第225話 酔いは醒めた後が怖い……
私は後ろ髪を引かれつつも日本酒からいったん離れて、別のお酒に手を伸ばす。
そうして、すでにだいぶ回っている酔いにまた新たな燃料を投入しつつ……お喋りは続いていく。
『“——……終末世界でも一等安全で平和な都市にしたいね、「聖都」を……”』
『“そうかい。それは立派な心意気で。——でもま、そのためには、統治者が強くならねぇとな……なんせこれから先の時代は、まさに弱肉強食の戦国時代なんだからよ”』
『“ふん……そんな危険な時代になろうとも、私は自分のやりたいことを貫くさ”』
『“おう、好きにやりゃあいい。それが出来る時代でもあるのさ。ただし、「強いやつは」——という前置きが、そこには付くんだけどな……”』
『“目指すべきは、やはり最強か……。最強になれば、終末世界だろうが、どんな贅沢だって思いのままに……なるんだろうか?”』
『“まあ、己らの能力のことを鑑みれば、実際のとこ、かなりやりたい放題できそうだよな”』
『“んー、「聖都」で一番の権力者である聖女様は、聖都で一番の贅沢をするべきだろ——というわけで、終末世界でも一等安全な都市でも一番の贅沢といえばっ、……なんだろうね?”』
『“んー……そうだな、あれじゃね、「超巨大な豪邸に住む」——とかじゃね? まあ、土地は貴重だろうからさ。それこそ、手前に「安全な」という言葉が付くようなそれとなると、なおさらな”』
『“確かに……それはあるね。そうだね——基本的に聖女様とお付きの数人くらいしか住んでないのに、無駄にデカい宮殿とかあると……なるほど、権威づけにも有効かもしれない”』
『“なんかお前、本気でやりそうだよな、それ……”』
『“クソデカ宮殿もいいけど……どうだろ。他には、何かあるかな……”』
『“どうかな。ま、実際のところ、己たちみたいな能力者だったら、大抵のことは出来そうだけどな、やろうと思えば。それこそ、安全な拠点が欲しけりゃ、そもそも自分で作ればいいんだから”』
『“確かにねー。となると、庶民目線から考えたらどうだろ。「聖都」に住む市民にとっての一番の贅沢——それは……?”』
『“そうだな……それこそ、さっき言ってた、創作なんかの——趣味に没頭できるってのは、けっこうな贅沢になるんだろうが……普通なら”』
『“ところがどっこい、「聖都」なら、それを出来るような環境を作ることこそが都市の理念なので……できます!”』
『“そりゃすごい。終末以前の世界でだって、そんなことは中々出来なかっただろうに”』
『“そう、すごい都市なんだから、聖都は。……あ、でも、他はとにかく、あの趣味だけは……ちょっと無理かもしれない——ってのがある、かも”』
『“ん、なんだ? それ”』
『“うむ……なんだと思う? 終末世界においても安全な都市だとはいえ、これだけはちょっと無理ってなる趣味”』
『“ん? んー、なんだろうな……。——いや、あれじゃね、それこそ、こういう……酒とか、そういう嗜好品は簡単には手に入らないから、そうそう味わえないんじゃね?”』
『“いやいや、その辺の嗜好品くらいは、少し頑張れば手に入るくらいにしてあげたいね”』
『“ということは、その辺の物資は、無条件で与えるってわけじゃないんか”』
『“さすがにそこまではねー。最低限の安全と生活は保障するけれど、それ以上は個人の裁量で……ってところかな? でもまあ、それくらいの方が、むしろ張り合いが出そうでいいんじゃない?”』
『“さてね……しかしそうなると——大抵のものは手に入るんだろ? だったら、大体の趣味は出来そうだけどな。それでも無理な趣味……? んー……ちょっとすぐには思いつかんな。……降参だ、答えを言ってくれ”』
『“ふむ……まあ、アレだよ。答えはズバリ……「旅行」——とかが代表的な、いわゆるアウトドア系の趣味さ”』
「ふっ、ふふふふふっ……いやいや、ずりぃだろーその答えは……!」
『“ふふ……ま、ちょっと引っかけ問題だったかな?”』
『“まったくよぉ……そりゃあそうだぜ。安全な都市の外にわざわざ出る趣味なんて、そりゃあ無理だわ。——は、やられたね……”』
そこでマリィは、おもむろに“パチン”と指を鳴らした。
『“でもそうか、「旅行」ね……確かに、言われてみれば、危険な終末世界で持つ趣味としては、これほど贅沢なものもないわな……”』
『“さて、どうやら一本取れたみたいだし……ここは一つ、見返りを要求させてもらおうかな”』
『“お、なんだ? 言ってみろよ”』
『“いやね——前にチラッと言ってたけど——さっきのアレ、私にもやり方教えてよ”』
『“ああ……これ?”』パチン——
『“そう、それ”』
『“なんだ、そんなことか……お安いご用だぜ”』
カシュ、カシュッ——…………——チン、ッチン、パチッ……パチンッ!
『“贅沢といやぁ、確かに……今のご時世、こんな時間を過ごしている時点で、すでにとんでもない贅沢なんだよな、今の己たちって”』
『“ん……確かに、ね”』
『“酒と音楽と、友と談笑……ってか。——ま、そうだな……ある意味、これ以上の贅沢は無いわ……”』
『“マジそれな……マジで、今の私——人生でもトップクラスに楽しい時間過ごせてるわ……。控えめに言って、お酒って最高だね……特に日本酒”』
『“ふふ——ああ、そういや、これもあったんだっけか……”』
そう言ってマリィが、おもむろに懐から取り出したのは——葉巻だった。
『“おいおいおーい、マリィさんよぉ……それはちとカッコつけが過ぎるんじゃねぇかぁー?”』
『“酒とも合うんだ、これが”』
なんて言いながら、マリィは葉巻の端をスパッと切り落とす。
『“——ん、火ぃ……っと、そうか、ここにいるじゃん”』
そう言って、なぜかこちらを見てくるマリィ。
どころか、私に向けて咥えた葉巻の先端を向けてくる。
『“なあ、火ぃ貸してくれねぇか、火神さんよ”』
そして、やたらと“火神”に含みを持たせるような言い方で——実際、ニヤニヤとした笑みを、その顔にありありと浮かべながら——そんなことを宣った。
なので私は……
パチンッ——
と、覚えたばかりの技術を披露するのと同時に——これまた、初めてお披露目する技能を発動した。
『“火蝶舞遊”』
すると——
まるで、指が弾かれる音に合わせて起こった火花から舞い上がるように——炎で象られた蝶々が空中に生まれ出でると、ひらひらと宙を舞い踊るようにその場を優雅に浮遊する。
その不規則な動きは、いかにも気まぐれな戯れのようで——
そんな、何者にも縛られない自由さを体現するかのような、奔放な動きに身を任せている炎の蝶が……
しかし、ふとした拍子に、ふわりと舞い降りる先に目指した、その場所こそは……マリィの咥える葉巻という名の止まり木だった。
とはいえ——それでもすぐにはその止まり木にも止まることなく……まるで焦らすように、その近くで宙に揺蕩う蝶々……。
マリィは面白がるように蝶を見つめながらも、まるで——見ているものを惑わせるような——蝶の動きに合わせるように、葉巻を微細に動かしていく。——それはなんだか、なにかを誘いかけるかのような動きだった。
ややあって——いよいよ焦れたように……私の蝶が、マリィの咥える棒の先端に触れる。
すると……ジジ、ジィッ——と、先端に留まった蝶から伝わる熱により、たちまちのうちに、そこには赤く光る炎が点っていた。
と、思った次の瞬間には——すでに蝶は再び宙に舞い上がっており……そのまま、空に解けるように形を失い、気づけば跡形もなく消え去っているのだった。
「——ふぅぅぅ……ふふっ、これはまたなんとも、趣のある演出じゃねぇか……。——いや、悪くないね……悪くない……」
なんて——実際かなりの上機嫌そうな様子で、紫煙と感想を満足げに吐き出すマリィ。
「ふぅぅ……さぁて——こいつに一番合う酒は、どいつかな……」
続いて、なにやらそんな風に呟きながら……いくつもある酒の中から、お眼鏡に叶う一品を求め、吟味しだす。
そのまま、一吸いしてはあの酒を呑み、また一吸いしては別のを呑んで、としながら——やれ「いいね、合うね……」だとか「うん……こっちも、なかなか……」とか言って、悦に入っている。
まったくコイツは、まったくよぉっ……
『“おい、通ぶってんじゃねーぞ、こらっ。どーせ今回が吸うの初めてなんだろうが、あぁん……?!”』——やたらにカッコつけやがってよぉ……『“どうせ違いなんて分かってねーだろ、何がどう違うってんだよ”』
『“いやいや、全然違うさ”』
『“嘘つけ”』
『“本当だって……なんなら、お前も自分で試してみろよ?”』
そう言うとマリィは、私に向けて、今まさに吸っていた葉巻を差し出してくる。
さらには——
『“——まあ、そもそもお前に葉巻を嗜めるだけの器量が備わっているのなら……の話だけど”』
『“——っ、できらぁ!!”』
なんて煽ってきたので、私は反射的にそう言って葉巻をひったくると、気取った所作で口元に咥えて——
「すぅぅぅ……っ! ウッフ——エッホゲッホ! グゥッェッホゴォッホガッボゲェッブェッ」
「……っはははははははははへっへっへっへっへっふふふふふふははははははっ、あはっはうっふおっおっほ、ごっほ!」
「エフッ、エッッフ……! いや笑いすぎだろ! ってかっお前も咳き込んでんじゃねーか!」
「い、いや……ふふっ、これは、笑いすぎの、だから……ひひひひ」
「いつまでも笑ってんじゃねー!」
「ひひっ——んんっ」
葉巻をマリィの口に無理やり突っ込むように突き返して黙らせる。
『“……ふふっ……お前には、これはまだ早かったみたいだな”』
『“うっせぇ……。違うんだよ、こんなはずじゃ——おかしい、こんなのって、おかしいよ……”』
『“ま、こいつの吸い方についても、いずれまた教えてやるよ”』
『“調子に乗るなよ、このやろー……”』
『“そう言うなって……悪かったよ。お前と呑むのが楽しすぎて、ちょっと羽目を外しすぎたな……”』
『“……ふん、だったらもっと呑むぞ……こうなったらとことん呑むぞ。あとリクエスト——へいDJ、「“この曲”」をお願い”』
『“あいよ、お任せを……”』
酒と音楽に、友との談笑……
私とマリィは、その後も酒を酌み交わし、音楽に酔いしれ、時に歌い、時に踊り、そして、ところどころ軽く意識を飛ばしつつ……
それからもひたすらに、ただただこの時間を楽しみ、心ゆくまで、お喋りに花を咲かせていった……——。
。
。
。
〈条件達成を確認〉
〈新たな機能が解放〉
……。
《——“領域”が攻略されました》
…………。
《目標——【“領域”の攻略】が達成されました》
……。
…………。
………………っぬ——?
なにかの違和感が芽生えたことで——私の意識は、微睡みより覚醒する。
……あれ、私……ちょっと寝てた……?
ぐわんぐわんと鳴って、なにやら薄靄がかかっているように不明瞭な——控えめにいって、これはまさに絶不調といえる頭を急速に起動させつつも……私の体は、いまだにソファに沈んだまま、まるで動こうとしない。
言うことを聞かない体をひとまずは放置して、現状では唯一意識して動かせる眼球を駆使して、私は周囲を確認する。
仄青く薄暗い室内……
鳴り響く落ち着いた調べの音楽……
ぐっちゃぐちゃに散らかったテーブル……
そして、そこに突っ伏して寝ているマリィの後ろ姿……
そうして、移りゆく視線がたどった最後の場所——私の目の前には、今まさに、青白い光を反射する鏡面質のナニカから出てくる人物が……
って、コイツは——
『“鏡渡り”』
宙に浮いた大きな鏡の中から唐突に出現した、私の目の前にいる人物……それは私だった。
「……あれ、おかしいな……私の目の前に私がいるのが見えるぞ……? これは鏡か? ——って、いやいや、それはなんのシャレじゃ……。おいおい、なんなんだこれは……ううう——頭が痛ェ……酒の飲み過ぎ……はっ、そうか、これは幻覚——っ?!」
「……お前が飲み過ぎているのは、それは確かにそうとしかいいようがないのだけれど……私は幻覚じゃなくて本人だよ。というか本体だよ。アンタのね」
「ほん、たい……?」
「おい、こら……この——酔いどれボケナスクソ分身さんよ……説明してくれる? 私に。そのふざけた体たらくに至った経緯の、その全容をよ……」
「……あー、あっ、あぁ…………」
「いや、あー、じゃなくて。説明しろって言ってんだけど。——なんだおい、それは? あれか? 頭にデカい針ぶっ刺されてクチュクチュやりながら『水見式がっ、あっ、もっとも一般的な、あっあっ』とか言いたいってことかぁ? ああぁん?」
「……フェイタン?」
「ポックルさんだよバカ、関係ないフェイタンどっから出てきた? てか『コムギ……?』みたいな言い方で間違えてんじゃねぇ……、——ふふっ……」
「……ポックル?」
「なにも分かってねぇじゃねぇか……」
ぶっちゃけマジで、今は頭が働かなくて何を言っているのか分からないので、ちょっと待ってほしい……としか今は思わない。
というかこの人、いったいなにをそんなに怒っているんだろう……?
「…………んんん、んうぅっ……んぁ」
と、そこで——私の隣のマリィが、おもむろに体を起こした。
「あら、おはよう、マリィ。——珍しいね……アンタが人前でそんな無防備に寝てるなんて」
「……? 火神……?」
マリィはこちらを見下ろすように立つ私を見て、それから、次にソファに仰向けに沈んでいる私の方を見て、そして……にわかに混乱しだす。
「……どうなってんだ、おい……おかしいな、火神が二人いるように見える……なんだこれは。ぐ、うう……さすがに、呑み過ぎたか……? はは——幻覚が見えるまで呑むだなんて、初めてだ……」
「だから幻覚じゃねぇって。本物なんだよバカ。私が本体なんだよ。……ってかさ、マジでお前ら、なにやってるんだよ、これは……? ちょっと、マジで……軽くキレそうなんだけど、私……」
「な、なんか知らんけど、お、落ち着け、私」
「私は落ち着いてんだよ。最初からな……!」
怒り心頭な私を見て、私は思わず宥めようと立ち上がって駆け寄ろうとして——体はその指令を上手く実行できず、立ち上がった瞬間にふらついてその場に崩れ落ちる。
「ちょ——お、おい……大丈夫?」
思わずといった風に——さっきまでの怒りも忘れたように——一転して私が心配して声をかけてくる。
しかし今の私は……それどころじゃなかった。
「……な、なん……ゆ、揺れてる……じ、地震かっ……?! ——で、デカいぞ……!」
「……はぁ、マジでこの、バカがよ……」
すると今度は、私に続いて自分も立ちあがろうとしたらしきマリィが……立ち上がりかけた状態でゆらゆらと揺れたまま、にっちもさっちもいかなくなっていた。
「確かに……揺れてるな。これは相当、大きな地震だぞ……」
「マリィ、お前もか……」
「おいおい……不死者や怪獣の次には、大地震ときたか……こりゃあ、なんだ、次は大洪水でも来るってのか? ——なんてこった……世界の滅亡も待ったなしだぜ……」
「滅亡してんのは、お前らの脳内の思考能力と平衡感覚な。——くそ酔っ払いどもがよ……」
結局それから、私たちの滅亡した脳内が復興したのは——しばらくして少し落ち着いてきたところで、酔い覚ましの薬を飲んでからのことだった。
すっきりした頭で、私は改めて私の本体に尋ねてみると——
「私——の本体が、ここに来てるってことは……というか、ここに一瞬で来られたってことは……」
「そうだよ、ついに“領域”を制圧完了したから、こうして迎えに来てやったんだよ。——いや、最初はそっちから来るかと思ってたんだけど、でも、いつまで経っても来なかったし、通信にも応じないから、どうしたんかと思って来てみたら……この体たらくだよ」
「……な、なるほど、左様でしたか」
うんまあ、そりゃあ……怒るわな。
「それで……? いったい何がどうしてこうなったのか、ちゃんと私に説明してくれる……?」
そう言って、凄みのある笑顔でこちらを見てくる私(の本体)。
自分のことだから分かる……一見すると笑顔だけれど、あれはめっちゃキレてる上での“笑顔”なのだ——ということを。
うん、えっと、その……ね。
「これに関しては……だいたい全部マリィのせいです」
「へぇ?」
「おいおい……」
「……とか言ってるけど——そうなの? マリィ」
「……ま、そうだな。ここは一つ、そういうことにしておこうか」
私がすべての罪をマリィに押し付けると——
素敵で頼れる私の相棒は、一応はそんな風に、私のことを庇ってくれたのだった。
……いやまあ、実際、半分以上はお前のせいなんだから、別に嘘は言ってないからね。




