43 敵を討とう
《迷宮》内には一般には見られない様々な魔獣が生息している。
その魔獣の中で原種である魔獣から外れた能力や生態を持つ個体は〈特殊個体〉と呼ばれている。
〈特殊個体〉はその危険性ゆえに放置され、自然と〈迷宮〉奥へと生息域を移るのを待つのが探索者ギルドの基本方針だ。
しかし探索者の中には貴重な素材でもある〈特殊個体〉を積極的に狩る者たちもいる。
彼らは〈特殊個体〉発見の報があれば即座に徒党を組んで〈迷宮〉に潜る。
だが稀に彼らを返り討ちにし、その手から逃れる個体もいる。
そうした個体は《迷宮》奥へと消えるのだが、時間をおいて再び"扉"付近に姿を現すことがある。
一度己を狙う探索者を返り討ちにした個体、当然ギルド側も情報があればすぐにでも探索者たちに周知する。
日頃は〈特殊個体〉を専門に狩る探索者も、こうした際は慎重に状況を見極めて動くものだ。
――そしてフィリスとオルガが一年ぶりに探索者に復帰し、『耐熱』の効果付与を依頼してきた理由もそんな危険な〈特殊個体〉にあった。
ミリィから聞いた話では、彼らは一年前までフィリスとオルガに加えてもう一人の三人パーティで行動していたらしい。
三人はチームワークもよく、順調に探索を重ねていたそうだが、ある日《熱砂迷宮》にて〈特殊個体〉と遭遇。
その際、どうにか命は拾ったものの、仲間を一人失ったそうだ。
そして一年間の空白期間を経て探索者に復帰したのだが――最近になって件の〈特殊個体〉の目撃情報があったらしい。
つまるところ彼らの目的は仲間の敵討ちというわけだ。
『耐熱』の効果付与もその〈特殊個体〉への対策の一環らしい。
客観的に見るならば彼らの行動は不毛と言わざるを得ないのだろう。
仮に敵討ちに成功しても死んだ人間が生き返るわけでもない。
むしろ折角拾った命を徒に危険に晒すだけの愚行とさえ言える。
敵を討つだけであれば、他の探索者の協力を仰ぎ集団で挑んだほうが確実だし無難だ。
だけど……やはり駄目なのだろう。
非合理的でも非効率的でも、何の意味もないと分かっていたとしても人間は感情の生き物だ。理屈だけで行動を決定付けることは出来ない。
時として理性を無視して意地を張ることだってある……実を言えば俺だって思い当たるところがなくもない。
その意地を張るために責任を放棄したり、無関係な他者を巻き込むのであればそれは責められるべきことだ。
しかし賭けるのが己の命だけであれば、他者に非難されるべきことでもないだろう。
――よって今フィリスとオルガが命がけで〈特殊個体〉に挑んでいたとしても、口出しするのは筋違いなのだ。
十分に準備を整え《熱砂迷宮》への"扉"を潜った。
此方の決意など頓着する気もない凶悪な日差しが天から降り注ぐ。
少し前の装備であれば歩くだけで体力を消耗させられるところだったが、付与された『耐熱』の効果は見事に熱気を遮断していた。
「……うん、検証した時点で分かっていたけど良い感じだね。全然暑さを感じないよ」
「うむ、イツキの言っていた通りエルトの腕は確かだったようである。あの若さで大したものであるな」
「そうだね、今回の探索が終わったら改めてお礼を言おうかな。……じゃ、行こうか? 目撃情報があった場所まで割と距離があるから急がないと」
顔を見合わせ笑って頷き合った二人だったが、集落の外へと視線を向けたフィリスは瞳を鋭くして歩き出した。
応じるように表情を厳しくしたオルガは、黙ってその小さな背中を追う。
二人の目的である〈特殊個体〉の目撃情報があった地点までは徒歩で進む。
〈雪原迷宮〉で使った『雪原を行こう』のような移動道具があれば道中も楽になっただろうが、無い物ねだりをしても仕方がない。
『耐熱』仕様の防具頼みで昼間は歩き、夜間は休息をとる。
幸い《熱砂迷宮》の魔獣に夜行性のものは少なかったので警戒も最小限で済んだ。
そうして足を進めること約二日、無事に目的の場所へと到達した。
とはいえ標的である〈特殊個体〉がこの場に留まっているとは限らない。
むしろすでに移動した可能性のほうが大だろう。
ゆえにここから先は運の領分、早めに出会えれば儲けもの――だったのだが。
「ガァアアアアアアッ!」
捜索を初めてから半日程度でソレは見つかった――というよりも襲いかかってきた。
全体的なフォルムのイメージで最も近いものは鰐だろうか。
ただしサイズの桁が違う。
身体の半分は占めるであろう大口は、大の男三人程度なら易々と噛み砕いてしまいそうなほどに大きく、凶悪な牙と紫色の巨大な舌が覗く。
身体から生える屈強な八つ足は忙しなく動き、その巨体を支える。
全身は血のように紅い鱗に被われ、強靭な膂力で振るわれたオルガのハルバートを弾き返した。
しかし剛腕によって生じた衝撃そのものを無力化できたわけではなく、その〈特殊個体〉――〈紅鱗貪鰐〉の動きが一瞬止まる。
「【火精・束ね・奔り・射抜け】ッ!」
そこにフィリス十八番の魔術が炸裂した――が、
「――ぬうっ!?」
燃え盛る矢が突き刺さるも、頑強な深紅の鱗を突破することは敵わなかった。
返礼とばかりに〈紅鱗貪鰐〉が巨体を捻り、オルガが跳ね飛ばされる。
《雪原迷宮》の〈雪毛河馬〉とは比べ物にならない一撃。
常人ならば全身の骨まで砕け散るほどの威力だろう。
しかし予め予期していたのか、オルガは上手く防御して受け身を取る。
「やはり手強いのである。まともに戦っては勝ち目は薄そうであるな」
「――うん、でも予想はしてたことだよ。……だから足止めをお願いね、オルガ」
「うむ、任せておくのである。……まぁ、吾輩だけで倒せてしまうかもしれぬがな」
「一年間の修行の成果ってやつだね、頼りにしてるよ」
牙を剥き出しにしニヤリと笑ったオルガが一歩前へと進み出た。
巨体を誇る〈紅鱗貪鰐〉と真正面から相対し、全身に龍気を巡らす。
「グォオオオオオオオッッ!!」
――空気が変わる。
異形なれど人型に近い形態であったオルガの姿が変化していく。
張りつめていた四肢は一回り膨張し、巨大な牙がさらに盛り上がる。
耳元より生える角が猛々しく伸び、両手両足からは鋼をも切り裂く爪が伸びていく。
その肌も鱗のように硬質化し、瞳からは知性が消えさり殺意が満ち溢れる。
『狂竜化』――裡なる竜の本能を剥き出しにし、己を狂化する〈竜人〉の奥の手である。
こうなった〈竜人〉は理性が薄れ、己が死ぬか標的を殺しつくすまで止まらない。
「GaAAAAAAAAAAAAA!!」
金眼に殺意を漲らせ〈紅鱗貪鰐〉に襲い掛かるオルガ。
切れ味よりも壊れない事を優先させたハルバート。狂化され爆発的に剛力を増した〈竜人〉の腕力にも形を失うことはない。
力任せに叩きつけられた一撃で紅鱗が砕け、紫色の血が噴き出す。
「GuOOOOOOOOOOOOO!!」
身体を傷つけられた経験が少ないのか、〈紅鱗貪鰐〉は怯んだように動きを鈍くした。
逆にオルガはと言えば、全身に浴びた血液に興奮したかのように更に激しく攻撃を繰り返す。
多少の反撃などものともしない。
そして前衛をオルガに任せたフィリスは両者から距離を置くと、一心不乱に詠唱を行い始めた。
「【我は焔の精霊と契約せし者・来たれ古の焔……】」
唱える魔術は《雪原迷宮》で〈氷霊騎士〉相手に放ったものではない。
あの魔術よりも更に上位――この日のために彼女が修めた切り札だ。
しかしその威力故に、今のフィリスの力量では詠唱に相応の時間が必要だ。
その間の足止め役――一人でこなすにはあまりにも危険な役割をオルガは気負うことなく引き受けた。
「GURUAAAAAAAAAA!!」
暴れまわる〈紅鱗貪鰐〉によって、オルガの手からハルバートが弾き飛ばされた。
しかし武器を失ったはずの〈竜人〉は意にも解せず突き進む。
刃を通さぬ紅き鱗に噛み砕かんばかりに牙を突き立て、爪で引き裂き激しく尾を叩きつける。
その猛攻に応じるかのように〈紅鱗貪鰐〉の反撃も勢いを増した。
人間同士の戦いでは決して有り得ぬ野生を剥き出しにした命のやり取り――うん、やべえわ。こんなの絶対巻き込まれたくない。
「GaAAA!?」
半ば膠着状態に陥った状況にしびれを切らしたのか、それとも後方で一心不乱に詠唱を行うフィリスに危機感を抱いたのか、〈紅鱗貪鰐〉が巨体を捻り轟音と共に尾をオルガに叩きつけた。
破壊衝動に飲まれながらも培われた技術は失われていないのか、オルガは跳ね飛ばされた瞬間に自ら後方に跳んで衝撃を殺したようだ。
しかしその間に〈紅鱗貪鰐〉は距離をおき、大きく口を開いた。
その喉口には燃え盛る炎がチラチラと覗く。フィリスとオルガを丸ごと焼き尽くさんとする『炎の吐息』――これこそが彼らが『耐熱』の効果付与を欲した理由。
「――!」
詠唱途中のフィリスは動けない。回避に走れば彼女が死ぬ。
その追い込まれた状況でオルガの成した選択は――真っ向から盾となることだった。
放たれる灼熱の吐息。莫大な熱量を宿した紅蓮の業火がオルガとフィリスを呑み込む。
――だけど問題はない。この程度であれば耐えられる。
防具に付与した『耐熱』効果だけでは足りないが、強靭な〈竜人〉の肉体を合わせれば許容範囲だ。実際に試してみて確かめてある。
そしてオルガによって直撃を阻まれた『炎の吐息』の余熱であれば、人間のフィリスでも耐えられる。
それを証明するかのように、炎が晴れた後には二人の無事な姿があった。
……とはいえ直撃を受けたオルガの肌はあちこちが焦げ、『狂竜化』も解けたのか片膝をついており、無傷とはとても言えないか。
しかし彼の決断と行動の結果、その後ろに佇むフィリスは無事だった。
なによりも――彼女はすでに準備を終えていた。
「【煉獄より顕現し、我が眼前に立ちはだかる全てを滅ぼせ】ッ!!」
フィリスがロッドを突き出し最後の詠唱を唱える。
次の瞬間、『炎の吐息』を放ち動きを止めていた〈紅鱗貪鰐〉を中心に凄まじい熱風が吹き荒れた。
爆発的に膨れ上がった黒炎が荒れ狂い、捕えた魔獣を焼き尽くす。
離れた位置にいるこちらまで熱気が伝わってくる……中心部はそれこそ溶鉱炉のような状態だろう。
この魔術こそがフィリスの奥の手――この敵の魔獣を討つためだけに一年かけて習得した魔術。
しかし――
「……グアッ!?」
少しずつ縮小していく炎の中から猛進する巨体。咄嗟に迎え撃とうとしたオルガが跳ね飛ばされる。
生きていた――全身を焦がし、ブスブスと煙をあげながらも〈紅鱗貪鰐〉は健在だった。
並みの魔獣、いや強力な魔獣や〈特殊個体〉であってもあの魔術の直撃を受けては耐えられまい。
だが今回ばかりは相手が悪かった……より正確には相性の悪さか。
〈紅鱗貪鰐〉は灼熱の《熱砂迷宮》に生息する魔獣。加えて自身も炎を吹き出す個体。もともと耐火能力が高くても不思議じゃない。
「……あ」
魔力を使い切ったフィリスが、自身に迫ってくる魔獣という絶望的な光景を目の当たりにする。
〈紅鱗貪鰐〉も少なからず負傷しているが、オルガとフィリスの状態は更に悪い。
ここからの逆転はまず不可能――だというのに、追い込まれた女魔術師は戦意を失うことなくロッドを構えた。
途切れそうな意識を必死に繋ぎ止め、歯を食いしばって抵抗の余地を探る。
その瞳からは諦めの色は一切伝わってこなかった。
――うん、この辺りが潮時だな。いい加減、彼女を引き留めるのも限界だし。
フィリスのすぐ傍までたどり着いた〈紅鱗貪鰐〉は、目の前の獲物を一飲みにしようと咢を大きく開き――
「……?」
バクンッと何もない空間を噛み千切った。
思っていたような味も感触も口の中に感じないことに戸惑ったのか、ギョロギョロと動く四ツ目をパチクリとさせる。
「自分たちで敵を討ちたいと言われたから手出しは控えていたが……これ以上はもう無理だ! 無事か、フィリス!?」
そう言って間一髪フィリスを掠め取り助け出したのは……全身甲冑のイツキである。
大ピンチだった女性をお姫様抱っこで抱えるその姿は正に英雄といったところだな。
……実に残念なことに性別は同性同士だが。
まぁミリィ曰く、そういった需要も一部の界隈ではあるらしい。具体的には貴族のご令嬢方の間とかで。
――俺?
俺は〈紅鱗貪鰐〉がイツキに注意を取られている間に背後にコソコソと回り込んだよ。
ああいう格好いい役はイツキに任せるわ。素の身体能力に加えて、『筋力強化』を効果付与を施した全身甲冑を着る彼女のほうが向いてるだろうし。
役割分担って大事だよな。さて……正々堂々不意打ちだ!
〈紅鱗貪鰐〉
〈砂荒鰐〉の〈特殊個体〉。
原種の数倍の体躯と複数の足による高い機動性を誇る。
血のように赤い鱗は強靭で生半可な刃物では傷一つ付けられない。
『炎の吐息』という原種の持たない能力も持つ。
〈砂荒鰐〉
砂漠の中を川のように泳ぐ土色の鰐。
主な攻撃法は奇襲による噛みつき。
偶に口から砂を吹き出して視界を潰してくる。




