52 尋ねてみよう
マダム・クリスティーヌに許可をもらい、オーナーであるベアトリスがいるであろう部屋へと足を進めた。
漆喰塗りの扉のドアノブへと手をかけようとすると、傍らに立つイツキが「そういえば――」と声をもらした。
「ついつい訊きそびれていたのだが、結局のところベアトリスというのは何者なのだ?」
「……言われてみれば話してなかったか。ベアトリスってのはまあ……俺の師匠の一人だな」
「師匠っていうと魔導付与師としての? なんだってそんな人がこんな場所にいるのよ?」
目をパチクリさせて首を傾げるミリィ。
「ベアトリスからは主に魔術や薬学に関して習ったんだ。……で、当人の能力は魔術師ギルドで長をやっててもおかしくない階梯なんだけど、今は後進に任せて隠居しててな。このお店を経営してるのは……ただの趣味だとさ」
正しくは仕事を押し付けて、だが。
「――ああ、なるほど。つまりはあんたの師匠らしい変人ってわけね」
「その理解と認識については後でじっくり話し合うとして……人物評としては間違ってないな」
ともあれそんなわけで、例のフォード男爵とやらが本当にベアトリスからの紹介であれば無下にもできないのだ。
なのでこうして足を運んで確認しに来た次第である。
さて、これで疑問は解消できたと判断して改めて扉を開こうとして――
「む? しかし、それならばどうしてエルトは何も言わずに師匠とやらに会いに来たのだ?」
イツキがいらんことに気がついた。
「言われてみればその通りよね。単に師匠に会いに行くだけなら隠す理由もないでしょうに……ねぇ、ちょっと。どうして目を逸らすのかしら?」
……ふっ、もう遅い。
「ベアトリス、エルト・フォーンだ! ドアを開けるぞ!」
「ちょっ――」
背後で焦ったような声が聞こえたがもう遅い――手遅れだ。
俺は入室の声をかけ勢いよくドアノブを捻り扉を開いた。
「――ん? これは……しまっ――!?」
開いた扉の先。
一人部屋としては少々広く間取りを取られ、魔導具の照明によってぼんやりと照らされた室内。
中から人の気配は感じず、代わりに甘く柔らかで心地の良い香り。
それが何なのか意識して嗅いでみようとして――ガクンと膝から崩れ落ちた。
「さーて、邪魔者が動けなくなったところでお楽しみだの」
「ひゃっ!?」
「ふあっ!?」
どうやら室内には漂っていたのは麻酔性を含んだ香りだったらしい。
……どう考えても部屋の主の仕業である。
それを証明するかのようにすぐ傍で響く艶やかで悪戯気な声。
同時に聞きなれた二つの声音が困惑したような声をあげた。
「ほほう、これはこれは、なんとなんと」
「ちょっ……!?」
「やっ……どこにっ……!」
やっぱりこうなったか――そんな諦観を覚えつつ冷たい床に這いつくばりながら見上げてみると、何処からか現れた長身の人影がミリィとイツキを両手で捕縛して、色々とまさぐっている場面だった。
「肌艶は実に素晴らしいね。若さに満ち満ちている。こちらのメイドは引き締まったスレンダーな体つきながら、出るとこ出てる理想的な体型だの。逆にこっちの娘は些か幼い体つきだが、それが背徳感を醸し出し良い感じだね。うむ、二人ともめったに見ない逸材……ちなみにこれは不法侵入者への身体検査であって、いかがわしい目的などありはしないのであしからず」
似非評論家のような口調で全く説得力のない言葉を力強く言い切る。
「い、意味がわからないわよ……! というかあんた誰よ!?」
「おやおや? 私に会いに来たのはそちらだろうに……つれないことさね」
「つ、つまり貴女がエルトの師匠か!? これはいったい何の真似だ!?」
「さっきも言ったけれど身体検査さね。大人しくしてもらえると手間が省けるが……なんなら抵抗しても構わないよ? それはそれでやりがいがあるからの~」
男だったら完全にアウトな台詞をニマニマと笑いながら口にする女性――ベアトリス。
その細い腕の中からどうにか脱出しようともがく二人だが、俺と同じように薬香に中てられたらしく力が入らないようだ。
「エ、エルト……!? こ、これはなんとかならないのか!?」
「あははー、それは無理かな。見ての通り身体が全然動かないんだ。……悪いとは思うけど満足するまで相手をしてやってくれると助かる」
「あ、あんた、さてはこうなるって予想しててドアを開いたわね!?」
「――まあ、だからこそ最初はイツキには何も言わないで此処まで来たわけだし……黙ってついてきたのは二人だよな? 悪く思うな」
あー、床が冷たくて気持ちがいい。
「~~~~~~ッ! 思わないとか無理に決まってるでしょ!! だ、だったらせめて目を瞑ってなさい! こっちを見たら後で怒るからね!!」
頬を上気させながらまくし立てるミリィの言葉に黙って目を閉じた。
そして――
「ふむ、話し合いは終わったようだね……なら遠慮なく堪能させてもらおうかの」
「ひゃうっ、ちょっ、待っ――!?」
「んっ……! くぅ……! ふぁ……!?」
中年親父のような台詞をのたまう若い女の声と、艶めいた少女二人の声が暗闇の中で響いた。
身体の自由はしばらくすると自然に取り戻すことが出来た。
もっともそのタイミングはベアトリスが"身体検査"とやらを十分に堪能した直後のことで、完全に薬の効果時間を計算していたとしか思えなかった。
……相変わらず無駄に高い能力を無意味に趣味へと全力投球する師匠である。
「何がどうなればこんなことになるんだ……? 意味がわからない……!」
「……迂闊だったわ。店に前でこいつが態度を豹変させた時点で逃げるべきだったのよ……!」
その餌食となった二人からも薬はすでに抜けているはずなのだが、ペタンと床にへたり込んでいた。
頬を赤らめてブツブツ呟いている。
たぶんこうなるだろうとは思っていたので当初は黙っていたのだが、ついて来てしまったものは仕方がないと思考を切り替えた結果がこれだ。
……せめて二人の尊い犠牲を無駄にしないためにも目的を果たさないとな!
「ふぅ~満足満足~♪」
そしてこの惨状の原因はといえば、長椅子にだらしなく寝転がりながら煙管を吸っていた。
年の頃は20代後半、女性にしては長身で露出の多い服から褐色肌が覗く。
寝癖の付いた銀の長髪は手入れもしていないくせに絹糸のように艶やかで、長く尖った耳が人目を惹いた。
〈闇森人〉であり、薬師兼魔術師であり、この店のオーナーであり、俺の師匠でもある女性――ベアトリスだ。
見かけこそ若々しいものの実年齢は老婆という言葉でも足りず――
「今なにか不愉快なことを考えなかったかい?」
「――滅相もない。そんなこと微塵も考えてないから……そのバチバチと鳴ってる右手を下ろそうか」
慌てて否定すると、彼女は鼻で笑って右手を振る。
途端に纏わりついていた雷撃が宙に霧散した。
……ミリィもだけど、最近の女性って勘が鋭すぎじゃないだろうか?
「それで今日はいったい何の用だい? 今は機嫌が良いんだ。簡単な頼み事くらいなら引き受けてやっても構わないよ」
「話が早くて助かる。今日はベアトリスに訊きたいことがあって来たんだ」
ああ、よかった。
やはりイツキたちと一緒で正解だったようだ。
仮に俺一人だったら追い返されていたかもしれない。
「実は昨日、客が来て依頼を受けてさ。フォード男爵って人で、あんたにうちを紹介されたらしいんだけど……身元は確かなのか?」
「フォード男爵……?」
ベアトリスは整った眉を顰めて怪訝な顔をした。
「そいつは一見すると落ち着いた壮年の紳士みたいだけど、よく見ると子供っぽさと馬鹿っぽさを隠せていないような男さね?」
「……うん、まあそんな感じかな」
ひどい言われようだが、俺が受けた印象も同じだった。
「それなら確かに私の紹介だの。身元は保証するし、あいつが魔導具を悪用することはありえんよ。金払いも良いから引き受けたらどうかの」
彼女がそう言うなら問題ないだろう。
基本的に嘘はつかない人だし……隠し事はするけど。
あとなんか楽しそうに笑ってるのが凄く気になるけど……!
「そういうことなら引き受けさせてもらうよ。……じゃあ用事も済んだし今日はこれで」
「なんだい忙しないね。もう帰るのかい?」
「長居する理由もないからな。それに……二人のためにもお暇したほうがよさそうだし」
そう言って身嗜みを整えながら立ち上がったミリィたちを見る。
まだ若干顔が赤く、足元がふらついていた。
「おや、坊やはともかくとして、そっちの二人ならゆっくりじっくり末永く滞在してもらってもいいんだがね」
「「――っ!?」」
「――勘弁してくれ」
〈闇森人〉の妖艶な視線を受けた二人が俺の背に慌てて隠れた。
真剣な同性愛者というわけではなく、若い娘を揶揄うのが大好きという困った趣味を持つお年寄りだ。
「今なにか失礼なことを考えなかったかい?」
「考えてない、考えてないから……ボウボウと炎を燃やすのを止めようか。流石に室内で火はまずいから」
だからどうしてあっさりと心を読む?
「ああ、ちょっと待った。……そら、私からの依頼だ」
頭を下げて部屋を後にしようとしたら声をかけられた。
その理由が仕事の依頼ということで少し驚く。
ベアトリスならば俺に頼らずとも大抵の物は用意できるからだ。
「正確には私の友人からの依頼さね。金や必要な物があれば用立てるから、確りとした仕事を頼むよ」
「……友人? あだっ!?」
「私に友人がいたらおかしいかの?」
うぐぐぐぐ……っ。
さ、最後の最後で口が滑ってしまった。
足元には握り拳ほどの大きさの氷塊が。
どうやらこれが頭上から降ってきたらしい。あ、頭が痛い。
「け、けど……こんな物なにに使うんだろう? ベアトリスは知ってるのか?」
「さてね、男と女の仲には色々とあるもんさ」
投げ渡された手紙――依頼の魔導具について――に目を通して質問を口にすると、彼女は何を想像したのかニヤリと笑った。
その笑みは随分と人の悪いもので……少しだけ想像の中の人物に同情してしまったのだった。




