第153話 ファミリーレスキュー——略してファミレス
『————……、——では、こちらも今からすぐに準備に取りかかります。幽ヶ屋さん、くれぐれも無理はしないでください。我々もすぐにそちらに向かいますので』
「……はい、分かりました。では、その、お待ちしていますので」
『ええ。では、失礼します』
「あ、はい……」
そう言って私は、火神さんと繋がっていた通信を終了させた。
どうやら、私からの通信によって目を覚ましたらしい彼女は、私からの報告を聞くと、自分たちも救助に出るために、これからすぐに準備をしてくれることになったようだ。
——これで、もう少し待てば、火神さんが来てくれる……。
彼女が来てくれると分かって、明らかにホッとしている自分に気がつく。
——ほとんど徹夜だったけど、仮眠を取る気にはならなくて、そのまま飛び出すように、こうして救助へと出発したけれど……
実際のところ、私たちのチームだけで外に出るのは不安だった。
火神さんの導きもあり、謎の声による力を手に入れて、そして、それを扱う方法も教えてもらって——
だから、私たちだけでも、ある程度は戦えるという自信はあった。
でも外の状況は、私が想像していた以上に過酷なものだった。
あの動く死体の群れ——“ゾンビ”たちは、本当に至る所にいて、こちらの行手を阻んできた。
さらにはそれに加えて、話には聞いていた、さらなる脅威である“怪物”についても、すでに大量に存在しており、こちらもそこら中を徘徊していた。
私が実際にこの目で見た怪物のことを一言で表せば、それは“巨大な鼠”だった。
大型犬よりもさらに一回りほど大きいサイズで、外見はネズミに酷似している——しかし、大きさからして明らかに通常のネズミとは違う——そんな怪物が、すでに一大勢力といえるほどの大群でもって、この辺り中に分布していたのだ。
そんな光景を、学校から出発していくらも進まないうちに、私は目にすることになった。
この怪物どもは、純然たる肉の体を持った実在する生き物の類いであり、私がこれまでに相手取ったことのある、基本的には実体を持たない妖や悪霊とは、まったく別の存在だった。
私の常識の中には存在しない、そんな異質な存在を初めて目の当たりにして……私は、祓い巫女として今までにも特殊な経験を色々と積んできた身の上でありながら、みっともなく怯える自分を抑えられなかった。
そんな自分自身を俯瞰して、私は改めて思う。
——やっぱり私は、特別な人間などではない……。
他人から見れば、確かに私は特別な存在に見えるのかもしれない。だけどそれは、他の人には視えない世界が私には見えているというだけで——
だからといって、私自身が特別な存在なのかというと、まったくそんなことはないのだ——ということを、私は今回のことではっきりと自覚することになった。
それこそ、特別な存在というならば、きっとそれは彼女のような存在のことをいうのだろう。
そう、彼女——火神さんのような人のことを。
私と違ってその火神さんなら、このネズミの怪物——ひとまず、怪鼠と呼称することにした——を見ても、さして動揺したりはしないのだろう。
なにせ彼女は、この怪鼠などとは比べ物にならない威容を誇る虎の怪物を、すでに倒しているのだから。
昨日、その死体だというものを見せられた時には、本当に驚いた。
死体であの迫力なのだ。これが生きた状態で、実際に動いて襲いかかってこようものなら——その時にはきっと、筆舌に尽くしがたいほどの恐怖を覚えることだろう……。
だが彼女は、そんな相手にも真っ向から立ち向かったのだと聞く。……普通に考えたら、あり得ない胆力の持ち主だ。
私自身、戦いの経験自体はある。
これまでに私が相手にしてきたのは、それこそ昨日——いや、あれはすでに今日か——本日未明に現れたあの悪霊……ああいった手合いだった。
まあ、あの悪霊は、私が今まで見てきた中でも飛び抜けて強力な相手だったけれど……でも、強さはあれ程ではないとしても、似たような相手と戦った経験はある。それも、一度と言わず何度でも。
なにせそれこそが、この——古くは幽ヶ野と呼ばれていた、大いなる霊穴を擁する地——春日野に、我らがご先祖様が神社まで建てて住み始めた理由なのだから。
——このあたりは元来、そういった手合いが湧きやすい場所なのだ。
それこそ最初は私も、このゾンビたちが発生したのは、この地の特殊性が関係しているのかと思った。
だけどすぐに、今回の事態はこの地に限らず、世界中で起こっているのだと把握した。
だからこれは、私にも分からない……なにか未曾有の厄災が起きているということなのだろう……。
普通の人はその存在を知らない世界を知る側の人間として、自分には——普通の人よりは——そういう事態に対応する能力があるのだと、そう思っていた。
だけど結局、実際にこうして、自分でも理解できない恐ろしい事態に巻き込まれてしまったら……私も人並みに恐怖して怯えるだけの弱い存在なのだと実感させられた。
そもそも私がこれまで学び、鍛えてきた祓魔の術というのは、幽霊とか、妖怪とか、そういう……なんか実体を持たないような相手に対する技術なので……
こんな……ゾンビとか、怪獣だなんて、普通に実体を持つような存在への対処法なんて、私は知らない……。
それでもここまでは、なんとかやってこられた。
もちろん、以前の私では絶対に無理だっただろうし、そうでなくとも、私一人では到底不可能な行程だっただろう。
だから私がここまで来れたのは、やはり先日に受け入れた“謎の声”によってもたらされた“力”があるからだし、そして何より、一緒に戦ってくれる仲間たちの存在があるからだった。
私と契約して力を手に入れた、三人の仲間たち。
南雲さんとリコ、そして……マユリちゃん。
一緒に来てくれた二人はもちろん心強い仲間なのだけれど、中でも一番に貢献してくれているのは、間違いなく最後の彼女——マユリちゃんだった。
正直言って、彼女の能力については……私には、なにがなにやらさっぱりだった。
一体何がどうなってそうなるのか、全然意味が分からなかった。
だけど、当の本人のマユリちゃんは完全に理解して使いこなしているようだし、そして、そんな彼女を先導して上手く活用——と言うと、言い方はアレだけど——している火神さんの存在は、やっぱりかなり大きかった。
だって私には、たとえ彼女の能力の詳細を把握できたとしても、ここまで具体的かつ効果的な活用法を思いつけるとは思えない。
そう、彼女のアイデアにより生まれた、この(魔)改造車両の戦闘力といったら……驚きを通り越して、もはや呆れるくらいだった。
なにせ車で移動する道中に、私はまるで何もする必要がなかったのだから。
本当に、私はただ助手席に乗っているだけでよかった。
道中に立ち塞がる——道を塞ぐ放置車両や、ゾンビや、はては怪鼠にいたるまで——あらゆる問題を、この車は自動的に排除して進んでいった。
邪魔をする敵のほとんどは、屋根の上の機銃と、それを操るあの(なんだかとても可愛らしい)ウサギさんが倒してくれた。
道を塞ぐ車があれば、運転している彼女——輝咲さんが、得意の光の魔法とかいうのを使って撤去してくれる。
そう、道中は終始そんな感じで……ひたすらに順調だった。
私はといえば——いざ車に乗り込んで出発する段階になったら、途端に緊張で頭が真っ白になりそうになったし……さらに、少しも行かない内からもう怪鼠なんてものが出てきた時には、こうして外に出てきたことを今更ながら後悔し始めていたくらいなのに……
結果的には、そんな私の出番といえば、目的地についてからの救助の本番にしかなかった。
ただ、それにしたって、これまでに立ち寄った救助対象のそれぞれのお家では、それぞれの家族を救うために本人達が率先して戦っていたから——私がしたことはせいぜい、彼女たちのサポートくらいだった。
初めに向かったリコの自宅は、噂に聞いていた通りの大豪邸だった。
立派な塀がぐるりを囲んでおり、入り口である、これまた立派で頑丈そうな門扉は、常ならば侵入者の存在を許さないのだろう——そんな堅牢さを見るものに感じさせる佇まいだった。
だけど私たちが着いた時には、その豪華な門扉は無惨に破壊されており、侵入者はすでに(これまた立派な)お屋敷の内部にまで侵攻していた。
到着するや否や、リコは全力で走り出すと家の中に飛び込んでいった。——私たちも慌てて、彼女の後に続いていく。
門を破壊して内部に侵入していたのはやはりというか、怪鼠たちだった。——ゾンビもいくらかはいたが、それはあくまで壊れた門からたまたま侵入しただけで、犯人は怪鼠のはずだ。ゾンビに門を破壊できるほどの力は無いと思われるので。
リコは(ラケットを振るって)瞬く間に怪鼠を駆逐しながら、家の中を駆け回った。
しかし、家中の怪鼠を排除し終わっても……私たちは一人の人間も見つけることができなかった。
その結果を受けて、私の頭の中に最悪の想像が湧き上がりそうになって——しかしその時、リコの元気のいい声が、私の暗い思考を拭き払った。
「——そうだ、きっと地下室だわっ! あそこなら、ネズミも入ってこれないハズ……!」
……結果として、リコのご家族(と使用人さんなどを含めた身内の全員)は確かに地下室にいて、全員が無事だった。
——いや、実際は執事長だという初老の男性が一人、主人であるリコのお父さんを庇って大怪我を負っていたりしたのだけれど、それは怪我を癒すという不思議な道具を使うことで、なんとか事なきを得た。
どうにか間に合って全員無事に助けることができた後にも、色々と質問されたりとか大変だったけれど……あまり時間をかけてはいられないので、説明も早々に、私たちは次の目的地である南雲さんの実家の道場に向かった。
リコのご家族を乗せた車(これまたいかにもな高級車)を後ろにつけて、やはり順調に進んでほどなく、私たちは無事に道場に到着した。
だけどその時には、すでにこちらの道場も怪鼠の襲撃を受けていて——というか、今まさに襲撃を撃退している真っ最中だった。
そう、彼らは襲い来る怪鼠を——そしてゾンビ達も——自力で撃退していた。
道場は確かに周囲を高い壁で囲まれており、防衛するのに適した場所だといえた。
しかしゾンビはともかく、怪鼠は壁を登ったり破壊することも可能だ。完全に侵入を防ぐことはできない。
だけど彼ら——南雲家の人たちは、それぞれが一流の武人であった。
彼らにかかれば、ゾンビはもちろん、怪鼠であっても勝てない相手ではないようだった。
その証拠に、私たちが到着した時点で、敷地内にはすでに多数の怪鼠とゾンビの骸が転がっていた。
そしてその傍らには、それぞれの得物を手にした南雲家の人々が、返り血で服を染めた凄惨な姿で戦闘を行なっていた。
そんな彼らに合流して、共闘することしばし——
すべての敵を倒し終えて、ようやくひと段落ついたところで、真っ先に口を開いたのは、凛とした印象の妙齢の女性だった。
「……翠子、おまえ、どうやら一皮剥けたようだね」
「お母様……」
「……死ぬ前に、おまえの姿を一目見れて、よかった」
「——っ!?」
その女性——南雲さんのお母上は、その時点で、すでにゾンビによる手傷を負っていた。
自らの死期を悟った彼女が、一人娘に末期の言葉をかけるのに口を挟むのは、大いに気が引けたけど……そうも言っていられないので、私は彼女に“とある道具”を使用した。
——使ったのはもちろん、ゾンビの毒を浄化できるとかいう道具だ。
というわけで、こちらでもどうにか、一人の犠牲者も出すことなく救出を達成できた。
それから私たちは、最後の目的地であるこの場所までやってきた。
そこは、この地の霊穴を管理するための社でもあり、世間一般には幽ヶ屋神社と呼ばれている……私の実家だ。
そして、自分にとって帰るべき家でもあるこの神社が視界に入る場所にまで、たどり着いた私の目に入ってきたのは……
神社の敷地の周囲を完全に包囲するほどの、とんでもない数のゾンビの大群だった。
◆
私はあまりの光景に絶句して、混乱して、頭が真っ白になった。
それまでの緊張もあって、かなり精神を疲弊してしまっていた私は、まるで縋るように彼女へ通信を送っていた。——そう、火神さんに。
私からの報告を聞いた火神さんは、——自分たちもすぐにそちらに向かうので、そちらは無理に行動せずに待機していてください、と言ってくれた。
とはいえ、何もせずに待つばかりでは、それはそれで辛い部分もあった。
なので私は皆と相談した上で、とりあえず内部の様子を確認するために、自分(と輝咲さん)だけ先行して神社の中に入ることにした。
——輝咲さんの協力があれば、私一人くらいなら、宙を飛んでゾンビの大群を越えていけるとのことだったので。
『“ほう、つくづく便利なものだな。——えぇと、なんだったか……このきらきらと眩しい小娘の使う……あぁ、そうそう、「魔法」とかいうものは”』
『“あっ、霊阿様。お戻りになられたのですね。ええと、それで、中の様子はどうでしたか?”』
『“……いや、妾の口からはなんとも……。——うむ、霊子よ、それは自分の目で確かめるのじゃ……”』
偵察をしてもらっていた霊阿様は、何やらそんな煮え切らない返事をする。
いつもの彼女は、私のご先祖様にして有難〜い守護霊であるということを持ち出して、もっと傲岸不遜な態度でいるのが常なので、私は彼女の珍しい反応に内心で首を傾げたけれど——
ともかく、彼女の言う通りに自分の目で確かめることには賛成だったので、輝咲さんに頼んで、神社の中まで空中を運んで連れていってもらう。
そして私は、輝咲さんの呼び出した円形の盾の上に乗り、無事にゾンビの大群の包囲を越えて神社の敷地内に入ることができた。
敷地内に降り立った私は、人がたくさんいる本殿に向かう。
すると、そこで最初に声をかけてきたのは——
「——っ、霊子、戻ったのねっ?」
今までに見たことない表情を浮かべたお母さんだった。
そして、次にお母さんの口から聞かされた言葉は——信じられない報せだった。
「霊子……信じられないだろうけど、落ち着いて、聞いてちょうだい……。その……お父さんが——霊璽さんが……ついさっき、亡くなったわ……」
「…………えっ」
一気に、目の前が真っ白になっていく——
全身の力が抜けて、私は膝から崩れ落ちて——
ドサッ——。
境内の砂利が立てたそんな音が、やけに空虚に、私の耳の中にいつまでも響き続ける……。