3 自宅に帰ろう
そんなこんなで無事に探索終了。
《森林迷宮》内部の探索者ギルド支部にて〈耳長熊〉を買い取ってもらって、軽い足取りでアーランディアのギルド本部へ戻る。
久しぶりの現金収入。財布の中に硬貨があることがこれほど安心できる事だったとは……!
このまま夕食の買い出しに行きたいところだが、先にミリィに挨拶しとかないとな。
「――というわけで、ただいま帰りましたっと」
「はいはい、お帰りなさい。……その様子だと無事に〈突撃兎〉は捕れたみたいね」
適当に返事をされたようにも見えるが、俺の姿を確認した時に安堵の溜息をついたのを見逃してはいない。
指摘したら怒られそうだから口にしないが、こうして何時も通りに出迎えてくれるとこちらもホッとするというものだ。
「うんにゃ、残念だけど〈突撃兎〉の方は一匹も取れなかったよ」
「……へ? じゃあ何でそんなに機嫌良さそうなのよ? あんた、そろそろ収入ないと厳しいんでしょ?」
「それはだな……代わりと言ってはなんだが、〈耳長熊〉を捕まえたんだ。これでしばらくは食い繋げそうだ」
「……〈耳長――ちょっ、それほんと!? あんた大丈夫だったの!? 怪我してないの!?」
茜色の瞳を瞬かせて身を乗り出すミリィ。
目の前にいるのだから大丈夫に決まっているのだが、驚き過ぎて気が回らないらしい。
ちょっと荒っぽいところはあるが、こういうところが彼女の良いところだよな。
「おう、運よく『五色悪戯球』の残りがあってな。いやー、あれがなかったら危なかったわ」
「『五色悪戯球』って……ああ、あのふざけた魔導具。まだ持ってたのね、全部処分したと思ってたんだけど」
やべっ、俺が発した単語を聞いたミリィが、目を据わらせて睨んできた。
この話題は地雷だったか……よく考えたら当たり前だよな、失敗だった。
もう結構前の事だったんで時効だと思っていたんだが、そういうわけでもなかったらしい。
「ま、まぁ、そういうわけなんで〈突撃兎〉のほうは今回はなしでよろしく!」
「まったくもう。……まぁ、通常依頼だったから別にいいけど」
『通常依頼』とは特に期限や期間が設けられていない依頼だ。
『指定依頼』よりも買い取り金額は安いが、誰でも受けられるし放棄しても特に罰則はない。
ちなみに『指定依頼』の方は探索者の実力や《迷宮》の状況なども考慮されるので、受注出来るかどうかはその時々で違う。
報酬はそのぶん高いのだが、受注した上で失敗すると違約金が発生する場合もあるので注意が必要だ。
「もう支部のほうで買い取りは済ませたわけ?」
「ああ、おかげで久しぶりにまともな飯が食えそうだ」
「なるほどね……じゃあ今回の収入の取り分は、私が八割ってことで」
「うおいっ! いきなり無茶言うなよ!?」
突然なにを理不尽なこと言い出すんだ、この女は。
鬼! 悪魔! 守銭奴! ミリィ!(悪口)
あれか? やっぱり『五色悪戯球』の件を根に持っているのか?
俺がひもじく飢えるさまを見て溜飲を下げたいのか?
「あんたね……まさかとは思うけど誰に借金してるのか忘れたわけ?」
「……ええと、その件につきましては感謝の言葉もなく」
それを言われてしまっては返す言葉もない。
「言いなさいよ、感謝の言葉をはっきりと」
「毎度たいへんお世話になっております!」
畏まって平身低頭。これに関して言えば頭を下げるしかない。
なにを隠そう、修行中に無利子無担保無期限で金を貸してくれたのがミリィなのだ。
悪魔どころか天使であった。
……ヒモと呼びたければ呼ぶがいいっ!
「でも流石に八割はきついんで、五割くらいにまけてもらえると……」
「ただの冗談よ、いちいち本気にするんじゃないわよ」
「まるで冗談に聞こえなかったんですがッ!?」
いや、マジで。
一瞬、晩飯が幻となって消えたわ。
楽しそうにクスクスと笑わないでほしい。
「だけど、なるだけ早めに魔導付与師としての仕事を請け負えるようになりなさいよ? 探索者の仕事は危ないんだから」
「うぐっ……ど、努力します。まぁ、それはそれとして弁当は助かったわ。容器は明日洗って返すから待っててくれ」
「別にそのまま返してもらってもいいわよ?」
「いや、流石にそういうわけにはいかないだろ。今日は本当に世話になったな。いつかお礼させてもらうよ」
「はいはい、期待しないで待ってるわ。……それでお弁当のほうだけど、あ、味はどうだったのかしら?」
上目遣いで少し不安げに訊いてくるミリィ。
俺と同年代の彼女だが、見た目幼いのでこういう仕草をすると破壊力抜群である。
でもどうしたんだろう? ミリィの家なら料理人もいるから味に不安はないだろうに。
「そりゃあ美味しかったよ。作ってくれた人にもお礼を言っといてくれるかな」
「……ええ、そうね。ちゃんと伝えておくわ(良かった……味見はしたけど不安だったのよね)」
「よろしく頼むな。……けど何か気になることでもあったのか?」
「な、なんでもないわよ! それより確り働いてちゃんと借金返しなさいよ?」
最後にミリィに釘を刺されて探索者ギルドを後にする俺。
そうだよな、やっぱ幼馴染に何時までも心配かけるようじゃ駄目だよなー。
うしっ! 気合いを入れて頑張ろう! ……とりあえず明日から。
これは決して問題の先送りなどではない。
今日のところは英気を養うために腹一杯食べるのだ!
――そんなわけで食材を買い込んで自宅兼工房兼店への帰路に就く。
雑踏に紛れて辺りを見渡せば、同じように家に帰るところらしい人物の姿がちらほらと。
眼に入るのは俺と同じ人種だけでなく、紳士服を着こなす〈豚人〉や探索者っぽい〈森人〉などもちらほらと見かける。
夕日で赤く染まった空を見上がれば優雅に空を舞う〈黒翼人〉の姿。
アーランディアは《迷宮》への"扉"があるだけでなく、他民族にも寛容的な国家なので人種以外の種族も多いのだ。
俺は生まれも育ちもアーランディアなので見慣れたものなのだが、他所の土地から来た人からすると中々にカオスな光景らしい。
「……なんだあれ?」
そうして特に特筆すべきことなく自宅に帰り付いたのだったが、最後の最後で眉を顰める事態に遭遇した。
まだ距離はあるのだが、店の玄関の前に見知らぬ人影が見えたのだ。
最初は物取りの類かとも思ったのだが、近づいていくうちにどうも違うらしいとわかる。
なにしろその人影は地面に倒れ伏しているのだから。
行き倒れだろうか? ……人の家の前で迷惑千万な。
「おーい、もしもーし、生きてますかー……って、うおおっ!?」
迷惑ではあるが放置するのも忍びないと思って抱き起こしてみる。
次の瞬間、目に飛び込んできたその容貌に驚いて、思わず放り出しそうになった。
その不審者(暫定)の背丈は俺より少し低いくらいなのだが、身に纏うのは頭から爪先に至るまで僅かな隙間すら覆い尽くす、この辺りでは見慣れぬ形状の全身甲冑。
……確か東方の国ではこんな形の甲冑が造られると、鍛冶の師匠に聞いた覚えがある。
『鎧武者』とかそんな感じだっただろうか?
そして何より驚かされたのは、顔を隠す〈鬼人〉を模したと思われる厳つい仮面。
……うん、これ以上ないほどに不審者(疑問)丸出しだな。
「おーい、誰だあんたー? とっとと目ぇ覚ませー」
「うう……っ」
軽く不審者(予想)を揺さぶってみる。どうやら生きてはいるようだ。
見た限り外傷のようなものはないようだが、疲労か何かが原因で倒れたのだろうか?
「は……」
鬼面の奥から力の無い声が零れた。くぐもっていて中の人物像の窺えない声だ。
意識の有無を確かめるためにも耳を寄せて訊き返してみることにする。
「……は?」
ぐー。
きゅるるるる。
「腹が……減った……!」
返答は甲冑の内側から盛大に鳴り響いた音だった。そして鬼面の奥から零れた呟き。
……思わず地面に叩きつけたくなったとしても一体誰が俺を責められようか?
どうやら腹が減って倒れただけらしい……それでもやっぱり不審者(確定)には違いないな。
というか朝方の俺の状態と被ってないか、こいつ?
実は弁当はミリィの手作りでした。