66 肉を食べよう
完全に予想外の存在の介入によって大失敗に終わった"謝肉祭"の次の日。
いつまでも引きずっていても仕方がないので、気持ちを切り替えて開店の準備をする。
店の中の整理を終えて、店先の掃除を開始。
空気は清浄で柔らかな朝日がそそぐ、実に爽やかな朝だと言えるだろう。
先日の傷心が癒されるようだ。
「おはよう、我が親友よ! 今日も気持ちの良い朝だね!!」
「…………」
しみじみと朝の清澄な空気を堪能していると空から勢いよくナニカが降ってきた。
「……折角の朝が濁っていくなぁ」
「どういう意味だね!?」
無駄に良い笑顔の〈黒翼人〉が突然目の前に折りてきて、フワサァと髪をかき上げながら白い歯を輝かせて微笑みかけてきたら、誰でもこうなると思うんだ。
「――というか、いったいどうしたんだ、その恰好は?」
服はあちこち破れ、自慢の翼はボロボロ。
まるで一戦交えたかのような有様である。
あ、でも顔だけは無傷だった。
意地で死守したらしい。
「……フッ。なに、少しばかり気の昂った子猫ちゃんの相手を相手していてね。まあ、大したことではないので気にしないでくれたまえ」
「……素直に浮気がばれてボコられたって言えよ」
「浮気ではない! 断じて違う! 僕は可愛い女の子みんなと堂々と付き合いたいだけだ!」
……根本的な価値観が違う相手との相互理解って難しいなぁ。
「で? 今日の相手は誰だったんだ? この間のシャーリーか? それともミランダか、アリサか、それともフィーシェか?」
「うむ、今日はセシルだったな。シャーリーへ花束を贈っているところを見られてしまってね。……まあ、刃物を持ち出さない分、彼女より対処は容易だったよ」
知らない名だ。
いや、こいつの爛れた女性関係なんて把握していないが。
少なくとも先日、熱烈な愛情表現をしていた〈黒翼人〉の女性からは出なかった名前だ。
……こいつ、そのうちホントに死ぬんじゃないか?
『愛する女性たちに囲まれながら死にたい』らしいから、当人的には本望かもしれないけど。
「……と、いかんいかん。今日は残念ながら君と世間話をしている暇はなかったんだ。ほら、受け取ってくれたまえ」
「あ? なんだこれ?」
クロードが取り出したのは掌の上に乗るくらいの大きさの小箱。
高価というわけではなく、粗末というわけでもない。
中に何か入っているのか少しだけ重さを感じ、表面には蝶の形をした刻印が施されている。
……ん? 蝶の刻印?
「さあ? 中身はボクにもよくわからないんだ。今日はこれと同じ物を大量にあちこちに届けなくてはならなくてね。おかげで早朝から飛び回っているんだよ」
そう言ってパンパンに中身が詰まったと思しき鞄をポンと叩く。
「まあ、上の人曰く『信用できる筋』から依頼された品だそうだから、物騒な物が入ってるってこともないだろう。それじゃあ、ボクはもう行くよ!」
翼をバサッと広げたクロードは手を振りながら飛び去って行った。
たぶん同じ小箱を配って回るのだろう。
一つ一つはそんなに重くはないが、あの量を配達するのは大変そうだな。
「……まあ、今はこの中身か」
店内に戻って配達された小箱をじっと見つめる。
『信用できる筋』からの品らしいし、俺以外にも届けられているそうだから別に警戒する必要はないんだと思う。
しかし、蝶の刻印というのがどうにも引っ掛かるのだ。
主に昨日、好き勝手暴れまくってくれた規格外のオッサンのせいで。
とはいえ、このまま放置しておくつもりもないので、観念して小箱を開くことにした。
「こ、これは――ッ!?」
途端に食欲を刺激する芳しい香りが店内に充満する。
自然に口内に涎が溢れ、朝食を食べ終えたばかりのお腹が活動を再開する。
開けられた小箱の中身――保存食として加工されており、大きさも一口サイズ。
しかし、これは間違いなく――
「…………」
「うおっ!?」
いつの間にか近寄ってきたのか、さっきまで店内掃除をしていたはずのイツキが傍に佇んでいた。
その瞳は小箱の中身に固定されピクリとも動かない。
無表情のはずなのに、好奇と興奮を抑えられないという雰囲気。
……握りしめられた箒の柄がミシリと悲鳴をあげている。
視線を上げるとアンナも同じような表情で宙に浮いていた。
「えーっと……食べるか?」
「食べる!!」
『たべるよ!!』
残念ながら肉は一人分しかないので……本当に残念だけど、指で摘まんでイツキの形の良い口元へと運ぶ。
幸い『アンナの指輪』は彼女が持っているので、幽霊少女のほうも味を体感できるだろう。
「ほい、あーん」
「……あ、あーん?」
昔ミリィが病気を寝込んだ時に看病をしたことがある。
その時と同じノリだったのだが、イツキは恥ずかしかったのか逡巡する様子を見せた。
しかし肉から漂ってくる芳ばしい香りの誘惑には勝てなかったのか、頬をうっすらと染めつつも口を開き咀嚼する。
「……ッ!!」
次の瞬間、イツキはビクリと肩を震わせ動きを止めた。
目の前でヒラヒラと手を振っても反応はなし。
完全に思考が停止してしまっている。
うん、気持ちはよくわかる。
俺も初めて〈十年土竜〉を食べた時は同じような反応だった。
ああ、俺も食べたかったなー。
……ん? なんか眩しい?
『ほわわ~』
なんと!?
アンナの身体が柔らかい光に包まれ、半透明の身体が少しずつ薄れていく!
こ、これはまさか……美味しさのあまり昇天するのか!?
『……は!?』
と思ったら、アンナは正気を取り戻し、神々しい輝きも消え去ってしまった。
『あ、あぶなかったよ! あやうく昇天しちゃうところだったよ!! おにいちゃん、これはましょうのお肉だよ!!』
「いや、昇天できるならしたほうが良かったんじゃないか?」
『やだよ! アンナはおにいちゃんが死んだときにいっしょに昇天するの! それでイシズさまのもとでえいえんのあいをちかうの!』
「その人生設計は初めて聞いたぞ?」
ちなみに『イシズ』というのは、アーランディアを始めとした周辺諸国の国境である『イクリス教』における主神である。
それほど布教に熱心な宗教ではなく、アーランディアでは政治と宗教は切り離されているので普段はあまり意識することはない。
しかし冠婚葬祭の類は、基本的にこの宗教に則って行われる。
『おにいちゃん、イツキがぜんぜん動かないんだけどいいの?』
「別に大丈夫だろ。しばらくすれば意識を取り戻すだろうし」
『……らくがきとかしていいかな?』
「客商売だからやめとけ。せめて髪をいじるくらいにしとこうな」
『よーし! おだんごつくろーっと!』
騒ぐアンナを流しつつ、外に面した窓を開く。
するとあちこちの家から、「うぉおおおおおっ!?」「うーまーいーぞーッ!!」「ニャアアアアッ!?」と、歓声が聞こえてきた。
どうやら同じように届けられた小箱の中身を食した人々が叫んでいるようだ。
「あのオッサン、ホントに皆に配ったんだな」
民衆に肉を配る貴族という言葉は偽りではなかったらしい。
きっと今回の彼の行動で、普段〈十年土竜〉の肉を食す機会のない大勢の人々が喜んでいるだろう。
それを考えればオッサンのやったことも許せなくも――
「ないわけないな。あの変態め」
結局、俺は食べられなかったし。
予定してた収益はパーだし。
運よくベアトリスが別口の仕事を持ってきてくれたから赤字にこそなっていないが、それはそれである。
「――ああ、イシズ様。どうかあのオッサンに神罰を与えたまえー」
そんな適当な感じで祈りを捧げてみる。
信仰深いわけではないけど、これくらいしても罰は当たらないだろう。
――ぬぉおおおおおおおおおっ!?
どこかで断末魔の悲鳴っぽい声がした気がしたけど、たぶん気がしただけで気のせいだろう。
さて、そろそろイツキを正気に戻して開店しないとな。




