48 教訓を学ぼう
バサリ、と翼が羽ばたく音を耳にして空を見上げてみれば、そこには朝の陽ざしを遮るように舞い降りる人影。
背中に広げた漆黒の翼をたたみながら、目の前に降り立ったのは年若い〈黒翼人〉の青年。
朝日を反射し輝く金髪に整った甘いマスク。
やや高めの身長に女性のように色白の肌。
女性を魅了してやまない、絵にかいたような美青年だ。
彼をこちらを見据え、優美な笑みを浮かべると、
「やあ、エルト! 女を囲み始めたって聞いたけど本当かね!?」
初対面の印象を粉微塵に打ち砕いて砂にするような下世話なことを尋ねてきた。
「……お前はいきなり何を言ってるんだ、クロード?」
「いやいや、ちょっとギルドで小耳に挟んだのさ。最近君がミリィちゃん以外の女の子を囲いだしたってね」
どこのどいつだ、そんな事実無根の噂を流したアホは。
新作魔導具の実験台にしてやろうか。
「それにほら、こうして配達物もあるからさ」
「配達物?」
「ああ、そのイツキ・カンナギって娘さん宛の手紙だよ。送り先がこの店ってことは一緒に住んでるんだろう? 奥手のヘタレと見せかけといてヤルことヤッテルんじゃないか、このこのっ」
「誰がヘタレだ。――惨たらしく死んでしまえ、このナンパ男が」
「オイオイそれが流石に酷い言いぐさじゃないかね。そもそもボクは死ぬときは愛する女性たちに囲まれながらと決めている!!」
王侯貴族と言われても違和感のない顔立ちで、凄まじく下品な笑顔をしながら妄言を口走るクロード。
差し出された手紙を受け取りながら思いっきり罵詈雑言を浴びせてやる。
この男はどうして郵便配達員などやっているのだろうか?
確かに空を飛べる〈黒翼人〉がこうした職に就くのは珍しいことではない。
しかし、こいつは優れた容姿を活かせそうな他職業からスカウトを受けているだろうに。
本人も生粋の女好きだから向いていると思うんだが。
「そもそも無節操とは失礼だな! ボクはそう――子供から老婆まで、全ての美しい女性を等しく愛しているんだ! そこに愛情の多寡はあれど区別など一切ないのさ!」
「黙れ、人の店先で朝から世迷言を垂れ流すな」
後ろめたいことなどあるはずがないと、胸に片手を当てて高らかに宣言する美青年。
無駄にいい笑顔で腹が立ってくる。
ああもう、何で俺はこんな奴と知り合ってしまったんだ。
「それで……そのイツキちゃんは何処にいるのかな? せっかくだから挨拶しときたいんだけど」
「イツキはまだ寝てる。断っておくけどお前に会わせる気は更々ないからな」
そう言ってやると、クロードは一瞬キョトンとした顔をして、次の瞬間ニマ~と笑った。
「おおっと、それは独占欲ってやつかね? いかんねぇエルト君、浮気なんかしてるとミリィちゃんに愛想つかされてしまうよ?」
「好きに言ってろ、その言葉そのまま倍にして返してやるよ。具体的に言うと……直上注意な」
「……へ? 直上……!?」
クロードの頭上に見えた人影に気づき、距離を取りながら言い返した。
そして次の瞬間――
「クロォオオオドォオオオオオオッ!!」
「ぬおわぁあああっ!?」
奇声をあげながら全力で飛び退くクロード。
同時に直前まで奴がいた場所に猛烈な勢いで何かが突き刺さる。
地面に直立するそれらは黒曜石のように硬質化した羽であった。
「よ・う・や・く・見つけましたわ……。 もう逃がしません、覚悟してもらいます……! うふ、ふふふふふ、あは、あはははは……!」
「シャ、シャーリー……!? い、いきなりどうしたんだい!?」
空より急降下して降り立つ下手人。
クロードにシャーリーと飛ばれたのは、奴と同じ〈黒翼人〉の女性だ。
紫色の髪を縦ロールにした中々の美人さんでスタイルも良い。
しかし、今はその美貌に不吉な笑みを浮かべクロードを凝視している。
その雰囲気は全身から禍々しい瘴気を発しているかのようだ。
……ぶっちゃけ近寄りたくない手合いだな。
「『いきなりどうした?』、『どうした』ですって? ふふふっ、このワタクシに愛していると囁きながら他の娘にも手を出しておいて……よくもそんな口がきけるものですねぇ?」
クロードの疑問に口の端を吊り上げながらシャーリーは哂う。
ああ、やっぱりか。
いつものことながらクロードも懲りない奴だな。
「ミランダにアリサ、それにフィーシェ。ひょっとして他にもワタクシの知らない"恋人"がいるのでしょうか? そうですね……今から私の部屋でじっくりと話を聞かせてもらうとしましょうか? ……逃げられないように念入りに手足を叩き折った後で、ね?」
ニッコリと微笑む様は客観的にとても魅力的で、口走っている内容さえなければ見惚れそうだ。
しかし、愛想をつかされるどころか殺されそうな勢いだな。
いやぁ愛されてるなあ、クロード君。
「待ってくれ、シャーリー! 君は誤解している!」
「……誤解ですって?」
「そうだ! このボクが浮気などするはずがないだろう!」
――いや、普通にするだろう、お前は。
完全に傍観者となっている俺だが、空気を読んで口出しはしない。
「いいか、聞いてくれシャーリー。ボクは自分に好意を寄せてくれる女性を誰一人として悲しませたくないんだ。みんな例外なく幸せにしたい――勿論その中には君だって入っているんだ、シャーリー!」
「……クロード」
力強く真剣な顔で言い切ったクロードの言葉に、紫紺の夜叉にも迷いが生じているようだ。
……どうでもいいけど痴話喧嘩はよそでやってくれないかな。
営業妨害とか勘弁してほしい。
「だからこそ……ボクは好きな女、愛する女は一生大切にする! 必ず幸せにしてみせる! シャーリーもミランダもアリサもフィーシェもエマもクランもボクのものだッ! みんな大好きだぁあああッ!!」
「…………」
何気に名前を増やしながらも、雄々しく清々しく偽りなき愛を叫んだクロード。
そんな男を前に女は動きを止める。
感動しているのか細い肩がふるふると震え、その頬はうっすらと朱に染まり――
「死ねぇええええええっ!!」
「ぬぉおおおおおっ!? な、なぜだい、シャーリー!?」
間違えた。
怒りのあまり真っ赤になっていただけのようだ。
「要はハーレムメンバーになって浮気を黙認しろってことじゃないですの! ワタクシを馬鹿にするのも大概にしてくださるかしら!!」
「ち、違うよ!? 浮気みたいなコソコソした真似はしないで、みんな堂々と付き合おうと――」
「余計に悪いですわよぉおおおおお!? もういいっ、あなたを殺してワタクシも死んでやるぅうううッ!!」
「待ちたまえ! 落ち着いて、話せばわかる! だから刃物を取り出さないでくれ!! おおい、エルト! 君も彼女を説得してくれよ、頼むから!!」
「やめろ、こっちに話を振るな!」
見ろ、あのシャーリーの目つきを。
もはや視線だけで人を殺せそうな感じじゃないか。
……だが、まぁ仕方がない。
知り合いのよしみだ。少しだけ手助けしよう。
「――ほらクロード。餞別だ、受け取れ」
「こ、これは……?」
懐から取り出した小瓶を投げてやるとクロードは首を傾げた。
「俺が創った新作の回復薬だ。使えば多少の傷ならすぐに完治するぞ。……ただし、数時間程痺れて動けなくなるけど」
「あらあら、それは素晴らしいお薬ですわね♪ ――ワタクシも遠慮なくヤレルというものですわ」
「ちょ、ええ!? 君はどっちの味方なんだい!? 親友を見捨てる気なのかね!?」
「どっちの味方でもねーよ。興味ないから二人で存分に話し合ってくれ」
それと友人じゃなくて知り合いな。
「じゃあクロード、怪我くらいで済むといいな。……武運を祈る!」
「エルトォオオオオッ!? カムバァァァァァァック!!」
右手親指を立ててサムズアップ。
そのまま店の中に戻って黙って扉を閉める。
閉じた扉の向こうから悲痛な叫びが響いた。
……やっぱりあれだな。
男女関係には誠実さって大事だよな。
うん、良い教訓になった。
ありがとうクロード、そしてさようならクロード。
完全に自業自得だから化けて出たりはしないでくれよ。
「……エルト? なんだか外が騒がしかったようだが……何かあったのか?」
痴話喧嘩の声が家の中まで響いていたのか、寝ぼけ眼をこすりながらイツキが顔を出した。
まだ覚醒しきっていないのか……うん、まぁ、なんだ。……色々とヤバい。
「あー、別に大したことじゃない。一人の男が"愛"と言う名の戦場に散ったってだけの話だな」
「……あ、愛か?」
「うむ、愛だ」
現在進行形で響いてくる外の騒ぎと"愛"という単語が結びつかなかったのか首を傾げる。
『さぁ、クロード! 手足を寄越すのですわ!』
『寄越せと言われてホイホイ渡せるかぁあああ!? そんなことしたら女の子と遊べなくなるじゃないか!』
『心配する必要はありませんわ! ワタクシの部屋でおはようからおやすみまでお世話いたしますから、なにも心配なさらないで!』
『その発言のどこに安心できる要素がある!?』
……うん、愛だ。
……愛、だよな?
……だぶん愛なんだろう。
「――ええっと……ところでどうしてさっきから視線を外しているんだ?」
どうやら外の出来事には触れないほうがよいと悟ったらしく、冷や汗を流しながら話題を変えてきた。
……いやぁ、だってなぁ?
「服だよ、服。まだ目が覚めてないなら顔洗ってこいよ」
「……服?」
そう言ってやるとイツキは視線を下ろす。
知り合いの服飾師に頼んで作ってもらった寝間着。
デザインはイツキの希望に沿ったもので白を基調としている。
袖口は広くゆったりとしているが、肌の露出は少ない。
……あくまできちんと着ていれば、だが。
「――――」
寝苦しかったのか、それとも単に寝相が悪いのか、彼女は思いっきり寝間着を着崩していた。
緩んだ首元からはほっそりとした白い首筋が覗き、視線を下ろせば意外と豊かな胸元が見えそうだ。
更に視線を下ろすと無駄な贅肉など僅かも無い括れた腰に、乱れたスリットから見えるしなやかな脚。
「……あ……ああ……っ」
――非常に眼福だけど、やっぱり不意打ちでやられると目のやり場に困るなぁ。
本人が気づいてなくて無防備だと特に。
徐々に羞恥で赤く染まっていく肌を見ながらそんなことを思う。
俺に指摘され意識がはっきりしてきたようだが、そのせいで自分の現状を正しく認識できてしまったらしい。
「わぁああああああああっ!?」
即時反転。
ドタバタと音をあげながら全速力で自室に駆けていった。
うーん、これはしばらく部屋に閉じこもるかもな。
しかし、あれだな。
イツキも恋でもしたらシャーリーみたいになるのかね?
正直想像もできないんだが……ああいうのは特殊な事例だと思いたいな。




