41 酒を飲もう
山中に響き渡るような凄まじい轟音をあげながら背後から迫りくる雪崩。
今はかなり距離があるが、放っておけばあっという間に追いつかれ一飲みにされてしまうだろう。
――なので、逃げる逃げる大急ぎで。雪山の斜面を全力疾走。
こんなところで死んでたまるか!
「ど、どどどどどどうしよう!? ボクが言うのもなんだけどホントにどうしよう!?」
横を走るフィリスが泡を喰って叫んでいる。
「とにかく走るのである! 流石にあれに飲まれたらひとたまりもないのである!」
少し遅れて続くオルガが皆を大声で急かす。
「エルト! なにか良い手はないのか!?」
一足先を進み、行く手に障害物があれば切り払うイツキが振り返って尋ねてきた。
「ええっと! これでもなくてあれでもなくて……ッ!」
言われるまでもなく『旅の鞄』を大急ぎで漁る。
この《雪原迷宮》に挑むにあたって色々と使えそうな物を詰め込んでおいたんだが……!
あああああ、もう! この状況から脱出できる魔導具なんてそう簡単には――
「……ってあったぁあああッ!!」
取り出したのは大きな白い球体――『浮遊球』である。
「よしオルガ! お前が一番上に乗れ!」
「我輩であるか?」
「お前が一番体重が重いだろ!」
「むっ、道理である」
納得したオルガは大急ぎで浮遊球の上に乗った。
「次はイツキだ! オルガの手に掴まれ!」
「わ、私はそんなに重くないぞ!?」
「全身甲冑を着といて何を言ってるんだ!? どう見ても二番手だろ!」
「……あっ」
あっ……じゃない!
それ急げ急げ、雪崩がどんどん迫ってくる!
「――で、次は俺な! フィリスは俺の腰辺りに掴まってくれ!」
「わかったよ! それじゃあよいしょっと!」
返事を確認してイツキの胴回りにしがみつく。
俺の腰にフィリスが同じように手を回したのを合図に、浮遊球を発動させる。
「そら上昇上昇!」
合図を受けて上昇を開始する浮遊球。
しかし流石に四人分は重いのか動きが鈍い。
『お兄ちゃん、急いで急いで!』
アンナが慌てた声で急かしてくる――が、こればかりは性能の問題なのでどうしようもない。
あああ、これはヤバいかなりヤバい。
「【火精・集い・弾けよ】ッ!」
同じように危機感を抱いたらしいフィリスが魔術を放つ――真下に。
生じた爆風が浮遊球を押し上げる。
ナイス判断! この高度まで上がれば雪崩が来ても平気だ。
「ちょっ、エルト!? 変なところを触るんじゃない!」
「触ってねーよ! 変な事言うな!」
いや、まぁイツキの細い腰回りに抱き着く形だから否定はし切れない。
でも全身甲冑を着込んでいる相手では感触もなにもない。
むしろ俺の腰に抱き着いているフィリスの方が柔らかい感触を感じるくらいだ。
「あれ? あれってあの変な〈粘液生物〉じゃないかな?」
ゆらゆらと揺れつつ眼下を見下ろすフィリス。
言われて目を向けてみると、確かに青みがかった巨大な〈触腕粘液〉がいた。
位置関係から察するにおそらく俺たちと戦った個体だろう。
どうやら脱出してしまったらしい。
「……あ、飲まれた」
しかしせっかく脱出できたというのに、津波の如く押し寄せてきた雪崩にあっさりと飲み込まれてしまった。
うーん、俺たちにとってはかなり手ごわい相手だったというのに。
「……大自然の脅威だな」
イツキがポツンと零した。声の響きからするとちょっと納得できないようだ。
確かにあれだけ苦労させられたのというのに呆気なさすぎる最後だ。
いや自分の手で倒したいとかそんな意地はないのだが、ちょっと複雑な気分というか。
ともあれ浮遊球で宙を浮く俺たちの足元を雪崩が流れていく。
うん、この勢いなら麓まで行かずに止まるだろう。本当に危機一髪だったな。
立て続けの危機を乗り越えた実感がようやくやってきて、思わず安堵の息を零したのだった。
◇ ◇ ◇
雪崩の回避に成功したのち無事に《雪原迷宮》の集落に戻り、手に入れた素材のうち不要な物を換金した。
そのまま疲労が残る身体を引き摺りアーランディアのギルド本部に直帰。そして、
「「「乾杯!」」」
現在食堂にて夕食中だ。
食堂内には同じように探索を終えた探索者たちが祝杯をあげ、他にも街の住人たちの姿もある。
「よぉ~兄ちゃん! なんだか楽しそうだの~」
「ああ、大臣のおっちゃんか。今日は探索に行ったんだけど色々大変だったんだ。けどまぁ、無事に帰って来られたからお祝いも兼ねてな」
「そりゃ~えがったのう。そんじゃあこれはオイチャンからの奢りだ~」
いい感じに酔っぱらった赤ら顔の年配男性は、そう言って料理を一品テーブルに置くと千鳥足で離れていった。
その後ろ姿をなにやら物言いたげにイツキが見送っている。
「ん? どうかしたのかイツキ?」
「……いや、なんというか凄く変なものを見た気がするんだが」
イツキは頭痛を堪えるような仕草をしながらそんなことを言うが、特に心当たりは思い当たらない。
普段通りの食堂で、いつも通り探索者たちがいて、平常通り大臣のおっちゃんが酔っぱらっているだけだ。何もおかしなことはない。
「ああ、うん……そうだな。たぶん私が気にし過ぎなんだろう……何もおかしなことはない、よな?」
自分に言い聞かせるように頷いたイツキは食事へと戻った。
そーだよ、別に変なことなんか何もないよ。
なので俺も安心してテーブルの上の料理に舌鼓を打つ。
「――むっ、この肉の味付けは初めて味わうな。厨房に頼んだらレシピを教えてもらえるだろうか……?」
「……いや、それはやめとこう。どうせイツキが作る料理はみんな同じ味になるし」
「そ、そんなことはない! 私とて成長しているのだ!」
『あれ? この間、失敗した料理を隠れて涙目で食べてたよね?』
「あぐっ……!?」
イツキと味覚の感覚を共有し、肉料理の味を楽しんでいたアンナからの無情なツッコミ。
グサリと胸に刺さったのか、イツキがガクリと項垂れた。
「ボクってば毎回思うんだけど、オルガってよくそんなの食べられるね?」
「これも修行の一環であるからな。それに〈竜人〉の味覚だとこちらの方が美味なのである。逆に調理した品の方が違和感があるのでな」
そう言って血の滴る新鮮な生肉をそれはもう美味しそうに頬張るオルガ。
竜性全開って感じでちょっと怖い。
まぁ、亜人種は人種とは味覚に若干ズレがあるし、〈竜人〉はそれが特に顕著なのだろう。
「いやー、今日はヤバかったぜ。今回ばっかしは流石の俺も危うく死ぬかと思ったわ」
「あん? どっかで〈特殊個体〉にでも出くわしたのか?」
「ばーか。それならむしろ儲け話だろうが」
少し離れた席から他の探索者の声が聞こえてきた。彼らも今日は《迷宮》に潜っていたらしい。
《特殊個体》を儲け話扱いする辺り、中々の凄腕なのか。
彼らは酔いに任せて武勇伝を語っているようだ。
「じゃあ何がヤバかったんだよ?」
「それがなぁ……《雪原迷宮》の雪山で雪崩が起こってよう。正に危機一髪で助かってな」
俺らじゃなきゃ死んでたぜー、と楽し気に笑う探索者。
……うん、キコエナイキコエナイ。探索中に事故は付き物だからな。死人が出なくて何よりだ。
まぁ実際悪質な犯罪行為でもない限り罰則はないのだし。
そういう日もあるということで……アッハッハッハッハ……ハァ。
「む? オルガ、飲み物は水でいいのか? 他にも色々と注文できるようだが……」
「イツキ、気遣いは結構である。吾輩は水を飲めれば十分であるのだ」
オルガの飲んでいる中身に気づいたイツキが首を傾げた。
ああ、そういえば〈竜人〉は確か――
「……なぁ、オルガ。これを使ってみる気はないか?」
「うん? 何であるかこれは?」
ふと思いついたことがあり、俺が差し出した丸薬を目にしたオルガが怪訝そうな顔をした。
「この丸薬を水に溶かすとあら不思議、一瞬で水が酒に変わるんだ」
「ほほう、それは素晴らしい魔導薬であるな。しかし吾輩は通常の酒では……」
「そこに関しては心配しなくても大丈夫だ。〈竜人〉でも楽しめる酒になってると思うぞ」
「ふむ、エルトがそう言うのであるなら……」
オルガの許可を得て丸薬をコップに投入。
丸薬は一瞬で溶け込み、水が瞬間的に泡立つと周囲に濃い酒精が漂った。
「どれどれ……ングングング、ブハーッ! これは良い酒であるな!!」
どうやらこの『転酒丸』で出来る酒はオルガの好みにあったらしい。
グビグビと喉を鳴らし酒臭い息を振りまいている。
「へぇ、結構便利そうな魔導薬じゃない」
「あれミリィ、仕事はもういいのか?」
「ええ、今日の仕事はさっき終わったわよ。それでこれは量産販売しないの?」
オルガの良い飲みっぷりを眺めていると、隣の席に座った人物から声をかけられた。
振り向けば見慣れた茜髪の幼馴染の姿。
「うーん、『転酒丸』は正直量産には向いていないと思うんだよな」
「なんでよ? 結構売れそうだと思うんだけど……またやたらと値が張るとか?」
そういうわけではないんだが。
「おおっと美味そうな酒発見っす。どーれ、おいらが一つ味見を――ブハアッ!?」
「「バァアアアアクゥウウウウ!?」」
「おっとっと……もったいないのである!」
酒に酔ったと思しき小柄な男がオルガがテーブルに置いたコップを掠め取り、そのまま一口中身を呷る――盛大に泡を吹いてぶっ倒れた。
……この三人。狙いすましたかのように現れるな。
やっぱり芸人志望なのではなかろうか?
ちなみに空中に放り出されたコップはオルガが無事にキャッチした。
「……見ての通り酒精が強すぎるのが欠点なんだよなー。酒に強い〈岩鉱人〉も一杯で潰すくらいだから……一般人だとなぁ」
「ああ、なるほどね。……あんたらしいオチで安心したわ」
火種を近づければ速攻で燃え上がるレベルである。
身体が頑強すぎて並みの酒じゃあ酔えない〈竜人〉くらいしか買い手が付きそうにないんだよな。
……けどさミリィ、その納得の仕方はなんかおかしくないかな?




