64 肉を取り戻そう5
『キャアッ!? なんですかコレ! なんなんですかいったい!?』
「この見境のない戦術は――さてはエルトの仕業だなっ、間違いない!」
ひどい言われようだ。
なにかあれば全部俺の仕業だという思考はやめてほしい。
そんなものの考え方は冤罪の温床になりかねない。
イツキには後で注意しなければ。
「ぬおっ!? これは拙いのである、吾輩泳ぎは不得手ゆえに!」
「あの貧乏魔導付与師め! 人を巻き込んでんじゃねえぞコラァアアアッ!!」
いや、だから何で真っ先に俺を最有力容疑者と決めつけるんだ?
そんなに普段から問題行動をしているように見えているのだろうか?
そしてオルガは安心してほしい。
この『現沼結晶』は接触した地面を中心に辺り一面を沼地に変える魔導具だが、深さ自体はそれほどでもない。
大人なら胸元ぐらいまでで足がつくくらいだ。
なので溺れる心配はないだろう。
当初の予定ではこの魔導具で地中の〈十年土竜〉を捕えるつもりだったけど、予想外のアンナの活躍でお役御免になっていたのだ。
まさかこんな形で役立つとは思ってもみなかった。
深さこそないが広範囲を沼地に変える効果は足止めには最適のはずだ。
……まあ、範囲が広すぎて見方を巻き込みかねないのが欠点だが。
今回の場合はギリギリで俺の足元には届かない距離を計算して、予めアンナに指示を出しておいたのだ。
「……ねえ、なんでミリアリアは一人だけ被害を受けてないのかな?」
「まあ、一言で言うと慣れね。この状況であの馬鹿が正攻法で対処するとは思えないもの。一応注意しておいたのよ」
「そっか、咄嗟の行動がわかるほど通じ合ってるんだねー。そういう相手がいるのはちょっと羨ましいかな?」
「そ、そんなんじゃないわよッ。た、単に付き合いが長いってだけだし!」
「またまた~、顔を赤くして言っても説得力ないよ?」
「だーっ、もうっ! だから違うって言ってるでしょ! 近所のおば様方みたいなこと言わないでよ!」
「うぐっ!? お、おば……さ、ま?」
……どうやら幼馴染ですら俺がなにかをしでかすと決めつけていたらしい。
なんということだろう、あまりにも厚い信頼に心が折れそうだ。
どうして誰も彼もが、この『地面が唐突に沼地になってこの場のほぼ全ての探索者たちが嵌ってしまった』という状況の原因を俺に結びつけるのだろうか?
――実際、大当たりなんだけどな!
いや、だって仕方がないだろう。
これぐらいしないとあの規格外のオッサンには太刀打ちできないのだ。
オルガも含めた複数の探索者を、片手間であしらうような相手とガチンコとか御免こうむる。
「――ん?」
だいたい"謝肉祭"では他の探索者に喧嘩を売るような真似こそ禁止されているものの、本質的には全員が競争相手なのだ。
今回の"漆黒の魔剣士"を相手取った共闘はあくまで例外にすぎない、油断するほうが悪い。
そもそも俺の狙いは仮面紳士であって、他は単に副次作用でこうなっただけだ。
――だから俺は悪くないのだ、よって風評被害は切実にやめてもらいたい。
沼地の原因が俺だってのはあってるけどさ!
「――おかしいな?」
そんなふうに自己弁護している最中に、ふと気づくことがあった。
おかしい、なにか違和感がある。
あって然るべきものがないというか、大切な何かを見落としているというか。
「…………」
そっと背後を振り返る。
そうでないといいなー、という願望を内心で祈りながら。
さて……ところで標的であるはずのオッサンの声が聞こえないのは何故なのだろうか?
「フハハハハハハハハッ!!」
「だあああああっ!? 嘘だろオイッ!?」
回答――蝶を模した仮面を被った黒づくめのオッサンは、沼地の上を笑いながら爆走して追って来ているからである。
「笑止ッ! この程度で私の足を止めようなどと片腹痛いわ!!」
「オッサン、な、ん、で、沼地の上を走れるんだよ!?」
「右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出す――ただそれだけの事よ!」
「ふざけんなぁああああああっ!!」
そんなんで納得できるか。
しかし納得できなくとも認めたくなくても背後からオッサンが迫ってきている以上、現実的な脅威として認識しなければならない。
――《迷宮》からの出口である"扉"まではまだ距離がある。
――足止めができそうな人員は――主に俺のせいだが――もういない。
――上手く効果を発揮しそうな魔導具もすぐには思いつかない。
どう考えても詰みかけだ。
ここは覚悟を決めるしかない。
つまりは――背後に迫るオッサンを全力で迎え撃つ。
邪魔になる〈十年土竜〉の檻を近くの地面に置く。
急いでいるので多少手荒になってしまったが勘弁してほしい。
……どうせ首尾よくいけば美味しいお肉になってもらうのだし。
「念のため用意しておいたはず……あった!」
空間圧縮収納魔導具『旅の鞄』から目当ての魔導具二つを取り出す。
一つは黄色い薬瓶の魔導薬で、もう一つは戦槌型の魔導具だ。
……できることならこの二つの魔導具は使いたくなかったのだけど、背に腹は代えられない。
覚悟を決めて、まず魔導具のほうを一気に飲み干す。
「ングングングッ……まずっ!!」
もう少し味に拘ったほうが良かったかもしれない。
なんというか、どぶ川を飲んでみたらこんな感じだろうか。
けど、味のほうを優先させると効力が落ちたりするからなー。
「――よし!」
身体に魔導薬の効果が行き渡ったのを確認。
続けて戦槌型魔導具を両手で構えて、"漆黒の魔剣士"を迎え撃つために走り出す。
「――ほう」
蝶の仮面の奥で、オッサンが猛禽のように鋭い目を細めるのが見えた。
――この仮面紳士。
まぎれもない変態ではあるが、実力は間違いなく超一級。
剣士としても魔術師としてもその技量は有り得ないほどに卓越している。
しかし、決して弱点がないわけではないのだ。
その弱点とは――真正面から挑まれれば必ず正直に受けること。
強者ゆえの余裕か、そういった矜持でもあるのか、もしくはその両方か。
いずれにせよ、真っ向から受け止めて乗り越えられる自信があり、根拠となる実力と経験があるのだろう。
俺はあくまでも魔導付与師であって戦士ではない。
勝ち目のない相手に、意地だけで勝算もなく挑むなどまっぴらだ。
だから恥じることなくその余裕に乗っからせてもらう。
さあ、自称"漆黒の魔剣士"のオッサンよ。
こういう手段を用いてくる相手は、あんたの今までの戦歴にいただろうか?
「はあああああっ!!」
「ふん!!」
俺が全力で振りぬいた戦槌型の魔導具と、オッサンが構えた漆黒の長剣がぶつかり合い――。
「――む?」
オッサンが戸惑ったような呟きを漏らす。
おそらく第六感的な何かでも働いたのであろうが、もう手遅れだ。
この間合いからは逃げられない
同時に俺の視界を焼き尽くすような閃光が襲う。
当然ながらコレは予期していたことなので、両瞼はもちろん固く閉じていた。
そして――光に数瞬遅れて、凄まじい爆音が辺りに響き渡った。
現沼結晶
接触した地面を中心として辺り一帯を沼地へと変化させる。
水深は浅く、大人の胸元程度。
よって冷静に足を伸ばせば溺れることなどない。
効果範囲が広いので、迂闊に使うと敵どころか自分自身すらも嵌ってしまう。




