第218話 待ち人(ヒーロー)は遅れて(というかギリギリに)現れる!
さすがの私も、頭の中が混乱していた。
ありのまま、つい先ほど見た光景をそのまま受け止めるなら——謎の小学生が突如として虚空に水を生み出し、それを操り、飛ばして、二人を制圧した……と、そういうことになる。
しかし、それはこの目で見ても、にわかには信じ難い光景であり、現象だった。
なにせ水が——まるで意思を持っているかのように自在に動いて、スカオとメガネの二人を倒してしまったのだから……。
それを成したのは、二人よりも年下の、小学校高学年くらいの——まだまだ子供といえる年齢の人物だった。
びしょ濡れになって床に這いつくばっている二人には目もくれず……その子は私の目の前までやってくると——ついさっき、この上なく衝撃的な出来事を起こした本人とは思えないくらいに——いかにも気軽な調子でこちらに話しかけてくる。
「そこのおねーさん、名前は? なんていうの?」
「……人に名前を聞くなら、まずは自分から名乗ったらどう?」
「あー、おれはー、ミナト。水島湊」
「私は……火神風莉」
「フウリね。じゃあフウリ、お前をおれの仲間にしてあげるからさ、今から——」
「は? 呼び捨て? お前??」
「ん? え、なに?」
「いや、なに——じゃなくて。私、君よりだいぶ年上なんだけど。それに、初対面だし。それなのに……名前を呼び捨て? お前呼び? いやいや、あり得ないで——」
「え、そんなこと気にしてんの?」
「は?」
「年上って……一つか二つくらいでしょ、お前だってまだガキじゃん」
「……え、いま私、ガキにガキって言われたの? 嘘でしょ?」
「おい、ガキって言うなよっ。おれさぁ……誰かにガキって言われるのが、マジで、イチバン嫌いなんだよ」
「自分が先にガキって言ったんだけど?」
「またっ——はぁ? いやいや、そっちが先に年上ぶるからじゃん? 自分だってガキのくせに」
「また言ったよ。このガキ」
「……あのさぁ、お前さぁ、自分の立場分かってないの?」
「は? なにが?」
「ほんとに分かんないの? フツーに考えたら分かるでしょ……自分の立場が圧倒的に下だってくらい」
「私が、君より下……? え、なんで?」
「は? 逆に何が上なの? 歳以外で」
「え……すべて」
「は、バカかよ」
「あれ、いまさら自己紹介の続き?」
「……カッチーン。もういいわ。話にならねー」
「そうだね。知性に差があり過ぎて、会話が成り立たないみたい」
「……あーあ、見た目はマジでパーフェクトなのに、中身がガチでヒドすぎる」
「……」
ヤバい……相手があまりにもクソガキ過ぎて、反射的に色々とやり返してしまった。
マズいな——本当はもっと上手いこと言いくるめて、どうにか懐柔してやるつもりだったのに。くそっ、さすがの私も平静さを欠いているんだ、あんなの見せられた後じゃ……
「でも、この見た目なら……中身サイアクでもいっか。——それにどうせ、逆らおうとしてもムダなんだから……反抗的でも問題ないしね」
次の瞬間——突如として私の目の前に、半透明の画面が出現する。
動揺——を努めて抑え込み、私は止まりそうになる思考を働かせて、目の前の異常を観察する。
画面には何やら文字の羅列——文章が映し出されている。
これは……
「なんて書いてあるのかを読む必要はないから。とっととイチバン下までやって『はい』を選んで」
「……選んだら、どうなるの」
「力に目覚める」
「っ……、…………」
「だから、読まなくていいんだって……」
「……どうせ、これを受け入れたら君の言いなりになるんでしょ? だったら——」
「いや? 違うよ?」
「な……嘘——」
「ホントだよ。ただ、おれがその気になったら、あげた力をいつでも好きな時にとり上げることができるってだけ」
「……ならどっちにしろ、論外ね。君に主導権がある以上、私は——」
「いいから、『はい』を押して」
「だから、私は——」
「断れるワケないじゃん」
いつの間に出現したのか——気が付かないほど自然に、かつ唐突に、私が見据える目線の先に、水球が浮かんでいた。
その向こう——水越しに見るぼやけた輪郭の顔の中で動く口からは、私を追い詰めるに足る、決定的な事実が告げられる。
「おれは能力者で、特別な人間。そっちは無能力者の、ただの人間。分かる? もうどっちが上かは最初から決まってんの」
「……」
「ムダなんだよ……おれがその気になれば、アンタはおれの言いなりになるしかないんだから」
「……どうして、私に力を分け与える気になったの?」
「顔」
即答——で、それか……。
「——まあ、それだけじゃないけどね。出来るだけ使えるヤツを仲間にしないと。数には限りがあるし。その点、おねーさんは合格。ここにいるヤツらの中では、イチバン役に立ちそーだし。なにより見た目がいいしね」
言いたいことは理解できるし、私が一番優秀だというのは、確かにその通りなのだけれど……
だとしても、年下の生意気なクソガキの手下に成り下がるなんて、私が私である以上、絶対にあり得ない。
だけど、相手はどうにも諦めるつもりが無さそうだし……
「……ねぇ、まだ? これ以上待たせるなら——」
すると、水球から水が線を描いてこちらに伸びてきて——私に迫ってくる。
「女の子だし、痛めつけるのはさすがに可哀想だから……どうしようかなー……あ、じゃあ」
ニヤリと笑った——その表情はまさに、子供の姿をした悪魔だった。
「服を脱がす——とか?」
「なっ——!」
「におぅっ!?」
するとそこで、それまで黙ってたスカオとメガネが——思わず、といった感じに——反応した。
「おいこのっ、クソガキッ、そ、そんなこと……ゆ、許さないぞ!」
「か、火神さんを裸にするだなんて……な、なんてことを!」
「なんだ、さっきまで黙ってたクセに……いきなり元気になるじゃん。そんなに楽しみなの?」
「ばっ、そんなことっ——」
「な、何を言うっ——」
「言っとくけど、お前たち二人には見せないから。てかもうここから出てってよ、邪魔」
「えっ?」
「はっ?」
「は? なに? 自分も見せてもらえるとでも思ったの? なワケないじゃん」
「なっ、なんでだよっ!」
「そうだぞっ、なんで僕らだけっ」
「おれは子供だからいいけど、お前ら二人は男子中学生と高校生なんだから、ダメに決まってるじゃん」
「どういう理屈だっ」
「中学生はまだセーフ!」
「いやダメだって。てゆうか必死すぎじゃない? そんなに見たいの?」
「当たり前だろっ!」
「聞かれるまでもないっ!」
「んー、そんなに見たいと言われたら……」
「「おおっ……」」
「むしろ絶対に見せたくなくなってきちゃったな」
「「はあぁ!!??」」
「あはははっ、バーカ! 絶対に見せてなんかやんねー!」
「……っ!!」
「……こっち向いたら——力を完全に取り上げた上で、目玉を潰してここから放り出すから」
「っ——!?」
「それでも見たいなら、どーぞ?」
「っ、……」
眼前では三人が、何やら言い争いをしているようだったけれど……今の私にとっては、そんなものはもはや雑音でしかなく、すでに意識の外に追いやられていた。
そんな雑音に割く無駄はないとばかりに、今の私の頭の中では、ただひたすらに、自分の身に降りかかった——いや、降り掛からなかった理不尽に対する怒りが募るばかりで、もはやそればかりが脳内を埋め尽くしていく……
……どうして、どうして私じゃないんだ……
あんなクソガキや、地味メガネや、スカ・スカオが選ばれて、他でもないこの——この私が、選ばれないだなんて……そんなことがあるっ?!
……どう考えても私が選ばれるべきでしょ! あんなヤツらよりも!
マジで——誰が選んでんのか知らないけど——ふざけんなっ……見る目ないんだよ………………くそっ……
「さーて、邪魔者もちゃんと——後ろ向いて震えてるし……ふふっ。——これで準備かんりょーっと」
「……」
「いいかげん、諦めたら? それとも……みんなの前でハダカにされるまで、意地を張るつもり?」
「……」
「それならそれで……いいけどね。面白そーだし。——ぶっちゃけ、おねーさんみたいなプライド高そーな人が、悔しそーにしてるとこ見るのって……実はおれ、大好きなんだよね」
「……」
「じゃあ、最後の確認。『はい』を選んで、おれの仲間——いや、手下になる?」
「…………絶対に、イヤ」
「……そ。分かった。——風邪ひいても知らないよ?」
無慈悲にそう言い残したのと同時に——
私めがけて——まるで触手のような——無数の細長い水が、勢いよく襲いかかってきて……
『“乖破斬”』
私に触れる直前に——まるで何かに斬り裂かれたかのように——水の触手はバラバラに千切れて飛び散った。
「んなぁっ——?!」
何が起きたのか——自分が危機を切り抜けたことも実感できないままに——声も出ないくらいに混乱する私の目の前では、さらに驚きの出来事が。
バチバチッ、バチッ——
なんて、何かが弾けるような音と共に、目の前の空間が歪んでいき……
まるで、透明の幕が引いていくようにして——その場に姿を現したのは、やけに親近感のある後ろ姿で……
左手に刀なんて持った——私を守るように立つ、この女の人は……まさか。
「……そう、これが“不定形のモノを斬る技”——“乖破斬”だ……!」
なにやらブツブツと小声で呟きながら振り返ったのは、誰であろう——私がずっと待ち望んでいた——私の実の姉その人だった。
「っ! お姉、前ッ!」
再会した姉に私がかけた第一声は、私の目の前に——そして、こちらに振り返っているお姉からすると背後に——迫る危険を伝える警告だった。
一度は斬り払われた水の触手が、再び束になって襲いかかってきている——っ!
「大丈夫——っ!」
前方に向き直るのと同時に、お姉は刀を振り、水の触手を斬り払う。
大人の腕ほどもある太さのソレを、しかし、お姉は軽々と斬り捨てていく。
「——っ! なんで水を斬れるんだよっ?! ちっ、ならこれは——っ!」
するとお次は、ひと抱えほどもある太さの水が、勢いよくこちらに向けて放出される。
「——って、ヤバ、これは出し過ぎっ——!?」
大質量の水が目の前に迫り、私とお姉があわや二人まとめて飲み込まれそうになる、その刹那——
『“逆流破”』
お姉が真一文字に振り抜いた刀の軌跡に合わせて——なんと、水流が左右に真っ二つに両断される。
しかもそのまま、その分断は——まるで鯉が滝登りをするかの如く——水流を遡っていき……徐々に勢いを増しながら進んでいくソレが、終端となる発射地点まで到達すると、さらには、そこから飛び出していき——
「なあっ?! ——ぎゃんっ!!」
そこにいた人物にぶつかり、盛大に吹き飛ばした。
「——んんん、完璧に決まったわ……ひぃィィ気持ちぃィィィ……やったね」
「……お姉」
「お、風莉……」
「お姉……お姉ってば——」
「ん、ゴメン、話は後ね。まずはあの子を大人しくさせるから」
「……、分かった」
すると、お姉は刀を片手に、吹っ飛ばされたガキンチョの方に向かっていく。
「てて——驚いた、あの二人の他にもまだいたのか……。——ん、てゆうか、おねーさん、顔が……」
「ああ……似てますか? よく言われます。まあ、実の姉なので、似てるのは当たり前といえば当たり前なんですけどね」
「あ、いや、それもだけど……すっごい美人だから」
「あ……そっちですか」
「なるほど、姉妹なんだ……そりゃあいいや」
「ふうん?」
「それなら二人とも、おれの仲間にしてあげるよ」
「へぇ、いいですよ」
「え、ほんと? いいの?」
「ええ……私に勝てたら、ですけどね」
「……ふっ、そーゆう……いいよ、なら、それで——ッ!」
会話をぶった切るようにお姉に向かって飛んだのは、水の球だった。
大きさは野球ボールほどだが、プロの投げる豪速球と比べても遜色のない——どころか、明らかにそんなものよりもなお速い——速度で飛んでくる水球を、お姉は刀を振って的確に弾き飛ばしていく。
『“流転”』
連続的に飛んでくる球を斬るでもなく、なんだか受け流すって感じに、お姉は順次、捌いていく。
一つも当たることなく、凌げているのはいいんだけれど……いやそれ、流れ弾とか、大丈夫?
周りには私も含めて、けっこうな数のギャラリーもいるんだけれど……?
お姉が弾き飛ばす先は基本的に上方向なので、問題なさそうだけれど……というかアイツ——あのクソガキ、マジでめちゃくちゃじゃん。
いやマジ、お姉から外れた球が後ろに——こっちに来てんだよ。マジで、マジで危ねぇなっ!
見てる側から、流れ弾がこちらに飛んできて——ッ?!
バチッ!
くぅっ! ……って、アレ?
……いや、確かに飛んできたはず……消えた?
いや、アレは——っ!?
よくよく見てみると、ギャラリーに向けて飛んでいく流れ弾は、誰かに当たる前に空中で弾け飛んでいた。
というより、アレは……なんだか、空中に見えない壁があって、それに当たっているような……?
だって、ほら、さっき当たった水球の水跡が、こうして空中に——
「——あ、あのぉ……そ、そこは……見えてないと思うんですが、透明の壁が——私の張った結界が、ありますので……それ以上近寄ると、その、ぶつかっちゃうから……あ、危ないですよ」
とかなんとか言いながら、私のすぐそばにいつの間にか現れていたのは……学生服を着た高校生くらいの女の子で——長くて重めの前髪と、黒くて大きめのマスクによって、目元と口元がそれぞれ隠れているせいで、顔つきはほとんど何も分からないけれど——どうにも見覚えのない人物だった。
……いや誰?
「あの、あなたは……?」
「あ、はい。そ、えっと……わ、私はシノブ、です」
「……シノブさん、ですか」
「は、はい。そうです」
「……」
「……」
「……」
「…………ご、ごめんなさい。もっと説明が必要ですよね……。でも私、その、説明とか、そういうの下手くそで……。口下手なもんですから……。でも、カガミさん——あ、あなたのお姉さんからも、あなたに色々説明してあげてくださいって、頼まれてたんですけど…………ああ、ダメです、やっぱり私、無理です……」
「……えっと、それじゃあ、あなたは……姉の知り合いなんですか?」
「は、はい、そうです。あ、えっと、でも、知り合いといっても、知り合ったのは、つい最近のことなんですけど……」
「そうですか……あの、色々と聞きたいことがあるんですけど」
「ああ、はい……どうぞ、なんでも聞いてください」
「……いいんですか?」
「は、はい……その、自分から色々と説明するのは苦手なんですけど、聞かれたことに答えるくらいなら……できます。……たぶん」
「……そうですか。分かりました。では私の方から、色々と質問させてください」
「は、はい」
ということで私は、何やら透明の壁があるらしい向こう側で、今も戦っているお姉を尻目に——
この——自己申告の通りに——いかにも話し下手だと、少し話をしただけでも分かったシノブという人に、色々と質問をしていくことにした。




