第103話 まだ助かる……まだ助かる……まだ助かる……ッ、——はいっ! ココっ! マダガスカルッ!(ゴー◯ジャス風)
————、——……。
静寂の中で、耳が何かの音を捉えた気がした。
擦り切れかけていた私の意識が、それをきっかけに少しだけ覚醒する。
最初は、幻聴かと思った。
あるいはただの聞き間違いで、期待とは裏腹に、ゾンビの唸り声だったのではないか、とも。
しかし、近づいて来るにつれ、それは確かに幻聴でもゾンビでもなく……人の、誰かの話し声だと分かった。
私は隣のナオちゃんと顔を見合わせた。
それから、二人同時に声のする方——すなわち廊下に繋がるドアの方へと視線を向けた。
「——では——、最後——」
「そうで——、ようやく——」
「——意外と、——ったな——」
途切れ途切れだけど、やはり人の話し声だ。
誰かが、それも複数の人が、ここに近づいてきている…………!
——行動、しなくては……! 今……!
頭ではそう理解していたが——長らく自分自身の存在を内に閉じ込めようとしていた弊害か——私の体はなかなか反応せず、動くことが出来ない。
立ち上がらなければ。そうだ、扉の鍵を開けないと——
だけど、まるで不自由な夢の中にいるようで……私の身体は、床に根を張ったように不動だった。
隣のナオちゃんも私と同様に座り込んだままで、動き出す様子はない。
外の人たちが、この部屋の前にまで到達する。瞬間、そのまま通り過ぎて行ってしまう……! ——という恐怖が痛烈に胸を打った。
しかし私のそんな動揺をよそに、足音はこの扉の前で止まってくれた。
そして、扉が遠慮がちなノックの音を響かせる。
しかるのち、ハッキリとした声が扉越しにこちらへと投げかけられた。
「あのー、この部屋の中に、いらっしゃいますよね? えっと、我々は一応、救助ということで、やって来たわけなんですけど……扉を開けてもらえないでしょうか? ——あ、外には今は、我々以外には何も居ませんので、そこは安心して下さい。この場の安全はすでに確保されているので。ですから、安心してサッと出てきてもらえると、こちらとしても助かるんですけどね」
それは、このような状況ではなんだか場違いに感じるほどに、平静な……言ってみれば、緊張感のない口調だった。
でも、だからこそ——なんだか本当に安全であるということが実感できるような気もした。
それに……聞こえてきた声は、透き通るように綺麗で、まるで「鈴の音がなるような」という、そんな形容詞がぴったりな、耳に心地よい女性の声で。
——女の人……いや、若い、女の子? 私と、同じくらい……?
「……えーっと、もしかして、怪我とかされてらっしゃいます? 自力で動けない、とか?」
返事を返せずにいたら、そんな風に誤解されてしまった。
私は慌てて返事を返そうとするが、
「——、——……!」
掠れたような吐息が漏れただけで、声が出ない……!
「……んーと、そういうことなら、こちらから開けてしまいますね。——では聖女様、お願いします」
焦って再び声を発しようとしたところに、続いたのはそんな発言。
その後、静寂の中に「ガチャリ」と鍵の開く音が響いて、ドアは確かに開かれていった。
暗闇の中で、誰かが入ってくる。
電気をつけていない真っ暗な部屋の中で分かるのは、かろうじて輪郭くらいで、それによって判明したのは、入ってきたのが三人だということくらいだった。
「あー、真っ暗なんだよね。……とりあえず電気つけよっか。——えっと、スイッチは、と……」
パチリ、という音と共に部屋の明かりが付いた。
——眩しい……!
暗闇からいきなり真昼並の明るさになったことで、すぐには目を開けられないほどの眩しさを感じる。
「うおっ、眩しっ……!」
「うぐぁっ! ——ちょっ、お前、いきなりつけるなよ! ……め、目が……」
「聖女様……油断し過ぎですよ。——ほら、南雲さんなんて、さすがだよ。言われずとも反応して、目をつぶって回避していらっしゃる」
「……まあ、この程度はな」
「いや、普通に一声かければいいだけだろうが」
「常在戦場ですよ、聖女様」
「いやそれ、平時の心構えだろ……今って普通に戦場だろ、ここはよ」
「だからこそ、油断大敵なんだよ」
「……いや、ゆうてもうゾンビは全部始末し終わったし。後は生存者を回収していくだけじゃん」
「ほら、そうやって油断してると、これまでみたいに色々とやらかすことがあるから、ちゃんと気をつけようってことだよ」
「ああ……まあ、それはそうだけどさ」
「でしょう?」
「……だからって、味方の攻撃にまで警戒しなきゃいけないのは、おかしいと思うけどな……!」
私が眩しさに目を慣らしている間に、彼女たちはなにやらお互いで話しているようだった。
そうこうしているうちに、私は光に慣れてようやく視界が効くようになった。
やっと、確認することができる。
この人たちは……
「お、そちらも目が回復したみたいですね。——すみません、いきなり電気付けちゃって。ちょっと急ぎたいものでして」
そう言った彼女は、私と同年代くらいの女の子だった。
彼女には、一目見て特徴的な要素が二つあった。
一つは、腰に刀のような物を差しているということ。
もう一つは、上に超がつくくらい、綺麗な顔のつくりをしている、ということ。
そう、彼女はちょっと驚くくらいに整った容姿をしていた。
こんな状況でそんな人がいきなり出てきたもんだから、なんだか余計にその美貌が印象的に感じる。
「まったく……早く進めたいのは確かだけど、いきなり過ぎるんだよな」
呆れたように、刀持ちの子の隣に立つ女の子が呟いた。
彼女もまた、大きな特徴が二つあった。
一つは、その手になんだか……杖? のような、謎の棒を持っているということ。
もう一つは、これまた前述の刀持ちの子に勝るとも劣らない程の、整った顔立ちの持ち主だということ。
まさか、滅多に会わないくらいに容姿の優れた人に、一度に二人も遭遇するなんて。
それにしてもこの人、顔の可愛さもすごいんだけど……胸も、中々におっきいな……。
……うん、これも含めたら、特徴三つ目って感じだ。
「む、この二人は……クラスは違うが、私と同じ学年の生徒だ。うむ、二人とも、だいぶ憔悴した様子だな……見たところ、怪我の類いはなさそうだが。——二人とも、自力で動けるか? 助けが必要なら手を貸すが」
そう言った最後の一人は……驚いた! 南雲さんではないか!
彼女のことは知っている。同じ学校・学年の生徒だし、なにより彼女はウチの学校では有名人だ。
薙刀部主将で、凛とした佇まいの美人で、全国優勝するほどの猛者。
私は部の活動の一環で、彼女に取材をしたことがあった。その時には、同じ歳の人だとは思えないくらいに成熟した人だな——という印象を受けたのを覚えている。
今この瞬間にも、彼女の落ち着いた声と、そこに居るだけで頼もしさを感じさせる雰囲気は、私に安心感を与えてくれていた。
「な、南雲さん、ですよね……?」
「——ああ、私は南雲だ」
ようやく声が出せた私は、第一声にそんな確認の言葉を発してしまう。
南雲さんの存在は知っているけど、彼女がここに、それも助けに来たというのは、驚いたというか、信じられないというか……。
確かに、彼女ほどの実力があれば、今の状況でも問題ないのかもしれないけれど……。
見れば彼女は、身の丈を超える長さの棒状の物を帯同している。これは……薙刀、だろうか。
でも、普段競技で使うような物ではなさそう。なんというか、ソレは、“本物”という感じの雰囲気を有していた。
いや、そもそもが、助けが来たということ自体がまだ飲み込めていないのだ。
それに、南雲さんはともかく他の二人は一体、誰なんだろう。救助という割には普通の女の子だし。
いや、刀とか持ってはいるけど。
でも、南雲さんでもあるまいし、刀を持っていたところで、普通の人には使えないだろうし……
……ん? 刀っていえば、どこかで——
私が何かを思い出そうとした時、隣のナオちゃんがいきなり何かに気がついたように大声を上げた。
「——あっ!! も、もしかしてっ、ト、トラ! 倒してたっしょ!? グラウンドで!」
言われて私も思い出した。
——トラ!!
確かに、あの時の三人だ。
刀と、変な棒と……ん、あれ、銃は?
うん? 薙刀の人はいなかったよね。あら……? 装備、変えた?
突然のナオちゃんのセリフに、三人は驚いた様子だった。
「へぇ? ……いや、そうか。その窓から、ご覧になっていた感じですか?」
「……あ、なるほど。ここからグラウンドが見えるのね」
「……トラ?」
刀の人と変な棒の人(名前を早く聞かないと……)は、窓の方を見て何やら納得した様子だった。
しかし、南雲さんは一人、不思議そうな表情をしていた。
「……火神さん、トラ、とは……?」
「ああ、えっと、その、まあ、なんと言ったらいいのか……うぅんと、まあ、その……トラです」
「いやお前、説明になってないだろ……」
「いや、だって……。——てかじゃあ真奈羽様、代わりに説明して下さいよ」
「え、いや、それは……」
「ほら、無理でしょ。てか実際、言葉で説明できるもんじゃないでしょ、アレは」
「まあ、そう、なんだよな……」
「……トラ、か……」
「あ、すみません、南雲さん……。でも、ちょっと話すと長くなりそうというか。——見れば一発なんですけどね」
どうやら南雲さんは、トラの怪獣のことを知らないようだった。
南雲さんは説明して欲しそうだけど——うん、あのトラについて説明しろと言われても……かなりの難題だよね。
するとナオちゃんが、何やらソワソワとし始めたと思ったら、遠慮がちに会話に割り込んでいった。
「……あ、あのぅ——」
「ん? なんですか? ——ああ、すいません。救助のことですよね? おしゃべりしてないで早く行こうってことですね?」
「あ、いや、そのぉ……」
「……?」
「う、ウチ、あのトラのやつ、動画に撮ってるんです、実は」
「……え、マジ?」
「う、うん、マジマジ」
ナオちゃんが言った動画について、刀の——カガミさん? 彼女は興味を示してきた。
「わ、マジか。あれ見られてたのか。しかも撮られてたのか……」
そして隣の——マナハさん? 彼女も反応する。
「あ、ゴメンなさい、勝手に撮影しちゃって……」
「あー、いや、それは別に、いいんだけど」
「まあ、あんなん目撃したらね、撮影しちゃうよね。そこはもう、仕方ないでしょうよ。自然の摂理と言うかね。——ふぅん、動画か……。どんな感じに撮れてるのか、気になるな……」
「あの、じゃあ、見るっすか……?」
「あ、いいの? じゃあ、見せてもらおうかな……?」
「え、今から見るのかよ」
「え、ダメ?」
「……まあ、私はいいけど」
「あ、じゃあ、ウチ、スマホ出しますっス——」
「……トラ、か」
そしてなぜか、みんなでトラを撮影した動画を見ることになった。
……え? 今から?