第01話 茜色の夢
また、あの夢だ。
未来を映す——夢。
それはとてつもなくリアルで……とても切なくて……死の匂いがした。
……茜色に染まる夢を見ていた。
「ごめんね。もうちょっと、時間があると思っていたけど……もう無理みたい。余命3ヶ月なんだって」
ベッド上の少女が半身を起こし、過酷な現実を口にした。
市内、大学付属病院のとある病室。窓の外は広い公園が見え、満開の桜に覆われた景色が広がっている。長い冬が終わり、ようやく訪れた暖かな陽差しが窓からわずかに差し込んできていた。
外は春の陽気で暖かいのに、病室の空気はあまりに冷たい。
艶のある長い髪に透き通るような白い肌。形の良い唇に、大きな瞳。桜が咲くような可愛らしい顔立ち。
だからこそ、余計に骨が浮き出そうな線の細さが目に付く。
諦め悟ったような表情が切なかった。
「無理って……下山さん、一体どうして……そんな、ウソだろ?」
「悪性の腫瘍が大きくなって……もっと早く見つかっていればよかったの。
……秋の終わりに足が痛むことがあったの。
でもね、近所の病院で診察してもらったけど見つからなくて。
本当の原因が分かるのが遅れちゃったみたい」
せめて、半年前……秋の初めにでも発見できていれば助かったということだ。
秋の終わり頃から足に違和感を抱いていたらしい。
「冬になって学校を休むことが多くなっていたのは、治療を受けていたから?」
少女はこくりと頷く。入院することになり、いよいよ手遅れだと判断して俺に告げたという。
「元気出して……きっと……良くなる」
気休めに過ぎないと思いつつも、力なく微笑む彼女を力づけたいと思い、肩に手を置いた。すると、骨の固い感触が伝わってくる。骨と皮、そして折れてしまいそうなほどの細さに絶句する。
僅かな間にここまで変わるものなのか?
俺は驚き動きを止めた。
下山さんは、止まった手を引き、俺の体を彼女に寄せる。
「先輩、ごめんなさい。少しだけこうしていさせてください——」
彼女は俺の胸に頭を預ける。まるで、私の温もりを覚えていて欲しいとでも言うように。
しばらく、時が止まったかのような静かな時間が流れる。
下山さんにかける言葉を失った俺は、彼女の右手首が気になった。そこには、今にも切れそうなミサンガが、弱々しくぶらさがっている。
「これは?」
「悟兄にもらったの」
「下山さんの好きな桜色だね」
「うん。結局、最後まで切れなかった」
——最後。
俺はただ頷き、涙を堪えることしかできなかった。
……茜色に染まる夢が終わる。
ピピピピ! ピピピピ! ピピピピ!
遠くに聞こえる耳障りな音。それが起きる時間だと告げている。
しだいに近くなり、ついに頭の横から聞こえてくるようになった。
目を開けると、いつもの天井が見えた。窓からこぼれる朝日が眩しい。
朝だ。
さっきのは……茜色に染まった夢は……。
あ……茜色の夢!
俺は急いでベッドから起き上がり、そのまま机に座る。次に引き出しから一冊のノートを取り出した。
シャーペンを握り、夢で見た内容をノートに書き写しはじめる。
稀に見る茜色の夢。
それは未来を予知する夢で、俺が何も行動しなければ確実に起こる現実だ。
予知夢を見る事があると誰かに話すと、アニメの見過ぎだと言われたり中二病だと言われてきた。
だから、今では誰にも家族にさえ言わない。
夢の記憶は次第に薄れ忘れてしまう。
だから忘れる前に、覚えている限りノートに記す。
確か、病床の美少女が——。
「バカ兄さま。目を覚まされましたか?」
不意に廊下から急かすような声が聞こえた。
愛利奈、俺の妹の声だ。愛利奈は最近、お嬢様風の妙な口調にハマっている。
どうしてそんな言葉使いをするのか、聞いても教えてくれない。
「ああ、起きてるよ」
「はぁ。心配して損しましたわ! 急いでくださいませ」
最近、俺に対する風当たりが妙に強い。
以前は、お兄ちゃんお兄ちゃんとべったり俺にくっついていた。
中三になって思春期によるものだろうか?
愛利奈の声を無視して、俺はノートに記した内容を読み返す。
『病床の美少女が俺にすがっていた。
俺も当たり前のように受け入れていた』
ただ、俺は夢で見た少女が誰なのか知らない。
『俺、上高優生のことを「上高先輩」と呼んでいた。
一方俺は「下山さん」と少女を呼んでいた』
俺は高校一年だ。俺を先輩と呼んでいたのなら、あの少女は中学生以下か。
痩せ細っていたけど、見た目からして中二、中三くらいだろう。
夢の中の季節は春、病室の外には桜が咲いているのが見えた。
今は九月の初めなので、だいたい半年後の未来だ。その未来では少女と出会い、仲よさげに話す関係になるのだろう。
しかし。
少女は死に到る病に冒されていた。秋の初めまでに病気が発見できていれば助かった、と言っていた。
つまり……。
今、彼女の病気を発見できれば助けることができる。
俺がすべきことは、彼女を死の病から救うことだ。
そうしないと、俺は深い傷を心に負い、後悔する日々を過ごすことになる。
前に経験したことだからよく分かる。
俺は以前、茜色の夢が予知夢であることを知らなかった。生まれて初めて見た茜色の夢は、父と妹の愛利奈が交通事故で命を落とす夢だ。
俺が何もしなかった結果、父を助けることはできなかった。
たぶん、茜色の夢を見はじめるきっかけは、父の死なのだろう。
愛利奈だけは救ことができた。それだけが救いだった。
でも、俺は父を救える立場にいたのに何もできなかった……いや、しなかった。
まるで父を見殺しにしたかのような強い罪悪感を抱いた俺は、塞ぎ込む日々を過ごす。
そんな俺を愛利奈が根気よく励ましてくれたおかげで、俺はようやく前を向いて歩けるようになった。
バン!
大きな音がして、部屋のドアが開く。俺は反射的にノートを机の引き出しにしまった。
中等部の制服を着た俺の妹の愛利奈がぷくっと頬を膨らませて部屋に入ってくる。
俺たち兄妹は中学と高校が一緒になった、中高一貫の学校に通っている。
「バカ兄さま……もう時間がありませんわよ? 何をしているのですか?」
「ありがとう、わかった」
愛利奈は俺の返事を最後まで聞かずに部屋を出て行った。
俺はぶるっと体を震わせると着替えてダイニングに向う。
「バカ兄さま、遅かったですわね。寝癖がついていますわよ」
「その言葉使いって、ニセお嬢様風?」
「はぁ? バカ兄!
私は正真正銘のお嬢様ですわよ」
「お嬢様は自分でそういうこと言わない」
他愛のない会話をしながら、妹が準備してくれていた焼いた食パンを頬張った。
母は既に仕事に出かけており、いつも朝食は愛利奈と俺の二人だけだ。
「もう時間的にギリギリですわよ。はい、コーヒーと……。これ、お弁当」
「お、ありがと、愛利奈」
「残したら、怒りますわよ。バカ兄!」
愛利奈はツンツンした口調で言い、そっぽを向きつながら弁当を渡してくる。
俺は妹の作るふんわりとした、少しだけ甘い卵焼きが好きだ。
真似して作ろうとしても、再現が出来ない。あの卵焼きは妹作の最高傑作と言って差し支えない。
でもどうせなら、もう少し愛想良く渡してくれるといいんだけど。愛利奈が中学三年になった頃からこんな調子だ。
ピンポーン。
俺が弁当を受け取るのと同じタイミングで、インターフォンの音がした。
こんな朝から来客?
「私はお友達がいらっしゃいましたので、これにて失礼させて頂きます」
色々用法が間違っているような気がするが、ツッコミなどいちいちしていられない。
やってきたのは妹の友人のようだ。
家まで迎えに来る友達なんて今までいなかった。愛利奈の友達とはどんな人なのだろうと思い、俺はインターホンのディスプレイに目を向ける。
「この子は!」
艶のある長い髪に透き通るような白い肌。形の良い唇に、大きな瞳。桜が咲くような可愛らしい顔立ち。
「ああ、里桜さまですわ。じゃあ、先に行きますわよ」
「里桜……さん?」
「うん、私のお友達の下山里桜さま。
……そうですわ!」
愛利奈はわざとらしく、ポンと手を打った。
「紹介しますのでバカ兄さま、玄関まで来て下さいませ」
下山という名字、夢で見た容姿。
間違いない。
彼女は今朝「茜色の夢」で見た病床の美少女だ。
今すぐ手を打たないと病気で死んでしまう……救うなら、今がギリギリなのかもしれない。
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