45 敵を討とう3
氷漬けになって動きを止めた〈紅鱗貪鰐〉から距離を置き一息ついた。
幸いにして〈特殊個体〉の気配に威圧されたのか、他の魔獣の姿は見当たらない。
さて回収した二人の様子だが、回復薬を頭からぶっかけたオルガの傷はある程度治ったようだ。
とはいえ目立った外傷が癒えただけで、全身から醸し出す疲労感は隠せていないけれど。
そしてフィリスの方はと言えば、ちょうど手渡した魔力回復薬をゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでいるところだ。
「……う~ん結構ニガイね、これ。もっと甘くしてみたら飲みやすいんじゃないかな?」
「ちゃんと効果があれば味なんて関係なくないか? それに魔力回復薬を買う奴は少ないんだよ」
材料の問題で回復薬よりも魔力回復薬の方がかなり高額なのだ。
加えて魔術を使える人間の絶対数が少ないという事情もある。
「けど飲みやすければ商品として売れるかもしれないよ?」
「……考えとく」
でもまぁ、それはそれとして売り込むための工夫はするべきだよな!
この件が無事に解決したら色々と試作してみるのも良いかもしれない。
しかしそれもこの場を上手く切り抜けてからの話だ。そのためにも手早くこれからの方針を決めないとな。
蜘蛛氷網封の効果が切れるまであまり時間もないことだし。
「さて! それじゃあ俺としては速やかな撤退を――」
「「それはダメ(だ)」」
――提案したかったんだけどなぁ。
口にする前にフィリスとイツキに声を揃えて否定されてしまった。
オルガに視線を向けるも苦笑しながら首を左右に振られてしまう。どうやら援護は期待できないようだ。
「フィリスたちの気持ちも分からなくはないけど……二人とも戦えるような状態じゃないだろ? 今は引いた方が無難じゃないか?」
「そんなことないよ。エルトがくれた魔力回復薬のおかげで魔力は回復したし、まだまだボクたちは戦える。それにあいつだって無傷じゃないから勝ち目だってあるさ」
「うむ、今こそが千載一遇の好機なのである。ここで引けば吾輩たちでは手出しの難しい《奥》へと逃げられる可能性もあるのでな……逃す訳にはいかないのである」
フィリスよりも冷静ではあるものに、やはりオルガも敵は討ちたいらしい。
イツキも加えて三対一では撤退の決断は難しいな。そうなると別案を出すしかないか。
「それなら当初の予定通り俺たちも参戦することにしよう。四人がかりなら勝算も上がるだろうし」
「ああ、そうだな! 約束があったから先程までは手出しできなかったが、今度は私も戦わせてもらうぞ!」
拳を強く握り込み大きな声で宣言するイツキだが、逆にフィリスの表情は暗い。
「――ちょっと待ってくれないかな。約束を破るみたいで悪いんだけど、まだ手出しはしないでほしいんだ。今回の件はボクらだけで決着をつけてみせるから」
そんなことを言い出すフィリス。若干申し訳なさそうな様子なのは、罪悪感からくるものだろうか。
それでも引こうとしないのは、『二人で敵を討つ』ということに彼女が特別な意味を見出しているからだろう。
俺は二人のように身近な人間が亡くなった経験は少ないので、その感情を正しく理解できるとは言い切れない。
それでも彼女の瞳を見れば、そこにどれだけの意思を込めているかくらいは分かる。
状況が許すならばその意思を尊重してやりたい気持ちも勿論あるのだ。
「……最初の約束では、二人だけじゃどうしようもなくなったら加勢するって話だったよな」
「それは……!」
――だけどそれでも必要であるなら躊躇なくその意思を踏み躙る。
たとえ余計なお節介であっったとしても、俺にとっては二人の命の方が大切だ。
だからフィリスの弱みである部分とて、遠慮なく突かせてもらう。
「確かに回復薬で主だった傷は塞がったけど、『狂竜化』による疲労と蓄積されたダメージまでなくなったわけじゃない。もう一度戦えば、先に死ぬ可能性が高いのは前衛で守るオルガだよ。……フィリスはそれでもいいのか?」
「――ッ!」
「それに魔力回復薬で魔力が回復したって言ったって全快ってわけじゃないはずだ。フィリスだってさっきまでみたいな魔術は使えないんじゃないか?」
「それならもっと魔力回復薬を飲みさえすれば――」
「薬だって飲み過ぎれば毒に変わるよ。これ以上魔力回復薬を摂取したら、戦う前から命を落としかねないぞ?」
回復薬にせよ魔力回復薬にせよ無制限に使えるわけじゃない。
種類にもよるのだが、一定期間内の摂取量というものは厳密に決まっているのだ。
「けど……! それでも……!」
フィリスは決して馬鹿な娘じゃない。オルガや俺たちに対する情だって勿論あるだろう。
それでも納得しようとしないのは、むしろその強い情が足枷となっているからだ。
仲間の敵を自分たちの手で討つ――その想いが強すぎるからこそ、引くことが出来ない。
俺の言ってることが正しいということが、理屈ではわかっていても受け入れられない。どうしても感情が邪魔をしてしまう。
だからこそ説得の余地がある。
「月並みの話だけど……もう死んでいる仲間と今生きている仲間、どちらがフィリスにとって大切なんだ?」
「おい、エルト――ッ!」
その質問をした瞬間、フィリスの顔が歪んだ。
オルガへと視線を一瞬向け、すぐに俯いてしまったからはっきりとは見えなかったが……泣き出す寸前の幼子のように感じた。
イツキにも同じように見えたのかきつく睨まれてしまった。
「……ッ」
フィリスは俯いたまま肩を震わせる。
砂の上で握りしめられた両手はあらん限りの力で握りしめられている。
そして――地面の砂を見下ろす彼女の顔から、一滴の雫がポタリと滴り落ちた。
涙――ではない。
さらさらとした砂漠の砂に赤黒く染めたのは血だ。
唇を噛みきったらしいフィリスの口元から血が滴り落ちたのだ。
今彼女の中でどれほどの感情が渦巻いているのかは、想像することしか出来ない。
悔恨・憤怒・羞恥・悲哀・無念・拒絶・友情・打算――どれもが当たっていてどれもが的外れ、しょせん部外者に過ぎない俺が容易く理解できるようなものではないだろう。
「――――」
――その感情を唯一共有できるであろう〈竜人〉の戦士は、深く静かな眼差しでフィリスを見つめていた。
彼女を見守る金色の眼の奥で、果たしてどんな感情を抱いているのだろうか。
「――ごめん、オルガ。ボクの我が儘に付き合わせて無理させちゃって」
「なに気にするな……吾輩とて同罪である。お主の意思を尊重するという名目で話に乗っておったのだからな。……本来であれば吾輩がお主を止めるべきだったのである」
飲み下しきれない感情を絞り出すかのようにフィリスが述べた謝罪に、オルガは頷きながら応えた。
〈竜人〉である彼の表情は分かりにくいが、どことなく満足げで肩の荷が下りたような印象を受けた。
ひょっとすれば本心ではオルガもフィリスを止めたかったのかもしれない。
だが同時に『自分たちの手で敵を討ちたい』という気持ちが彼の中にもあったのではないだろうか。
だからこそ彼は体を張って、フィリスの前に立ち続けたのではないかと思う。
「――それで凄く勝手な事を言ってるのはわかってるんだけど、二人に改めて頼みたいことがあるんだ」
そんなふうに考えていると、顔を上げたフィリスが俺たちに視線を向けてきた。
その瞳には相変わらず怖いくらいに強い意思が宿っていたけれど、それでもさっきまでのような拒絶の感情は窺えない。
「残念だけどボクとオルガだけじゃ〈紅鱗貪鰐〉には勝てないみたいだ。だけど、それでもボクたちはここであいつを仕留めたい……! あいつを倒すことで、どうしても区切りを付けたいんだ……! だから――」
そこでフィリスは言葉を切った。
唇を噛みしめ躊躇するのは未だに迷いがあるからか、それとも己の感情を押し付ける決意をするのに時間が必要だったからか。
いずれにせよ彼女は口を開くと、頭を下げながらこう告げた。
「だから――二人の力をボクたちに貸してほしいんだ。……お願いします!」
「同じく吾輩からも伏してお願いするのである」
フィリスに続いてオルガまでが首を垂れた。
まぁ欲を言えば大人しく撤退してくれるのがベストだったのだが、それでもこれなら許容範囲内だろう。
そう思って二人に返事をしようとしたのだが――
「勿論だとも! 私もエルトもその為にここまで来たのだからな!」
なっ! とでも言いたげな良い笑顔のイツキに先を越された挙句、同意を求められてしまった。
いや、別にいいんだけどね……?
「そうだな、時間もないし早く作戦を立てるとしようか」
俺が断るとか考えてもいないらしいイツキに苦笑しつつ返事をした。
疲労の色の濃いオルガと、魔力不足のフィリスを抱えて〈特殊個体〉を倒す。
なかなか条件が厳しくて、結構しんどそうだけど頑張らないとな。
『おにいちゃーん! 何か来たよ! すっごいのが来たよ!!』
などと考えていたら、凍結中の〈紅鱗貪鰐〉の監視をしてもらっていたアンナが大慌てで飛んできた。そして同時に足元に感じる地響き。
どうやらもう蜘蛛氷網封の効果は切れてしまったらしい。
ああもうっ、忙しないな!
もっとゆっくり氷像気分を満喫していてくれてもいいじゃないか!
作戦立てる時間も与えてくれないのかよ!?




