54 見なかったことにしよう
店の奥から持ってきたタオルを手渡すと、カタリナと名乗った王宮騎士さんは手早く身体を拭いて身支度を整えた。
勿論それだけでは張り付いたヌルヌルを完全に拭うことは出来なかったので、シャワーを使ったらどうかと勧めたのだが、一刻も早く逃げた上司を捕まえたいらしく辞退された。
今はイツキを別れの挨拶を交わしているところだ。
「――今日は本当に迷惑をかけてしまったみたいで申し訳ありませんでした。このお詫びは必ず後日させていただきます」
「そんなに気にすることはないぞカタリナ。確かにやや強引だったかもしれないが……私としては久しぶりに良い手合わせができたからな」
同じくタオルでヌルヌルを拭いたイツキが鷹揚に頷いた。
どうも戦っているうちに軽い友情が芽生えたらしい。
どこの戦闘民族か、お前は。
「それに――どちらかといえば、別の誰かからの被害のほうが大きかったしな」
そう言ってこちらにジト目を向ける。
いやー、誰のことだろうなーいったい。
「詫びというのなら……そうだな。機会があればでいいので、もう一度立ち合ってくると嬉しい。今度は真剣でな」
――待て、なに物騒なことを良い笑顔で言っているんだ。
「ええ、私からも是非」
いやいや、どうしてそれを微笑んで受け止めるんだ。
俺の疑問をよそに二人は互いの片手を握り再戦を誓いをたてる。
おかしい、女同士の友情ってこんなに血なまぐさいものだっただろうか?
というか外見は清廉でたおやかな少女騎士といった感じなのに、中身はイツキと同類なのか?
俺には理解できない会話を終えたカタリナが店から姿を消して数分後。
今まで壁の花ならぬ店の草と化していた蝶仮面の紳士が口を開いた。
「ふぅ……やれやれ、やっと帰ってくれたか」
そう言って胸を撫で下ろしながらため息をついた紳士は、目元から蝶を模した仮面を外し――――あっ。
「――あっ!」
『あー!!』
内心の驚きとイツキとアンナの驚愕が重なった。
「しかしエルト君、これは実に素晴らしい魔導具だな。カタリナの眼をああも鮮やかに欺くとは……実に見事だ!」
満足げに勝算の言葉を送ってくる蝶仮面の紳士――もとい依頼主であるフォード男爵。
その口ぶりから、やはり彼こそが少女騎士の探し人だったようだ。
さっきまでは真名隠しの蝶仮面の効果によって記憶と結びつけることができなかった。
いささか迂闊だったと言わざるを得ない。
「……フォードさん、やっぱりカタリナさんが探していた上司の方っていうのは――」
「うむ、私のことだな」
「……それじゃあ、認識阻害の効果を持った魔導具を依頼されたのは――」
「あやつは真面目で優秀な娘なのだがな。少しばかり頭が固くて、やや柔軟性に欠けるところがあるのが唯一の欠点だ。最近は監視の目も殊更に厳しくなってきておってな、こうして職場を抜け出すのも一苦労なのだ。まったく……あれでは嫁の貰い手にも困るだろうに」
まず職場を抜け出すな。
顎に手を添えしたり顔をする中年の姿に、先程まで店にいた少女騎士の苦労をなんとなく感じ取った。
「しかしこれからはさほど苦労することなく抜け出せそうだ。むしろこの魔導具があれば正面から堂々と出ていけるのではないかね?」
「カタリナさんの上司ということは王宮勤めなんですよね? それは流石に不審人物として捕まる気がしますが」
職場にいきなり正体不明の人物が現れれば流石にスルーはしないだろう。
「ふむ、それもそうか。その辺りに関してはもう一工夫が必要だな」
うーん、どうしたものだろうか。
ベアトリスから身元の保証はしてもらったし、カタリナの言からも犯罪者の類でないことはハッキリしたのだが……このまま放置していいのだろうか?
魔導具を取り上げて、彼女に教えてあげたほうがいいのではないだろうか?
今ならまだそれほど遠くには行っていないだろうし。
「さて……思わぬ邪魔が入ったが、これが依頼料だ」
「毎度ありがとうございます! 今後ともフォーン魔導具店をご贔屓に!」
とはいえこれが彼らの問題だしな。
部外者が口を出すのも野暮というものだろう。
……けしてズシリと重い革袋の魅力に負けたわけではない!
「ふむ、そうだな。次の機会があれば勿論利用させてもらおう。――それでは私はそろそろ戻るとしよう。あまり長く留守にすると、心配性の部下の心労が増すだろうからな」
だから最初から留守にしなければ済む話だろうに――そんな言葉をグッと飲み込みフォード男爵が店を出ていくのを見送った。
「――あの人のことはカタリナに教えなくていいのか? 今ならまだ間に合うと思うのだが」
「まぁ別に悪いことをしている訳じゃないみたいだし、他所様の事情に首を突っ込むのもな?」
納得しきれないのか、イツキは不満げに頬を膨らませる。
やはり再戦を誓った友人を困らせる上司に思うところがあるようだ。
「そうか……今日は久しぶりに大きく稼げたから、何か美味しいものでも食べに行こうかと思ったんだけど。不満があるなら仕方がないな……アンナと二人で行くとしよう」
『わっ、それってデートかな? お兄ちゃん、アンナ甘いものが食べたーい!』
「――待て」
わざとらしく嘆いてみせると、ガシッと肩を掴まれた。
「よくよく考えてみれば客商売で客の情報を外に漏らすわけにはいかないな。カタリナには申し訳ないが、犯罪者というわけでもないのだから致し方がないだろう」
断腸の思いだが仕方がないとイツキが首を振る。
あっ、ちょっと肩が痛い痛い。
力強すぎ、指が食い込んでる。
「それと私は今日は肉料理が食べたい気分だ」
残念ながら友情は食欲に負けてしまったらしい。
まぁ、最近は質素な食事が続いていたから無理もないね。
「じゃあフォード男爵のことは見なかったということで」
「異議なし」
『さんせーい!』
俺の言葉に諸手を上げて賛同する二人。
しかしアンナはともかく出会った当初のイツキは、もう少し硬い性格をしていたような気がするんだけど。
それこそカタリナ嬢と似たような感じで。
ああ、だから彼女たちは気が合ったのか。
だけど最近のイツキは器用さというか柔軟性というか、そういったものを備えてきているように思える。
これを成長と捉えるか堕落と捉えるかは人それぞれだろうが。
『お兄ちゃんの悪い影響じゃないかなーってアンナは思うよ?』
そこっ、気軽に心を読まないように!
さて――それじゃあ夜は何処かに美味しいものを食べに行くとして。
それまでにもう一仕事しておこう。
先日ベアトリスに頼まれた仕事のほうも詰めの部分を残してるだけだし。
しかしあの魔導具……いったい誰が何の目的で使うのだろうか?




