第02話 下山里桜
よろしくお願いします。ブックマークをお願いします。
ディスプレイに映る下山里桜さんは顔色も良く、ずいぶん元気そうだ。
夢の中と違い、ずいぶん健康的に見える。
艶のある黒く長い髪はさらさらで、肌色も良い。
愛利奈に会うのを楽しみにするかのように、ニコニコと微笑む姿が見える。
か、可愛い——。
下山さんは愛利奈と同じ中等部の制服を着ている。どうやら同級生らしい。
何もしなければ、この少女が痩せ細り、命を失ってしまう。
ディスプレイに映る可愛らしい少女を見ていると、とても信じられない。
でも、確実にそれは起きる。
茜色の夢で見た骨と皮になった少女と、ディスプレイに映る可愛らしく微笑む少女。
俺の心臓を死神に掴まれたような痛みが胸に走る。激しいギャップが俺を責め立てる。
——見殺しにした罪悪感に襲われるのは、激しく後悔をするのは、もうイヤだろう?
もう一人の自分が諭すように言う。
俺はいてもたってもいられず、愛利奈の後を小走りで追いかけた。
「おはようございますですわぁ」
「おはよう。愛利奈さん!」
愛利奈の明るい声と下山さんの元気な声が聞こえる。楽しげな声に導かれるように、俺は玄関に辿り着く。
玄関には表情を緩ませ、愛利奈を見つめる下山さんがいた。
声をかけてみよう。
「あの、し、下山さん、おはよう?」
「わわっ……悟兄!?」
ぱっと花が咲くように下山さんの顔が綻んだ。彼女の瞳に妙な熱がこもっている。
下山さんはそう言って瞳を潤ませ、俺に抱きついてきた。
悟兄? 誰だ?
「会いたかった……会いたかったよぅ!」
「えぇ……?」
甘いシャンプーの香り。
下山さんの柔らかい体が俺に触れ、温もりを感じる。
俺は初対面の女の子に抱きつかれ固まってしまった。
しかし、泣きそうだった下山さんの声が次第に戸惑いを含むものに変わっていく。
「あっ? 違う……?」
「はあ、里桜さま。これ、うちのバカ兄ですわよ。
里桜ちゃんのカッコいいお兄さんとは、違いますわ」
愛利奈は俺を引っ張り、下山さんから引き剥がした。
「……あっ、ごめんなさい。
取り乱してしまって……愛利奈さんのお兄さん、ですね。おはようございます」
下山さんは俺に向き直った。
胸に手を当てうなずくようにして息をついている仕草も可愛らしい。
しかし、時々、チラチラと俺を見ている。
「里桜さま、バカ兄は似ていますか?」
「……うん、似ています。悟兄に」
下山さんの頬が赤みを増す。なるほど、お兄さん大好きな妹属性……なのか?
俺がお兄さんに似ている、と。
なんとなく察して愛利奈の方を見ると、何も言うなと訴えるように睨み返されてしまった。
いや、今はそれどころじゃない。
伝えなければいけないことがある。
「ねえ、下山さん、いきなりでごめんだけど、できるだけ早く病院に行って欲しい。
足に異常が無いか、見てもらって欲しい」
「えっ、病院ですか?」
急に下山さんの声が固く、低くなった。警戒の色がにじみ出ている。
まずいな。焦った俺はつい夢の中と同じように彼女の肩に手を乗せようと手を伸ばす。
「きゃっ?」
「……ねえ? バカ兄さま何をっ?」
愛利奈の低い声。この声は、かなり本気で怒っているやつだ。
下山さんも唐突な俺の言動に驚いている。
しかし俺は止まらない。
「本当に病院に行って欲しくて。ダメかな?」
「兄さま、下山さんが可愛いからって、いきなり失礼ですわよ?」
愛利奈がイライラする感情を隠さず抗議してくる。
下山さんも、さっきまでの少し熱い眼差しから一転、困ったように苦笑いを浮かべた。
「あ、あはは……急に病院と言われましても……困ります」
何か説得の糸口は無いだろうか。しかし、打開策を思いつく前に——。
「じゃあ、バカ兄、お先に学校に向かいますわ」
「えーっと……ごめんなさい、失礼します」
二人は低いトーンで言って、俺に背を向けた。
バタンと音を立て、玄関入り口のドアが閉まり、俺はぽつんと一人残される。
失敗だ。
下山さんに病気のことを気付かせてあげたい。でも、そもそも今、気付かせることなんて可能なのだろうか?
夢の中の話だと、まだ足に違和感を感じない時期のはずだ。
でも、チャンスはきっとある。幸い、愛利奈との繋がりで下山さんにはまた会うことができるだろう。
******
俺はいつも通り一人で登校し、クラスでも割と一人で過ごしている。
だから、休憩時間など話しかけてくる人はいない。
だからこそ、考えに集中ができる。
俺はどうやったら下山さんに信じてもらえるのかを考えた。
授業中も、ずっと。
しかし、妙案は思いつかない。
「はあぁ……」
俺を突き動かすのはある意味、義務感なのかもしれない。
茜色の夢を見てしまったために感じる、強い思い。
義務感から逃れたいだけの……強迫観念。
授業中にもかかわらず、考えに集中するため、俺は目を瞑った。
そうしていると、次第に授業を進める先生の声が次第に遠くに聞こえるようになっていく。
やがて、視界が黒く染まって……夢をみているような感覚に落ちていく……。
******
……茜色の夢を見ていた。
見覚えがある景色。
ここは去年までいた中等部の校舎だ。
俺は手元のスマホを確認する。
表示された日付は……今日、12時10分。見てるうちに11分になった。
息を上げて走る俺への、中等部の生徒たちからの視線が痛い。
ひそひそ話している声が聞こえる。
ここは中等部棟の三階の廊下だ。
俺は走り出した。息を荒くしながらさっき上がってきた階段の反対側を目指す。
目的の階段が見えたとき、息が苦しくなり、手を膝に当て息をついた。
「はぁっ、はあぁっ、はぁっ」
まだ苦しいけど階段まで辿り着いた。
「キャアアッッッ!!」
嘘だろ。里桜さんの悲鳴だ。下から聞こえてきた。
ドサッという音が聞こえ、俺は二階に続く階段を駆け降りる。
「キャーーーーー!」
続いて愛利奈の声だ。張り裂けそうな悲鳴だった。
俺が二階の階段の踊り場まで辿り着くと……。
「おい……嘘だろ?」
そこには、うつ伏せで倒れている里桜さんの姿があった。
表情は見えない。だが……僅かに見える額が赤い液体で染まっている。
俺は彼女の元に駆けつけ、抱き起こした。
「おいっ……大丈夫か?」
「あ……悟にぃ……どうして?」
虚ろな目で俺を見つめる下山さん。
そして……そのまま、無言で微笑むと目を瞑った……。
……茜色の夢が終わる。
******
ガタッ。
自分が立てた椅子の音で目が覚める。少し遠ざかっていた先生の声が元のボリュームに戻った。
ほんの一瞬だけど意識が飛んでしまって、夢を見ていた。
寝ていたことを恥ずかしく思い、心臓が高鳴る。しかし幸い周囲のクラスメートには気付かれていない様子だった。
夢が俺を駆り立てている。彼女を救え、と。
そんなことは無いはずなのに。
でも、心臓の高鳴りがなかなか落ち着かず、俺は自分の行動を抑えられくなってくる。
一息ついたところで、チャイムが鳴る。
キンコンカンコン……。
授業が終わった。12時になったのだ。
……まてよ?
さっきの夢は……今日の12時10分頃の夢じゃなかったか?
茜色の夢はほぼ確実に起きる夢なのは分かっている。
俺は中等部の校舎に向けて全力で走り出した。
中等部の生徒が俺たちがいる高等部の校舎まで来ることはあるけど、背格好は違うし制服も異なるため目立つ。
それと同じで、俺が中等部に行くのも目立つのだろう。
ここの三階で、下山さんが階段から落ちて大けがをする。
いや、悪ければもしかしたら……?
悪い予感を払拭するように俺は頭を振った。
階段の下に辿り着いたとき、俺は呆然とする。
「ワックスをかけたばかりなので、この階段は使えません。生徒会」
立て看板がしてあった。
なんてこった。
そうだ、さっき見た夢では、中等部校舎の反対側の階段から三階に上がり、ぐるっと回って降りてきたのだ。
俺は手元のスマホを確認する。
表示された日付は……今日、12時9分。
ぐるっと反対側の階段から回って行ったら、10分を過ぎるだろう。
夢の通りにしていてはダメだ。
俺は階段の上を見つめる。
アスリートになったような気分だ。
「ワックスで滑って転ぶかどうか、勝負だ!」
俺は看板を押し倒し、階段を駆け上がる。
あれ?
大丈夫だ。滑ることもなく駆け上がれる。
階段の表面は乾いていた。ワックスはこれからかけるのかもしれない。
俺は二階の踊り場までたどり着いた。まだ下山さんは倒れていない!
間に合った。
そこから上を見上げると、下山さんの姿があった。まさに今、階段を降りようとしている。
ここで足を滑らすのなら。
「下山さん、足下気をつけて!」
「えっ……あっ?」
俺に気付いた下山さんの顔が曇った。どうも俺の印象は最悪みたいだな。
何人かの生徒が彼女の後ろにも見えた。
その瞬間、
「きゃっ!?」
「ちょっ!」
下山さんが階段の上でよろめく。
俺は気を抜いてなかったので、急いで階段を駆け上がり下山さんを抱き留める。
しかし態勢が悪く、バランスを崩して下山さんの下敷きになる形で後ろに落ちていった。
……階段の下に向けて。
ああ——結局誰かがこの階段から落ちるのか。
スローモーションのように、時の流れがゆっくりに感じた。
母や愛利奈の顔が脳裏に浮かぶ。
これが、走馬灯ってヤツか。フラグじゃないか……。
「キャアアッッッ!!」
下山さんの悲鳴が聞こえた。次に背中にドン、という衝撃が伝わってくる。
床に背中を打ちつけ激しく痛いけど俺の意識はまだ残っている。
俺は仰向けになった状態だ。下山さんは俺の胸の上にうつ伏せで顔を伏せている。
どうやら、俺がクッションになって下山さんが床に激突するのは避けられたようだ。
とはいえ、背中も痛いし後頭部がやけに熱い。
酷い頭痛がする。
でも、次第にそれはぼんやりとした痛みとなり、視界が暗くなっていく。
薄暗くなっていく。
「愛利奈さんのお兄さん! 先輩! 先輩!!」
下山さんの声が聞こえる。極めて元気そうだ。
どうして、そんなに必死なんだ?
俺はどうということもない。ただ、やけに眠くて……。
シャンプーの桃のような良い香りが鼻をくすぐる。
俺の身体全体で、彼女の温もりと柔らかさを感じる。
下山さんは華奢だと感じていたけど、思っていたより胸があるな……。
などと緊張感に欠けることを思いながら、俺の意識は深い闇の中に落ちていった——。
******
……俺は真っ暗な闇の中にいた。
お読みいただき、本当にありがとうございます!
【作者からのお願い】
「面白かった!」「続きが気になる!」など思いましたら、
★評価やいいね、ブックマークで応援をいただけると、とても嬉しいです!