第229話 ここでそんなにそれ入れてくる? ——ってくらい恋愛関連情報多めでお送りしております
——まるで、ホラー映画のワンシーンみたい……。
私は、ゆっくりと進む車の窓から見える、霧に包まれた街の様子を見て、そんな風に思う。
まるで現実感のない光景が広がっている……だけどここは確かに、私の住み慣れた街のはずだった。
しかし、それが今や、数メートル先も見えないほどの濃い霧に覆われていて……私はその中から、今まさに脱出しようとしている。
と、その時——
ぼんやりと、見るともなしに見ていた視界の端——そこに何か、動くものが横切ったような気がした。
……気のせいかもしれない。
だけど、もしもそうじゃなかったら……。
「……真奈羽ちゃん」
「ん、なに……? どうしたの、春瑠香ちゃん」
「えっと、その……今、向こうの方で、何かが動いたような気がして——」
「えっ、ほんと?!」
「あ、いや、勘違いかもしれないんだけれど……」
「ううん、大丈夫。ありがとう、教えてくれて」
そう言って真奈羽ちゃんは、私が指摘した方向に対して、一気に警戒心を募らせる。
そんな様子を見ていると……すぐに私の心には、不安な気持ちが湧き出してくる。
——どうしよう……見間違いかもしれないのに。
——これで真奈羽ちゃんが、ぜんぜん見当違いな方向に注意を向けてしまって、別の方向から来た敵に気がつかなかったら……。
——いや……それなら、私がそっちに注意を払えばいい。
またぞろ、色々と考え込みそうになった悪い癖を振り払うように……私は私で別のところを警戒しようと、視線を切り替えようとする——その前に、でも最後にもう一度だけ確認しておこうと、さっき指摘した場所へと、私が再び目を凝らしたところで……
その視線の先の霧の中から、ナニカがこちらに向けて飛び出してきた。
「ひっ——」
「——っ! 出たっ……!」
言うが早いか、真奈羽ちゃんは腕に嵌めていた“光る輪っか”を車の窓越しに飛ばして、襲いくるナニカに攻撃する。
ズガッ——!
“キイイイイイイイイィィィィィィィィッッッ!!”
“光の輪っか”が命中したナニカは、謎の不気味な反響音を発しながら、吹き飛ばされて霧の中に消えていった。
やはりいる……怪物が。この霧の中には。
そして奴らは、私たちのことを狙っている……。
どうして、こんなことになったんだろう……
ともすれば——次の瞬間にも恐怖で真っ白になってしまいそうな思考能力を、無理やり繋ぎ止めるように……
もう何度目かも分からない——この恐怖体験が始まるまでの経緯を、私は思い返していく……。
——
————
——————
昨日までは、別になんともなかった。
なんの変哲もない、ごく普通の春休み中の高校生だった、私は。
四日前には、従姉弟の等路木一家の——真奈羽ちゃんを除く——みんなが、うちに遊びに来ていたけれど……その時にはまさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった。
だけどそういえば……一昨日くらいには、親戚一同が参加しているグループトークに、何やら警告をするようなメッセージが、その等路木ファミリーから発信されていた。
言われてよくよく確認してみれば、確かにインターネット上には、何やら不穏な情報が多く上がっていることに気がついた。
でも、自分の周りでは特に何も、おかしなことは起きていなかったから……私はそれを受けても、何か特別な行動を取ることはなかった。
——結果的にそれは、せっかくもらっていた警告を無視したも同然の愚行であり、そしてまた、取り返しのつかない過ちでしかなかった……
だけど、そんな私たちを、真奈羽ちゃんは今回、こうして助けに来てくれたんだよね……。
今日のお昼時に、真奈羽ちゃんたち一行が私たちの家に来た時には、とても驚いた。
なにせ真奈羽ちゃんが、“魔法使い”になっていたんだもの。
しかも、それだけじゃない。それに加えて——謎の女騎士さんとか、ちいさくてかわいいウサギさんなんていう、普通じゃない仲間たちも連れていたのだ。
そんな真奈羽ちゃんから、「この辺りも危ないかもしれないから、一緒に避難しよう」って言われたら、もう頷くしかなかった。
避難には賛成したけれど、私には気がかりがあった。
私以外の、秋希穂姉や夏津美や冬雪樹にも、それぞれ気かがりな相手がいた。
私の場合は、それは他でもない……一番の親友の柚月——ユズちゃんのことだった。
あとはまあ、幼馴染みの桜空舞——“さっくん”のことも、やっぱり気になってはいたけれど。
だけど真奈羽ちゃんは、さすがに誰かれ構わず助けるつもりはないようで……
最優先するのは、親戚である私たち四季島家の人間で、他は申し訳ないけれど二の次だと言っていた。
でも私たちが、どうしても助けたい人がいると言ったら——最初は渋っていたけれど……でも、最後は押し切られたように——彼女は「それぞれ、一人につき“一人”まで」という条件で、それを許してくれた。
でも、そう、“一人”だけ……。
ユズちゃんと、さっくん、私が選べるのは、とても大切な二人のうち、どちらか一人だけ……
そんな、そんなの——究極の選択じゃない……っ!
と、思ったのだけれど……
ウチと昔から付き合いの深い花園家については、私以外の家族のみんなも「大事な人たちだから」——と、みんなして言ったので、例外として(“一人”のカウントには含まずに)助けてくれることになった。
——まあ、それについては、花園家がウチから本当にすぐ近くにあるご近所さんだから、という理由もあったのだと思う。
おかげで私は、親友のユズちゃんと、幼馴染みのさっくんのどちらかを選ぶというという究極の選択をせずにすみ、自分が助けたい“一人”として、ユズちゃんの名前を挙げることができた。
それから、まず最初に向かったのは、当の花園家で……
そこで——今思えば、とても運良く——たまたまちょうど一家が全員揃っていた花園家の面々とまるっと合流したら、またすぐに次に向かった。
お次に向かったのは、秋希穂ねえが挙げた“一人”である、早織梨さんの住むアパートだった。
秋希穂ねえがサオリさんを“一人”に選んだ理由は、よく分かる。
——何を隠そう、サオリさんは秋希穂ねえの恋人なのだ。
恋人がいるんだったら、それは当然、なんとしても助けたいと思うだろう。その気持ちは、私にもよく分かる。
秋希穂ねえはここでサオリさんと合流すると、この車から彼女の車に移っていった。
お互いを一番に想い合う二人を乗せた車を追加して、お次に向かったのは、私の挙げた“一人”である、ユズちゃんの住む普通の一軒家だった。
私が挙げたのはユズちゃん一人だけれど——もちろん、ここで家族を残してユズちゃん一人だけを連れていくわけにもいかないので——ユズちゃんの家族も全員乗った車が新たに追加された。
——ユズちゃんの家族も、今日はたまたま全員が家に揃っていたので助かった。
——……でも、もしかしたらそれも、昨日私が送ったメッセージを真に受けてくれて、何か家族に働きかけてくれたりとか、してくれていたのかも……?
ともかく、ユズちゃんを助けることができて、私は心底ホッとした。
なにせ彼女は、私が最も大切だと思う人……親友だから——だけど……ううん、今となってはもう、それだけではすべてを表せなくて……
だって彼女は、私が他の誰よりも真っ先に、もっとも大事な“一人”に挙げるくらいに、特別で、大切で……最愛の人だから。
本当に……今更ながらに後悔してる。こんなことになるんだったら、色々とウダウダと悩んでないで、思い切って告白しておけばよかったって。
ずっと親友だったから……いまさら関係性が変わるのは怖いから……普通じゃない、同性同士だから……彼女はたぶん、普通に異性が恋愛対象だから……告白しても成功する可能性は低いし、いや、たぶん成功はしないし——だって彼女には、誰か好きな人がいるみたいだし——彼女も私のことを好きだなんて奇跡を信じられるほど、私は彼女を知らないわけじゃないし……だから告白しても振られる可能性が高いし、そうなったらどれだけ辛いだろうかと考えるだけでも苦しいし……だけど……そう、一番怖いのは……告白して、振られて——そして、それが原因でなんとなく気まずくなって、それまでの親友という関係すら続けられなくなって、彼女とはそれっきり、少しずつ距離が開いていって、そのまま、ついには離れ離れになってしまう……なんて、そんな想像よりも恐ろしいものはなくて。
だけど、今こうして、このまま死ぬかもしれないという状況になってみて、思った。
このまま気持ちを伝えないまま死んでしまったら……そんなの絶対イヤだっ! ——って。
だって本当のところは……分からないじゃない。
私は自分でも、人間関係の機微には聡い方だと思っている。その辺りの洞察力には、昔から自信がある。
実際、今日ここに至るまで、秋希穂ねえは自分とサオリさんの関係を——おそらく誰にも……それこそ家族にすら——話していなかったけれど……でも、私は前から察していた。
だから、他のみんなが驚いている中で、私は秋希穂ねえのカミングアウトにも、今更驚くことはなかった。
だからたぶん、家族の他のみんながそれぞれ挙げていった“一人”についても——まるで“答え合わせ”をしているようで——私にはどれも意外じゃなかったし、それによって私は、自身の洞察力に、よりいっそう自信を深めたくらいだった。
でも、そんな私でも、事が自分に関することになると、途端に得意の洞察力にも確信が持てなくなってしまう。
なぜだろうか……分からないけれど、私は自分に関することにだけは、この特技を活かすことが出来ないでいる。
“灯台もと暗し”とも言うし……あるいはそういうことなのかもしれない。誰だって、自分自身についてが、一番分かりづらいのかもしれない。
でも、自分の気持ちについては、すでにはっきりしている。
私はユズちゃんが好き……この気持ちの——大きさが、熱量が、色彩が、渇望が……苦しさが……愛情が……迷いが……痛みがっ、狂おしいほどの情熱がっ、この上ない幸福の源泉がっ、人生でもっとも大きなあの衝撃がっ……その答えがっっ——……向かう先が友情では、もはや納得できない、絶対にそれだけじゃ足りない。
だからきっと、これは“恋心”と呼ぶべきもの……
……だけど、肝心の相手であるユズちゃんの気持ちが、私には分からない。——きっと自分の気持ちが邪魔をしていて、冷静な判断ができない。
彼女が誰を好きなのか……私のことを、どう思っているのか……少しでも脈はあるのか……それとも完全に脈なしなのか…………やっぱり、本当のところは、ちっとも分からない。
友達としてなら、分かる。お互いをお互いに一番の親友だと思っていると、そうお互いに確信していると——言葉にしなくても、お互いにそれを理解していることを、私は知っている。
だけど——いや、だからこそ、そこより先の可能性があるのかどうか……それが分からない。
彼女の好きのカタチが——どこまでいっても友情でしかないのか、それとも、もしかしたら——恋愛へと変わりうるのか……一番肝心なところが、確信できない。
だから躊躇してしまって……私は、今日の今まで行動できていなかった。
だけど分かった。
確信なんて……きっといつまでもできないんだ。
それに、そんなもの……必要ないんだって、やっと決心できた。
だって私、このまま死んでしまったら、死んでも死にきれないから。
たとえどんな結果になろうとも、彼女に想いを伝えられないままの結末よりは……絶対にそちらの方がいい。
だってこのまま、想いを胸の内に秘めたままで終わってしまったなら……それじゃ私の気持ちは、元から存在しなかったのと同じじゃない……そんなの、そんなの耐えられない——っ!
この気持ちは……この気持ちだけは、無かったことになんてさせたくない。
だから……
だから私は……
この霧の中から脱出できたら、その時には……絶対に彼女に告白するっ——!!
本当は彼女を迎えに行ったあの時に、伝えるべきだったんだ。
だけどあの時は……出来なかった。色々と——急いでいたし、この場で断られたら気まず過ぎるし、周りのみんなになんて思われるか気になるし……とかなんとか、この期に及んで色々と言い訳を探して、そして……まだこの先にも機会はあるだろうって、最後にはそんな愚かな結論に至って、そのまま先送りにしてしまった。
きっとまだ、本気度が足りなかったんだ。
だってまだ、あの時には霧も無かったし、危険はまだ近くにはきていなかったから。
だからそんな——今となっては後悔してもしきれない——痛恨のミスを犯してしまったんだ。
だけど、今さら後悔しても……もう、遅い……。
ユズちゃんの家を出た時にはもう……辺りは完全に、今のように謎の霧に飲み込まれてしまっていた。
私たちは、数メートル先すら見えないような、異様に濃い霧を不気味に思っていたけれど……
そんな私たちよりも——不思議な力をその身に宿している分だけ、気持ちにも余裕が出来るだろうから——よっぽど落ち着いていられるはずの、真奈羽ちゃんたちはというと……
しかし、こちらもこちらで、その時には私たちと同様に——いや、あるいは私たち以上に、緊迫した雰囲気に切り替わっていた。
その明らかに過剰な反応には、私もやおら不安に駆られて……気がついた時には、真奈羽ちゃんに声をかけていた。
すると、私に詳しい状況を尋ねられた彼女は——明らかに何か良くないことが起こっている時に、浮かべるような苦い表情をしながら——私に答えた。
聞いているこっちが、思わず悲壮な表情を浮かべずにはいられないくらいに、重苦しい口調で……「その……実は、今の私たちって、能力がほとんど使えなくなっちゃってるんだよね……」と……。
事実……それからの真奈羽ちゃんは——それに、彼女に同行していた他の“能力者”さんたちも——特殊な能力らしい能力をほとんど使わずに、ここまでやってきた。
今の彼女に出来るのは——魔法の道具らしい、右腕に嵌めている——“光の輪っか”を飛ばす攻撃だけになっていた。
他の人たちの中でも、戦えるのは銃を持っている——越前さんと藤川さんという、この二人だけで……他の人は戦いに参加することすらできなくなっているみたいなのだった。
そう、霧はただ視界を塞いで能力を使えなくするだけじゃない——いや、それだけでも十分に脅威だけれど——さらにその上、最悪なことに、霧の中からは正体不明の怪物が襲ってくるようになっていたのだ。
いまだにコイツらの正体は分からない……なにせ霧によって視界はとても悪いし、必死に追い払いつつ逃げるだけで精一杯で、じっくり観察する余裕なんてまるで無いくらいに、ギリギリで切り抜けているのが現状なんだから……。
こんな状態になってしまっては……もはや誰かを助けにいくどころじゃない。
なにせ、自分たちの命すら危ういのだから……たとえ、不思議な能力が使える真奈羽ちゃんたちがついているのだとしても……無事にこの霧から脱出できる保証なんてない。
だって、その真奈羽ちゃんたちが、ろくに能力を使えなくなっているんだから。
そんな中で、他の人を助けに行ってだなんて……言えるわけない。
分かってはいるのだけれど……それでも、その現実は辛かった。
私はすでに、絶対に助けたい二人を(現時点では)なんとか助けることが出来ていたから——いや、だからこそ、申し訳ないような……どうしようもない罪悪感があった。
だってそう……次に助けに行くはずだったのは、夏津美の付き合っている彼氏くんが住んでいるところだったから。
夏津美よりも歳上の、高校生の彼氏……
案の定というか、夏津美はこの彼氏の存在を隠していたけれど……私はすでに知っていた。——まあ、その彼氏くんが、私と同じ高校に通っていたのもあって、たまたま。
だからそう、私は——二人の仲の良さや……何より、夏津美がどれだけその恋を大切にしているのかを、知っているから……
だからこそ、私は——もう一台の車に乗っている——夏津美は今、いったいどんなに苦しい思いをしていることだろうと……それを考えただけで、ものすごくいたたまれない気持ちになる。
だけど、どうにもならない。
私には、どうしようもない。
だから、今の私に出来ることといえば、もう——
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「あっ——マズいっ、あっちにも敵がっ……!!」
真奈羽ちゃんの焦ったような叫びで——現実逃避のように、頑なに続けていた回想から——私の意識は一気に現実に引き戻される。
なにせ彼女が見据える先にあるのは——ユズちゃんが乗っている車……っ!
その車に近寄っていくのは——すでに何度も襲ってきている、例の怪物だ……っ!
だけど——戦える三人は誰も、その怪物を止めるために行動できない。
怪物は他にもたくさんいて、私の乗る車にも何体も襲ってきていて、三人はそれらを追い払うのに、すでにかかりきりで——誰も動けない。いや、すでに動いている。だから、だからこれ以上はもう……っ!
——やめてっ! 誰かっ、誰か助けてぇっ!!
——お願いッ! まだ、まだ伝えられてないのッ、だからッ!
——そんなッ!! いやっ、いやぁぁぁぁぁッッッ!!!
私のその、言葉にならない絶叫に——
まるで応えてくれたかのように——その時、ユズちゃんの乗った車にたどり着く寸前の怪物の前に割って入るように、あの女騎士さんが飛び出した。
——っ! やっ——助かっ——
しかし——私の希望は……生まれた瞬間に摘み取られてしまった。
なぜなら……
怪物の攻撃を受け止めた女騎士さんが——その、たった一撃を受けただけで——淡い光を残して、跡形もなく消えてしまったから。
呆然と——やられて消えゆく女騎士さんの、おぼろげな光の残滓を見つめる私……
そんな私の脳裏に、その時——ふとよぎったのは……
——いや、この場を生きて切り抜けられたら告白って……それ、これ以上ないくらいに見事な“死亡フラグ”ってやつじゃない……?
という、なんとも間抜けで場違いな悔恨の情だった……。




