56 狩りに行こう2
八つの迷宮の一角《草原迷宮》。
今回の狩りの舞台でもあるこの迷宮には基本的に危険な魔獣が生息していない。
よって迷宮内の温暖な環境が農業に利用されている。
《迷宮》内の集落に付き物の防壁もここでは簡素なものであり、辺り一面の農園地帯で仕事に汗を流す人々の姿が見える。
もちろん農業はこの《迷宮》だけで行われているわけではなく、きちんと《迷宮》外にも農園は存在している。
この辺りは万が一の可能性に備えたリスク管理といったところか。
それともう一点、この《草原迷宮》に入った探索者が目にする光景が一つ。
「み~」
「み~」
「「「みみ~っ」」」
なんか「み~」っと鳴きながらフワンフワンと飛び跳ねている白くてモコモコとした物体多数。
丸っこい全身を覆う綿毛はやたらと弾力性があるようで、地面にぶつかるたびにボヨンと浮き上がる。
そして再び「み~」っと鳴き声が響く。
うん、なんというか、あれだな。
気合い入れて狩りに来たのにすげー気が削がれるわ。
「は~、やっぱりここは癒されるわね~」
「まったくだわ。日頃からゴロツキに囲まれてるとなおさらねー」
「まさか漢女の類にごろつき呼ばわりされるとは思わなかったが……まあ今はどうでもいいかー」
先行した探索者たち(主に女性)も緩み切った笑顔でのんびりとしてる。
その大半がそれぞれに白いモコモコを確保して優しく愛でていた。
『わあ! なにっ、この子たち!? すっごいモコモコしてるよ!』
「はわっ、わわわわわ……っ!」
あと早速抱き着いて頬ずりしてる幽霊と、頬を紅潮させて羨ましそうに見てる甲冑が一人ずつ。
「気になるんなら見てないで触ってきたらどうかな?」
「えっ、い、いやしかし!」
チラッと上目遣いでこちらを窺う。
「あー、いいよいいよ。まだ時間に余裕あるし、触ってきたら?」
「そ、そうか!」
喜色一杯に破顔してそーっとモコモコの一匹に近づいていく。
その後を苦笑しながらも付いていった。
「吾輩、実はこの《迷宮》に来たのは初めてであるのだが……」
「あれ、そうなのか? てっきり一通り《迷宮》に入ったことがあると思っていたんだけど」
「うむ、この《草原迷宮》には魔獣が生息していないと聞いていたのでな。吾輩の主な目的は闘争であるがゆえに……しかし、あの白い物体はなんであるか?」
「んー、一応魔獣の一種ってことになるのかな。全く危険性がないうえに、人懐っこくて商業的な価値もあるから、ああして放牧してあるんだけど」
「商業的価値であるか?」
「うん、あの白い毛が衣服の材料になるから、冬場とかには重宝するんだ」
〈白綿獣〉と呼ばれるあれらの生態は今一つよくわかっていない。
年老いた個体はある日突然フラリと姿を消し、数を補充するかのように幼い個体が現れる。
適当に餌を与えれば何でも食べるが、普段なにを食べているのかもはっきりしていない。
数が増えることも減ることもなく《草原迷宮》の中でいつもフワンフワンしているという謎生物である。
「お……おおおぉぉぉぉぉっ!?」
そんな謎生物の一体を抱えたイツキが喜びの声をあげた。
黒瞳を輝かせながら恐る恐る〈白綿獣〉を撫でているようだ。
実はああ見えて可愛いもの好きだというのは知っているけれど……少し喜びすぎではないだろうか?
「ボクも初めてこの《迷宮》に来た時は似たような感じだったけど……随分気に入ったみたいだね?」
「ああ、苦節十年。まさか私が小動物に触れる時がこようとは……!」
……は? 十年? なにそれ?
「ごめん、キミがなにを言ってるのかよくわからないんだけど……十年ってどういうこと?」
「……ふっ」
フィリスの当然の疑問にイツキが煤けた笑みを浮かべた。
「今さら隠すことでもないので告白するが、私はこう見えて小動物の類が好きでな……」
「う、うん」
「子供の頃からそれらを見かけては何度も触ろうとしたのだが……」
「へ、へー」
話のオチが見えたのか、フィリスは頬を引き攣らせた。
「どうしてだか何もしていないのにいつも逃げられてな……だからこうして直に触れるのは初めてのことなんだ」
「そ、そっかー。それはその……なんというか大変だったね」
残念ながら〈白綿獣〉は小動物ではなく魔獣の一種だが。
まあイツキもアンナも喜んでいるようなので問題ないか。
しかし……こうして楽しんでいるところに水を差すのは悪いと思うけど、そろそろ時間だ。
「おーい、お嬢さん方ー! そろそろ行くぞー!」
「うぐっ!? ……も、もうか?」
『うー、もうちょっとだけダメかな?』
「駄目駄目、遅れたら獲物を取られるからな。……どうしてもって言うのなら帰りに寄ることにしよう」
『あっ、そっか! それなら思いっきり遊べるね!』
「……そう言われてみればその通りだな」
代案を出してみるとアンナとイツキはそれぞれ〈白綿獣〉を手放した。
「みー」と鳴きながら離れていくのを見送るその姿は、すごく名残惜し気で渋々といった感じだったが。
「……一応断っておくけど、持って帰って飼おうとか考えたら駄目だからな」
「そ、そんなことは思っていないぞ」
『えっ、ダメなの!?』
いや、そんな「心底意外だ」みたいな顔をされても。
「駄目だ……そんな不満そうな顔をするなよ。別に意地悪で言ってるんじゃない。ちゃんと理由があるんだ」
『理由?』
「実は〈白綿獣〉は《草原迷宮》の中でしか生息できなくてな。外に持ち出そうものなら、すぐに死ぬんだよ」
「な、なんだと!?」
……なんでイツキのほうが驚くかなー。
さては口で否定しつつも、内心では飼いたいとか思ってたな?
「だから店で飼うのは厳禁。どうしても触りたいならここでな」
『はいっ! 了解であります!』
「う、うむ! もちろんだ!」
はい、良いお返事。
さて……そろそろ時間もおしているし急がないとな。
◇ ◇ ◇
"扉"周辺の集落から離れて目的地に辿り着くと、そこには既に準備を終えた探索者たちの姿があった。
それぞれ目を血走らせて鼻息も荒く、"その時"を待っているようだ。
気の早い人になると幾度も天頂に昇る太陽と地面に、行ったり来たりと視線を走らせている。
「――はっ!? そ、そういえば訊き損なっていたのだが……結局これはどういう状況なのだ?」
「え? 今さら?」
ちゃんと説明しなかった俺も悪いのだけど、質問するのが遅すぎやしないだろうか?
「まあ仕方がないね。〈白綿獣〉と遊んでいて時間が過ぎちゃったし」
「あうっ……」
フィリスの指摘にバツが悪そうに視線を逸らす。
そんな彼女に端的に説明することにする。
「簡単に言うと、さっきから言っている通り"狩り"だな。この《草原迷宮》に生息しているちょっと特殊な魔獣を捕獲するのが今回のイベントの趣旨だ」
「魔獣を捕獲……? 殺すのではなくてか? というかそれだけのことにこんな大騒ぎをしているのか?」
どうにも腑に落ちないのかイツキは首を傾げる。
確かにこれだけを聞くとおかしな話にしか思えないだろう。
俺だって他人から同じような話をされれば疑問に感じるに違いない。
「その特殊な魔獣というのはいったいなんなのだ? 〈特殊個体〉かなにかか?」
「いや、そうじゃなくてな。つまり――」
更に詳しく説明を続けようとした時、「ボワァ~ン!」と辺り一帯にどこか間の抜けた音が響き渡った。
音源の主は、大きな銅鑼を抱えた筋肉質のギルドマスターだ。
『それじゃあ正午になったから"謝肉祭"を開始するわよ。くれぐれもルールは守るようにね!』
傍らに立った小柄なミリィの宣言を聞いた探索者たちの雰囲気が変わる。
今までのざわつきが嘘のように静まり返り、全神経を張りつかせながら周囲の気配を探る。
その変化を感じ取ったのか、イツキとアンナも疑問を感じながらも押し黙った。
そして――
「……ん?」
未だに状況を理解できないイツキの視線の先で、土に覆われた地面がモコリと持ち上がった。
それはあたかも地中から何者かが姿を現すかのようだ。
「……キュ?」
というか……実際に現れた。
土を掻き分け地面から這い出てきたそれは、兎のような土竜のような奇妙な生物。
つぶらな瞳を細めながら周囲を窺う様子からは小動物的な愛らしさが感じられ、実際イツキは〈白綿獣〉を見た時と同じような表情をしている。
しかし――
「ぬおぉおおぉぉォオオオオオオッ!!」
「な、なんだーっ!?」
そこに〈人種〉の数倍の体躯を誇る〈巨人種〉の探索者が、気合の声を迸らせながら突っ込んだ来た!
〈白綿獣〉
《草原迷宮》に生息する魔獣の一種。
フワフワモコモコした白毛に全身を覆われ、"扉"周辺をフワンフワンしている。
常に一定数の個体数を維持しており、何を食べているのか、どうやって増えているのかは未だによくわかていない。
人懐っこくて無害なので、日々の生活に疲れがたまった探索者たちが癒しを目的として《草原迷宮》へと足を運ぶ姿が目撃される。
《草原迷宮》の外では生きていけないので持ち出し厳禁。
彼らから刈られた毛は、冬場の暖房服の素材として重宝されている。




