法で試してみたいこともあるし、そのためにも彼女には先頭に乗ってもらわないといけない。
しかし実際のところは、それについてもどうなるかはやってみないと分からないので、保険として香月さんにはシールを貼ったわけだけど。
やっぱりゾンビを轢くとなると、車にもかなりの衝撃がくると思うし。
……や、待てよ、それなら直接車にシール貼ればいいんじゃね? それで車に謎のバリア発生したなら、より万全になるじゃん……?
……いや、車に貼って効果あるのか分からないけど。でも別に、人にしか使えないなんて説明は無かったと思うし。——いやまあ、普通に考えて人間用のアイテムと思ってたし、実際そうだとは思うんだけど。
だけど別にプレイヤーしか使えないということもないし、一般人にも使える。……なら、車とかの物に対しても使えるんじゃ……?
まあ、大きさに制限とかあるのかもしれないし、効果があるかはやってみないと分からないけど。ただ効果があったとしたら、それはかなり強力な保険になる。
ゲーム的な性能のアイテムだが、別に使い方までゲーム的に考える必要はない。ここは現実だ。やれることは何でも試してみるべきだ。
とりあえず車に乗る時に貼ってみることにしよう。安全のために少しでもやれることをやるのを、私は無駄とは思わない。マナハスだって乗っているわけだし。
試してみるのは先頭の車だけでいいだろう。確証のある話でないし、一番必要なのはそこで間違いないのだし。
さて、移動ついでに、藤川ママンのところに行っておこう。
彼女にもシールを貼っておく必要があるし、それに、彼女に頼みたいこともある。——それは、越前さんとマユリちゃんの乗る車のことだ。
この二人は歩きで来ているから、誰かの車に乗せてもらわないといけない。
しかし、我々怪しい宗教団体(仮)の一員である越前さんを誰が乗せたがるか、ということなのだ。
そこで、私たちと一応は面識がある藤川ママンなら、了承してくれるんじゃないかなーと考えたわけだ。間に藤川さんを挟むことも出来るし。
藤川さんの乗る車については、当然、藤川ママンの車だ。だから、そこに越前さんたちも乗せてもらえれば、というわけだね。
あと考えるのは、車の配置についてか。
想定するに、全体の車列については、おそらく7〜8台になると思う。それが一列だと、先頭と最後尾はそれなりの距離になるだろう。なので、何かあった時のために後ろの方にもメンバーを配置した方がいいかもしれない。
となると、藤川ママンの車には最後尾を走ってもらうことになるかな。私たちが先頭で、ママンの車が最後。これで他の人たちを挟んで防御する。
私の乗る先頭の車の人数は三人しかいないけど……ま、それでいいか。つーか私も、あんまり他人と一緒に乗りたくないし。知らん人と後部座席で一緒になるとか、めっちゃ気まずいし。
実際、先頭が一番危険なんだから、他には誰も乗りたがらないだろうし。どっちにしろ三人で決定か。
私たちは藤川ママンの元に来て、その旨説明した。
するとママンは、越前さんが乗ることもすぐに了承してくれた。ママンから見て越前さんは、娘をここまで連れてきてくれた功労者なので好印象みたいだ。マユリちゃんも問題無し。
その際に藤川さん経由で、ママンにバリアシールを貼ってもらう。一応の保険だ。
ママンには世話になったから、無事に学校までたどり着いてもらわなくては。
あまり長く接触すると色々と質問攻めにされそうなのは目に見えていたので、上手いこと越前さんを間に挟んでそれを回避する。
今は私たちの能力についてとか、色々と説明している暇はない。ママンも私とマナハスが色々やってたのを絶対気にしているはずだけど、話している暇はないからね。
まあ、暇があっても出来れば遠慮したいけど。説明できる自信ないし。
というわけで、私たちの車の配置が決まった。
後は、その他の人たちがそれぞれどの車に乗るのか決めてもらう。なるだけ少ない台数になるように、彼らには出来るだけ詰めて乗ってもらう。
その取り決めが済んだらいよいよ、皆さんにはバックヤードから出てきてもらう。
そして、学校に持っていくための物資をこの店から各自、持てるだけ持っていくことになった。
その際は、このスーパーの従業員の方が許可を出した。
その人物とは——あの前田さんだ。どうやら彼、この店の店長だったらしい。確かに、なんか一人だけスーツみたいな着てたね。
彼が許可してくれたので、私たちも持てるだけの物資を持っていく。そして私たちは、人よりも少しばかり持てる量が多いので、持てるだけ、持っていかせてもらいます。
まあ、あんまりごっそり持って行っても怪しいし、他の人の分が無くなるので、一応、自重はしておく。
まあ、私はすでに食料とかはそれなりの量があるので、程々に目についたのを入れていく程度だけど。
むしろ、私以外のメンバー達にしっかり回収してもらうべきかな。アイテムの収納の練習にもなるし。とはいえ、MPも消費するので、ほどほどに。
ちなみに、この時にみんなが使っていたのは、例の段ボールに入ったビニール袋だった。……まあ、そういう触れ込みだったからね。別に、律儀にそれ使わなくてもいいっちゃいいんだけど。
そんなわけで、みんなの準備が終わったところで、とうとう出発の時がやってきた。
スーパーの出入り口の前に集まった皆さんに向けて、越前さんが出発の音頭を取る。
「それでは、我々はこれから外の駐車場に向かいます。当然、外にはゾンビ達がいる。なので、まずは俺たちで連中を排除します。ただ、ある程度排除したところで、またどこぞからやってくると思う。なので、我々が一通りを排除したところで、皆さんは迅速に車に乗り込んで下さい。それからすぐに、学校に向けて出発します。——道中、様々なトラブルが予想されますが、皆さんは決して車から出ないように。我々が対処するので、そのまま車内で待っていてください。
……最後に、——進行中、場合によっては連中を車で轢いてでも進む必要があるでしょう。その時はどうか、躊躇わないように。それが、自分と、同乗者の命を守ることになる。そうする必要があるんです。責任はドライバーの一人だけにあるのではありません。我々全員に等しく責任がある。そして誰も、その事を責める人はいないでしょう。少なくともこの中には。……では、皆さん。よろしくお願いします。……行きましょう」
緊張の面持ちを隠せない皆さんの顔を後に、越前さんはこちらを向いて、私に言う。
「それじゃあ、行こうか」
「そうですね、行きましょう」
結局、ゾンビとメインで戦うのは私と越前さんの二人だけだ。マナハスと藤川さんはゾンビを殺すのに抵抗があるので、無理に戦わせることは出来ない。
まあ、戦力的にはスキルをインストールした越前さんが増えたら足りるんじゃないかなーと思うし。武器もアサルトライフルが増えたし、弾もたくさん用意した。……うん、大丈夫、いけるいける。
私と越前さんの二人は、自動ドアを手動で開けて、駐車場に出る。
店の外には、見える範囲だけでもそこそこの数のゾンビが徘徊している。
うん、ま、そんなにたくさんは居ないね。よし、とっとと排除しちゃおうっと。
「越前さん、ゾンビの位置はミニマップにも表示されているんで、目視ばかりでなくそっちでも確認して下さい。——私はこちら側のゾンビをやるので、越前さんはそっちをお願いします」
「ああ、分かった。……位置が分かるのは便利だが、確認する余裕があるかな……」
「大丈夫ですよ。元から銃を扱えていた上に、今はスキルの補助もありますから。楽勝ですよ」
「そうだといいけどね……。いや、そうだね……出来る、今の俺なら……!」
「では……行きますっ」
「……よしっ!」
そうして、私たちは駐車場のゾンビを掃討していく。
私は、なるだけ一撃で頭部を破壊するように刀を振る。破壊についても最小限に抑えて、色々と飛び散ったりしないように気を使う。
まあ、後ろから皆さんが見ているので、あまり派手なビジュアルにならないようにという配慮だ。
私が普通のゾンビと戦う場合は、スタミナパワーは必要ない。素の身体能力とスキルの技術と刀の威力で問題なく倒せる。
ちなみに今回、直にゾンビを斬ることになったので、刀には新しい機能を追加している。
それは、“武器に汚れが付かなくなる”という機能だ。これを追加した刀なら、いくら斬っても血脂で汚れたりして切れ味が落ちることはないわけだ。地味だけど便利。
そもそもこの刀は元から切れ味がかなり高いと思うので、そのパフォーマンスが落ちないなら、ゾンビをいくらでも斬れるってことだ。
余計な事を気にせず存分に刀を振るうことが出来るので、地味だけど効果的な機能だね。
そんな感じで私は全然問題無かったので、少しだけ越前さんの様子も確認してみる。
さっきから、銃声一つごとにマップの赤点が一つ消えていたから、上手くやっているんだろうとは思っていたけど。
案の定、越前さんの戦いぶりは完璧だった。
素早く狙いをつけ、発砲——ヘッドショット。さらにヘッドショット。連続ヘッドショット。すべてのゾンビを頭に一撃で倒していた。
つーか、銃で狙って撃つという方法ゆえに、私よりも倒すの早いくらいだ。それなりの距離の相手も、その場から動く事なく仕留める。リロードもスムーズで淀みない。……うん、もうこの人一人でいんじゃねーの、ってくらいだわ。
ちなみに、マナハスと藤川さんも何もしていないわけではない。二人には、ゾンビの回収をお願いしておいた。
やっぱせっかくだから、死体も全部回収しておくのだ。車が出る時にも邪魔だし。
まあ、二人が近寄った死体が光って消えていくのを見た皆さんは、大変驚いていたが……。
そこは——可憐な二人の少女の祈りによって、ゾンビは昇天したんだ……とかなんとか、適当に解釈してもらえていたら助かるなぁ。おそらく香月さん辺りなら、きっとそう解釈する。
特に問題が起こることもなく、駐車場のゾンビは呆気なく全滅した。
少し遠方の連中も軒並み越前さんが排除したので、付近のゾンビはいなくなった。マップを見ても、近くの赤い点はすべて消えている。
よし、これで出発できる。
私と越前さんは顔を見合わせると、頷いた。
「よし、付近のゾンビはすべて排除できた。——では、出発します! 皆さん、急いで車に乗って下さい」
越前さんの号令と共に、皆が慌ただしく車に乗り込んでいく。
私とマナハスは香月さんについて行き、彼女の車に乗り込む。マナハスは助手席、私は後部座席だ。
——その際に、私は取り出したシールを車体に貼って『使用』しておく。感覚的にはちゃんと使用されたっぽいが、どうなんだろうね?
車に乗り込むと、香月さんはすぐにエンジンをかけてシートベルトをする。
それから、ミラーなどを確認しながら、
「あの、聖女様もシートベルトを、一応、お願いします」
素直に従ってシートベルトをするマナハス。私は後ろの席なので、シートベルトはしない。——まあ、別に必要ないと思うし。
車のシールが効くかはともかく、事故っても自前のHPがあるから多分怪我しないし。それよりも、行動が邪魔されないようにしておきたい。
車に乗る際に刀は収納した。狭い車内で腰に差しておくのは邪魔だし。——ちなみに、マナハスは杖を持ったままだ。
けっこう邪魔そうなんだけど、ま、仕方ないよね。——地味にあの杖の先っちょの輪っかがクルクル回ってっからさー、場所とるんだよなww
「それでは、出発します!」
香月さんの運転により、車は駐車場の出口までくる。後続の車たちも、その後ろに配置した。
それを確認して、私は香月さんに返事をする。
「それじゃあ、香月さん。高校まで、よろしくお願いします。ゾンビが進路を塞いでも、止まることなく最後まで、進んでください」
「分かりました! 私の愛車、“スラグホース”にお任せください! では聖女様、発進します!」
なんか最後よく分からん名前が聞こえた気がしたが……と、とにかく、出発だ!
——マイカーに名前つける人とかいるのね。
……あまり聞かない文化だね。正規の車名はガン無視なのかな?
——それだけ愛着ある車なのに、シールの効果無かったら、ゾンビを轢いていくうちにボロボロになっちゃう可能性も——
言うな! 香月さんと、スラグホースの絆を、信じよう……。
——いや二人の絆の何を知ってるのよアンタ。つーか新車とかって言ってたし、そもそも、そんな長い付き合いじゃないんじゃないの……?
絆の深さは年月じゃないさ。そんなことは問題じゃないんだ。
問題は……これからこの三人で進む車内の空気がどうなるか、それだけさ。
ああ……スラグホース、どうか迷える我らを導きたまえ……