50 出かけよう
アーランディアという都市はいくつかの区画に分かれている。
王城を中心とし、ギルドなども存在する行政区。
富裕層が邸宅を構える高級住宅区。
一般市民の住まう住宅区。
開発が進んでおらず若干治安の悪い旧市街区。
商店が店を連ねる商業区。
市民の憩いの場であり、時折イベントなども行われる公園区――などなど。
それぞれの区画には当然ながら特色があり、利用者の顔ぶれも各々違う。
そして俺が今向かっている区画の雰囲気はと言えば、夕刻も近い時間でありながらかなり浮ついたものだ。
目的地を同じとする面々の中には、身なりや人相の悪い者もいる。
店先で客引きを行う店員の中にはやけに肌の露出の多い娘もおり、正直目のやり場に困ったりもする。
そう、これらの情報から察することも出来ようこの区画の名は――歓楽街区である。
――といっても別にいかがわしさ全開、真人間立ち入り禁止という場所でもない。
区画の中には大型の劇場も構えられており、それ目当ての家族連れの姿も見える。
あるいは明らかに富裕層とわかる、仕立ての良い服を着こなす男性が歩いていたりもする。
そうした人々による混沌染みた喧騒さが成り立つのは、この場所が国の管理下にあるからだろう。
(……?)
雑踏の中を歩いていると、なんとなく違和感を感じ振り向いてみる。
特に目立つものはなし……どうやら気のせいだったようだ。
やはり普段は訪れない場所のせいか、すこし気が張っているのかもしれない。
前方に視線を戻し改めて歓楽街を歩く。
どこかの団体が貸し切っていると思しき安酒場。
逆に富裕層をターゲットにする高級酒場。
都市の劇団だけでなく、他国からの旅芸人も利用できる劇場。
運と読みと度胸で挑み、客の明暗が容赦なく分かれる賭博場。
多種多様な店に様々な人々が足を踏み入れているが、共通しているのは皆笑顔だということだ。
これは賭博場であっても例外ではない。
もちろんギャンブルである以上負けることはあるのだろうが、それでも人生を破滅させるような人間が早々出ることはない。
そうなる前に店側によって止められるからだ。
こうして見ているとやはり人間には娯楽が必要なのだと思う。
この区画は国の主導によって運営されているが、その理由はこの種の欲望を無理に押さえつけることに意味がないからだ。
強引に禁止したところで行政の目の届かない所で秘密裏に行われるだけ。
そうした環境は犯罪の温床となりかねない、ならばいっそのこと国で全部管理してしまえ――というのがこの区画の成り立ちらしい。
元々の国民性もあるのだろうが、それで上手くいっているのだから大したものである。
「おにいさ~ん! ちょっと寄ってかな~い? サービスするよ~」
「あいにく今日行く店は決まってるんだ。また今度な」
「あ~ん、ざんね~ん! 次の時は絶対に来てね~」
愛想よく笑いかけてくる酒場の客引きの女性に声を返す。
……うん、やっぱり目に毒だな。
いや、イツキを連れて来なくてホントによかった。
あの娘には刺激が強すぎるだろう。
◇ ◇ ◇
――ところがどっこい。
「(あわ、あわわわわわわわ……!)」
物陰に隠れながら辺りを見渡し、視界に入ったものに頬を染めるメイドが一人。
イツキはきっちりエルトの後を付いて来ていた。
「(と、年若い娘があんな恰好をして……は、破廉恥な……!)」
などと言いながら視線を逸らすものの、好奇心と興味を抑えきれないのかついつい追跡対象から目を離してしまう。
しかし、その度に再補足し、無駄に高度な隠形を駆使して対象に気づかれないように後を追う。
故郷ミズホの隠密気分であるが、はたから見ると不審者丸出しだ。
現に行きかう人々は、首を傾げながらイツキを眺めている。
「(くっ……! コソコソと隠れて店を出ていくから、不審に思って後をつけてみればこんないかがわしい場所に! アンナを連れて来なくて正解だったな)」
以前エルトの前でそれ以上に肌を晒したことも、現在進行形で不審者である自分も纏めて棚上げしての発言である。
「(――しかし、エルトはいったい何処に向かっているのだ? ……こ、このまま後をつけていいものだろうか?)」
何を想像したのか顔をこれまで以上に種に染めて、首をブンブン振って浮かんだそれを振り払う。
「(いや、これは、その、あれだ。エルトが危ない目に会ったりしないよう陰ながら護衛しているのだ。断じて私に後ろめたいことなど――『ねぇ?』ひゃああああッ!?」
自身に言い聞かせるように呟くイツキの背後からかけられる声。
うっかり悲鳴が漏れ、それに反応したエルトが振り向く――刹那。
咄嗟に背後から声をかけてきた小柄な人影を捕縛。
瞬時に動きを封じ、声を出せないよう口をふさぐ――この間、僅か一秒。
「……?」
エルトが振り返った時には悲鳴の主など影も形もなかった。
「(……ふぅ)」
「(――随分と斬新な挨拶じゃない)」
「(ああ――!? す、すまん! 悪気はなかったんだ!)」
不思議そうな顔をしたエルトが再び歩き出したのを確認し安堵の息をつく。
すると腕の中で拘束された小柄な人影――探索者ギルド職員ミリアリアが文句を言った。
少しだけ機嫌が悪そうなのは、有無を言わさず捕縛されたことに対してであり、断じて頭の後ろに当たる二つの膨らみのせいではない。
「(けど、どうしてミリィがこんな場所にいるんだ? こ、子供がこんないかがわしい場所に来るのは感心しないぞ?)」
「(……あんたね、あたしが同い年だってこと忘れてない? なに? 胸なの? 胸の大きさで年齢を判別してんの?)」
「(ああ!? す、すまん、そうじゃない! ミリィは小柄で童顔だからつい――って待て、お願いだから、胸を揉むなぁ!?)」
物陰に隠れながら小声で騒ぐ少女二名。
衛兵が通りがかれば職質間違いなしだ。
「(あたしのほうは仕事の用事で来たのよ。それを済ませたら、見るからに怪しげな知り合いがいたから声をかけたんだけど……あんたこそこんなとこで何してんのよ?)」
「(わ、私はその……エルトの後を追って来たらこんな場所に……)」
「(エルト……? へぇ――)」
やはり少々後ろめたいのか、口籠りながら答えるイツキ。
その言葉を聞いたミリィが確認すると、確かに前方に見慣れた幼馴染の後ろ姿が。
「(――ふむ)」
そのままイツキの手を引きながら追跡に入る。
「(いったい歓楽街に何の用かしらね? 仕事でも入ったのかしら?)」
どことなく楽しげな様子のミリィにイツキは首を傾げる。
「(なあ、ミリィ? エルトがこんないかがわしい場所に来ていることに怒ったりしないのか?)」
「(……? やあねえ、別にそんなことで怒ったりはしないわよ。そもそもこの区画は国の管理下にある場所だしね)」
「(そ、そうだったのか……?)」
イツキの疑問にキョトンとした顔をしたミリィだったが、苦笑しながら彼女の言葉を否定した。
それを聞いたイツキは自分の早とちりだったかと、顔を赤らめる。
しかし、ミリィの言葉はそこで終わりではなかった。
まあでも――と続く。
「(借金も返しきれてない時に無駄遣いしてるようなら、ただじゃおかないけどね?)」
「(…………!?)」
お金のやりくりに関しては実に厳しい幼馴染であった。
その幼い顔つきに浮かんだ肉食獣のような凄みのある微笑に、イツキは冬でもないのに背筋を凍らせる。
(頼む、エルト……! お願いだから変な場所には行かないでくれ……!)
思わず天に向かって願掛けをしてしまう。
その祈りが届いたのか、前方を進む魔導付与師がビクリと肩を震わせキョロキョロと周囲を見渡した。




