元悪役令嬢への裏切り調査
整備された石畳の道が続く王都、その郊外にオレの家兼職場がある。「ヘロン探偵事務所」という味気のない名前。集合住宅の二階に存在する、オレが一人で経営も調査もしている小さな事務所。探偵が本職のハズが、今のオレは帳簿ばかり見ている。
そんなオレの耳に、外から階段を昇る音が届いた。我が家の前で止まり、大きく三回ノック。
帳簿を置き、扉を開く。貴族の召使いであろう高貴な服をまとった男が立っている。こちらから口を開いた。
「やぁどうも。ヘロン探偵事務所に何か御用ですかな? それとも道に迷って……」オレは慇懃に対応する。
「いえ、貴方に依頼が」
「これは失礼! さぁ中へ」
召使いらしき依頼者を招き入れる。こざっぱりした室内の空気と、その狭さ。窓を背にした執務机とその前の応接間。少しの本棚と、あからさまに生活空間が先にあると判る雑な扉。これが事務所の全景だ。はっきり言って貴族様が来るところではない。オレは所詮街の探偵。名探偵ではない。
申し訳程度の応接間に互いが座り、話を始める。
礼儀正しく、依頼人が話し始める。
「ヘロンさん、今回は突然の訪問に応じていただき感謝します」
「いえ何をおっしゃいます。こういった事業ではよくあることですよ。私の名は昔読んだ探偵小説の主人公と同じなのですが、その主人公もこういうことはよくありましたし」
「あー、ロータス女史の作品でありましたね……」
緊張のほぐしと話題作りのために話したが、あまりウケは良くない様子。まぁ確かに、今どきロータス女史作品の話なんて天気ぐらい使い倒されている話題だ。
「それで依頼なのですが」依頼者は胸ポケットから手紙を差し出す。「ヘイル・ホーネスト様からです」
「……ヘイル・ホーネスト? 失礼ですが」
「いえ、ご本人です。手紙を見れば解ります」
促されるまま手紙を開き、読んだ。
内容は、ヘイル・ホーネストの妻、ロータス・ホーネストの裏切り調査だった。ロータス女史その人への調査だった。
困ったことに、ホーネスト家の紋章は文句なく本物だ。
「あ、あの」
読み終えて顔を上げた先には、依頼人はいなかった。すでに帰宅している。彼の代わりに、前金が机上にどっさりある。そして、それ以上に特徴的なものが一つ……。
赤く塗られたナイフが机に刺さっている。
この赤色はどう見ても血ではない。鮮やかすぎる。しかしこのナイフは、今でも貴族の間で使われる脅迫方法だ。「しくじったら、裏切ったら、地の果てまで追って殺す」という警告だ。
現政界の大物、ヘイル・ホーネストに名指しされるなんて、オレはどんな大罪をしでかしたのか。そして、浮気ではなく「裏切り」と称しているのはなぜなのか。しがない町探偵は、けれども前金の魅惑には抗えない……。
……ロータス女史が描く探偵小説なら、ドラマチックな冒険が織り成す調査パートが描写されているだろう。
全くつまらないことに、チンピラをけしかけられたり警察が口出しすることもなかった。周知の事実以外何も解らなかったから当たり前なのだけれども。これでもずっと張り込んでいたのに。
しかし、これまでをまとめることも大事だろう。
オレはいつも利用している近所の喫茶店に行き、淹れたてのコーヒーを飲む。夕方も終わりに差し掛かる頃、さて、と手帳に携帯羽根ペンで整理を始める。
ロータス・ホーネスト、三二歳。女性。かつては悪の令嬢として恐れられていたが、ある時を境にいきなり軟化。ある貴族から婚約破棄をされた際、ヘイル・ホーネスト氏に助けられ婚約。婚約破棄をした男とその女は後に国家反逆罪がバレて処刑された。
ロータス氏は大貴族たるヘイル氏の妻として暮らし、小説や新しい芸術作品を次々発表、当時地位の低かった女性作家を第一線にまで引き上げた。今や我が国でその名を知らぬ者はいない。後年、偉人として語られることは確定している。
そんな文学と芸術の女神ロータス女史の夫、ヘイル・ホーネスト公爵は三十歳、男性。一般には「ロータス女史の夫」で通じる。幼き頃より人から裏切られてきたことを彼の知人たちから聞いた。家族からは半ば捨てられ、常に利用され続けられた。そんな彼も今や政治のフィクサーだ。並々ならぬ苦労をしてきたのだろう。裏切りに敏感なのも納得がいく。しかしその対象が、昔に助けた現在の妻だとは。
彼の過去を知るのは少しキツかった。上流階級の陰湿など、庶民は知りたくなかったよ。
手帳にまとめた情報を見て、店の天井を仰ぐ。コーヒーの香りが満ち、所々で輝くロウソクが暖かい。給仕たちが忙しなく動いている。オレのように、くたびれたコートを着た人々が文化的活動に勤しむ。
今日で、ロータス女史を張り込んで三日目。まだまだ短いが、ヘイル氏はひたすら急かしてくる。ロータス女史の部屋にも入れさせてもらった。婦人の部屋に忍び込むのは気が引けた。もちろん裏切りの証拠はない。ヘイル氏とも合わなかった。忘れがちだが、オレは平民、相手は貴族。
馴染みの喫茶店から出て、我が家に戻る。こういうのは辛抱が肝心。ロータス女史の探偵小説を読みながら寝ることにする。
……あの喫茶店が舞台の小説だ。意外と行動範囲が被るな……。
張り込み四日目。もう昼だ。あらゆる変装をしてつけた。彼女はあまりにも、ありふれた文化人の生活をしている。気の知れた作家たちと食事を楽しみ、本を取り寄せ自室で読む。書斎にこもり、夜に疲れきって出てくる。
そんな毎日を過ごしているのが彼女だ。最初、友人と「リバ」「ヘテロ」「雑食」など聞きなれない言葉が飛び出ていたが、あとに調べたら文学用語だった。芸術の話はよく解らない。
今日、四日目。もう突撃だ。ヘイル氏のお怒りメール(ロータス女史作品の言葉だ)が何通も来ている。赤いナイフも送られてきた。こうなりゃ当たって砕けろだ。失敗しても、そこらの平凡探偵に頼んだ公爵が悪い。もっといい探偵に頼めということだ。
女史は喫茶店の屋外スペースで護衛の騎士に囲まれ、友人たちと楽しくお茶をしている。今日は「百合」について話し合っているようだ。花についても語れるとは、流石文学者。
そんなところへ「失礼します」と声をかけるオレ。護衛が獣みたいに睨んでくる。「私、週間プライボールの……」
「あぁ、ヘロン探偵事務所のヘロンさんでしょ?」
バレている。しらばっくれても仕方ない。態度を正す。護衛が剣の柄を掴んでいる。
「失礼しました、ロータスさん。えぇ、私はヘロンです。少し、お話をしたいと思っていまして」
銀髪をたなびかせ、桃色のドレスを着た貴婦人。その彼女は言う。
「夫のことでしょ? ……みんなごめん。ちょっと席外すね」
目配せで「着いてこい」と指示されたので大人しく追う。たとえ罠だとしても、屈強な騎士に囲まれては抵抗も無意味でデメリット。
店の個室に通された。上等な椅子、美しい調度品、店員を呼ぶベル、装飾に凝った窓。互いに座るが、オレの周りにだけは騎士たちが固めている。
「ごめんなさい」すでに用意されているティーカップを手に、ロータス女史は言う。「ここまで厳しくしないと夫は心配してね」
「いえ、お気になさらず……」
さて何から切り出そうかと素人のように悩んでいると、先方が先手を打った。
「もしヘイルが、ワタシが裏切っていないか不安に思っているなら、そういうことはないよ。出版も助けてくれて何も縛らず自由にしてくれている人へ、泥をかける理由なんてないもん」
「えぇ理解しています。しかし証拠がないと……」
「それは悪魔の証明だよ。ないものをどうやって証明するのさ」
悪魔の証明ってどういう意味なんだ、という疑問はさておき。やけにフランクだ。
実際、裏切りの証拠なしですと言って、ヘイル氏は納得するだろうか。
いやいや。オレは内心首を振る。思えば、これは感情の問題だ。警察が介入して、罪を探すものじゃない。いつもやっているお悩み相談みたいなものだ。
「ありがとうございます、ロータスさん」
「ワタシ、貴方のファンだからさ、今後の活躍も期待しているよ」
リップサービスを受け、帰宅した。
オレはヘイル氏へ報告の手紙を出した。完全にシロ。安心安全。もちろんこれで終わるハズもなく、いつもの召使いが家に来てホーネスト邸に連れてこられた。必要性を感じないほど長く広い廊下を通り、執務室に通されて立たされた。相手のヘイル氏は座っている。階級が違うからこの点は仕方ない。
目の前には、黒髪で鋭い目つき、上等な生地の上等な服を着込む、美しい男がいた。歳をとったがための貫禄も、羽根ペンを動かす姿を芸術にしている。
「なぜだ?」
芸術たるヘイル氏、最初の一言はこれだった。
「どれだけ調べても裏切りの証拠は出てきませんでした。赤いナイフの前でも同じことを言いますよ」
「しかし……なぜだ?」
どうも、話が噛み合っていない。「なぜ裏切っていないのか」という疑問の言葉は同じハズ。だが含まれている意味は遠くに離れている。
その後、ヘイル氏は黙った。ペンも止まった。本当に解っていないようだ。
思い返せば、彼は裏切りが常態化していたのだった。何度も心を背かれ、人間不信の局地にあると言って過言ではない。となると、いつか残酷な別れをすると知って結婚したのか。それでいて妻のしたいことは助け続けたと。
考えるほど、歪んだ人だ。
「ヘイル公爵閣下」
オレが呼びかけると、目だけがこちらを射抜いた。政争を生き抜いた力強さによって、少し気圧される。
俗な話だが、オレはここで死にたくない。報酬と、それで買える楽しみを逃したくない。そして仕事失敗の烙印はゴメンだ。話を続ける。
「貴方は何も、ロータス女史に悪いことはしていませんよ。裏切られるようなことは何も。それは近くにいる貴方にはよく判ることだと思いますが」
「人は隠すものだ」
「善意だって隠されることもありますよ」
「しかし、人は……」
「ご夫婦で一度、よく話し合ってください。一人相撲をしていますよ。本音を語れば、あの文学の女神です。理解してくれます」
ため息をこぼし、彼は重すぎる腰を上げる。
「解った。話し合おう。ただ着いてきてくれ。空気に毒を混ぜられたらかなわん」
「疑いすぎですよ……」
二人と護衛で廊下を行き、ロータス女史の部屋へと進む。道中、「一人相撲」とはどういう意味かが話題となった。相手もいないのに居ると考えてその相手に対し色々悩む、という意味だとは互いに知っている。しかし相撲とはなんなのか、さっぱりだ。ロータス女史の作品にしか出てこない単語だし。
ロータス女史の部屋に着き、入る。
「あ、ヘイル」女史は読書中だった。「それとヘロンさん。終わったの?」
「あぁ」ヘイル氏は言い淀んで、「終わった」と言って俯く。
客人用のテーブル。それを囲んでホーネスト夫妻は座る。オレは勿論起立。
「私は」ヘイル氏が妻に目を合わせず切り出す。「裏切られてきた。ずっと。だから、君にも、いつか捨てられると……」
「最初から知っているよ、その気持ち。それも知らずに結婚したと思っているの?」
「……君には、かなわないな」
……なぁ公爵のおっさん。オレがやった下手な捜査は何だったんだ。一言二言話せば解決するじゃないか。そんな文句が喉に詰まる。
その文句は、大金をもらえるという事実で飲み込んだ。
……後日、約束通りの報酬が来た。しばらく遊んで暮らせる量だ。惚気を聞いて大金を貰えるなんて、王様だって羨む話だ。
だが探偵はやめられない。近隣の住人がやめさせてくれない。落し物を探してくれる目ざといやつはいつでも必要だということだ。
事務所でサンドイッチをつまみながら、帳簿を見直す。太陽の位置からして昼。そろそろ休もう。
ロータス女史の新作漫画を開く。「漫画」という新芸術を編み出したのも彼女だ。オタクだとか乙女だとかあまり聞きなれない言葉が飛び出す今回、どういう物語なのだろう。
……ロータス女史の漫画といえば、昔も昔、まだ彼女が無名に近い頃。その時、今回の事件みたいなものを書いていたような。疑り深い大貴族が妻の裏切りを疑い、町の探偵に頼み、実際には何でもなかったという話が。そしてその探偵の名はヘロンで、ここと全く同じような事務所を構えていたような。その頃、オレはまだガキだったのだが。
待てよ、そのヘロンって奴がヘイルって大貴族と性的に絡む漫画が大昔に発禁処分されていなかったか? 本人は否定しているがどう見てもロータス女史の絵柄だし。
そういえば、ロータス女史は未来予知できるとか、前世があるとか。
……?
……。
……まぁ、いいか。