第100話 いや、感情の振れ幅が激しいんよ(千鳥◯ブ風)
————ッ!!
「な、なにコレッ——!?」
「わ、分かんないっ!! ば、爆発っ!?」
突然に響き渡った爆音。
しかしそれは、鬱屈とした私の内心に変化を与えるには十分な衝撃だった。
「ど、どこっ? 今の、どっち!?」
それまでぼんやりと座り込んでいた私とナオちゃんの二人は、すぐさま立ち上がると窓に飛びついて外の様子を確認し始めた。
ナオちゃんは焦ったような声でそう呟きながら、しきりに首を振って窓の外のあちこちへと視線を飛ばしていた。
爆発の音はかなり大きく、しかもすぐ近くで発生したものだと思われた。反響によって正確な方向が判別しづらかったけど、おそらくは……
「向こうからじゃなかった……?」
「向こう、ってことは、こっちとは逆か……」
「たぶんあっちの、裏門の方向だと思う」
「……っぽいね。こっちの窓からはなんも、それっぽいのは見えないし」
私たちの部室の窓が面している方向とは逆の方向。おそらくは、爆発音はそちらから聞こえてきた。
この部室には、そちら側には窓はない。あるのは廊下へと出るための出入り口のドアだけ。
無論、ドアから出て廊下の窓から確認すれば、そちら側を見渡すことは可能だ。しかし、そのためには、この部室から出る必要がある……。
答えは何となく分かっていたけど、私はナオちゃんに問いかけてみる。
「向こう、確認しに行く……?」
「いや、それは……やめた方がいいよね?」
「うん、だよね……」
「まぁ、気になるけど……ここから出るのはね……。ちょっと確認のつもりでドアを開けた瞬間にヤラれるってのは、この手のアレじゃ、お約束だしね」
確認には行きたいが、この部屋から出るのは怖い。ドアを開けた瞬間、ゾンビが目の前にいる可能性だってある。
結局、私もナオちゃんも確認に行くことはなかった。ドアの方に近づくことすらせず、窓辺から動かずにいた。
この部屋には廊下側には窓はないので、部屋の外の様子を窺うにはドアを開けて覗き込むしかない。
例の——ゾンビ達が、どんな風に生者に反応しているのかは詳しくは分からないけど、極力、刺激しないに越したことはない。
自分と、それからもう一人、大切な友人の命までかかっているとなれば、行動には細心の注意を払うべきだ。
これは夢でも、画面の向こうの話でもなく、紛れもなく現実で、リアルで……だから当然、失敗は一度も許されなくて、死んでしまったら即それでお終い、やり直しなどはないのだ。
人は普段から、なんとなく自分は、自分だけは、死ぬことがないと思っている。明日も生きているのが当然だと、なんの根拠もなくそう思い込んでいる。
昨日までの私も、そうだった。でも、今日この日を迎えた私は、むしろ自分がまだ生きていることが不思議なくらいだった。
たくさんの人が死んだ。正体不明の、創作物に出てくる“ゾンビ”のような存在に襲われて。被害者自身も、すぐにその仲間入りをした。
実際のところ、ゾンビになったことが=で死んだことと同義であるのかどうかは、分からない。
もしかしたら、何らかの要因——ウィルスとか細菌とか寄生虫とか——で、一時的におかしくなっているだけで、病気のようなもので、治療が可能で……だから、元に戻すことも可能なのかもしれない。
ただ、こうなった以上、昨日観た動画は本物だったと考えるのが順当なんだろうと思う。
そうして思い返してみれば、動画に映っていたゾンビの中には、かなりの大怪我をしても動いているものがいた。
それこそ致命傷といえるくらいの傷で、それで動くのは明らかにおかしいと言えるような傷でも平気で動いていた。
それを見た昨日の私は、だからこそ、これはフェイクだと思ったものだったが……
それが、本当なんだとしたら……。ゾンビはやはり、病気などという生やさしいものではない。もっとおぞましくて理解不能な何かだ。
だとすると、それは——
そこまで考えて私の体は——ぶるっ、と大きく震えた。
今まではあまり考えないようにしていた。ゾンビについて。しかし、謎の爆発音によって思考が乱された私は、つい深く考えこんでしまう。
ゾンビが病気とか、そういう、まだ理解できる現象によるものではなくて、まったく理解不能な存在なんだとしたら——
死んでいるのに、それでもなお、動き続けて人を襲っているのだとしたら——
それは……なんて…………
——恐怖。
一気に様々な感情が、私の頭の中を渦巻いてゆく。
——理解不能な存在に対する恐怖。
——死ぬことへの純粋な恐怖。
——人の形をした怪物に襲われることの恐怖。
——人間が、見た目はそのままに怪物に変わってしまうことの恐怖。
——自分も、そうなってしまうかもしれないという恐怖。
しかし、一番の恐怖は——
——死すら、終わりではないのかもしれない……
——その先すら、あるのかもしれない。
——ゾンビは死なない。あるいは、死んでも動く。
——では、それに噛まれて、同じになった人は……?
——死んでるの? 生きてるの?
——普通の死とは、別の可能性——
——通常の死ですら恐ろしいのに、それよりもっと、恐ろしい何か——
——あるいは、あるいはそう——
——ゾンビになった人間は、死ぬことすら出来ないのかもしれない。
——ずっと、永遠に、死ぬことすら出来ずに、不滅の体に意識を囚われたままで、滅びた世界を彷徨い続けるのだとしたら……
「……うっ、うぐぉ——」
そこまで想像して、私は一気に込み上げて来た悪寒と吐き気に、とっさに口元を押さえてその場にうずくまった。
「——ちょっ、アユ!? だ、大丈夫っ!?」
すぐにナオちゃんが、私の隣にしゃがみ込んできた。そして私を抱き抱えるように支え、背中に手をやって優しくさすってくれる。
触れ合った部分から人肌の温かみを感じたことで、私の気持ちは徐々に落ち着いていった。
彼女のおかげで私は、自分の心がおぞましい想像に飲み込まれそうになるのを、なんとか堪えることが出来ていた。
それからしばらくの時間を置いて。
私は、激しく動く心臓と荒い呼吸が落ち着いたのを見計らって、彼女に声をかけた。
「あ、ありがとう、ナオちゃん……」
「アユ、ど、どしたん? さっきから確かに、なんか顔色悪かったけど……そんなに気分悪かった感じ? ——ごめん、ウチ、気づいてなくて……」
「い、いや……ちょっと、その、気分が……あ、いや、体調は悪くないんだけど、身体的なやつというより、精神的にね、ちょっと……」
「あー、まあ、それは、この状況ではね……」
「あんまり深刻にならないようにしてたんだけど、つい考え込んじゃって。自分で嫌な想像して、自分でダメージ食らってた感じで……。——はぁ……そう考えると、ただのバカだね、私……」
「いやー、まあ、確かに、ア——」
「だよね、バカだよね。ほんと、何やってんだろ……」
「あ、いやっ! そーじゃなくてっ」
「えっ?」
「いや、だから、その……アユって、普段から考え込むクセあるとこあるから、こういう状況ならキツそーだなって思っただけで……! 別に、アユのことバカだってのを認めたわけじゃないからっ! 違うからねっ!?」
「あ……うん。……ありがとう、ナオちゃん」
「いくらウチが慰めんの下手くそでも、そんな追い討ちかけるようなマネしないからっ。そこまで鬼畜じゃねーかんな」
「うん、分かってる。……でも、なんか必死になって否定するナオちゃん見てたら、ちょっと元気でたかも……ふふ」
「ちょっ、笑うなしっ! ……まあ、元気になったならいーけど」
そう言ってナオちゃんは、少し照れたような素振りを隠すように、勢いよく立ち上がると、そのまま私から離れようとして——
「あ、待って——!」
思わず私は自分も立ち上がって、彼女を掴んで引きとめていた。
「——っえ? ど、どしたん?」
「あ、いや、なんか……」
「なん……?」
「えっと、その……ま、まだ、離れたくないなって、お、思って……」
「ん、お、おう……」
「だ、ダメかな……?」
「や、別に……いいけど?」
「——! じゃ、じゃあ、もうちょっと、そばにいてくれる……?」
「い、いいけど……。って、てか別に、この部屋から出ることもないんだから、離れるもなにも、ないと思うケド……狭い部室だし」
「そうだけど……少しでも、離れたくなくて……」
「……なんか、一気にしおらしくなったね? アユ。……爆発のせい?」
「……ん、そうかも。だって、びっくりしたもん」
「そりゃ、ウチもマジでビビったけどさ。——まあ、そんなアユもカワイイと思うよ?」
「…………ほんと?」
「んえっ?」
「え、なに?」
「い、いや、反応が、意外なヤツだったというか。冗談のつもりだったんだけど……」
「……冗談だったの?」
「……拗ねてるの?」
「——、別にっ」
「拗ねてるじゃーん。いやー、それも含めてカワイイっすよ?」
「もう、何それ」
「ごめんごめーん。ね、許してっ。お詫びにほら、ハグしてあげるから〜、ね?」
「むー、なら……許す」
「よーしっ。ほれ、よしよ〜し」
そう言ってナオちゃんは私を抱きしめると、頭を撫でてくれる。
あ、これ、かなりいいわ…………。
あー、やばい。なんか知らないけど、かるく涙が出そうになってきた……
ただでさえ、なんだかよく分からない要求をして困らせてるのに、更にここで泣いたりしたら、余計に意味分かんなくなっちゃう。なんとか我慢しないと……
「ふっ……なんなら、ウチの胸で泣いたっていいんだよ?」
とか思ってたら、ドンピシャでナオちゃんがそんなことを言ってくる。
ナオちゃんより背の低い私の顔は、今は正面から抱きしめられて彼女の胸に埋まっているから、見えてないはずなのに……
そんなこと言われたら、私……
「ほら、この私の胸の中で——この大きな胸に、すべてを預けるといい————いえぇぁあええっ!!??」
なぜか余計な言い直しをした彼女の言葉は、しかし、途中で素っ頓狂な悲鳴のようなものに変化した。
——えっ、何っ?
思わず、私は彼女の胸から顔を上げる。
ナオちゃんは目と口を大きく見開いて、これ以上ないくらい驚きを反映した表情をしていた。
私は反射的に、彼女の視線の方向——窓の外へ顔を向けた。
そうして、私の瞳に映った光景には、出そうになっていた涙も余裕で引っ込ませる衝撃があった。
この目に映ったもの、それは——
——————虎?
いや、トラ?
トラ……ってか、まあ、トラ——いや、トラ、デカくない?
………………はっ?
いやこれ、トラ、車より全然デカいじゃん。
…………てか、え?
これ、トラじゃん。
トラ……?
——あっ、ゾンビがやられてる。トラってゾンビ襲うんだ。そういう系のトラなんだ、これは。
……いやトラ、やっぱでかいじゃん。
ゾンビと比べたらこれ、比較が……えっ? 人間があのサイズなの?
え、じゃあこれ、トラ、めっちゃデカいじゃん。
やっぱデカいじゃん。
遠近感とか、そういうやつではなかったじゃん。フツーにデカいだけじゃん。トラが。
てか、えっ……?
何こいつ。
トラ?
「トラ……? いやデカっ。つか、トラ強っ! ゾンビとか瞬殺じゃん。——えっ、こいつ味方? や、なわけねーか、トラだもんな……。え、てかトラ? なんで……?」
呆然とした様子のまま、ナオちゃんの口からも言葉が漏れていた。
あ、よかった。ナオちゃんにもちゃんと見えてるんだ。それじゃ、あのトラは私だけが見てる幻覚ではないのね。
——いや、なんも良くないでしょ。てか幻覚の方がマシでしょ。
めっちゃデカいトラの幻覚が見えるのは嫌だけど、めっちゃデカい実物のトラが出てくるよりは、そっちがマシでしょ。
てかなんでトラなの?
いや、てかさ、マジで……
何、コレ?
 




