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白がいい

作者: 吉田 玄達






君の目には私がどう映っていたのだろう。

ほかの男より少しぐらいは鮮明に見えていてくれただろうか。青とか緑とか、火星人みたいな色をしてはいなかっただろうか。

誰よりも輝いて見えていただろうか。



私は誰よりも白痴だった。ただ漠然と才能を求めていた人生だった。だからこそ、私は人とは違うということを望んでいた。

自分ならきっとやれる。

自分は才能というものを知っている。

それだけで自分は他の人間よりも上だ。

そうやってずれた惰性を個性と呼ぶから、私は本当の才能に嫉妬していたのだ。


だからこそ、私は君が大嫌いだった。

いつも澄ました顔をして、違う世界を見ていたような君が。


君の絵を見た全ての人間が、君を天才だと謳った。


描き出された奇怪な風景は、黒い月と白い夜、黄色の海に青の葉をつけた艶やかな緑薔薇で覆われる灰色の世界。ある絵画通が、君の絵をみて背筋に震えを感じたと言った。それだけではない。皆が確かな衝撃を受けたと言った。当然私も見て震えた。ただ私にとっての震えは、背筋を撫でる嫌な悪寒でしかなかった。


あれは、雪が積もった次の日のことだったか。せっかくの冬休みを特別講座で潰された私が、柄にもなく美術室を覗いたのだ。


あの光景は衝撃でしかなかった。生気のない背中をした少女が、赤子みたいにメソメソ泣いていた。その姿からは予想もつかなかった。それは誰にでも斜に構えていた、私の嫌った君だったのだ。それも甚だ悔しそうに、美術室の窓のそばに大きい油絵キャンバスを置いて泣いていた。君は私に気付くとすぐに袖で涙を拭いて、いつものように尖った表情になった。だがきっと辛かっただろう。咽び声が息苦しさを伝えた。


どうしてそうしたかは忘れたが、私は君に声を掛けたらしい。あれほど嫌っていた人間に、私はなぜか近付いていたのだ。なんでもないよ、と君は言ったが、明らかに普通ではなかった。誰もいない教室に、折られた絵筆と君の黒髪が散らばっていたからだ。


そこからの会話はあまり覚えていない。多分同情もできないから、不器用に強がったことばっかり言っていたはずだ。だが、気付けば君はそこにある何よりも朗らかに私に笑いかけてくれた。


後々になってあの時のことを教えて欲しいと言っても、君はからかって教えてはくれなかったな。

きっと私は君が泣いていたことに、違和感というか、少し嬉しいと思ったのだろう。だから興味が湧いた。君ほどの才能の持ち主が、どうしてここまで落ち込んでいるのかと。


君はいつも凛としているから、笑った時は驚いたものだ。ああくそ、こんな顔もできるのかよ、って。それでいて君はいろいろなことを教えてくれた。それこそ私みたいに何もない普通のクラスメイトには、教える必要もないようなことまでだ。



君は病気だった。

それも、命に関わる。



君の独特な色彩は、その病気の症状からだと、君の口から私は聞いた。君はそれを奇彩病と言った。色覚からだんだんとダメになっていって、最終的に死んでしまう病気。対抗策は無し、場合によっては生き延びるが、症状が強く出ているほどすぐに死ぬ。


それを発症してから3年経つという。となると君は、14歳から未来を捨てろと言われたのか。そして君は、殆どの色がおかしく見えていた。最早治ることも生きることもない。


奇彩病は、名前の通り色覚に異常が出る病気だ。それは濁って見えるだとか混ざって見えるだとかではない。色がまるまる変わって見えてしまう。君の場合、黒と白が反転し、青色が薄い黄色に、緑色が青色に、赤色が濃い緑色に見えると。

そしてそれ以外は、灰色に。


だから君は泣いていたのだ。止まっている車の色は何色だろうか?この黒は雪の黒か?あの花は?人の肌は?

自分の命は何色なのだろうか?


私はふと、君を疎んでいた自分を思い出した。愚かな自分だ。君を羨ましいと思っていた間に、君は自分を呪っていたのだ。それに君は、もともと自分の絵は評価されていなかったと言った。自分に才能がなかったのだと。


その数瞬の君は、私が見てきた他のどの君よりも弱く、絶対的な君だった。それが君の本質だったのだ。人前では強く見せていた君でも、本当は誰かに話を聞いて欲しかったのだ。


その日から私は、少しずつ君と話そうとした。理由はわからない。もしかしたら、私にも罪悪感のようなものがあって、その罪滅ぼしだったのかも知れない。私とは違い君には気の合う友人がそれなりにいて、そいつらは私をよくは思っていなかったみたいだったが、私に対して君はよく、笑って話をしてくれた。


共に話し、歩き、学び、時には描き、そうして進級したある日から、私は私が、君のことを好きなのだと悟った。君が私と離れたクラスになってから、学校生活が数倍につまらなかったからだ。そして何百何千も考えて、噛み締め、眠ることすら出来ないまま、私はその秋の放課後に、時して君に告白した。君は泣いて、笑って、また泣いて。私も好きでした、って一番嬉しい言葉を贈ってくれた。それは私の人生の中で、生き方がまるきり変わった瞬間だった。まだ生意気な学生だったが、一生をかけて君を愛そうと誓った。何が何でも守ってやると、そう決めた。



だけど幸せの分岐ってやつは、枝分かれした道の一つなんかではないものだ。それは先の見えないような霧の深い獣道で、私の期待とは裏腹に、私が選んだその道は底の見えない谷底と繋がっていた。



翌日の朝早くから、君は自宅で倒れたらしかった。学校に来ていないからまさかと思って君に電話したが、百に一つも繋がらなかった。だから学校を抜け出して、ここいらで一番大きい病院に向かった。案の定、君はそこで手術されていた。


意識を戻した君は、まず親との面会をした。当たり前だ。仮にも告白をしたとはいえ私は他人。両親からすれば娘との間にできた埃のような物、面倒なものだ。だから私が君と顔を合わせたのは次の日の昼になった。

病院食に手をつけず、つまらなそうに綾取りをしていた君の目は、静かで、軽やかで、そして死んでいた。私を見て君は、最近調子良かったのにね、とか言って笑ったが、私はどうしようもない嘔吐感で手が震えていた。



君が、死ぬ?



そんな言葉が、いつまでも頭を駆け巡っていた。




………実はね、酷くなっちゃったんだ、病気。




君は目を閉じて微笑んだ。目を隠した君は、どこにでもいそうな普通の女子高生の姿をしていた。だから制服の代わりに病衣を纏う光景が、私には何よりも悔しかった。



ごめんね、せっかく好きって言ってくれたのに、わたし、いつ死んでもおかしくないみたいなんだ。



途切れ途切れの君の言葉は、あの冬の教室と同じものだった。幸福になろうとしていた人生が、一瞬で現実に戻されたのだ。あの日ほど、自分の無力を呪った日はない。


ねぇ、わたしは、どうすればいいのかな


幸せになるには、どうすればいいのかな…



笑いながら泣いている。君のあの絵と同じだった。白と黒が反対の絵。皆は喜んでそれを見て、私は嫌悪に苛まれた。皆は新鮮だ、斬新だ、興味深いと口々に言った。だが今になって私には、こんな新鮮さも斬新さも興味深さも何一つ要りはしなかった。君にこんな呪いのような才能があることが苛立たしくて、君と話しをした時間が、馬鹿なことを言って淑やかに笑ってくれた横顔が、適当な事を抜かして囃し立ててくる悪戯が、この世で一番新鮮で、愛おしかったから。春の教室でだんだん君を好きになって、夏の日差しで君を見つめていて、秋の夕焼けで君に告白した。君が私の人生で、最も輝く一等星だった。だけども星の輝きは、死ぬ寸前が最も輝くものなのだ。君は一等星ではなかった、必死に命を燃やして光る、消えかけた輝きだったのだ。冬の淡雪のように、君はふわりと優しいままで目の前から居なくなりそうだった。どうすれば君を救えるのかって毎夜考え、何も浮かばなくて絶望して、目につく物をお構い無しに壊し尽くした。



そこからの一日一日は、私の知っているどの一年よりも長かった。君を喜ばせるためならなんでもやった。君が絵を描きたいというから、病室に油絵キャンバスを持ち込んで看護婦にこっぴどく怒られた。君が学校に行きたいというからビデオカメラを繋いで授業風景を映していたら、国語科のおっかない教師に見つかって君に大笑いされた。そして私の誕生日になり、君が私と結婚したいというから、本当に君の両親に挨拶に行き、溜息混じりに感心された。君は電話越しだったからわからないと思うけど、君の父親の額に血管が浮き上がっていたからな。だけど君は、本当にいい家族の元に生まれてきたと思う。私のような他人の餓鬼の話をしっかり聞いて、遂には了承してくれるのだから。まあ勿論、あくまでも形だけの結婚としてだけど。


あの日は傑作だ。君の調子が良くなって、外出許可が降りたと聞くと、君はすぐに指輪が欲しいと言った。私は持てる限りの金をおろして、買えるだけの一番いい指輪を買った。私がそれを君の薬指にはめると、君は泣きながら笑ってみせた。病室のものとは正反対の、幸せの涙だと願う。君は気付いていなかったと思うが、店内でそんな事をしたもんだから周りの人達が歓声を上げていたぞ。本当に、恥ずかしいものだった。


そこから君は、何度も入退院を繰り返した。

卒業後も私は大学には行かず、出来るだけ君のそばに居られるようにした。私の両親は不満そうにしていたが、君が私の家に来たことが大きかったのだろう。話してみると人は変わる。あの子の側に居てあげなさいなんて言い始める始末だ。君は本当に不思議な魅力に溢れている。


はじめての入院から一年が経った頃、君は何度目かの病室で、ノートの端くれに絵を描いていた。白と黒だけの鉛筆画で、外の景色によく似ていた。


最近、自分の病気が好きになってきたんだ。


サラサラと鉛筆を動かしながら、君はぽつりと呟いた。

私にはすぐに理解できる話ではなかった。

だが君は話してくれた。その言葉に詰まった、どうしようもない感情を。






わたしが君と出会えたのは、わたしに病気があったからだよね。



わたしに病気がなかったら、わたしは君と出会うことなく過ごしていた。



それはそれで幸せなのかもしれない。君以外の人と愛し合って、君以外の人に指輪を受け取っていたのかも。








だけどわたしは、そんな人知らない。









君と出会えたことが、わたしの人生で一番の誇りだから。







君が私の一番だから。







わたしの人生に、始めて色を塗ってくれたのは、紛れもなく君だったから。









ねぇ、──君。










わたし達は、きっと











世界中の誰よりも










幸せな人生を送ったんだよ。









大好きだよ。








………ううん









愛しています───────









とても珍しい君がそこにいた。君は嬉しい事を嬉しいと言っても、嬉しかったとは言わない。そんな幸せを、他の何かと比べたりはしない。




妥協のように自分の言葉を曲げない。




だからこそわたしの中で、ひどく儚い言葉が浮かんできたのだ。













死が近いものは、自分の死期を理解する。












そんなの嫌な妄想のはずなのだ。だけど私は、君に構わず泣いていた。君は悲しそうに泣く私を見てきょとんとしていたが、だんだんと察していつか一緒に泣いていた。


君を力一杯に抱きしめてやりたかった。でも、そうすれば壊れてしまうと思うほどに、君の力は弱くなってしまっていた。だから、せめての形が欲しかった。








そうしてわたし達は、人生ではじめて口づけをした。









翌日、君は笑って目を閉じた。










今、私は君の葬式の、笑顔の君の写真の前で何十分佇んでいるのだろうか。


ああ、思い出したらきりがない。だけど君が最後にはっきり、私を一番と言ってくれたから悔いはない。私は君と過ごした日々を、新しい時間で塗って行こう。


それと、やはり君は両親以外には病気のことを伝えていなかったようだね。身体が弱い事にして学校を長期間休む口実を作っていたから、君の友人たちも、何も知らずに大泣きしているよ。


それともう一つ。やはり私は君と最後まで楽しく過ごしたい。だから私は皆が白菊を持ち寄った中で、場違いに真っ黒な薔薇を持って来てやった。言っておくが滅茶苦茶高買ったからな。それと皆が喪服を身に纏う中、1人だけ真っ黒なタキシードで焼香してやった。誰もが私を頭のおかしい奴と勘違いしたようだが、私と君と、私たちの家族からしたら、彼らこそが失礼な奴だろう?


そもそも新郎新婦が身内を揃えて開く式は、

結婚式か披露宴と相場が決まっている。




皆縁起の悪いことしやがって。俺は純白のタキシードを身に纏い、新婦に白薔薇を贈ってやったというのに。
















どうも初投稿でした。


読みにくい文字と表現申し訳ありませんでした。

ぜんぶ投稿途中で充電切れした端末の大罪です。


結びになりますが、奇彩病なる病気は私の知る限りでは存在しません。あったらごめんなさい。



ご閲覧ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  最初の方の絵の描写から最後の場面まで、色彩を効果的に使っていると思いました。  黒薔薇を持って、タキシードでお葬式に出る最後の場面が、特に印象的です。  わかってほしい人にだけ、伝わって…
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