第十四話 無自覚系錬金術師は疲れている
「あとでまた考えるとするか」
睡眠不足と空腹のせいか思考が上手くまとまらないので早々に諦めることにした。
ヴァイネートの中央広場から続く通りを歩くと、ほどなくして酒場の前へとたどり着いた。
店の外装は立ち並ぶ家とほとんど変わらない。この町によくある形の家屋で、他との違いはやや広めの造りとなっている程度だ。入り口上部から突き出た鉄の棒にジョッキらしき絵が彫られた看板がぶら下がっているので、かろうじて酒場か何かであろうことは想像できた。
ヴァイネートを初めて訪れた日にユーディット・フォン・暗黒郷に案内されて存在は知っていたが、こうして入るのは初めてだ。単純に金がなかったからである。たまたま現れたロイさんがポーションを買ってくれたおかげで食い逃げからの脱出という切り札を使わずに済んだのは僥倖と言えよう。
まあいい。とりあえず中に入ってみるか……。
俺は店の扉に手を掛けた。
「うっ!」
しかしその瞬間、突如として言い知れぬ不安が体の奥底から湧き上がってきた。
よくよく考えれば、俺はこの時代の店にまだ一度も入ったことがない。ついさっきも未来の作法を知らなかったせいで商談に失敗してしまうところだった。
この時代において俺は招かれざる客なのだ。これ以上怪しい男だと思われないためにも、未来人らしく振る舞わなければならない。
頭では理解しているものの、扉を開けようとする手が震える。経験不足のためか、酒場に入った瞬間に何が起きるのか全く予想がつかない!
ここは荒くれ者が集う無法地帯ヴァイネートだ。うっかり何の準備もせず中に入れば、目を血走らせた男が『へヒャヒャヒャ! テメーぶっ殺してやるぜーー!!』などと叫びながらナイフを振り下ろしてくるのは目に見えている。一体未来の世界はどうなってしまったのか。
だがいつまでもこうして怯えているわけにはいかない。意を決した俺は、いつでも戦えるよう神経を研ぎ澄ませながら扉をゆっくりと開き店内へと入った。
「あっ、いらっしゃーい」
突然どこからか少女の明るい声が店内に響き渡り、俺は激しく動揺した。この暗黒街の酒場に可愛い娘などいるはずがないからだ!
しまった! これは罠だ!
気づいた時には既に遅かった。急に視界が歪み、平衡感覚が失われる。
くらくらする頭を押さえながらなんとか顔を上げると、どこからともなく現れた男たちが俺を取り囲みながら下卑た笑みを浮かべていた。
「な、なんだ!? お前たちは!」
「ヒヒヒッ! まんまとかかりやがったぜェ! ここが【本物】の酒場だとでも思ったのかァ?」
男たちの手にはギラリと光るナイフや剣が握られている!
なんてことだ! ここは偽物の酒場だったのだ!!
「くそっ! こうなれば貴様らも道連れにしてやる!」
俺は煉獄の石を握りしめ、魔力を流し込む。悪の町ヴァイネートはここで跡形もなく消滅させるほかない!
「おーい。だいじょうぶ?」
「ううっ……やめろ……って、あれ?」
先程よりもはっきりと女の子の声が聞こえ、はっとする。
男たちの姿はすっかり消え失せていた。辺りを見回すが、店の中にいるのはしゃがみこみながら俺の顔を見上げている一人の少女だけだった。
「あの危険な男たちはどこへ?」
「何それ? ここにはさっきからお客さんしかいないよ?」
少女はさらりと言い放って立ち上がると、あと少しで触れてしまうほどに顔を近づけながらクスクスと笑った。
少女は大きな黄玉のように輝く瞳をしていて、まだあどけなさを残す顔は少し日に焼けていた。まるで秋の麦穂のように金色の髪を馬の尻尾のごとく結っており、酒場で働く給仕の女性が着るような白い半袖の服に膝下まで隠れるスカートを穿いている。その容姿から判断するに、年齢は14、5歳ほどだろうか。これまで出会ったヴァイネートの住人の中では最も可愛げのある町娘かもしれない。
そして何より、酒場の娘の例に漏れず胸はなかなかに豊かだった。つまり、ユーディの胸が妙に慎ましいのは環境によるものではなかったというのか? この謎については新しい学説として有識者間で活発に議論すべきであろう。
「急に変なこと言い出すからびっくりしちゃったよ」
「す、すまない……」
どうやらあの男たちは俺の心の弱さが生み出した幻影だったようだ。この娘が話しかけてくれなければ危うく一帯を消滅させてしまうところだった。どうやら徹夜をしたせいで疲れてしまっているようだ。
「ここは【本物】の酒場なのか?」
「ちょっと何言ってるかわかんないけど、酒場はうちしかないよ?」
なるほど。酒場なんて至る所にあるという認識だったが、この時代では違うようだ。過去の常識にとらわれて物を考えてはいけないということなのだろう。
この少女も一見穏やかそうに見えるが、その実態は恐ろしい魔女である可能性すらある。ならば、こちらもヴァイネート流の挨拶で返してやろうではないか。
「ヘッヘッヘ……お嬢ちゃんよォ、ここはアンタみたいな素人が来るところじゃねえ。どうにかなっちまう前にママのところへ帰りな」
「何をわけのわからんことを」
「マリー? 誰か来たのか?」
挨拶を終えたところで、筋肉がやたらと肥大化した背の高い髭面の男がカウンターの奥から姿を現した。やはり俺の読み通り、ここは普通の酒場ではなかったようだ。こんな可憐な少女まで悪事に加担しているということは、この町全体がグルになっている可能性がある。どれだけヤバい町なんだ。
「おっ、出たな錬金術師」
男はそう言って腰に手を当てながらニヤリと笑った。俺の素性については既に調査済みというわけか。近接パワー特化型みたいな見た目をしているくせに計略にも長けているようだ。
「どうやって調べたのかは知らないが、この私の正体を把握しているとはな」
「いや別に調べてねぇよ……。貴重なポーションを使ってラングさんを助けたアンタはこの町じゃすっかり有名人だからな」
そう言われるとそんな気もしてきた。
「俺からも礼を言わせてくれ。ありがとうな」
男は髭の生えた顎を撫でながら陽気に笑った。そんなに悪い奴ではなさそうだ。悪人なのか善人なのかわかりにくいので見た目と合わせていただきたい。
「へー、あなたが噂のデュマ様なんだ。思ってたより普通の見た目なんだね」
少女がさもつまらなそうに言う。普通じゃない見た目の錬金術師ってなんだよ。獣の頭骨をかぶった邪教徒みたいな感じか?
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名前はアルノルト。この酒場の店主だ。で、こっちが娘の――」
「マリーベルだよ。これからよろしくね、錬金術師様」
軽く握った手を口元に当てながら少女マリーベルは微笑んだ。まだ若いというのにどうしてか仕草一つ一つに小悪魔的な魅力を感じさせる娘である。もう何年か経てば客たちの財布の紐を緩ませる優秀な女給に成長することだろう。
それにしても、この見るからに山賊らしき風貌の男からマリーベルのような娘が生まれるというのか? 遺伝子の概念を軽く超越してる。
まあそれはいいとして、今の段階ではあまり下手な動きは見せない方がよさそうだ。襲い掛かってくるまではこちらも普段通りに接するとしよう。
「錬金術師のデュマ・アークスと申します。どうぞお見知りおきを」
「そうかしこまるなよ。この町に住むことにしたんだろ? これからは同じ町の住民同士、もっと気楽にやろうぜ」
「ならば、お言葉に甘えてそうさせてもらおう」
「ハハハ! その調子で頼むぜ!」
アルノルトさんは腕組みしながら豪快に笑って見せた。もしかしたら彼はこの町に残された最後の良心なのかもしれない。
「それで、今日はどうしたんだ? 食料の買い出しか? それとも飯を食いにきたのか?」
「腹ごしらえに来た。夜通し仕事をしていたものだから空腹なんだ」
「おう! アンタには恩があるから、いっちょとびきりうまい飯を作ってやろうじゃねえか。そこに座ってゆっくりしててくれ」
アルノルトさんはカウンターを指差すと、また奥にある部屋へと戻っていった。多分厨房があるのだろう。俺はうながされるままにカウンター席へと座った。
料理が出てくるまでは特にすることがないので、店内を見回してみる。
店の中は使い古された木のテーブル席がいくつかと、カウンターの前に椅子が等間隔で並べられているだけで他には何もない。カウンターのすぐ後ろにある酒瓶が並べられた棚も念入りに眺めてみたが、ナイフが発射されるような機構は仕込まれていないようだ。
これ以上見るべきところもないので再び前を向く。すると、いつの間にかカウンターの内側に移動していたマリーベルが頬杖をついてニコニコしながら俺を見ているのに気がついた。
「私ね、デュマ様のことは知ってたんだよ。色々聞いてたから」
「色々……とは? それは一体誰から?」
「ユーディだよ。同い年だからよく一緒に遊んでて、町一番の仲良しなの。うちの店ってお肉の加工とかもやってるから、食料の買い出しでよく来るんだ。昨日も夜食のお弁当作るんだーって、すごい張り切ってたよ」
「ほう、ユーディが……あっ!」
商談に浮かれて完全に忘れていたが、ようやく思い出した。ユーディットさんは只今絶賛お怒り中なのである。
この問題は深刻だ。町長さんに知れたら俺の立場がいっそう危うくなる。それとなく様子をうかがっておくべきだろうか……。
「待たせたな! さあ、遠慮せずに食ってくれ!」
どんっ! と音を立てて大きな皿がカウンターの上に置かれる。色とりどりの野菜がちりばめられ、中央には香ばしく焼かれた分厚いステーキが鎮座していた。なんとも豪快な料理である。一緒に置かれたバスケットにはほどよい大きさに切られた黒パンが入っている。朝からこんな料理が食べられるとは、なんと雰囲気のよい酒場なのか! この店は神々が与えた最後の安息地に違いない。これからも世話になるとしよう!
とりあえずユーディのことは後で考えるとして、俺は早速出された料理を食べることにした。