第108話 女三人、保健室、終末三日目。何も起きないはずがなく……
ギュインギュインギュインギュインギュイン————!!!!
「んなあぁぁっっ——!!!??」
「ずええぇぇっっ——!!!??」
まるで緊急地震速報のような不快な響きかつ大音量の音が突如として脳内に鳴り響いたことによって、私は強制的に眠りから覚醒させられた。
なん……なんすか……??(怒)
初めに生まれた感情は、困惑よりも怒りだった。気持ちの良い朝の微睡みを台無しにされたことに対する怒り。
せっかく今までは快適なベッドで、なにやらいい感じの抱き心地のものにひっついて心地よく寝ていたというのに……。
しかし、大音量の衝撃が過ぎて、徐々に眠りの余韻からも覚醒し始めた脳が思考能力を起動し始めたことで、私は怒りよりもまず優先するべきことを思い出した。
そもそも私は、こんなふざけた目覚ましをかけた覚えはない。とはいえ確かにこれは、ある状況で目が覚めるように自分で設定したものだ。
どちらかというと寝起きが悪い私は、未だに霞みがかったような思考をなんとか駆動させる。
ああっ……と、まず、するべきは……
——マップの確認!
そう、それだ。
マップを起動する。——すると確かに、赤点が表示されている。
しかもめちゃくちゃ近い。というか、もうほぼこれ私と接触している。
——は? 嘘だろ、ちょ、どういうこと——!?
慌てて周囲を見渡す。
ここは保健室で、私は今、ベッドから半身を起こしている。
隣を見れば、マナハスも今モゾモゾと起き出そうとしているところみたいだった。
一通り見渡したが、動くものは隣のマナハス以外には存在しない。
様々な想像が私の脳内を駆け巡る。その内容が、“目に見えない敵”という存在に思い至ったところで——マップの赤点は移動を開始した。
結構なスピードで進んだ赤点は、この部屋の境の壁もあっさり貫通して抜けると、さらに向こう側の建物の壁すら抜けていく。
敵の反応が離れたことに安堵しつつも、その物理法則を無視した挙動に思考はさらに困惑していき、すわコイツは目に見えない上に壁すらすり抜ける——ゴースト系のモンスターか何かなのか……? と、思わずそんなヤバいモンスターを想像し始めたところで……
——ふと、こんなパターンのやつを前にも見たことあったような、と記憶に引っかかりを覚えた。
——……あれか、鳥の反応の挙動ね。つまり、こいつは私たちの上を通っていったわけね。……たぶん。
……まあ、マジに謎のゴースト系モンスターが突然現れたと考えるよりは、その可能性が高いと思うよね。
ひとまずそういう結論が出たことで落ち着きを取り戻した私は、改めて周囲を確認してみる。しかし、やはり何かがいたような気配はなかった。
私はマップに注目して、先程の赤点の動きの記録とかないのかを調べてみる。するとログのような機能があり、先程の動きを再現できるようだということが分かった。
そこでマップの表示を2Dではなく3Dに変更する。
すると、やはり赤点は私たちの上の校舎の屋上に飛来して、そこからまた飛び立っていった——恐らくは鳥のような何かだったのだと判明した。
……ったく、脅かしやがって。
つーかこのマップの警戒範囲って、縦にも結構伸びてたんだな……。
平面のマップだと、どうしても縦の奥行きが分からないんだけど、でも立体で表示すると途端に邪魔になるんだよなぁ。
なんて考えていたら、マナハスがようやくそれなりに覚醒したようだったので、私は彼女に話しかける。
「おはよう、マナハス。……一応、もう朝だね。まあ、まだ結構早い時間みたいだけど」
「んあぁ……んん、おはよう、カガミン……てか、あれ、さっきの音って……」
「アレだよ、昨日設定したでしょ。敵の接近を知らせるアラートだよ」
「ああ、そうだったな……、——って、敵来てんの? え、じゃあヤバくね——!?」
「ああ、大丈夫。確認したけど、鳥かなんかが上通っただけだったよ。——多分、鳥のゾンビとかでしょ」
「……ああ、そうなの……なら、大丈夫かぁ」
「——マナハス、昨日はよく眠れた? どうする、もう起きる? それとも、もっかい寝る?」
「……いや、さすがにこっからもっかい寝るのはなぁ……。確かにまだ早そうだけど……、——いや、やっぱ起きるわ。まあ、そこそこは眠れた感じするから」
「そう、それなら起きようか」
私はそう言って、本格的に起床に向けた行動を開始する。
しかしそうしながらも、昨日、寝る前のマナハスの様子を思い返して、現在の彼女の様子を見ながら、念のための確認の声をかける。
「気分は……大丈夫? 悪夢を見たりとか、無かった? 体の調子はどう?」
「別に、平気だけど……特に不調は感じないし」
「……メンタルの方は……?」
「……まあ、大丈夫だと思う。——少し、うなされた様な気もするけど……それは悪い夢がどうこうというより、誰かさんがガッツリしがみついてきてたせいだろうと思うから」
「あ、うん……そう。それならまあ、大丈夫かな……?」
「アンタはどうなの? 色々、調子の方は」
「私はバッチリだよ。——なんか、すごく使い心地のいい抱き枕があったみたいでね。そのお陰かな?」
「さよか……んじゃ、ちゃんとその抱き枕には感謝しとけよ?」
「してるしてる。すっごくしてる。もう足を向けて寝られないから、やっぱりこれからも抱き枕として毎日引っ付いて寝るしかないね」
「これから毎日抱き枕生活なのかよー」
それから私たちは最低限の朝の支度を済ませると、保健室のベッドに並んで座った。
「それで……今日はこれから、どうする? ……つーかマジでさ、どうすればいいんだろ、これから。いやほんと、マジで……マジでどうすればいいんだよって感じでしょ……」
「そうだねぇ……、まあ、とりあえずの予定としては、えっとねぇ……」
「お、予定とか決めてる感じなの?」
「まあ、ぼんやりとは」
「うんうん、聞かせてよ、それ」
「いいけど……、マナハスも何かやりたいこととかあるなら、言ってくれていいからね」
「いや私は、まるで思いつかないというか……何をどっから考えればいいのか、ぶっちゃけ、まるで考えがまとまらないというか」
「そう……ま、ならとりあえず、私の考えを話すよ。えぇっとね————」
それから私は、マナハスに今日の予定を話していく。
今日の予定——私としては、今日は一日中この学校から動かずに過ごすことになるかなぁ、と思っている。
色々と取るべき行動というのも思い浮かぶのだけれど、何をするにしても、まずするべきは出来る限りの準備だと考えるので。なにせ、こんなに不透明かつ危険な状況の中なのだから、備えは万全にしなければ。
そして、備える時間はまさに今、なのである。余裕がある内にやっておかないといけない。
行動を始めるのは早いに越したことはない。しかし、ひとたび行動を開始してしまえば、状況は動かざるを得ない。そんな中で備えまでするなんてのは、流石に無理というものだ。
そして、問題の方からこちらにやってくる可能性だってある。それがいつになるのかは分からない。ならば準備をするのは今をおいて他にはない。準備は早い段階でするべきで、そして、“今この瞬間”より早い段階はない。
では、準備として具体的に何をするかと言うと、まずはやっぱり「戦力強化」だ。
未だ、未使用のポイントを余らせている私だ。これを可能な限り使ってしまいたい。
新たにスキルを習得するか、使えそうなアイテムを探すのか、それともやはり、レベルを上げて新機能解放を目指すのか……。
——次、新機能解放があるのはおそらくレベル15。ここまで一気に上げてみるのか……。
何を選ぶにしても、限られたポイントを有効に使うために、しっかりと下調べをした上で望みたいところだ。
そのためには時間はいくらあっても足りないのだが、とはいえ、その時間にしても、ある意味ポイントよりも貴重といえるくらい今の状況では重要な要素だ。無駄に使えるものではない。
だが、“急いては事を仕損じる”とも言うし、なのでいっそ今日一日については、丸々戦力強化に使ってしまうと端から決めてしまうことにした。
まあ、その一日という時間の中でも優先順位が必要でもあるんだけど。
その優先順位の中でも、今、私が一番優先するべきと思っているものがある。
それは——
「それは……?」
「それはね、マナハス……朝のシャワーを浴びることだよ」
「おい」
「いや、昨日浴びれてないからさ〜、今日はもう朝イチで絶対浴びてやろうと思ってたんだよね」
「確かに昨日はそんまま寝たけどさー、さっきまでアレだけ戦力がどうとか真面目に話してたのに、よりによって一番優先するのシャワーかよ」
「いや、こういうのも大切なやつだからね。こういう状況でこそ、心身をリフレッシュさせて調子を整えるためには重要なんだよシャワーは」
「なんやかんや言って、オマエが浴びたいだけだろ?」
「それはもちろん」
「……」
「なんなら湯船にもつかりたいけど、そこは必死の思いで我慢してるんだから、そこをちゃんと褒めてよ」
「すでに我慢してたんだぁ……」
「そうだよ。だから——」
と、私はそこで言葉を止める。
そんな私にマナハスは訝しげな視線を向けてくるが、私はマップを起動して表示してみせる。
するとそこには、こちらに近づいてくるアイコンが一つ。
それは敵を示す赤でも、人間を示す白でもなかった。——そのどちらでもない、パーティーメンバーを示す特有のアイコン。
マップ上のアイコンは、この部屋を真っ直ぐに目指している。そうして近づいてくるにつれて、足音も聞こえる距離になった。
足音はそのまま近づいてきて、この部屋の扉の前で止まった。
それから、扉が遠慮がちにノックされたので、私は鍵を開けるために立ち上がろうとしたが——隣のマナハスが手を一振りすることで扉の鍵は開いたのだった。
見ればその手には、いつの間にか呼び出したのか、魔法の杖が握られていた。
私は内心——え、何コイツ、スマートシステムかよ——と思いつつも、なんとなくジト目になっている気がする視線をマナハスに向けてから、扉の方に向けて「入ってどうぞ」と声をかける。
扉から入ってきたのは藤川さんだった。
ちょうど良かった。彼女には聞きたいことがあったのだ。
そう思って私が再び口を開こうとしたところで、藤川さんが先に口を開く。
「あの、火神さん、それから、真奈羽さん、おはようございます」
「おはよー」
「おはよう、藤川さん」
朝の挨拶も交わしたので、さっそく質問しようかと思ったのだけど、どうにも藤川さんの様子が普通では無かったので、なんとなく気になって少し口を開くのを躊躇う。
すると、藤川さんが続けて喋りだした。
「火神さん、真奈羽さん、あの、まずはお礼を言わせてください。昨日、一昨日と、お二人には本当にお世話になって、私、とても大きな恩を受けました。——本当に、ありがとうございました……! 私の命を救って下さって、それから、お母さんのことも……こうして学校まで連れてきてもらって。そうでなかったら——あのままスーパーに居たとしたら、きっと無事では無かったと思います。ですからお二人は、私たち二人の恩人です。本当に、お二人には感謝してもしきれないほどのことをしていただいたんだと、昨夜、眠る前に色々と考えていたら、その事に私、改めて思い至ったんです。そうしたらもう、早くお礼を言わないとと思って、こんな朝早くから押しかけてしまいました……すみません。……もしかして、お邪魔でしたでしょうか?」
「いや別に、邪魔ではないけども……」
「本当ですか? ……私ったら、お二人が二人きりで夜を共に過ごすことは知っていたのに、何も考えずにこんなに早くから来てしまったので……大丈夫でしたか……?」
えーっと、彼女は一体、何を心配しているんだろうか。
マナハスも何やら呆れた様子で、彼女に声をかける。
「藤川さん、それは一体、なにに対する大丈夫なのかなぁ……?」
「いえ、その、そ、それは……」
「いや、やっぱいいや、別に言わなくて——」
「だ、だって、こんな危機的状況とも言える時にっ、——お互いを想い合う二人、夜の保健室、一夜を明かす。……こんなシチュエーション、何も起きないはずがありません!」
「いやだから言わなくていい——って何を断言しているのアナタは!?」
「シングルベッドで二人寄り添い……なんてのもいいかもね」
「お前も何を言ってんだよ!」
「はっ、確かに、使われたベッドの形跡は一つだけ……つまり、これは——!?」
「そう、それはつまり……ベッドは一つしか使っていないってことだよ」
「……そりゃそうだろ」
「それはそうなんですかっ? やっぱりそれが当たり前なんですかっ!?」
「いや、違っ——てかもう、別に何もないからっ、普通に寝ただけだからね!」
「そうそう、普通に私がマナハスを抱いて寝ただけだよ」
「おいコラお前!」
「火神さんが……つまり、真奈羽さんがう——」
「あーあー! 私はただの抱き枕なの! そういう意味じゃないから!」
「抱き、枕……? それは、その……中々にマニアックなことをなさってらっしゃる……?」
「だからちがーーう!!!」
何やらよく分からない方向に話が進んでしまった。
私は軌道修正も兼ねて、ちょうど藤川さんに聞きたかったことを聞く。
「ああそうだ、藤川さん、ちょっとあなたに聞きたいことがあったんだけどさ」
「——抱き枕プレイ……一体どのような——」
「藤川さん?」
「——あ、はい! なんでしょう? 火神さん」
「……いや、あのさ、この学校ってシャワーとかあるのかなって、ちょっと聞きたかったんだけど」
「シャワーですか、ええっと、更衣室に付いているのと、あと体育館にもシャワー室はあったと思いますが……。——あっ、そうですよね、シャワー、浴びたいですよね。分かりました! 案内します」
「……うん、まあ、体育館に行くのはあれだから、更衣室ってのに案内してくれるかな」
「はい、お任せください」
というわけで私たちは、保健室から出ると更衣室に向かって移動したのだった。
 




