その少年は
皆さん風邪に気をつけましょう…ずずっ。
いつもお読み頂きありがとうございます!ちょっと鈍足更新になっておりますが、お楽しみいただけると幸いです。今回はどうしてもこんな感じに…でも暗いだけで終わらないのがこの物語です。
その少年は海から国境へ侵入し、海底に密かに設けられている隠し通路を見つけたところで捕らえた。その口からジャンヌ・ディアマントとナミル・マルガリートゥムの名が出たことで、実質的にペルラ開国の執権を任されている次期国王、レオパルド・マルガリートゥムへ真っ先に連絡が入ったのだった。
今、謁見の間に連れてこられた少年は、魔法騎士らに拘束され玉座の前に膝をつかされている。なかなか腕は立つようだが、魔法に精通していない分だけ圧倒的なまでの不利であった。それでも、瞳に宿る光は弱まるどころか、意思を湛えて真っ直ぐ前を見ている。
ほどなくして、転移魔法陣が玉座と少年の間に浮かび上がった。初めて見るだろうそれに、人の子らしく少年の目は無意識に瞠目してみせたが、現れた人物に衝動的に動こうとして魔法騎士らに頭を押さえつけられた。
「ナミル…!」
「いかにも、俺がナミル・マルガリートゥムだ」
あの日、火刑台から罪人の悪女ー真実は冤罪どころか全くの無実であった少女を、華麗に連れ去った、仇敵の男。その傍らには、見たこともない巨大な獣や、頭に獣の耳を生やした異形の者が控えていた。
「勇ましいな」
睨みつけてくる少年を、半ば見下すような眼差しは演技か素か。軽くその手で空を払ってみせたかと思えば、瞬間、目に見えない何かに拘束された感覚を覚えた。それはまるで、蛇が獲物を絞め殺すような。
魔法騎士らが少年から離れる。それでも尚、見えない蛇の威圧感。既に感覚は失せたが、下手な行動をすれば絞め殺される、そんな不可視の力を覚えて少年はぐっと歯を噛み締めた。とうぜん、丸腰である。
「それで?お前達が捨てたものを此方は拾ったが、それを今更返せとはどういう了見だ?」
親しげな口調を裏切るように、少年を見据える眼差しは冷え冷えとしている。傍らの異形の者達からも、明らかな敵意が向けられていた。
「…申し遅れました。僕の名はルカ・アマティスタ。彼女とは、世間では幼馴染と呼ぶ間柄です」
「ほぉ、一応、礼儀は身につけているようだな」
「彼女を、どこへ」
「答える義理はないな。自分の立場をよく理解すると良い。まずはこちらの質問に答えた方が身のためだと思うが?」
言われなくても、見えない圧迫感に嫌な汗が滲んでいる。それでも少年には引けない理由があった。そうでなければ単身、命の危険も顧みず遥か海原を渡ってまで来ていない。
「彼女が王家の陰謀の被害者だと真実を知った以上、仇敵に囚われたのを取り戻したいと思うのは、それほど不自然なことですか」
「理論が甘いな。そもそも大前提として、お前もまたあの豚野郎どもと同様、アレを見捨てた側だろう。そんな甘言をのたまう資格があるとは思えないが?」
「わかってる…っ」
おそらく外面だったのだろう。乱れて垣間見えたのは、果てしない後悔の色だった。
「許して欲しいなんて思ってない。だけど…!」
「それに、多分な勘違いもしているな。第一に、お前たちはこちらを敵国と言っているが、そもそもはあちらから勝手に戦争を仕掛けてくることだ。俺たちはお前たちなど眼中にない。よってアレを虐げる理由もない。今はお前たちが傷つけた心身を癒すために静養中だ。保護権は全面的に俺が受け持っている。わかったら大人しく故郷へ帰ることだ」
「お前が、彼女を保護…?」
「何がおかしい?拾ったからには相応の責任も覚悟もしている」
仇敵であるはずの男の瞳には、静かでありながら荒波を思わせる怒りと、そしてそれを遥かに上回る、大海原のように深く壮大な意思が宿っていた。少年は我知らず息を飲む。
ひと言で言うなら、想像と違う。どんな蛮族かと思いきや、文明人らしく佇まいにも言葉にも重みがあり、これではよほど、幼馴染の少女を火刑台へ追いやった自分達こそが蛮族で悪鬼だ。いや、自分達の罪深さはわかっていたが、まさか敵国の人間が、これほどまでに人として遥かに上位だとは思わなかったのだ。
「そなた、幼馴染と言いましたね。なれば、アレの出生の秘密も知っているのではないですか」
「…母上」
「ナミル、いつまでも問題を先送りにすることが何を生むか、我らはよくよく思い知ったところでしょう」
王妃は王妃で、また圧倒的な雰囲気であった。だが、少年は口を引き結ぶ。
「…仮に知っていたとして、言うわけにはいかない。知ったお前たちが、彼女をどうするかの保証はない」
「賢明な判断だな。軽々しく白状しようものなら、つまみ出していたところだ」
「……それほど想っていたなら、なぜ救い出さなかった」
唸るように少年を睨みつけたのは、黒が印象的な男の獣人。それは正しく殺気だった。
「幼馴染と公言し、あまつさえそれ以上の感情も見える。にも関わらずどうして見捨てた。裏切った。かろうじて命は助かったが、こいつはもう一生歩くこともままならないかもしれない身体と、ボロ布みたいに擦り切れた心にさせられた…!」
「フェンリル、抑えろ」
「どんなに守りたくても、俺は今も昔も近くにいることさえ出来なかったのに、なぜ近くにいたお前は守らなかった!?」
『しぐれ、待って』
咆哮をやんわりと鎮めたのは、鼓膜を優しくくすぐるような、そんな声だった。
水が打ったような錯覚。少年の心臓が、大きく深く脈打った。
「ジャンヌ、早いぞ」
『だって…』
巨大な鳥の異形に寄りかかり、女の獣人が侍っている何か。微動だにしない、ヴェールで覆われたものを、少年はここに来て初めて凝視した。
『…ルカ、聞こえる?』
それは、焦がれた少女の声だった。
「……ジャ、ンヌ…?」
『…うん』
思わず駆け出そうとして、見えない力に阻まれる。しかし、感じる息苦しさなど気にしている余裕はなかった。
『ごめんね。声、出なくて。こんな、ヴェール越しで』
「そ、れは……僕らのせい、だね」
『違う。ルカやみんなのせいじゃない。自業自得だもの。私が、ルカやみんなを傷つけた罰で』
「ジャンヌのせいじゃないっ!」
違う。違う。
ほら見たことか、やっぱり違ったではないか。理不尽に焼かれた身で、尚もこんなことを言う彼女が悪女などであるはずがない。そんなものになれるくらいなら、窮屈な箱庭からとっくに世界へ飛び出している。けれど箱庭に収まっていたのだって彼女のせいじゃない。小さな命を愛でる姿を愛していた。
「あい、たかった…」
『ルカ…』
「会いたいと思う資格なんて、ないってわかってた。それでも」
『…なんで、そんなこと言うの?私こそ、ルカに会いたいって思うなんて、許されないくらいのことしたのに』
「違う。違うんだ、ジャンヌ…僕だけは、何があっても君を信じるべきだった…!」
『……演技だったって、もう知ってるんだね…でも、そうだとしても、私はみんなを傷つけたし、ルカが離れるようにしたのは、私だよ』
一体どこで間違えたのか。いつ、この目は曇ったのか。思い出せないことが、より一層罪深さを語っている。
『ひとりで、ここまで来たの?みんなは…』
「敵国の王子が現れて、しばらくはてんやわんやだった。王家はともかく、他は日常に戻ってる。生活があるから」
『そう…ルカ、お願い、教えて。私の秘密って何なの?』
…やはり逃れられないか。少年は拳を握りしめた。同時に話題を振った王妃を睨む。
そう、彼女は箱入り娘だが、決してバカではない。聞き逃さない。呑気に笑ってはいても、大切なことだけはいつも忘れない。そこにいるとわかっていたなら、絶対に口を滑らせることはなかったのに。
「…さっきも言ったけど、これを聞いたこいつらが、ジャンヌに何かしない保証はない。話せない」
自分を棚に上げた発言だと理解しているが、これ以上彼女を傷つける要因を生みたくはない。
『ナミルさん』
「わかった。兄者」
玉座の隣に立つ、また別の違う男がひと言命じると、多くの臣下たちが下がっていった。
『ルカ』
「…彼らを、信頼しているの」
『うん。ごめんね…ごめんって言うのだって烏滸がましいの、わかってる。私ね、今、彼らに凄くお世話になってるの。ちょっと過保護なところが玉に瑕だけど』
「誰が過保護だ、誰が」
『悪いようにはしないって、わかってるの』
心に黒く醜い靄が広がる。少年は、それが嫉妬と呼ぶべき感情だということを理解していた。そしてその感情は、暴走させれば彼女を傷つけるだろうことも。ゆえに少年は、その黒い感情を憎むべき故郷へ転換することで、なんとか正気を保った。
「…聖女の伝承は、知ってるよね」
『うん、一応だけど…』
「ジャンヌが、その聖女なんだよ。ごめん、僕は知ってて、でも君には無垢でいて欲しくて、黙ってた」
『…どういうこと?』
少年は語った。聖女の伝承とディアマント家のこと。王家の真の目的、その陰謀。少女の聖女としての素質を利用して、エーデルシュタイン侵略を目論んでいること。
「確かに、ディアマント家はここ何代かで腐敗していたのは事実だ。ジャンヌを囲って目隠しして、利用して、自分達こそ正当な世界の覇者だって君臨しようとしていた。それで、その目的は王家も一緒の方向性で、だからディアマント家を堂々と破滅させると同時に、やっぱりジャンヌを利用しようとしているんだ。そして、裏で王家を操っている黒幕が教会だよ」
『………』
「僕は元々、きな臭いディアマント家のことも王家のことも探ってた。その時に、君に出会ったんだ。陰謀の因子のひとつかと思ったけど、君は、何も知らなかった」
気づけば惹かれて、愛しいと思うようになっていた。彼女がいれば、まだ未来は明るいと思えた。一方で、何も知らないまま青い空の下、笑っていて欲しいと願った。
それなのに、どこでこの目は曇った?闇に染まってしまったなら、断罪こそ本来の彼女を救済できる措置かとさえ思い込んで、結果、見捨てた。ーまさか死地に彼女を追いやったことで、探っていた陰謀の全容を知ることになろうとは、とんだ皮肉もあったものだ。
「僕も、『聖女』が具体的にどういうものなのかまではわからない。だけど、ジャンヌ、君が気にすることじゃない。僕らが理不尽に追いやって、君はもう、あの土地の人間じゃないのだから」
知らないで良い。天災や流行病で地獄絵図になっている、憎き故郷のことなんか。
「会えて、良かった。明日、発つよ」
『え…』
「教会の人間は、まだ君を諦めていない。僕が、必ず止めてみせる」
『ルカ、待っ』
「ちょっと待ちなさいよ」
追いすがるような少女の声に重なったのは、この海の国の次期国王。言われずとも、見えない力で未だ足は一歩も動かないが…少年は、驚いてその人物を改めて見た。
「言うだけ言ってはいさようならって、アタシ達が許すと思ってんのかしら?」
「は…?」
「…兄者、確かに空気を変えるにはもってこいだが、ほいほい本性出すのはどうかと思うぞ」
「べっつに誰彼構わずじゃないわよ、ちゃんと見極めてるわ。この子はいろんな意味で見込みありそうだからね。というわけで、父上、母上、この子アタシが預かるわ。良い?」
「まぁ、そなたなら上手くやるでしょう」
「ジャンヌも安心して。悪いようにはしないって、アタシ達のこと信じてくれてるんでしょ?」
『レイさん…』
「ナミル、今日はもう良いから、ジャンヌと離宮に戻ってて。後で行くから」
「…承知した」
再び転移魔法陣は輝き、少女と異形の者達の姿が消えたところで、曰くの本性を現したらしい人物につかつかと歩み寄られる。既に見えない鎖はなかったが、白い虎を従えた人物はまた別の意味で圧倒的な存在感を放っていた。
「単刀直入に言うわ。アタシに鍛えられる気はない?」
「…どういう意味ですか」
「見込んだ理由はいくつかある。まずその瞳の色。エーデルシュタインでは確認されていない紫色ね。良い魔力を感じる」
「魔力…?」
「あっちにはそういう概念、発達してないんだったかしら?追々教えるとして、次に剣の腕前と度胸。普通に買えるわ。次だけど、故郷に未練がないわね?むしろ憎んでるみたい」
見抜かれた。
「…僕は奴隷みたいなものです。心許せる唯一は、彼女だ」
「へぇ、王家によくある話ってやつかしら」
「………」
「アマティスタ。聞いたことはあるわよ。さしずめ、旧王家の末裔で、われこそ正当な後継者ってとこかしらね」
「興味ありません」
「君にはなくてもこの際関係ないわね。ジャンヌを守りたいんでしょ?」
「僕に、何を」
「だから、鍛えられる気はないって聞いてんのよ。今のあの土地の状況、嘘ついたでしょ。日常どころかヤバいみたいじゃない」
「言えば、彼女は絶対に気に病むでしょう」
「そうね。『聖女』の自分が帰れば収まるかもしれない可能性に気づいたら、どうにかしたいって思っちゃいそうよね。君はそういう彼女に理解があって、一度は裏切ったとは言え守りたいと思ってる。あの土地に未練もない。返せって言ってきたのは、故郷に連れ帰るためじゃない。ただ敵国から連れ出したかっただけ。違う?」
「…その通りです」
「なら、その限りにおいて、ジャンヌのことに関しては君を信用できる。こっちから戦争しかける気はないけど、万が一の時の隠し玉になってもらうわよ」