第35話 専門的なことはともかく、とりあえず全部「奇跡」ってことで
そのアイテムの存在に気がついたのは、徹夜しようと意気込んでいた昨日の夜だった。
使えそうなアイテムを探して、ショップの欄のところを調べていた。そんで、回復アイテムの辺りを見ていたら、そのアイテムがあった。
“それ”に気がついた時には、かなり驚いた。え、コレあるの? って感じ。
いや、だってこういうのって、普通はもっと後になって——それこそクライマックスの辺りで出てくるパターンのやつじゃないの? こんな最初から出てくんのコレ? って感じ。
どっちにしろ、コレは絶対入手しておくべきなのは確かだ。そう思った私は、それを既に入手しておいた。
そのアイテムとは……いわゆる「ゾンビに噛まれた時に使う治療薬」的なやつのことだ。
うん、普通にそんなアイテムがあった……ので、買った。
こんなん最初からあるんかい、とも思ったけど、めちゃくちゃ有用なのは確かだから、迷わず買った。
そのアイテムは、他のアイテムに比べたら割高なような気もしたが、買えない程ではなかった。私は結構ポイントに余裕があったし。恐竜くんのおかげで。
実際、このアイテムの存在はかなり心強かった。万が一、ゾンビに誰かが噛まれるという最悪の事態が起こっても、なんとかなるかもしれないという保険として心に余裕を生んでくれる。
まあ、ゾンビに噛まれてゾンビになるまでって結構早いし、その辺はシビアなんだけど。ちょっとのミスで手遅れ、とはならないと思えるのは、やはり大きい。
さて、このアイテム、説明を見た限りだと、ゾンビ自体に効くわけではない。ゾンビを人間に戻すアイテムではないのだ。これは、ゾンビに噛まれた人が、ゾンビになるのを防ぐアイテムだ。
そう考えると、あまり出番はないような気もする。だって噛まれたらすぐにゾンビなるし。でも、今みたいに噛まれてもすぐにはゾンビにならないパターンもある。このアイテムは、そういう時に使うものだ。
なので、このアイテムがあっても、ゾンビになってしまえばもう手遅れなのは変わりない。
これを見つけてから探してみたが、ゾンビを人間に戻すというアイテムは無かった。
まあ、そんなのがあったら、ゾンビを殺すのに躊躇いが生じるからむしろ要らない、という考えもあるが。だって、すべてのゾンビにそのアイテム使うとか、考えるまでもなく無理ゲーだし。
さて、そんなわけなんで、ここは試してみるしかないでしょう。このアイテムが実際に効果あるのかどうか。
それなりに貴重なアイテムだけど、あまり出番は無さそうだし、この状況では試すしかあるまい。
問題は、そんなことしたら更に注目されそうということなんですが……ふむ。
私はあることを思いついたので、床に寝ている彼女の元に行く前に、マナハスの元に行く。そして、手を引いて一緒に彼女の元に向かう。
マナハスは突然私に連れられて、——え、何? みたいな感じの反応だったが、大人しくついてきた。
さっきの話は当然マナハスも聞いているワケだが、私が彼女の元に連れて行っても特に抵抗はしない。少しは抵抗されるかと思ったが、私を信頼してくれているからかな?
なんて思ってたら、彼女へたどり着く少し手前くらいで普通に立ち止まった。
そして私に小声で聞いてくる。
「いやこれ、大丈夫なのか……? てか、何であの人のところに行ってるんだ?」
「大丈夫だよ。あの人はゾンビじゃない。今はまだ人間。なんで近づいてると言われたら、だって、放っておくのは可哀想じゃない」
「それはそうだけど、行ったところでどうしようも無くないか? ——あ、もしかして、あの怪我治すやつ試してみるつもり? 効くかな、アレ……」
「ふふ、アレよりもっといいものがある」
「もっといいもの……? ってか、なんで私も連れてきたんだ? 私、必要か?」
「必要だよ。ちょっと手伝って貰おうと思って」
「手伝い?」
「そう、だから一緒に来て」
そう言って私たちは、件の女性の元に踏み出す。
すぐ近くまで行った私たちに対して、みんなが驚いてざわめいている。だが、私は気にせず彼女のすぐそばへ。
彼女は苦しそうに荒い息をしていた。呼吸は浅く、ひどく汗をかいている。目は閉じられていて、時折り開けられてもその視線は虚ろで、ちゃんと視えているのかは怪しい。
近づく前にマップで確認したが、その時点では白だった。さすがに、ゾンビになる瞬間は何かしらの前兆とかあると思いたい。
しかし、もうここまできたら、後はやるだけだ。
「マナハス、ちょっとコレ持っててくれる?」
そう言って渡したのは、例の“ゾンビ毒治療”アイテム。——さも何気ない風を装って、ポイと渡す。
受け取るマナハス。
そして——コレ何? とか聞かれる前に、私は畳み掛ける。
「そんでさ、手を出してくれる? その人の上に来るように。それを持ったままで。——そうそう、そんな感じ」
突然の申し出に、マナハスは言われた通りに従う。よし。
私はそそくさと少し後ろに下がる。そしてすぐにマナハスの持っているアイテムに意識を向けて『使用』する。
マナハスが不審に思ってなんか言ってくる前に終わらせるのだ。
すると、マナハスの手が光を放ち出す。——正確には手の中のアイテムだが。
驚いたマナハスが手を動かすと、光は床で寝てる女の人の上に降り注ぐ。そして、彼女の体を光が覆う。神秘的な光が、彼女の体を包む。
誰もが突然のことに驚いていると……次第に光は弱まり、そして消えた。
すると、寝ていた彼女が薄っすらと目を開ける。そして、ゆっくりと体を起こしていく。
彼女は不思議そうに自分の体を見て「あれ、私、どうして……?」などと言っている。
その顔色は健康で——さっきまで死ぬほど苦しそうにしていた人間には、今はもう、見えなかった。
私はくるりと後ろを振り返って——これまでの光景を、呆気に取られて見ていたことが分かる表情を未だにしている——皆さんの方を見る。
そして、厳かな調子で語り出した。
「皆さん。ご覧になった通り、今この御方が、あの女性の体を奇跡により浄化しました。彼女はもう大丈夫です。外の連中のようになることはありません」
この御方、と言ってマナハスを、女性の方は当然、今は半身を起こして床に座っている彼女を手で指し示す。
「ここにおわしますこの御方こそは、天より聞こえる声により御力を授かった奇跡の聖女です。外の連中による影響を、彼女は打ち払う事ができます。なので、安心してください」
マナハスが目を見開いて私の方を凝視してくる——が、当然、私は無視する。
「私たちはこの御方のお陰で、ここまで無事に辿り着く事が出来ました。外の連中の中を無事に進んで来られたのも、すべてこの御方のお陰です。彼女にかかれば、外の連中も恐れる事はありませんでした」
皆さんの視線がマナハスに集中する。突然、注目が集まったことで、マナハスは驚いて固まっている。
——よしよし、キミはそのまま、そうして黙っていればいいんだよ。
「店内に倒れている連中は、今は活動を停止しています。ひとまずは安全です。ただ、これは一時的な処置なので、その内また動き出すと思います。入り口の自動ドアも閉めましたが、これで完全に外からの侵入を防げるとも限りません。なので、この安全は一時的なものと言えます。ですので、早めに何らかの行動を取った方がいいかもしれません」
ここで私はマナハスの元に向かい、その横に立つ。
「私たちは救助の人間ではありませんが……もし皆さんが私たちに助けを求めるなら、それに応えることも考えます。もちろん、自力でどうにかなさるつもりなら、それで構いません。どちらにせよ、ここにいる間は、我々全員が協力する必要があると思います。まずはこれからどうするかについて、皆さんも自分で考えてみてください」
みんなしばらくはポカンとしていたが、言われた事を徐々に飲み込んでいるようだった。
しばらく経つと、何人かが恐る恐る話しかけてきた。
「あの、その方は……一体、何者なんですか……?」
「あえて言うなら、奇跡です」
質問するのはいいけど、もう少し答えやすいものにして欲しいね。
まあ、マナハスの存在が私にとって奇跡であることは、これはまごうことなき事実なので、何も間違いは言っていないよね。
「ドアは本当に閉じてあるの?」
「はい、閉じました」
「店内の連中は動かなくなったって、どういうことだ? 本当に安全なのか?」
「はい、しばらくは起きません。起きたとしても、我々なら対処できるので大丈夫です。安心してください」
「あの人は、本当に治ったの? 大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。奇跡の光で浄化されましたから。連中のようになる事はありません」
「奇跡って、一体どうゆうことなのかしら?」
「信じるものは救われるということです」
「つまり、どういうこと……?」
「……奇跡について話し合うことより、今はもっとやるべきことがあると思います。ここは今は安全ですが、いつまでも安全とは限りません。これからどうするか——考えるべきはそこです。まずは、大人の皆さんの考えを教えてほしいですね」
そこで彼らは、自分が相手にしているのがまだ高校生の子供だということを思い出したようだ。——少しバツの悪そうな顔をする。
そして、お互いにそんな顔を見合わせると、ポツポツと言葉を交わしだして……次第にそれは、話し合いへと変わっていった。
ふう、とりあえずは大人達の話し合いになった感じだね。
さて、後は……
「ちょ、おい。こら、おい。オマエ、ナニ言ってんの、なあ? なんだよ奇跡とか聖女とか、マジで。なに渡したんだよアレ。しれっと私に使わせやがったな……!」
「マナハス……いや、聖女様」
「黙れオイ」
私は詰め寄ってきたマナハスを招き寄せて、みんなから少し離れた位置まで進んだ。
そして、周りに聞こえないように小さな声で話す。
「何ですか聖女様、奇跡ですか?」
「だからマジでふざけんなっつーの。……なんなの?」
「……まあね、私も色々考えたんだよ」
「何を? 何を考えたらこうなるのよ」
「いや、私って目立つの苦手だからさ。さっきまでは何か一番目立ってたし、このままだと、なんか色々聞かれるかなって思って。ほら、私って、大人数と話すのも大人と話すのも苦手じゃん? 知ってるでしょ。だから、さ。ね?」
「ね? じゃねーんだよ。なんでそれで私を担ぎ上げようとしてんだよ。つーかオマエ、さっきあんだけ演説ぶっこいといて、一体、何が苦手だってぇ……?」
「やっぱ、一番担ぐのに適してるのはマナハスかなぁって。それに、ちゃんと色々説明するなんて、私には無理だから。——適当な事はいくらでも言えるけど」
「言ってたなぁ。聖女とか奇跡とかよぉ」
うーん、なかなか怒ってますねぇ。
——そらそーでしょ。いきなりこんなことされたらね。
でもしょーがないじゃん。不思議な力を隠してたら、あの女の人は治療出来なかったし、かと言って、私は注目されたくない……ならマナハスにやらせるしかないじゃん。
——そこでなんでマナハスにやらせる事が決定するんだろう。
なんか——聖女様ぁ! とかって崇められるマナハスってのも、面白いかなって、ちょっと思ってね。
——こういうところがあるから怒られるのよね。
とはいえ、このまま怒られていたらマナハス聖女計画にも支障をきたすので——ここは……マナハスの弱みを突いて攻略してみるかね。
「でもさぁマナハス、ここに来るまでに、実際のところ、マナハスが一番活躍してないじゃん」
「うっ、そ、それは……」
「さっきの店内でも、弾持ってること忘れてたでしょ」
「ぐっ、アレは……」
「大方、自分の銃はおじさんに渡しちゃったから、後は自分はついてくだけ〜とか思って、油断してたんじゃないの?」
「それは、まあ……」
図星じゃねーか。素直に認めちゃうマナハス可愛いんですけどオイ。
「だから、そんなマナハスにも、活躍の機会をあげようっていう私のこの思いやりだけど」
「いやそれは、アンタが目立ちたくないだけでしょ」
「まあ、それもあるけど」
「おい」
「でも実際、ここの人たちと上手くやるには、こういうの必要かもなーと思ったのも事実だよ。普通なら、私たちは子供扱いされて言うこと聞いてくれない可能性高いし。でも、聖女様の方針なら、みんなも無下には出来ないんじゃない?」
「だとしても、私に聖女様とか……いきなりやれって言われてもよー。先に言えよなぁ」
「だって、先に言ったら断るでしょ」
「当たり前だろ」
「だから言わなかったのさ」
「てめぇ……」
「でも、もうやってしまったからなぁ……。残念だけど、諦めてもらうしかない」
「ぐぐぅ……」
「大丈夫、私もちゃんとサポートするし。めっちゃ謙るから。——聖女様ー! って、崇めるから。なんなら、みんなの前で跪いて手の甲にキスしてもいいよ」
「そんなことせんでいいわ。……いや、マジでやめろよ? 頼むからするなよ?」
「それは、フリ?」
「フリじゃねーから! オマエはなんか面白がってやりそうだから、釘刺してんの!」
「そんなにやって欲しくないの?」
「そうだよ!」
「分かった、やらないよ」
「よかった……」
「そのかわり、ちゃんと聖女様やってね」
「なっ……」
「してくれないと、謙って手の甲にキスの三十日間コースだから」
「脅しじゃねーか……下手に出ていると見せかけてこれは脅しだっ。——三十日間コースってなんだよ……なげーよ……」
「それが嫌なら頼んだよ。とりあえず落ち着くまででいいからさ。大丈夫、そんなにかからないよ」
「……はぁ、分かったよ。やればいーんでしょ」
「さっすが、マナハス。そのあふれる優しさ、マジで素で聖女だね!」
「うるせぇっつーの」
そんな事を話していたら、藤川さんと越前おじさんとマユリちゃんがやってきた。
藤川ママンもこっちに来たそうにしているが、私たちの知り合いと思われているからか、やたらと話しかけられて来れなくなっていた。
すぐ近くまできた藤川さんが、さっそく私に尋ねてくる。
「あの、さっきのは何だったんでしょう?」
「あー、まあ、とりあえず、マナハスが聖女様ってことになったから、そこんとこよろしくってことで、オッケー?」
「分かりました! じゃあ、これからは真奈羽様とお呼びしますね」
「なんでそんなアッサリ納得しちゃうの藤川さん! まさかと思うけど、本当に私が聖女だなんて思ってないよね?」
「えーっと、実際は火神さんの力だけど、真奈羽さん——いえ、真奈羽様の力の様に見せるってことですよね」
「分かっているならいいけど……分かってるよね?」
さすが藤川さん。なんか知らんけど順応性高いなー。何となく、彼女ならそうなりそうな気はしていたけど。
「俺にはサッパリ分からないんだけど、説明して貰えないかな……?」
しかし、おじさんの方は、なにやら困ったように私に聞いてくる。
「そうですね……越前さんにも協力して欲しいので、その辺は、追々説明させてもらえればと思います。とりあえずは、このマナハスを、聖女様って感じに扱ってくれたらいいので」
「そ、そうか……」
「……なんか説明が面倒になったら、それ全部、聖女様の奇跡って言ってしまえばいいんですよ」
「あ、それは助かるな。……俺も色々聞かれてさ。この銃の事とか。でも答えようがなくてね」
「それも奇跡でオッケーです」
「分かった。それでいくよ」
「ちょっとぉ、何でもかんでも私のせいみたいなのやめてくれよぉ……」
マナハスが小声でなんかボヤいているけど、誰も反応しなかった。
聖女様(笑)なのにね、ああ、なんて可愛(い)そうな生き物なんだろう、マナハス……。
——コイツ本当に楽しそう。こんな状況なのに……。