第101話 えっ、このトラは……なんのトラなんですか?(ダウン◯ウン松本風)
——私は、一体なにを見ているの……?
私は自分の目で見たものが信じられず、ひたすら困惑していた。
そんな状態のまま、私は隣のナオちゃんに呆然と声をかける……
「え……コレは、何?」
「トラじゃね? ……たぶん」
「だよね。……でも、デカくない?」
「デカい。めっちゃデカい」
「トラってあんなにデカかったっけ……? てか、なんでトラなんだろう」
「いや、あのトラはデカすぎ。——いや、いや、全然分からん。トラの意味が」
「なんだろう……怪獣、なんだけど、なんか、あんま怖くないかも……?」
「あー、いや、それはどーかな? 近くで見たらヤバいんじゃない? あのデカさだし」
「そうか、そうだね。この距離だと、なんかもう、おかしいとしか思わないというか……」
「……つーかこれ、どーしよ?」
「……どう、って言われても……。——あ」
「——えっ、どした!?」
「あ、いや、部長なら今絶対、動画撮ってるだろうなって。——スクープ! とか言って……」
「あー、せやね。……うん、そうね、それかもしれんね、正解は。——このトラを見てから取るべき行動……うん、それが正解だよ、たぶん」
「カメラ……スマホしかないけど」
「ウチも撮ろー」
「……あ、ナオちゃんが撮るなら、私はやめとこうかな」
「へ、なんで?」
「あー、いや、一応さ、充電とかのこともあるし、二つは要らないかなって」
「あ、そーだよね。——それなら、アユのはキープしとこっか」
ナオちゃんは、自分のスマホを取り出すと、カメラを起動して、トラを撮影し始めた。
「そういやさ、昨日、観た動画の中にさ、なんか怪獣のやつもあったよね……?」
「あ、うん……。あったね。私も観たよ」
「このトラって、つまり……これも同じやつってことなんかな……?」
「……なのかな」
「あー、そっか、そうだ。つまり、今のウチみたいにやってたんだ、みんな。それをネットに上げてたんだ」
「……そうか。そしてそれを、私たちが見てた、と……」
「……つーことは、マジで、こんなやつが、あちこちに出現してるってこと……?」
「……それと、ゾンビたちも、だよね……」
「…………はぁ、いや、それ……動画とか撮ってる場合じゃなくね?」
「……確かに、かもね」
「コレが正解、じゃねーわ。ぜんぜん違ぇわ。いやまあ、でも、他にどうしようもないっちゃないんだけど。……とりま、動画は撮っとくか、一応」
「あのトラがゾンビを一掃してくれたら……どうかな、私たち助かったりして……?」
「それは……うーん、そう都合よくいくかね〜? てかフツーに、あのトラは人間も襲うんじゃね?」
「まあ……そうだよね」
「……むしろ、ゾンビだけの方がマシじゃない? あんなトラとか、もう完全に対処不能だし、逃げることすら無理そーじゃん?」
「だよね……あぁ、ゾンビだけ倒してどっか行ってくれたりしたら……っ——!?」
「——ん? って、えっ!? あ、アレっ!」
未だ巨大なトラという衝撃による混乱の最中にありつつも、すぐに襲われるわけでもない校舎の上階から眺めるという状況もあり、一応は観察する余裕のあった私たちだった。
しかし、そんな私たちを再び衝撃が襲った。
相変わらず校庭のゾンビを相手にしているトラの怪獣——を眺めていた私たちの視界に突然、人の姿が飛び込んできたのだ。
「えっ、誰? 人間? ウソっ? ——ってうおっ!!?」
「——きゃっ!!?」
上から眺めていても、すごい速さで走っているように見えたその人物は、あっという間にトラの元へとたどり着いた。
しかし、その人物の出現に反応して瞬時に襲いかかったトラの一撃によって、その人は凄い勢いで吹き飛ばされていった。
——やられたっ!! ……って、えっ!?
——ウソッ?! あっ、また! ……えっ、えっ……ええっ??!
——な、なんで無事で……ん? アレは、何を持って……あれは、刀……?
——てゆうか、トラの本気、速すぎじゃん……
——あ、またトラが来るっ!! ……えええええ!!!???
——う、受け止めてる、の……?? う、ウソでしょ……!?
眼下のグラウンドでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
突如として、怪獣トラの前に現れた彼女(見たところ女性で、しかもまだ若そう)は、次の瞬間には、怪獣の攻撃で吹き飛ばされた。
しかし、なぜか彼女は無事で、すぐに起き上がると、今度は怪獣の攻撃をその身(と刀)で受け止めているのだった。
私は、言葉を発することもできずにただ唖然として、その様子を食い入るように見つめていた。
隣のナオちゃんも同様の様子であったが、カメラを構えたジャーナル魂(?)か、録画は継続しているようだ。
眼下の彼女は、怪獣相手に互角の戦いをしていた。
攻撃を受け止めた、と思ったのも束の間、押さえつけられた状態からの怪獣の追撃にやられたかと思えば、あっさりと起き上がり——
その後の攻防でも、回避と防御を駆使して、怪獣に捕まることなく渡り合って——
正直、いつやられてもおかしくない——はずなのに……。
彼女は、倒れない。怪獣の猛攻を凌ぎ続けていく。
そして、そこから先は、もはや理解が追いつかない展開の連続だった。
怪獣が口から火炎放射したのを皮切りに……(いや、火を吐くって——!?)
——死んだッ!? いや、出てきたっ、生きてるッ!? なんでっ!?
——加勢っ!? 銃だ! やった! ——って効いてない!? あ、やられたっ! え、何これ、光の……輪? 綺麗——って、あ、銃の人、生きてる……?
——な、なんで、あの巨体の攻撃を捌けるのっ……!? って、えええっっ!!? 何これっ!? 爆発!?
——ば、バリア……!!? この人、何……超能力? 魔法……? そんな、まさか……
——自分から前に……? す、すごい、ちゃんと、渡り合ってる……うおっ! またっ、これやっぱ、あの人の攻撃なんだ! これはビーム——? てか強いぞっ、コレっ!!
——ゴールの後ろから? あ、銃が効いた?!
——逃げ……いや、違う。——あっ、そんなっ!?
——バリアだっ!! 止めたッ!!
——あっ、逃がすなっ、やれぇっ! がんばれっ! あっ……あっ、無事だ。
——火がっ!? でも避けたっ!
——た、倒したの……??
とんでもない戦いだった。
時間的には、そんなに長い戦いではなかったはずだ。だけどその分、凄まじく濃い内容の戦いだった。
「ヤバ、ヤバ、ヤバし……ヤバい映像が撮れたし……」
ナオちゃんはそう言って、録画を終了させたスマホを震えながら見つめていた。
そして、まるで宝物を扱うように丁寧な動作で、スマホをしまい込んだ。
そうしてようやく自分の今の感情を発散出来るとでもいうように、彼女は興奮を隠すこともなく私に——というよりこの状況に向けて、言葉を発した。
「つーかヤバい、ヤバいよ、ヤバすぎっしょ……なんあの人ら! トラの怪獣倒しちゃったんスけど! 信じられん……! いや、まずトラの怪獣が信じられんのよ。とか思ってたら、謎の人らが現れて、謎のパワーみたいなん使って倒しちゃうって……どないいうこっちゃねんっ!」
「ちょっ、ナオちゃん、少し落ち着いて……」
私も十分以上に驚いていたけど、ナオちゃんの剣幕に当てられたせいで、すでに若干の冷静さを取り戻し始めていた。
「これが落ち着いていられる? ——いや無理じゃ! ……ってかアユも見てたよね!? トラもやべーけど、あの人らもなんなんよ!? どう見ても普通じゃねーよンゥ……っね? なんか、謎パワー使ってたっしょ! 爆発とかしてたしよぉ……や、待てよ? つーことは、さっきの爆発も————ってえ! なんかトラが光っ、て……消えよる! いやトラ消えたぞオイ…………は?」
確かに、グラウンドに横たわっていた大きな怪獣トラの死体——それが、なにやら一瞬、光を放ったと思ったら、跡形もなく消滅してしまったのだった。
「……はぁ、マジか……もう、何が何だか……」
「……あ、あのさ、その……動画、どう? 撮れた……?」
「ああ、うん、撮れたは撮れた、けど……動きが速すぎて、ぜんぜん上手く撮れてないけどね。——でもまあ、大体は撮れたかな」
「そう……」
「つーかマジで、あの人ら、何者?」
「どうだろう……味方、なのかな?」
「あー、うん、そこだよねー……。でもまあ、トラよりは味方寄りじゃねー?」
「どうだろう……どうしよう? 私たち、どうするべきなんだろう……? 声、かけてみるべき?」
私がそう問いかけると、ナオちゃんは迷った様子を見せてしばらく考え込んだ。
しばらくして、未だに迷った様子ながら私に返事を返してくる。
「うーん…………あの人たちが助けてくれる系の人かどうかまだ分かんないし……大声出したらさ、ゾンビ寄ってくるかもじゃん? ——いやまあ、さっきまでのウチもだいぶ騒いでたカモだけど……」
「そう、だけど……でも、どうせこのままここに居てもどうにもならないし……賭けになるけど……」
「うーん、ま、それもそうなんだけど……って、あ」
「あっ……」
見れば、グラウンドにいた例の彼女たち(どうやら全員、女の子のようだった)が移動を開始していた。
「あっ、行っちゃう……」
結局、彼女たちが去る間に結論を出すことはできず、声をかけることは出来なかった。
だけど、彼女たちは学校から出るのではなく、校舎のある方へ向かっていた。ということは、この学校に用があるということだろうか……? 誰か知り合いがいるとか……?
だとしたら、まだチャンスはある……?
そうだとしても、ここでただ待っているだけではどうにもならないよね……
だけど、ここから出るのは……やっぱ、無理、かな……
ナオちゃんとも相談してみた。
しかし彼女と話してみても、結局ここから動くという決定にはならなかった。
やはりまだ、不安要素が多すぎる。情報もまるで足りない。
誰かと連絡を取りたい。体育館の様子も知りたい。
だけど、スマホの回線は少し前からすでに繋がらなくなっていた。今の私たちには外部との連絡手段はない。
同じ学校の敷地内のことすら、私たちにはわからない。唯一の情報源は、窓から見える景色のみ……
では、さっきそこから見えたのは、一体なんだったんだろう……。
あまりにも荒唐無稽すぎて、少し時間が経ったらもう、あれが現実に目にした光景だとは思えなくなってくる。
しかし、私たちは“アレ”が現実だという証拠を得ていた。撮っていた。
確かにスマホのメモリーには、先程の動画が残されている。アレは実際にあった。現実だった……。
「……本格的に暗くなっちゃったね。あー、とりあえず、電気つけよっか?」
その言葉に、またもや思考の海に沈もうとしていた私は——ハッとした。
完全に日が落ちて、辺りには夜の暗闇が出現していた。確かにもう、明かりがないとロクに見えないような暗さだ。
暗くなった周囲に合わせて、何となく精神的にも暗くなりそうな気分を払拭させるかのように、ナオちゃんは少し無理したように明るい声を出して私にそう言ってきた。
だけど、その提案には軽々しく頷くことは出来なかった。——明るく振る舞おうとする彼女に、水を差すようで申し訳ないけれど……
「——あ、待って! ……電気は、やめといた方がいいような気がする。ゾンビを引き寄せるかもだから」
「……あ、そう、だね。……確かに、ぜったい目立つもんね……。——で、でもさ、逆に言えば、それで私たちがここに居るって分かるワケじゃん? そうすればさ、それを見た誰かが助けに来てくれるかも……」
「そうだね……。でもそれは、希望的観測……だと思う。それよりもゾンビに見つかるデメリットの方がはるかに大きい……と、私は思う」
「そうか……うん、そうだね……。それじゃ、電気をつけるのはやめとこっか……」
「うん……。——あ、でも、私たちがここに居るってことを知ってる人は、ほら、一応、さ。他にも、あの、体育館にも、いるからさ」
「あー、そっか。電話で話した——アユの同クラの人だったよね?」
「うん。だからまあ、もし救助が来たなら、体育館には行くはずだし……そうしたら、私たちのことも話してくれると思う」
「そうか、うん、そうだね……! それなら、大丈夫か……。だったら私たちは、むしろゾンビに見つからないように気をつけないとだね」
結局そういうことで、私たちは暗いままの部屋で、相変わらず息を潜めて過ごした。
正直、真っ暗な中で何もせずにただ待っているだけなのは、すごく怖い。確かに、特に必要はないし目立つだけになるだろうけど……電気をつけて明るくしておきたいという気持ちは、待っている間にどんどん強くなっていった。
自分で言い出したのに——やっぱり電気つけようか……? なんて提案しようかと思い始めるくらいだった。
しかし、それからすぐに、そんな気持ちは消え失せた。
そして、私は自分の選択が正しかったことを悟った。
——少なくとも、今のところは。