第174話 透より、愛を込めて——
私たちは藤川パパンの残した手かがりに記されていた場所に到着した。
そこは、パパンの勤め先である、とくに何の変哲もないビルの一つだった。
私はヘリを着陸させる前に、付近の状況を確かめるために偵察機を飛ばす。
このドローンは、これまでにも何かと使ってきた例のドローン君だ。今回は偵察の役割を果たしてもらう。それにあたって、すでに色々と改造も施していた。
具体的には、“光学迷彩”により透明化する機能と、“隠密迷彩”により気配を消してマップに映らなくなる機能を搭載済みだ。
これも同時には発動できないようなので、まずは“隠密迷彩”状態で偵察に向かわせる。
上空にホバリングしている——これまた“光学迷彩”により透明化している——ヘリからドローン君を降下させる。
自在に飛行することが可能で、通信機能により離れても私と繋がっているドローン君は、まさに偵察にうってつけだ。
このドローン君から一定の範囲内もマップによる索敵が可能だし、ドローン君を通して遠隔でも“視点操作”を使ったりアイテムを回収したりもできるし、何気にすごい便利なんだよね、このドローン君って。
そんなドローン君を先行させて付近を調べさせて、特に問題はなく安全そうだと分かったところで、私はヘリを降下させる。
ビルの手前にある片側二車線の道路上のスペースに、ヘリを着陸させる。
事前にドローン君で調べていたが、念のため再びマップと“視点操作”で軽く確認したが、付近にはゾンビ以外には生存者もプレイヤーも存在しないようだった。
とはいえ、油断は禁物だ。
ゾンビ以外にも何か敵がいるかもしれないし、マップに映らないプレイヤーが潜んでいる可能性もゼロではない。
無事に着陸したヘリから降りると、私はすぐにヘリを『回収』する。
そして、目立つ道路の真ん中から、件のビルの建物の物陰へとすぐさま移動した。
今の私たちは“隠密迷彩”を使った上で、さらには“同調迷彩”によって常に周囲の景色に溶け込む迷彩色になっている。
服装的にも、私たちはお互いにまったく同じような格好をしているように見えるだろう。——それは、“同調迷彩”の効果を高めるために、アウターとしてフード付きのロングコートのようなものを着用しているからだ。
——“同調迷彩”は服の柄を変更する機能なので、全身を一様に覆う服装の方が色々と効果的なのだ。
移動中には常に【気危察知】のスキルを発動していたが、周囲のゾンビからの曖昧模糊とした視線以外には他には何も感知されなかった。
ふむ……どうやらこの付近には、ゾンビ以外は誰もいない感じかな……?
透明化に加えて無音飛行まで可能なヘリだが、実は普通にマップには映ってしまうので——マップの索敵範囲外の上空を飛んでいる時はともかく——こうして地上に降りてきたら、近くにプレイヤーがいたら気づかれる可能性があるのだ。
そして、そのプレイヤーが隠密系の能力を持っていたら、こちらのマップの索敵にも引っかからないわけなのだが……それでも【気危察知】による視線の感知までは誤魔化せないハズ。
しかし、誰かの視線を感知することはなかった。なのでおそらくは、誰にも見つかっていないと考えていい……はず。
では、ひとまずの安全を確認できたので、すぐに次の行動に移る。
アンジーとウサミンのペアにはビルの入り口付近で待機してもらって、周囲の警戒と退路の確保を担当してもらう。
二人をそこに残して、私たち三人はビルの中に入っていきパパンの捜索を開始した。
そして————捜索は終了した。
結論としては、パパンはこのビルの中にはいなかった。
というより、ビルの中には生存者自体が一人もいなかった。一階から最上階まで隈なく探したけれど、ちらほらとゾンビが見つかっただけだった。
そして、そのゾンビたちの中に、藤川さんのお父さんは……いなかった。
とりあえずはほっとするところだが、だがこれで早くも、パパンの捜索は暗礁に乗り上げてしまったのだった。
パパンが以前にここにいたのは確かだ。しかし今はいない。もちろん、ゾンビと化したパパンもいなかった。とするならば、少なくともパパンは、ここからどこかに移動したことになる。
しかし、どこに向かったのか……それが分からない。
一階から最上階まで探していく中で、生存者は一人もいないことが分かった。道中はゾンビをすべて確認しつつ始末していたので、パパンがゾンビになっていないことは確実だ。
次に、最上階から一階に戻る過程で、今度はパパンがどこに向かったのかを示す手かがりのようなものかないかを探していった。
目立つ場所に書き置きなどはないか、なんでもいいからメモのようなものでも残されていないのか……
しかし——パパンの仕事場も特に重点的に確認したが——そのようなものは何も残されてはいなかった。
もちろん、見落としている可能性もある。まあ、そんなに時間をかけるわけにもいかないので、かなりざっくりと調べただけだし……
しかし、元より何も残されていないという可能性も当然ある。その場合は、いくら探してもなにも見つかるはずはない。
実際のところ、パパンが避難していたはずの職場に今やこうしてゾンビが徘徊している時点で、ここで何かがあったのは明白……
その時にどういう状況だったのかは想像するしかないけれど、どんな状況だったにしろ、悠長に後のことを考えて書き置きなんてしている暇があっただろうか——いや、とてもそうは思えない……
そもそも、パパンは私たちがこうして助けに来るだなんて想像もしていないだろうから、書き置きを期待すること自体がそもそも高望みであるように思う。
しかし……そうなると、もはやどうしたものか……
こうなってしまうとつくづく、通信機器が使えなくなることの弊害を痛感する。スマホが使えないというだけで、もはや誰かを探すことが不可能に近い難題になる。
アテもなく辺りを探したところで、そうそう見つかるものではない……そんなことは、考えるまでもなく分かりきっている。
だからといって、藤川さんの手前、諦めるという選択肢はそもそも存在していない。
普通なら諦めてしまってもおかしくない状況だ。それはそうだ、通信機器も無しにこんな状態の世界で人探しなど、はっきり言って無謀な試みでしかない。
しかし、私たちは普通ではない。特別な能力を持ったプレイヤーという存在なのだ。そう簡単に諦めるわけにはいかない。
とはいえ、いかなプレイヤーといえども、やはりなんの手がかりもなく一個人を探し当てるなんて芸当ができるものでもない。
事実、複数のジョブを獲得して一気に色々と能力が増えた私にも、そんなことは不可能だった。
だからもう、頼れるのは……やっぱり彼女しかいなかった。
「というわけで、聖女マナハス様……その素晴らしい万能の魔法を使って、一つ、どうにかなったりしませんかね?」
「……まあ、もう私の魔法しかないよな、突破口があるとしたら」
「真奈羽さん……何か、方法はあるんでしょうか……? あるんだとしたら、どうか……お願いしますっ……!」
「藤川さん……。私も、出来る限りのことはしてみる。だけど、この魔法には……おそらく、藤川さんの協力が必要になると思う」
「私の協力、ですか? も、もちろん! 私に協力できることならなんでも! ……しますけど、でも、私は何をすれば……?」
「うん、それなんだけどね——」
それから私たちは、マナハスの説明を聞きながら、その“人探しの呪術の儀式”なるものの準備を手早く進めていった。
藤川さんが、一枚の紙に書けるだけ、お父さんに関する情報を書き綴っていく。
——氏名、年齢、性別、血液型、生年月日、身長、体重、見た目の特徴、自宅の住所、趣味嗜好、現在の職業、過去の経歴、普段の口癖、などなど……
実の父親のこととはいえ、年頃の娘として、そもそもあまり詳しくは知らない(というか大して興味がない)ので、だいぶ自信なさげに書いていく彼女の様子には、私もなんだか共感する部分がありつつ——
そうはいっても、大切な家族として本心からお父さんを助けたい一心で、彼女は紙を埋めていく。
これからマナハスが使おうとしている魔法は——今まで一度も使っていない、一番謎の魔法系統であるところの——呪術の系統に属するもので、さらには『魔法使い』のジョブが(先だっての神社防衛戦の後に)ランクアップしたことによって新たに使えるようになった、“儀式魔法”とも呼ぶべき形態の魔法なんだという。
儀式魔法は——それまでの詠唱による魔法に比べると——事前準備や煩雑な手順が必要になり、それだけ発動にかかる時間や発動の難しさが増してしまうという欠点がありつつも、しかしその分、複雑だったり強力な効果の魔法が使えようになるという利点もまたあるという……どうも、そういうものらしかった。
この儀式魔法にかかれば、どこにいるのかまるで分からない一個人の現在位置を探ることも、やってやれないこともない……みたい。
とはいえ、さすがになんの手がかりも無しではいくら魔法といえども無理だということで——というか、少しでも対象の個人に関する情報が多いほど精度が高まるらしい。なので、今まさに藤川さんが、その必要な情報をこうして書き出しているというわけなのだった。
「で、できました……。その、もしかしたら、間違っているものもあるかもしれないんですけど……」
「ああ、うん、それは大丈夫だよ。多少の間違いくらいはね」
「では、これで……探せるんでしょうか?」
「ああ、いや、これはまだ宛名が終わっただけだから、だからその、なんでもいいから、本文も書いてくれるかな」
「本文、ですか?」
「うん、一応、これって手紙なんだよね、藤川さんのお父さんに宛てた。だからちゃんと、本文も必要なの」
「わ、分かりました」
ふぅん……? よく分からないけど、これも儀式の手順の一つなんだろうか。
藤川さんは言われた通りに、紙の裏面になにやら追加で書いていった。
「——出来ました。これで……どうでしょうか」
「そうだね…………うーん、ちょっと……まだ足りない、かも」
マナハスはタブレット型の魔導書を左手に、魔法の指輪をはめた右手を紙にかざして目を閉じて、なにやら探るようにしていたが——ややあって、そんな風に言うのだった。
「あ、すみません……いきなりで何を書けばいいのか分からなくて……。ええと、それじゃ、もう少し何か本文に追加しますね」
「あ、いや、そっちじゃなくて……“宛名”の方が、どうも、足りていないっぽい」
「えっ? ……あ、す、すみません。——私がお父さんのことを、よく理解していないばっかりに……」
「いやー、まあ、それはしょうがないんじゃない? てゆうか、私らの年頃だったら、むしろ知らないのが普通じゃない? 私だって、自分の父親のこととかほとんど知らないっていうか——興味ないってゆうか……」
「うわー、なんかガチで興味なさそうだよね、そのカガミンの言い方……カガミンのお父さんが聞いたら悲しむよ……。でも実際、私たちの年頃だと、そんなもんなんかもね……」
「……うう……私……もっとお父さんのこと、ちゃんと知っておくべきでした……っ」
「あ、いや、藤川さん……その、なんというか——そもそも、プロフィールを書いたくらいじゃ足りないみたいっていうか……。だから、自分を責めることはないからね」
「あ、マジ? そーなん? えー、でも、それじゃ、どうするん……?」
「それなんだけど……藤川さん」
「あ、は、はい」
「その……藤川さんの血があれば、それで足りるかも」
「私の——血? ですか……?」
「うん、そう。……いやまあ、それだとマジで、なんだか呪いの儀式みたいって思われるかもだけど……。でも、なんというか、“血の繋がり”ってのは、呪術にとってはかなり強力な触媒になるみたいだから……。実の娘である藤川さんの“血”があれば、たぶん……上手くいくと思う」
「そういうことでしたら……分かりました。どうぞ、私の血を使ってください。——お父さんを助けるためなら……。貧血になるくらい、なんてことありません……!」
「あ、いや、そんなたくさんは必要ないから。たぶん、数滴で大丈夫だと思う」
「そうなんですか? それなら全然、大丈夫です!」
というわけで、藤川さんは指の先を少しだけ切ると、その血のついた指で——まるで血判でも押すかのように——件の手紙に赤い印をつけたのだった。
「……うん。これなら——いけると思う」
紙に手をかざしたマナハスは、そう言って頷く。
「それじゃ、今からやるから——ちょっと静かにしておいてね」
そう言ってマナハスは、目を瞑って集中していく。
そしてしばらくの後、ふいに開眼すると、右手を紙にかざす。
『“尋ね人の便り”』
すると——
マナハスがかざした手の先で、紙がひとりでに折りたたまれてゆき——
そうして出来上がったのは——一通の手紙から折られた紙飛行機だった。
「これ、は……紙飛行機?」
マナハスはその紙飛行機を手に取ると、そっと宙に投げ放つ。
するとその紙飛行機は——まるで何かに惹かれているかのように、なにやら不自然なまでの様子で——最初にとある向きに方向転換したかと思うと、以降はその方向に固定されたまま、一定の速度で一直線に飛び続けるのだった。
その様子を見たマナハスは、ほっと息をついて藤川さんに笑みを向ける。
「よかった。お父さん、ちゃんと無事みたい」
「え、真奈羽さん、それは……」
「いやね、この術は、死んだ人には効果を発揮しないから……」
「じゃ、じゃあ——!」
「そう……藤川さんのお父さんは、この紙飛行機の向かう先で——今も無事に生きてるってこと」
それを聞いた藤川さんも、その顔に満面の笑みを浮かべたのだった。