47 これからのことを考えよう
――可能性を見ている。
フィリス・ハーフコートはそれをはっきりと自覚していた。
なぜなら目の前の光景は決して有り得ないものだったからだ。
前に出た"彼女"とイツキが魔獣の集団へと切り込む。
互いの死角を補いながら魔獣を蹴散らしていく様は息のあった相棒のようだ。
二人が討ち漏らし、こちらへ向かってくる敵の前に巨体が壁のように立ちはだかる。
その大きな背中から頼もしさを感じさせる〈竜人〉は言うまでもなくオルガだ。
身の丈を超すハルバートを軽々と振るい魔獣たちを叩き潰す。
そして灰色の髪をした魔導付与師がおかしな魔導具を使い――イツキが巻き込まれた。
ちゃっかり被害から逃れた彼女が大笑いして、敵ごと吹き飛ばされたイツキが憤る。
オルガが苦笑いしながら宥めに入り、元凶の青年は魔導具の効果について考察し改良点を考え出す。
――そんな文字通り夢のような光景をフィリスは見ていた。
(あの日のことがなければ、こんなふうに探索することもあったのかな?)
仮にそうであったとしても、その場合はエルトやイツキとパーティを組む可能性は低いだろう。
結局のところこれは有り得ないIFに過ぎない。
だけど素敵なIFだと思いながら彼女の意識は覚醒した。
「……泣いてない?」
目元へと手をやりながら口から疑問符が零れた。
"彼女"の夢を見ておきながら泣いていない。
それはこの一年で初めてのことだった。
荷物の中から手鏡を取り出し確認してみても問題はなし。むしろ顔色が良いくらいだ。
まぁ、寝起きでボサボサの髪は人に見せられるものではないけれど。
――ぐうぅぅぅぅ~。
「うわっ、すごい音」
昨夜は精神的にも肉体的にも疲れ切っていた。
それゆえ宿に戻ると食事を取る手間も惜しみ、そのままベッドに倒れ込むように熟睡してしまったのだ。
床には脱ぎ散らかされた衣服が広がり、腹の虫の音を耳にしたフィリスは苦笑を漏らした。
とりあえずまずはご飯かな、と手早く身支度を整える。
階下の食堂に向かうと、こちらに気づいた奥さんが朝食を用意してくれた。
「フィリスちゃん、昨日は何か良いことでもあったのかしら?」
「……へ? えっと……何でそんなこと訊くんですか?」
朝食を口に運んでいると、向かいに座った奥さんが声をかけてきた。
確かに「良い事」に心当たりはあるけれど、どうして彼女がそれを知っているのだろうか。
「だってとっても良い顔しているもの。まるで憑き物が落ちたみたいよ?」
「そ、そうですか? うわっ、恥ずかしいなぁ」
頬をムニムニと摘まみながらフィリスはバツが悪そうに視線を逸らした。
今までそんなふうに思われているとは気づかなかったし、今の自分がそんなわかりやすい表情をしているとも思わなかった。
「恥ずかしがることはないわ。やっぱり女の子は笑顔が一番可愛いもの。ねぇ、あなた?」
「…………(コクッ)」
柔らかく笑った奥さんが、厨房の奥で作業をしている旦那さんに声をかけると、彼はこくりと頷いた。
太く逞しい腕を持つ店主は寡黙であまり喋らない。
フィリスも彼の声を聞いたことはほとんどないのだが、それでもその実直で誠実な性格はよく知っていた。
「あ、あははは……っ」
そんな相手であるからこそストレートに褒められると照れてしまう。
頬を染めたフィリスは誤魔化すように食事の手を早める。
そんな少女の微笑ましい姿に夫婦は顔を見合わせ笑いあった。
――ひどい目にあった。
朝食を終え逃げるように宿屋から出たフィリスは、街を歩きながら頬を膨らませていた。
相方は性格上ああいった台詞を口にすることはなく、ここ一年は脇目も振らずに修練に没頭していたので人と関わること自体少なかった。
しかし、それほど悪い気分ではない。
奥さんの言った通り、常に背負っていたものがなくなったように心が軽い。
(――思い出してみれば、悪い思い出ばっかりじゃないんだよね)
最後は確かに悲しかったし、未だに後悔で胸がうずくこともある。
だけど"彼女"との思い出はそれだけではないのだ。
楽しかったことも嬉しかったことも同じくあるのだ。
にもかかわらず、あの日からそれらをほとんど思い返すこともなかった。
(一人で抱え込みすぎ……か。注意はしてたはずなんだけどなー)
結局はしていたつもりにすぎなかったらしい。
これでは"彼女"にも彼にも心配かけ続けてしまうだろう。
「あっ、いたいた。――おはよう、オルガ。体調のほうはどうかな? 調子の悪いところはない?」
「うむ、問題ないのである。少しばかり怠さは残っているが、傷自体はほぼ完治したのである。まったく、エルトの創った回復薬の効果は素晴らしいものであるな」
「その分、副作用も凄いみたいだけどね」
クスリと笑って同意したフィリスはそのまま連れ立って歩き出す。
向かう先は探索者ギルドではない。今日の目的地はフォーン魔導具店だ。
先日の件の礼も兼ねて挨拶する予定で、そのため二人の服装もラフなものだ。
「……ねぇ、オルガ。キミはこれからどうするのかな?」
「む?」
歩きながらフィリスはふと気になった事をオルガに尋ねた。
とりあえず自分たちが目的としていた敵討ちは終わった。
しかし、考えてみれば終わった後のことを考えていなかった自分に気がついたからだ。
「そうであるな……吾輩の場合は悩むまでもないのである。至尊の座たる『龍』を目指しこれからも研鑽あるのみよ。そのためにもさしあたっては探索者を続けるであろうな」
「そっかー。うん、オルガらしいね」
「そういうお主はどうするのであるか? 探索者を続けるのか、それとも魔術師ギルドで働くのか……できることはいくらでもあると思うのであるが」
「うーん、正直まだ悩んでるんだよね。もうちょっとよく考えておくべきだったんだろうけど……」
気負いなく返答したオルガとは対照的に、フィリスは困ったように頬をかいた。
そんな簡単なことにさえ今まで思考が及ばなかったのだから嫌になる。
いや、一区切りついて考えるようになったことを喜ぶべきだろうか?
「――まぁ、今日の所は先にお礼を言わないとね」
言って目の前の扉をフィリスは開いた。
「いらっしゃいませ! フォーン魔導具店にようこそ! ……っと、フィリスたちか」
店内に足を踏み入れた二人を出迎えたのは、清楚なメイド服を着こなし笑顔を浮かべる少女。
最初に出会った時は慣れない様子であったが、今は随分と手慣れている。
なんだかんだで適応力は高いのだろう。
「おはよっ、イツキ。この間はありがとね! おかげさまでこうして無事に街を歩けるよ」
「うむ、吾輩からも礼を言わせてもらうのである。主らには関係のない戦だというのにすまなかったのである」
「なんだ今さら水臭いことを。仲間を助けるのは当然のことだろう?」
「仲間……か。そっか、そうだよね! ならイツキに困ったことがあったらボクも助けるからね」
躊躇うことなく言い切った彼女が少しだけ羨ましい。
自分はそんな彼女たちを"無関係な相手"として認識していたというのに。
「それで……エルトはいるかな? 彼にもお礼を言いたいんだけど……」
「ああ、あいつなら工房のほうで作業中だな。呼んでくるから少し待っていてくれ」
「承知したのである。忙しいようであるなら後日改めるので、急かす必要はないのである」
しかし、それを口にしてもイツキを悲しませるだけだろう。
ゆえに黙って飲み込み、心の中で頭を下げて礼を述べる。
いつかなんらかの形で恩は必ず返そうと心に決めながら。
「ああ、いらっしゃい。今日はうちの商品を買いに来てくれたのか?」
「あー、ごめんね。今日の用事はそっちじゃなくて先日のお礼なんだ。あの時は本当に助かったよ、イツキにも言ったけど、どうもありがとねっ」
「もしも困ったことがあれば吾輩たちに何でも相談してほしいのである。恩を返さぬは〈竜人〉の名折れであるからな」
「そうか……困った事か」
二人揃って頭を下げると、店主の瞳がギラリと輝いた。
その輝きは……一言で言うと獲物を狙う捕食者のものだ。
「え? えーと……ひょっとして早速何か困った事でもあるのかな?」
エルトの様子に気圧されるものを感じつつもフィリスが問いかけると、彼はにっこりと笑って続けた。
「いや、大した話じゃないんだけどな。〈紅鱗貪鰐〉と戦った時に魔導具を使いすぎて、今かなり経営がピンチなんだ。《雪原迷宮》を探索した時にはなんとか黒字だったんだけど……今は見事なまでに大赤字でなー。いやー、困った困った」
「……え、ええっと」
朗らかに笑いながら中々洒落にならない事を言ってくるエルトに言葉が詰まる。
「〈紅鱗貪鰐〉から素材は採れなかったのであるか? 確か死骸はお主が回収したはずだが」
「そうそう! それそれ!」
オルガの言葉に飛びついたフィリスだったが、エルトは乾いた笑みを浮かべ疑問に答える。
「それが体の内側まで焼け焦げでな。素材として使えそうな部分はほとんどなかったんだ」
火力が強すぎたんだろうなー、と背中を煤けさせながら自嘲気味に笑う。
当人的にも正直予想外だったようだ。
「(オ、オルガオルガ!? これってやっぱりあれかな? ボクらにお金を払えってことかな!?)」
「(むぅ……吾輩たちのために魔導具が使われたことを考えれば、筋は通っているのである。――しかし、吾輩実は手持ちの金はほとんどないのである!)」
「(ボクだって余裕ないよ! 装備品の効果付与とかでかなり散財しちゃったもん!)」
エルトの無言の圧力に背を向け、肩を寄せ合って話し合うフィリスとオルガ。
そんな二人に優しく声がかけられた。
「そんなに心配しなくてもいいぞ。あれはこっちが勝手にやったことだからな。後追いで金を要求するような真似はしないさ。ただまぁ……少しばかり頼みを聞いてほしいんだよな」
「た、頼みってなにかな? なんでも言ってよ!」
「う、うむ! 吾輩たちに出来ることであれば是非ともやらせてもらうのである!」
エルトの言葉に二人はあっさりと食いついた。
「そりゃあ助かる。実はイツキは《迷宮》に行きたがってるんだが、店がある以上俺がいつも付き合うわけにもいかなくてな。よければこいつとパーティを組んでくれないか?」
「……そ、それは本当かエルト!? 私が《迷宮》に行ってもいいのか!?」
「言っとくけどいつでもじゃないぞ? 店のほうでの仕事も続けてもらうし、あくまで二人が同行することが条件だ」
「ああ! 私はその条件でいっこうに構わないぞ!」
エルトが口にした頼みごとの内容に、メイドが飛び跳ね二人は首を傾げる。
「それぐらいの頼み事ならボクらは構わないけど……それだけでいいの? え、ホントに?」
「そう思うんなら《迷宮》探索に赴く時は是非ともうちの店を利用してくれ。あと珍しい素材が手に入ったら再買取して俺に回してくれ。勿論その分の金は払うからさ」
「うむ、委細承知したのである。ではその際は喜んで通わせてもらおう」
加えられた頼みごとにオルガが頷き応える。
「よし、では早速今すぐにでも――ッ!」
「お前は人の話を聞いてなかったのか!? 今日は一日従業員だ!」
「そ、そんな……《迷宮》が、《迷宮》が私を待っているのに……ッ!」
「(……プッ!)」
今にも店から飛び出していきそうなイツキをエルトが引き留める。
情けない声をあげて嘆くイツキの姿に、フィリスは思わず噴き出した。
――先のことは分からないけれど、どうやら今しばらくは探索者を続けることになりそうだ。




